205話
「う――おらぁあ!!!」
野太い叫びと共に振り下される大剣、それを太刀で受け止める英。嵬姿の強烈な一太刀が刀身から全身へと伝わり、その強さを身をもって味わう。
「ッ……!」
しかし常人なら今ので真っ二つに切り裂かれていただろう。普通の甲虫武者でも致命傷は免れないはず。こうして真正面からコーカサスの刃を受け止められるのはヘラクレスリッキーブルーの鎧だけだ。
「いいぞ白野郎! やっぱりお前の硬さは最高だぜェ!!」
嵬姿の太い足が一歩踏み出される度に重い一撃が打ち込まれ、英は後退を強いられる。その圧倒的なパワーに、いくら刃は耐えられても、その威力だけは殺しきれなかった。
(リッキーブルー……"雪山銀幕"!!)
「ぉお――!?」
そこで太刀を一度鞘に収め、敵を断つのではなく攻撃を防ぐ為の技"雪山銀幕"を繰り出す。
嵬姿の連続攻撃はそこで止まり、防御の居合切りによって相殺される。
ただの剣撃とはいえあっさりと受け止められたことに驚く嵬姿、その僅かな隙を両サイドから突く。
(エレファスゾウカブト――"象覇弾"!!)
(変手――"破戒一掃"!!)
右側からは豪牙が打ち飛ばした光弾、左側からは機関銃による乱射。左右からの遠距離攻撃が命中するより先に、英は一歩下がる。
大きな爆発が一気に嵬姿の巨体を包み込み、周囲を火の海と化す。途轍もない威力だったが、今ので倒せていたら苦労はしていない。
煙が晴れ、最初に見えたのは地面に突き刺さる大剣。そしてその後ろで隠れるようにしている嵬姿であった。
幅のある刀身を盾にして攻撃を防いだわけだが、完全には防ぎ切れず体のあちこちに火傷や鎧の溶けた痕がある。
しかしそんなことなど気にせず、今度はこちらの番だと大剣を振りかぶった。
「効いたぜ今のはよぉ――お返しだァ!!!」
その構えを見た瞬間、まず英がしたのは後方の確認。これから繰り出される大技の軌道上に建物は無いか、横目で尚且つ素早く確かめた。
幸い高層ビルや山などが無いことを確認すると、急いで回避の姿勢に入る。他の二人も真正面から対抗しようとはせず、素直に退避した。
「"大――崩山"ッッッ!!!!!」
閃光の如く放たれる巨大斬撃、嵬姿の代名詞ともいえる"崩山"が更にパワーアップされた"大崩山"が英たちを襲う。
予め回避行動に移っていた三人は難なく躱す。
避けられた"大崩山"は少々上を向いて放たれ、空の彼方へと消えていく。しかし置き土産として、大きな入道雲を綺麗に斬り裂いた。
(なんつー威力! あんなのを連発されたら、堪ったもんじゃない!)
その切れ味を英は数時間前に体験していた。その時は自分の後ろに街があった為何としても受け止めなければならず、リッキーブルーの硬さを駆使して何とか軌道を逸らせた。
しかし、とてもではないがあんな威力の技を何度も受け流すのは不可能だろう。
「そりゃこいつを外に出すわけだ……あんなのを中でやられたら連中も困るからな」
嵬姿がこうして外で英たちを迎え撃つ理由、それは要塞内部に侵入させない為でもあるのだろう。しかし一番の理由として、内部で嵬姿を暴れさせて移動要塞を崩壊させない為だと、豪牙は息を呑みながら悟る。
大嶺嵬姿のコーカサスオオカブトは味方との共闘に向いていない。
最強の破壊力は味方さえも傷つける可能性のある諸刃の剣であり、その力を存分に奮うには単独の方が良い。
尤も嵬姿に味方を気遣う理性があるかどうかは、正直言って微妙だが。
「おいおい避けんじゃねぇよ! お前なら受け止められるだろ!?」
「簡単に言いやがって――ダァッ!」
すると英たちの苦労など知らず、嵬姿が大剣を振りかぶりながら再び突撃する。対し英は愚痴を零しながらも真正面からそれを迎え撃った。
コーカサスの刃を受け止められるのは英だけ、なので基本嵬姿の相手は英がし、豪牙と信長がそれを援護する形となっている。
英と嵬姿が斬り合っている最中、先程は光弾による援護射撃をした豪牙がそこへ接近。
英の横目が豪牙の目配せを確認し、言葉要らずの連携を行う。
(エレファスゾウカブト――"巨象の誇り"!!)
