208話
移動要塞が人間を取り込み始めた頃、その内部でも変化が訪れる。彩辻との激戦を繰り広げる忍は、視界の隅に映ったそれを発見した。
まるで警鐘のように、肉の壁が躍動する。すると壁の奥から、ぬるりと何かが現れた。
「あれって……もしかして、捕まった人か!?」
淡い光を帯びて存在感を放つ蛹のような物体、それは人を堕武者へと変貌させるもの。元々この空間にも幾つかあったが、どんどん数を増やしていく。
外で捕まった人たちは気を失い、蛹の中で漂っている。そこでアミメに混蟲因子を無理やり植え付けられて、不完全な武者となるのだろう。
今頃移動要塞の至る所で、人間の堕武者化が行われているに違いない。
「街に入ったか……そんな者たちなど無視すればいいものを」
忍の意識が捕まった人間たちに映ったことで、彩辻は溜息を吐き捨てる。忍との全力勝負を望んでいるの為か、それが中断されたことに不満のようだ。
しかし何か思いついたのか、挑発的な声で忍に語り掛ける。
「――もうしばらくすれば、更にここへ送られてくるだろう。そうやって醜い出来損ないを増やしていく。
つまり早いところ私を倒して、アミメの元へ向かわなければならないという訳だ」
わざとらしく説明することで、忍を焚きつける彩辻。その思惑通り、忍の意識が彩辻の方へと戻る。
挑発の為だけに行った嘘偽りではなく、彩辻の言う通りこのままだと被害が拡大するばかり。
「……ッ」
伊音を守ることも勿論大事だが、それ以上に忍たちは人々を守ることも使命にしている。だからこそ、長い時間は懸けられない。
忍は今まで以上に気を引き締めて、短刀を握りしめる。
「さぁ戦闘再開だ。これ以上つまらぬことで私の美しい剣撃を止めるなよ!」
口火を切ったは彩辻、ニジイロクワガタの二刀流が七色の軌道を描きながら迫る。
初撃を屈んで避けた忍は、その後に続く追撃も紙一重で躱していく。
伊音を絶対に守る、その覚悟が忍を更に速くしていた。
「――ハァ!!」
小さな体で剣撃の隙間を掻い潜り、懐へ潜り込む。そこから数秒も満たずに、一閃のような刃が彩辻の胴体を斬り裂いた。
一瞬の間に接近を許したことに驚きを隠せない彩辻だったが、二刀を振り払いながら牽制し、忍が丁度いい間合いに入るよう後退する。
しかし忍は彩辻を逃さない。二刀流による牽制を捌きながら、執拗に追撃していく。
(距離が取れない――そう簡単に逃してはくれないか)
どこまでも続く猛攻に彩辻は押されていき、一歩後ろへ引き下がる度に傷を付けられる。
一撃は小さいが、それが束となり尚且つ目にも止まらない程速い。
"塵も積もれば山となる"のように、着実と彩辻に痛手を追わせていく。
――傷は浅くても、攻撃が速すぎて再生が間に合わない。コクワガタのスピードは彩辻の再生速度を優に超えていた。
「――本当に美しい速さだ、だが!」
「ッ……!?」
続けて追撃しようとする忍だったが、二本の短刀に何かが圧し掛かり、攻撃の手が止まる。彩辻の一刀が短刀を抑えつけて、忍の動きを一瞬止めたのだ。
そして間髪入れずもう片方の刃が振り下ろされ、小柄な身体に袈裟斬りを食らわせた。
「うぁあ゛――!?」
忍がチマチマと付けていた傷とは違い、肉体を深く斬り裂く。傷口から夥しい量の血が流れ、激痛とは裏腹に脱力感が襲う。
「神童伊音を想うあまり盲目になったな。いくら速くとも、この私を正面突破だけで倒せると思うなよ!」
力勝負だと忍は他の甲虫武者と比べて大きく劣っている、だからこそ正面からの斬り合いだといつか不利になってしまう。しかし忍はそれを忘れて、超スピードで真っ向から攻めていた。
"伊音を守る"、そんな強い決意が悪い方向に働いてしまったのかもしれない。
そんな失態を後悔する暇も無く、彩辻が追撃の構えを取る。
ここは無茶な攻撃はせずに、引き下がって傷の再生をするべきだろう。と、彩辻の間合いからバックして抜け出す忍。
(ニジイロクワガタ――"藍の波飛沫"!)
