206話
移動要塞内部、腹部あたりにて。
彩辻が繰り出す虹色の剣撃を、忍が二本の短刀で防ぐ。そこから一歩踏み出すと同時に、彩辻が更に刃を浴びせた。
体格差、刃のサイズ、力など、彩辻のニジイロクワガタは忍のコクワガタを大きく上回っている。正面からの斬り合いでは明らかに忍が不利である。
しかし唯一彩辻、及び他の甲虫武者より勝っているものがあった。
「ッ――!」
追い詰めてくる猛攻に対し忍は素早くバック。正面の斬り合いは不利だと判断したのか、虹色が描く間合いから抜ける。
「逃がすと、思ったか――!」
それを見越した彩辻は追撃しようと全身、一歩踏み出したと同時に両刀を交差させて振りかぶった。
――直後、忍が引き下がった足で踏ん張りその場に踏みとどまる。そこから地面を蹴り、逆に彩辻へと斬りかかった。
(ッ――フェイントか!)
下がると思わせて素早く攻守展開、コクワガタのスピードだからこそできる騙し技。
それでいて低姿勢からの剣撃は、彩辻の懐へ上手く潜り込めた。
(――コクワガタ、"刹那の鎌鼬"!!)
迎撃も間に合わず、目にも止まらない早業が炸裂する。気づいた時にはもう忍が背後にいて、彩辻の両脇腹から血飛沫が走っていた。
「うぐ――お、のれ……!」
(よし! 次――ッ!?)
蹌踉めく彩辻を見て、透かさず次の刃を振ろうとする忍。しかし振り返った直後に動きが止まってしまう。
彩辻の向こう側、二人から少し離れた場所で伊音が心配そうに忍を見守っている。そんな彼女の背後に、床から生えた肉の触手が忍び寄っていた。
「ッ――伊音さん!」
すぐさま彩辻への追撃を中止し、彼女の元まで突っ走る。
伊音が気づくより先に到着し、触手を根元から断った。
「キャ……!? 忍君!?」
「あ、危なかった! 気づくのがもう少し遅かったら……」
もし肉の触手に気づけなかったら、今頃伊音は触手に呑み込まれて、四方八方の肉に呑み込まれていただろう。
この移動要塞はアミメの身体、そこから伸びる触手は彼女の手足。言わば忍と伊音を包み込むこの空間そのものが敵である。
(あいつと戦いながら、伊音ちゃんも守らないといけない……いくら僕のスピードでも……!)
触手だけなら一人でも十分伊音を守れる。しかしそこに彩辻が加わるとなれば、話は別である。
打開策を考えている内に触手が更に増え、二人を取り囲む。それを生えたと同時に斬り裂いていく忍。
(ッ、どうすれば……!)
どんどん数を増やし精神的に追い詰めてくる触手に息を呑み、冷や汗を流す。"虫の知らせ"を最大限に張り巡らせて、どこから攻撃が仕掛けられてもいいように身構えた。
次の瞬間、忍の第六感が感じ取ったのは素早い剣撃の気配。
姿勢を低くして迎え撃つ構えを取ると、忍たちを取り囲んでいた全ての触手が斬り落とされた。
「……え?」
忍はまだ何もしていない。だというのに触手は切断され、こうして窮地から助かった。
こんなことをできるのは、この場で忍以外にもう一人しかいない。
「あ、彩辻……何でお前が」
忍と伊音を救ったのは他でもない、敵であるはずの彩辻だった。何の躊躇いも無くニジイロクワガタの刃を肉の触手に向けていた。それを操作するアミメも突然の裏切りに驚いたのか、触手の攻撃も一旦止まる。
「――アミメよ。これ以上の助太刀は不要だ。
実に腹立たしいことだが、この小僧の美しいスピードに可能性を感じた」
今までカフェ・センゴクの面々を"醜男"と罵っていた彩辻が、忍の速さを称賛する。その実力を認めるような発言は何度もあったが、こうして正面から堂々と褒め称えるのは初めてであった。
「この私の目を欺き一太刀浴びせたその速さ。力という美を追求する者として、認めざるを得ない。だからこそ私は全力の小峰忍と戦いたい。
貴様が神童伊音に手を出そうとすれば、この小僧は防衛に回る。そんなことをさせていたら一々面倒だ。
――手を出すな、この男は一対一で片づける」
彩辻がそう言い放つと、再生した触手が一斉に伸びる。
狙いは忍ではなく身勝手な指示を出した彩辻。何を勝手なことを言っている、と言わんばかりに喉元を突き刺さる手前で触手が牽制するも、彩辻が両刀を振るうと同時にまたもや斬り落とされた。
「心配せずとも自分の役目は果たすつもりだ。神童伊音を逃がさなければいいのだろう?