英の背後に回った豪牙が大槌を振りかぶる。英との身長差を活かし、リッキーブルーの鎧を盾にしながら打撃を食らわせるつもりだ、と嵬姿は警戒する。
しかし豪牙が殴ったのは、自分の足元であった。
「ぬぉお――ッ!?」
地面を伝わる衝撃が強い振動となり、嵬姿の足を取る。一方英は大槌が地面に当たる瞬間に飛び、揺れを回避していた。
(リッキーブルー……"水銀の滴り"!!)
間髪入れず繰り出される刺突。躊躇なく顔面を狙ったが、直前で首を傾けて躱されてしまう。
そうして英が地面に着地するより先に態勢を立て直した嵬姿は、大剣を縦に振りかぶった。
(俺と象さんを同時に斬るつもりか――!)
目の前の英、その背後にいる豪牙。丁度同じ線上にいる二人をまとめて斬り裂こうと、大剣が豪快に振り下ろされる。
(やばい――空中じゃ踏ん張れねぇ!)
最初と同じように太刀を横にして受け止める英だが、その足はまだ地面に付いていない。剣撃は防げたがその威力を流して身体を支える力が無く、斬るというよりかは地面に叩きつけられてしまう。
「――シャアオラァ!!!」
「ッ……!!」
「英!」
英のおかげで豪牙はコーカサスの一太刀を受けずに済んだ。しかしその衝撃が白銀の装甲ごと両足に伝わり、今度は英が蹌踉めく。
先ほどの仕返しだ、と言わんばかりにその絶好のチャンスを狙って嵬姿が大剣を振るう。
「変手――"白毫穿ち"ィ!!!」
「――ッとぉ!」
しかしその瞬間、横方向からの殺気を感じ取り咄嗟に防御へと転換。飛んできた狙撃を刀身で防ぐ。その後も同じような熱線と炎の弾丸が襲い掛かり、嵬姿に後退を強いらせる。
信長の援護射撃、弾幕を張って嵬姿を牽制しながら英たちと合流する。
(……下手に銃撃で距離を取れば、あの巨大斬撃を放たれかねんな)
しかしあくまでも牽制、必要以上の発砲はしない。
信長にとっても"大崩山"は驚異的であり、迂闊に本能死の超火力で攻めることはできない。本当は今すぐにでも"第六天雷"を放ちたいところだが、それで"大崩山"を誘発させれば痛手を負うのは自分たちだと分かっていた。
「でけぇハンマーに、とんでもねぇ火力の銃撃……そして最高に硬い鎧! いい感じに盛り上がってきたじゃねぇか!」
しかし数の有利もあってか、三人による連携は嵬姿の相手を十分できていた。最も嵬姿にとっては醍醐味でしかない。
更に張り詰める緊張感に口角を曲げ、鼻息を荒げて瞳孔を開く。まるで一匹の猛獣が餌を前にしたような、純粋な殺意。
大嶺嵬姿という男の狂暴性が、全身から嫌という程伝わってくる。
「いいぜ……俺も全力で遊ぼうかぁ!!!」
すると嵬姿は大剣を払うのではなく、力強く地面へと突き刺す。大きな刃先は大地を貫通し、そのヒビが周囲に広がる。
豪牙の"巨象の誇り"に引けを取らない衝撃と揺れに、英たちは足に力を込めて堪えた。
しかし次の瞬間、三人の足は地面から離れることになる。
「――"地抉り"ィ!!!」
「なッ――地面を!?」
大地を鞘代わりにして、まるで居合切りのように大剣が引き抜かれた。
その振り上げは"崩山"同様、剣撃を延長する斬撃となって、名の通りに地面を抉る。
圧倒的な切れ味は地面を内側から破壊し、英たちを宙へと打ち上げた。
そして嵬姿は肩幅のある背に備わった大きな翅を広げ、猪突猛進の勢いで三人の下へと飛ぶ。
嵬姿の剣撃が、空中で襲い掛かってきた。
「オゥラァ――!!」
(ッ――速い!)