瞬間、七色に光っていたニジイロクワガタの刃が濃い青色、藍色に変色する。
その刃で剣撃を繰り出すと、剣圧が間合いを伸ばし、ハサミのように両サイドから迫った。
宛ら波で飛び散る水飛沫のように、それでいて鋭く襲い掛かる。
「なッ……!?」
突如延長した刃によって予想が外れて動揺しながらも、身を翻して素早く回避行動に移る。バク転して彩辻の攻撃を飛び越えた。
予想外の攻撃が来てもすぐに躱せるよう、"虫の知らせ"で常に彩辻の動きを警戒していた。
(冷静になれ僕! 焦らず、着実に攻めるんだ!)
深呼吸を繰り返し、激痛と焦燥感で火照った体を落ち着かせていく。
彩辻の指摘を素直に受け入れ、それを何度も復唱して再び攻撃の態勢に入った。
刹那――走る忍。
向かう先は彩辻。一見先ほどと何も変わっていない正面突破だが、彼の目前でその姿は消え失せる。
(――後ろ! 違う、右か!)
背後から気配を察知した彩辻は、振り向くと同時に刃を奔らせる。だがその時にはもう、忍は別の死角にいた。
消えては現れ、現れては消えてを繰り返し、彩辻を翻弄していく。
("虫の知らせ"が追い付かない――この私が翻弄されているだと!?)
第六感を上回る程の超スピード。疾風の如く横をすり抜け、現在位置を探らせない。
約十秒攪乱行動を繰り返した後、彩辻の頭上でようやく刃を振りかぶる。
(――捉えた、上か!!)
(コクワガタ――"嵐刹那"!!)
下にいる彩辻目掛けて、急降下と共に斬りかかる。対する彩辻は攻撃に転じた瞬間を捕捉し、迎撃の刃を振るう。
上下から挟むようにぶつかり、剣撃の衝突で激しい火花が散る。
しかし足場がある分パワー差で軍配が上がり、彩辻の反撃が勝って忍を薙ぎ払った。
「ッ……まだだ!」
またもや競り負けてしまう忍だったが、着地と同時に走り出す。
今度はこの広い空間を上手く活用し、縦横無尽に駆け回る。そうやって加速していき、更に速くなるのが狙いだった。
「フッ、そうこなくてはな。どれ、貴様の速さを近くから眺めさせてもらおう。
ニジイロクワガタ――"輝黄雷・稲走"ッ!!」
彩辻の刀身が藍色から黄色へと変色する。
暗雲から轟く稲妻のように、彩辻もまた目にも止まらぬ速さとなって忍と渡り合う。
野球ドームと同じくらいの面積の中を、黒い影と眩い閃光が飛び交った。
(凄い……全然見えない!)
壁や天井を走って重力を無視する程のスピード勝負、傍らでそれを見守る伊音には、二人の姿が目で追えなかった。
ただ息を呑んで、どこからか聞こえる剣撃の音を感じとることしかできない。
しかしそんな素人目でも、どちらが優勢なのか分かるようになっていく。
ほぼ互角の勝負に見えたが、次第に黒い影が閃光に何度も攻撃を当て始めた。
(コクワガタ――"風神の戯れ・独楽"!!)
翅で推進力を生み、空中で回転し始める忍。"削り隼"が更に進化した技、"風神の戯れ・独楽"で彩辻を追いかける。
電ノコのように回り、尚且つまだ速くなり、"輝黄雷・稲走"で動き回る彩辻の後ろを捉えた。
「ハァアア――!!」
「うぐぉ――!?」
通り過ぎると同時に足と背を斬りつけ、態勢を崩させる。彩辻は転がるように転倒し、"輝黄雷"の走りを止めた。
(足を斬った、これでもう動けない! 今の内に――倒す!!)