その代わり、この小僧との戦いは邪魔しないでもらおう」
やがて彩辻の意志を承諾したのか、渋々と触手は床へと戻っていく。そんな彩辻とアミメの触手を通したやり取りを、忍と伊音はただ黙って傍観していたが、再び彩辻と目が合ったことで警戒心を取り戻す。
「――というわけだ。少なくとも貴様が醜態を晒さぬうちは、神童伊音に手は出さん」
「……そんなの、信じられるはずがないだろ!」
一対一の勝負を望みそのまま戦闘を再開しようとする彩辻だったが、対する忍は敵である彩辻の言葉を信用することはできなかった。
混蟲武人衆は幾度も伊音を狙い、剰え父親である鴻大の命も奪った。その内の一人である彩辻が信じられないのは当然のことである。
「何が"一対一"だ! 伊音さんのお父さんの時は寄ってたかってたじゃないか!」
「何か勘違いをしているようだが、私は別に正々堂々と戦いたいわけではない。貴様のフルスピードを見たいだけだ。
神童鴻大は確かに素晴らしい美しさの持ち主であった。だからこそ集団で挑まなければ勝てん相手だった」
しかし忍が想像しているような誠実さは彩辻には無い。あるのは嵬姿の戦闘に対する欲求にも似た、己の信念に基づく美への追及心だけだった。
「――私にとって力とは"美しさ"、闘争は己を魅せる手段だ。
全人類を甲虫武者にして、人の世を美しきものへと変える。確かにそれも重要だ。しかしどんなに美しい力を持っていたとしても、それを正しく扱えなければ宝の持ち腐れでしかない。
貴様のコクワガタが魅せるその超スピード、実に素晴らしいものだ。
他にも雄白英の金剛石のような無類の硬さ――グラントシロカブト、ヘラクレスリッキーブルー。
黒金大五郎の凄まじい切れ味――オオクワガタ、それと咲き乱れる花の如き剣技――黒爪ノ姿。
象山豪牙の全てを蹴散らし万物を粉砕する破壊力――エレファスゾウカブト。
どれもこれも美しい力だ。醜い弱者を守るという、下らない思想さえ無ければな!」
また忍の称賛をし始めたかと思いきや、この場にいない英たちも褒め始める。しかし彩辻が讃えているのは甲虫武者本人ではなく、その力。各々の強さを的確に見定め、評価していた。
「強きものが弱きものを喰らう、当然の摂理だ。しかも我々はそんな弱者共に、甲虫武者化というチャンスすら与えようとしているのだぞ?
何故拒む? 何が気に食わない? 全ての人間が甲虫武者になって不都合があるのか?」
「……あるに決まってんだろ! こんな傍迷惑すぎるお節介聞いたことが無い!
お前らは伊音さんのお父さんや工藤たちを殺して、関係無い人達を堕武者にして戦わせている!
こんなこと、許されるはずがない!」
自分たちの諸行が間違っているとは微塵も思っていない素振りに、忍は歯を食いしばり怒りを露にする。彩辻の言うチャンスで多くの人が不幸な目に遭い、中には帰ってこない者たちもいる。
「許されるはずがない? ――弱者共が醜くのさばるこの現状こそ、許されざるものだ!
力を追い求めることを忘れた愚者共が群がる世界など、醜悪そのもの! この世に生まれた以上、人は強く美しくあらねばならない!
全人間の進化を果たし、力が全ての美しき世界を作り上げる!」
異常なまでの"強さ"への固執、"美しさ"への執念。その一言一言に迫力があり、妙な説得力すら感じてしまう。
彩辻の放つ凄まじい覇気に、思わず後退ってしまう忍と伊音。
揺るぎない強い信念は、"虫の知らせ"にビリビリと伝わった。
「――話が少々ズレたな。今は貴様のコクワガタに集中しよう。
邪魔者がいなくなった今、思う存分速く動けるはず。私から神童伊音を守りたければ、そのスピードをもって己の美しさを示すがいい!」
「――ッ!」
話を終えた瞬間、彩辻は忍へと斬り掛かる。虹色の刃が目前まで迫ったところでハッと警戒心を取り戻して、既のところで防ぐ。
ジリジリと詰め寄る彩辻、刃を通して二人の睨みが絡み合う。
「――離れて伊音さん! 周りに気を付けて、何かあったらすぐ呼んで!」
「う、うん!」
背後の伊音が遠ざかったのを確認して、忍は短刀を逆手に持ち直し応戦する。引き気味になりながらも伊音を守ろうと必死に踏ん張り、押し負けないよう抵抗する。
そこから彩辻は忍に全速力を出させようと、素早い剣撃を繰り出していく。虹色の二刀流による連撃は執拗に襲い掛かり、刃の衝突による金属音が止まることなく鳴り続けた。
怒涛の剣撃に対し、忍は防戦一方となって刃を弾くことしかできない。
「どうした!? これぐらい貴様なら捌けるはずだろう!」
「ッ――!」
彩辻の言う通り、忍なら敵の剣撃を防ぎつつ隙を狙って反撃できる。
しかし今の忍は目の前の敵だけではなく、後ろの伊音にも意識を置いている為、どうしても遅れが生じてしまうのだ。
「まだ神童伊音のことを気にしているのか、疑い深い奴め」
「当たり前だろ! お前らなんか信じられるか!