狙うは英。"虫の知らせ"で一早くそれを感じ取り、同じように空を飛んで交戦する。
"地抉り"により、一同は移動要塞の下から大きく外れた。
他の面々としては、豪牙も空を飛ぶも信長だけは飛行能力が無く、一足先に下へ着地して甲虫武者たちの戦いを見上げている。
英は咄嗟に太刀を抜き大剣を受け止めるも、地上からここまで飛んで来たその速さに、思わず目を見張った。
(小峰君や金涙の奴に比べたら遅いもんだが、この巨体でここまで速く飛べるのか!
ただ破壊力が増しただけじゃない……スピードも技も、格段に成長してやがる!)
パワーアップした嵬姿の実力は、空中戦で英を押していく。
コーカサスの斬撃自体は受け止められるが、その衝撃を防ぐことはできない。地上と比べ空中では踏ん張る足場が無く、この場に留まらんとする力は翅による飛行しかない。
その為地上での斬り合いと比べ、空中戦では純粋な力比べとなっている。
そしてパワー勝負において、嵬姿の右に出る者はいない。
「シャア! オラァ!!」
猛威を振るい続ける嵬姿。大剣の猛攻はリッキーブルーの太刀を弾き、徐々に英の胴体へと迫る。防ぐのが精一杯で、隙を探る暇が無い。
刃同士の金属音が、空中で鳴り響く。
(だけど、俺の方が速い自信はある!!)
しかしただ黙ってやられていく程英という男は軟ではない。
"虫の知らせ"に全神経を集中させ、嵬姿の攻撃を予測する。
速いのは嵬姿だけではない、剣撃のスピードは英の方が勝っている。大剣と太刀という、刃の質量の差から生まれる必然的な優劣であった。
(リッキーブルー、"銀世界・雪煙ノ舞"ッ!!!)
その事実を突きつけるように繰り出される素早い剣撃、白銀の刃が嵬姿の身体を刻んでいく。無数の切り傷から血が流れた。
――が、嵬姿に怯む様子は無く、姿勢も全く崩さずに英へと大剣を振りかぶる。
「ッァ――今度はこっちの番だ! いい加減俺に斬られろォ!!」
迫るコーカサスの大剣。英の滅多切りとは違う、一撃必殺の振り下ろし攻撃が放たれる。
しかしその剣撃が炸裂することはなく、嵬姿は横からの鈍い衝撃に殴り飛ばされた。
「どりャアアアアアアア!!!」
「ぬぉおああ――ッ!?」
豪牙の強烈な打撃が嵬姿の右脇腹に直撃し、そのガタイの良い身体を彼方へ突き放した。
衝撃が身体の内部まで到達し、嵬姿は嗚咽と共に血反吐を吐き捨てる。
すぐに態勢を立て直し英と豪牙の元まで加速しようとするも、今頭上から自分を照らす強い光の出現に停止した。
「あ――?」
見上げてすぐに見えたのは、自分を呑み込むように鎮座する砲口。既に熱エネルギーの充電は終え、それが何かと理解するより先に発射された。
「――"仏堕とし"ィ!!!」
地上にいる信長の叫びが引き金となり、砲口から太い熱線が天にて炸裂。一瞬にして嵬姿を呑み込み、地面へと降り注ぐ。
すぐに巨大な爆発が起き、息もできない程の熱風が周囲に流れる。大地は真っ黒に焼け焦げ、被弾した場所を中心に炎が広がった。
一瞬で荒野と化した場所にゆっくりと降下した武者たちは、信長と同じように"仏堕とし"が撃たれた方向を眺める。
間違いなく直撃した、普通なら消し炭になっているはずなのに、これで終わったとは思えなかった。
「白武者のような硬い鎧でもないのに、まだ息があるか……!」
悪い予感は命中し、炎の中に大きな人影が見える。何事も無かったかのように二本足で立ち、今も大剣を握り続けているのが分かった。
やがて己を包み込む猛火を払い、嵬姿が姿を現す。