しばらく動けなくしたところで、これで終わらせようと勝負に入る忍。
足を斬ることで機動力を奪い、尚且つ地面に踏ん張れないようにもした。これで抵抗されても、先ほどのような力負けはしないだろう。
「ッ――ニジイロクワガタ、"澄縹"!!」
しかしそれで倒せる程、七魅彩辻という男は弱くない。
立てなくとも膝で体を起こし、黄色から青色へと変色を遂げた刀身で迎え撃つ。
忍のコクワガタにも引けを取らない高速剣撃で、一切の攻撃を寄せ付けない。姿勢を崩した状態だというのに、立っている時と変わらない強さ――いや、美しさを見せつけた。
(そんな――ッ!?)
「うぉぉおおお!!!!」
決着を付けようと斬りかかった忍だったが、予想以上の抵抗を受けてしまい断念。"澄縹"の剣撃を捌きつつ、一定の距離を取る。
そうこうしている間に彩辻は足の傷を完全に治し、立ち上がって忍を見据える。
「……真の美しさとは例え足が千切れようとも衰えることなく、何時までも不変だ。
足を斬り姿勢を崩した程度で、私の美しさに綻びが生じると思うな」
「ッ……!」
隙が無い――全くとまではいかないが、それでも彩辻の実力を改めて実感させられる。
"輝黄雷・稲走"の時も、まさかスピード勝負でほぼ互角の勝負を繰り広げるとは思っていなかった。
速さにおいては忍の方が上だ。しかし彩辻は多種多様な剣技で、その差を補っていた。
これこそがニジイロクワガタの特質、それとも彩辻自身の力か。
どちらにしろ、その"美しさ"は簡単に崩せるものではない。
「それにしても小峰忍、貴様まだ速くなるとはな。ますます以て気に入った。
そうだな、この私がこういうことを持ちかけるは珍しいが……
貴様も混蟲武人衆の一員となるがいい」
「――ハァ!?」
先ほどまで殺し合っていたというのに、突然の勧誘を受け忍は思わず間抜けな声を出してしまう。
一体どういうつもりだろうか? 動揺させる為の作戦かと最初は思ったが、彩辻という男がそんな小細工をしてくるとは思えない。
「聞けば貴様、武者として覚醒する前はクラスメイトに虐げられていたらしいな。言わば醜い弱者共が作ったくだらない社会の犠牲者だ。
だが我らの望む世界――全ての人類が甲虫武者となれば、それも一変する。力で全てを決める美しい世界ができあがるだろう」
「……ッ」
彩辻の言う通り、忍はいじめられていた。それは伊音も同じ。
犠牲者と呼ばれて、忍はすぐに否定はできなかった。実際自分がいじめられたあの時の境遇を、恨まなかったと言えば嘘になる。
「貴様は若い、醜い思想にまだ洗脳されてはいない。雄白英や黒金大五郎、特に貴様の教師である象山豪牙はもう手遅れだ。
何より貴様は、素晴らしい力が目覚めている。ならばその使い方を誤ってはならない。
――我が同胞になれ、貴様にはその資格がある」
そんな心情など知らずに、混蟲武人衆への勧誘を続ける彩辻。
確かに最初の言葉には悩まされた――しかし最後の言葉だけは、即答する。
「――ふざけるなよ、お前の仲間になんかなる訳無い! 言ったはずだ、伊音さんを絶対に守るって。その為に僕は戦っているんだ!」
それにお前らみたいなのが支配する世界が、美しいわけないだろ!