なんなら彼女をここから逃がしてくれ! それなら僕も安心して全力で戦える!」
「それは無理な相談だ。あの娘は美しき世界の為、どうしても必要だ!」
会話の区切りと共に、彩辻が強い一太刀を振り下ろす。体格差によりほぼ真上からの刃となるも、忍は逆手から持ち直した短刀を交差させ頭上で受け止める。
しかし両刀の一本を受け止めている間に、もう片方の刃が横から迫り脇腹を狙う。咄嗟に身を翻して躱した忍だが、彩辻の猛攻はまだ続いた。
やはり伊音に向けた注意が足枷となり、忍の動きを制限している。かといって彼女を放置できる程、彩辻の言葉は信じられない。
伊音の身を案じたまま、彩辻と渡り合う方法――そんな都合のいい方法が、一つだけあった。
(なら――後ろを注意しながらでもこいつの攻撃を余裕で捌けられるよう、もっと速くなればいい!)
とても単純な話で、更なるスピードで二つの事を同時に行う。それが忍の導き出した解決法だった。
柄を強く握りしめ、足と腰に力を入れる。彩辻の剣撃を"虫の知らせ"と動体視力で捉え、全力で刃を振る。
(速く、速く、もっと速く――!!!)
スピード特化のコクワガタの性質か、それとも忍の伊音に対する想いによる影響か。ひたすら速さを求める思考と比例し、忍の攻撃の手はどんどん速さと鋭さを増していく。
攻撃だけを行っていた彩辻の両刀は次第に押され、斬っては防いでの互角の勝負となっていた。
(ッ――神童伊音に意識を向けたまま、私の刃を……!?)
そして遂に、忍の刃は彩辻を上回る。
二本の短刀で両刀を弾き懐のガードを突破、がら空きとなった胴体に再び剣撃を叩きこむ――
(コクワガタ――"嵐刹那"!!)
"虫の知らせ"も追いつかない程の加速は、彩辻の全身をほぼ一瞬で斬り裂く。気づけば彩辻は全身に浅い裂傷を受け、その早業に唖然とする。
最初に見せた"刹那の鎌鼬"がより速くなった技、忍のコクワガタは更なる速さを手にいれた。
「……決めたんだ。伊音さんを絶対に守る、もう二度と危険な目に遭わせないって」
自分に言い聞かせるように、覚悟を語る忍。
元はと言えば、あの時金涙から伊音たちを守れていればこのような事態にはならなかった。もう少し強ければ仲間たちが帰ってくるまでの時間稼ぎはできていたかもしれない。
そんな自責の念が、心の奥底にどうしてもあった。しかし皮肉なことに、それが忍の成長を促した。
病院内で伊音を助けに地下へ先行した時から、コクワガタの成長は始まっていたのだ。
「さっきまでの僕とは思うなよ、お前らの好きにはさせない。
お前はここで――僕が倒す!!」
――瞬間、彩辻の"虫の知らせ"が大きく反応する。まるで巨大な敵がドンと目の前に現れたように、戦慄と緊張感が走った。
しかし目の前に立っているのは小柄な青年、その手が握る二刀も短小で、外見だけではとても脅威には見えない。
(――想像以上だ)
しかし現に彩辻は、その小さな身体から感じられる気迫に武者震いをしていた。
強さだけを追い求める彩辻が、忍の実力を認めた証拠であった。
「実にいいぞ――この私がこれ程までに胸躍らせた相手は、ドクター以外いなかったかもしれん。
今だけは全人類の甲虫武者化など忘れ、己の美しさを魅せ合おうじゃないか――!」
今まで醜男と罵っていた青年を、目を輝かせて見つめる彩辻。期待以上の速さに思わず口角が曲がる。
そしてその成長に応えようと、より洗練された剣撃の構えを取り再び対峙した。
大切な人をただ守りたいだけの小峰忍、理想の世界の為己の美意識を貫く七魅彩辻。
邪魔などない、正真正銘一対一の戦いが今始まる。
よーし今度は一か月も更新期間空かなかった。
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