今までにもしてきたように、コーカサスの大剣を盾にしたのだろう。しかし流石に全てを受け止めるのは不可能だったのか、鎧はほぼ溶けかけて露出した皮膚は殆ど火傷になっている。
ほぼ死にかけの身体だというのに、苦痛の叫びも上げていない。一歩、また一歩と進みにつれて肉体の再生が進み、鎧も修復されていく。
(再生が速い――そりゃあんな大技出せるんだ、相当蓄えてねぇとおかしいよな)
再生力は、甲虫武者の強みと言っても過言ではない。当然英と豪牙も持っているし、何度も助けられてきた。
しかし嵬姿の"それ"を見て、武者たちは己の混蟲因子に備わった再生力を恨みたくなる。三人掛かりでも手を煩わせる強敵が、そう何度も復活しては堪ったものではない。
自分たちと戦ったいつか鎧蟲たちも、同じ気持ちだったのかもしれない。と今まで葬ってきた鎧蟲たちと現状の自分を重ねていく。
「プハァ! 今のは流石に死んだかと思ったぜ、中々良い攻撃だった!
だけどこんな楽しい戦いをよぉ、もう終わらせちまうのはつまんねぇよ!
――だから、テメェらも簡単にやられんじゃねぇぞ! もう腹一杯ってくらいに戦り合った後で斬り殺すのが、最高の締め方だ!」
「ッ――狂人が!」
信長が思わず零した言葉は、これ以上無い程大嶺嵬姿という人格を言い表している。
殺し合いに悦びを覚え、己の命すらもそれを楽しませる為に使う倫理の欠けた男。求めるのはただ一つ"闘争"のみ。
「じゃあ今度は、俺の番だァ――!!」
「くッ――!!」
猛獣のような雄叫びを上げ、刃先を地面に擦りながら突撃する嵬姿。
――その形相に息を呑みながら、英たちは迎撃の構えを取る。
少々時を遡り、混蟲武人衆の移動要塞が向かう先の街。
街の様子は当然パニック。突如現れた移動する巨大物に市民は戸惑い、それがこちらに向かってくることに気づいて、慌てて反対方向へと逃げていた。
「な、何だよあのデカいの……!」
「こっちに向かって来てるぞ……!」
「に、逃げろぉお! 踏み潰されるぞ!」
移動要塞の歩行スピードはそこまで速いわけではない。しかし一歩一歩の幅が広いため、追いつかれるのも時間の問題だった。
それでも多くの老若男女が手ぶらで、または持てるだけの大荷物を担いで走っていく。
焦りと恐怖が入り混じったことで起こる混沌は、阿鼻叫喚の地獄を招く。
彼らは逃げるのに必死で全く気付かない。
自分たちの頭上で、異変が起きていたことに。
街の上空を埋め尽くすように、大量の蜘蛛の巣が浮かび上がる。水面に波紋が広がるように、実体の無いそれは波立った。
しばらくしない内に、そこから蜂の大群が姿を現す。詰まっていたものが一気に出るように、凄まじい勢いで大群が形成されていった。
あっと言う間に蜂の軍勢が街上空で展開され、赤い甲冑姿が空を埋め尽くす。その視線は全て、移動要塞に向けられていた。
最後にもう一つ蜘蛛の巣がビルの屋上で出現する。そこから二匹の武将が人間界へ足を踏み入れた。
「御身体の方は大丈夫ですか? 信玄様」
「ああ心配ない、それにしても……これは一体どういう状況だ?」
三大名の一匹にして、終張国の支配を目論む裏切り者信玄。そしてその側に付く、くノ一の千代女。そして彼らの周りにいる蜂の大群は、信玄の兵隊たち。彼の全戦力が人間界に現れた。
信玄は混蟲武人衆と結託し濃姫を手中に収めることで終張国の支配を目論んでいた。しかし金涙たちの狙いも濃姫であり、裏切りによって一杯食わされる。その争いの果てに大きな痛手を負い、一時撤退したのであった。
「儂が猿もどき共に付けられた傷を癒している間に、随分と戦況が傾いたようだな――濃姫はどこだ?」