さっきから口を開けば美しい美しいって、気持ち悪いんだよ!」
彩辻の美しさが揺るがないように、忍の信念も決して揺るがない。事実とはいえ少し言い負かされそうになったことを隠すように、慣れない罵声で彩辻を威嚇する。
しかしそれが、彩辻の逆鱗に触れたようだった。
「――何だと。貴様……もう一度言ってみろ。
私が、気持ち悪いだと……!!」
足を斬られても落ち着いた態度を保っていたのに、突如として怒りの感情を剝き出しにする。
一時は薄れていた殺意が濃くなり、忍の"虫の知らせ"を強く刺激する。第六感を持たない伊音でも、その様子はすぐに分かった。
――その男が最初に美しいと感じたものの、それは一輪の花だった。
通っていた幼稚園の庭隅で、誰にも気づかれることなく咲き誇る花。種類は黄色いガーベラ。
雑草に囲まれていてもその存在感を放つ様に、心を奪われた。
それから男は花に興味を持つようになり、母から花かんむりの作り方を教えてもらう。実際にそれを作り、他の園児の前で被ってみせた。
反応は良好、特に女子からは絶賛される。その時から美しさに憧れるようになった。
時が進んでも、男の美しさに対する憧憬は変わらない。
徐々に男は花だけではなく、衣服や化粧などにも興味を持つようになる。血の繋がっていない両親はそれに理解を持ち、反対することもなくやりたいようにやらせた。
あの日見た花のように、自分も美しくありたい。そんな純粋な願いだった。
しかし、周囲の反応は園児の頃のものから大きく変わっていた。
学年が上がっていくにつれて白い目で見られるようになり、いつしか男は周りから虐げられるようになっていく。
――理由は分からなかった。ただ美しなろうとしただけのに。
毎日のように浴びせられる罵声、「女みたいなやつ」「オカマ野郎」「男の癖に」そして、「気持ち悪い」。
いじめっ子の中には、かつて園児の時に花かんむりを称賛してくれた子もいた。
――あの時は褒めてくれていたじゃないか。と怒りを覚える。
日に日にいじめを受ける男に、最初は推奨していた両親も否定的になり、優しく"普通の恰好"をするように諭し始める。
――"普通の恰好"? これを教えたのはお前らだ。と更に怒りを覚える。
そして男が一番激怒したのは、虐げられたせいで心身共に追い詰められ、やつれた自分を鏡で見た時だった。
――これが、私? こんなに痩せ細って、弱々しい、美しさの欠片も無いのが?
堪らず発狂にも近い悲鳴を上げた後、男は考えた。
何故こんな醜い姿になってしまったのか、こうなる前はもっと綺麗だったはずなのに。
そもそも何故周囲は自分を虐げるのか、否定するのだろうか。
――私の"美しさ"に、何が足りないのか?
そして男は、答えを見つけた。
――弱いからだ。いじめっ子に反抗する力が、自分の美を貫く意志が無いせいだ。
例え姿形は美しくても、強くなければ意味が無い。
どんなに綺麗な宝石でも、脆ければいつか壊れてしまう。
あの日見た黄色いガーベラの花だって、他の雑草に養分を横取りされても立派に咲き誇っていた。
――即ち、美しさとは強さ。
力ある者にこそ、真の美しさは宿る。逆に弱者は、醜く藻掻き踏みにじられるしかない。
男は身体を鍛え、自分を否定するものを悉く倒していく。
やがて真の美しさとも呼べる力が、自分に宿っていたことに気づいた。
「――どうやら私が甘かったようだ」
忍の罵声がきっかけとなり、過去をフラッシュバックした彩辻。
コクワガタの速さを称賛していた時の面影は無く、強い怒気が全身から滲み出る。
「やはりお前は醜男だ、弱者共に穢されたもう手遅れのな!
ここで始末する! 精々死に際まで、その美しいスピードを見せてから死に絶えろ!」
「本性を現したな、お前のような奴は僕が絶対倒す!」
激しい敵意のぶつかり合いに伴い、場の空気が張り詰める。
片方は一人の少女を守るため、もう片方は己の美を貫き通す為。
かつて虐げられていた者同士の戦いは、クライマックスを迎える。
就活、不安、怖い。
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