ようやく傷の再生を終えた信玄はいざ人間界に再び訪れたわけだが、その間に起こった出来事を把握しているはずもなく、大きくそびえ立つ移動要塞に困惑を隠しきれていない。
「あの動く城……我らと同じ力を感じます。あれは恐らく"姫"の能力によって作られた、肉壁の城。
猿もどき共や我らから自分の身を守るために、もしくは信長が作らせたのでしょう」
「つまり、濃姫はあの中にいる訳か」
信玄の狙いは変わっていない。濃姫の力を使い自分が統率する国"改斐国"を創ること。千代女の進言で移動要塞が"姫"の力で形成されたものであること知った信玄は、ニヤリと軍配団扇をその方向に突きつけた。
しかし彼らは知らなかった。濃姫は既に殺され、その繫殖能力は混蟲武人衆のアミメの体内にあるということを。
まだ濃姫は生きているのだと勘違いし、戦意の矛先を移動要塞へと向ける。
「――者ども、これよりあの城を攻める! 例え城はデカくとも、戦力差ではこちらの方が圧倒的だ。数で圧し潰す!
腹を空かせている者は下で喚いている毛無猿を喰らえ。相手はあの信長、少しでも力を蓄えておけ!」
信玄の言葉を聞き、蜂たちは攻城戦の準備を進めていく。ある者は弓の弦を確認し、またある者は編成通りに隊列を組む。その中心で信玄は畳床机に座って移動要塞を見据え、千代女はその傍らに付く。
すると一隊の蜂たちが早速弓を振り絞る。狙う先は地上、未だ鎧蟲たちに気づいていない人間たちに矢を向けた。
――移動要塞を襲うだけなら、人間を殺す必要は無い。
ならば信玄たちは何故人間を狙うのか、理由なんてほぼ無いに等しい。ただそこにいるから、戦前の気分転換か軽食気分でしかない。
やがて矢は放たれ、数えきれない程の量が下の人間たちに降り注ぐ。
しかし次の瞬間――矢は人々に命中するより先に、全て空中で散った。
「オオクワガタ――"蒼玉雷閃"ッ!!」
稲妻の如く、宙を駆ける刃。横から飛んで来た剣撃は矢を一本たりとも見逃さず、バラバラに斬り裂く。
「ギッ――!!??」
「――"空裂水晶"ォ!!」
瞬く間に斬り落とされた矢を見て蜂たちは動揺し、一体何が起きたのか確認しようとするも、首を下げた瞬間に頭部が斬り落とされる。
間髪入れず放たれたのは二つの斬撃。たった数匹の蜂を葬っただけでは足らず、その延長線上にいた蜂も全て斬り落としていく。
「――如山陣」
やがて斬撃は信玄の方にも伸びるも、彼が使役する蜜魔兵の壁"不動陸櫛"によって防がれ、ガキンという鋭い音ともに消える。
斬撃が飛んで来た方向を一瞥する信玄、黒光りする鎧姿が同じビルの屋上に降り立つ。
「また貴様か……黒武者よ」
その姿見て、開口一番に溜息を漏らす。対しその男、黒金大五郎は怒気を隠せず張り詰めた表情で信玄を睨みつけた。
甲虫武者の登場により、移動要塞の向けられていた鎧蟲たちの意識が一斉に黒金へと集中する。しかし全方位から殺意を向けられようとも、黒金の視線は揺らがない。数千の殺意よりも、黒金一人の憎しみの方が強く、固いものだった。
「生憎だが……お前の顔はもう見飽きた。そして何より、儂は暇ではない」
信玄がやれやれと目を伏せた瞬間、蜂たちが一斉に矢を放ち、黒金に矢の雨が降り注ぐ。
全方位から隙間も無く迫る矢に対し、黒金は力強く両刀を振り払う。オオクワガタの切れ味を乗せた剣圧が全ての矢を吹き飛ばし、信玄までのルートを作った。
いくら鎧蟲とはいえ、自分の主ごと敵を撃つことはできない。黒金はそれを見計らって信玄へと突撃。前振りも無く対象の首を狙う。
しかし黒金の刃は、信玄の"不動陸櫛"とは別の障壁によって防がれた。
(蟲術――三十枚重"木葉層"!)
千代女による"木葉層"。かつて豪牙を苦しめた蟲術が信玄を守る。薄くそれでいて強度な硬さを誇る光の壁が三十枚重なり、黒金の剣撃を真っ向から受け止めた。
しかし"木葉層"も無傷とはいかず、防ぐことはできたが半数に亀裂ができる。黒金の踏み込みが後もう少し強ければ、三十枚重と言えど破られていただろう。
(三十枚でもここまで……!)
オオクワガタの切れ味に千代女は顔を青ざめるも、透かさず反撃に移す。
"木葉層"で防いだまま背後で蟲術の手裏剣を形成、数枚投げつけて自由自在に飛び交わせる。
まるで飛び回る鳥のように軌道を描く手裏剣に対し、黒金は一枚一枚冷静に弾いていく。それでも手裏剣の猛攻は止まらず、後退を強いらせた。
そんな黒金に、千代女は手裏剣ではなく懐から取り出した小箱を投げつける。
(――"悪居ノ巣界"!!)
「ッ――!?」
それは信玄も使ったことのある、標的を別世界へ閉じ込める蟲術の道具。小箱は大きく膨れ上がり、黒金を呑み込んだ。
「――今よ! 者どもかかれッ!」
千代女の合図を聞き、近くにいた蜂たちが自ら箱の中へと入っていく。その数、数百近く。
しばらくして"悪居ノ巣界"こと匣は独りでに閉まり、元のサイズに戻ってコロリと転がった。
今頃匣の中では、黒金と数百匹の蜂たちが争っていることだろう。黒金の封印に成功した千代女は胸を撫で下ろし、信玄の下に戻る。
「――お怪我はありませんか、信玄様」
「ああ、しかし千代女よ。あの男が数百の雑兵で倒せれば苦労はしていない」
信玄の言葉に「え?」と顔を上げる千代女。
彼女が困惑を隠せないでいると、役目を終えたはずの匣に異変が起きる。
風も吹いていないのに震え、そのまま宙に打ち上がる。まるで「中にいる者」が暴れているように、抑えきれない破壊音が聞こえた。
そして匣が再び膨れ上がると、その表面に刃の跡が走る。驚嘆の声を上げる暇も無く、匣はバラバラに斬り裂かれてしまった。
中から出てきたのは、血まみれの黒金のみ。その血は彼が流した鮮血ではなく、鎧蟲から浴びた緑色の返り血。黒金の首を取ろうと匣の中に突撃していった数百の蜂たちは、一匹も見当たらない。
「まさか……たった数十秒であの数を片付けたというの……!?」
「下手な数を嗾けても、こちらの戦力が無意味に削られるだけか」
移動要塞を落とす手前、たかが一人の甲虫武者にそこまでの戦力は減らしたくない。そう思って最低限の数で襲わせたわけだが、数百匹でも瞬殺され匣から抜け出されたことに、千代女は驚きを隠せない。
「――全く、遅いったらありゃしない。貴様も、貴様の部下も」
ここでようやく黒金が口を開く。刀身に付着した血を剣圧で拭いながら皮肉を言い放つも、現状をまだ把握していない信玄はその意味を理解できない。
今までなら、開口一番怒声を上げながら信玄に斬りかかっていただろう。しかし今の黒金は冷静で、落ち着いて家族の仇と対峙する。
「ノロマとしか言いようが無いが、こうして出てきてくれて感謝している。
――混蟲武人衆の件を終わらせて、貴様への復讐を果たす。二つの面倒ごとを、今日で一気に片付けられるからな」
新年一発、ようやく更新できた。
最後までお読みいただきありがとうございます。もしも気に入っていただけたのならページの下の方にある☆の評価の方をどうかお願いします。もしくは感想などでも構いません。




