201話
「ッ――っと!」
地下からの強い揺れに態勢を崩される黒金たち、対する嵬姿と彩辻も足元が狂い、戦いの手が一瞬止まった。
下の戦い同様長く続いているこの戦い、黒金たちは嵬姿の一撃必殺を上手く躱し長期戦に持ち込んでいたが、こうして転機が訪れる。
(強い揺れ……それにさっき感じた微弱な気配、連中の城は地下か!)
濃姫が自身から曝け出した気配は当然病院の黒金たちにも届いている。そして先ほどから感じる地震、そこから英たちが向かった先はこの真下にあることは推理できる。
しかし伊音はまだ無事なのか、英と信長はどうなったのか、ここからだと詳しいことまでは分からない。
もし苦戦しているようなら自分たちも援護に向かいたいところだが、目の前の嵬姿と彩辻がそれを許してくれなかった。
「……くゥー! 白野郎とムカデ野郎を同時に相手できるなんてよぉ、ドクターが羨ましいぜ! 俺も混ざりてぇ!」
「諦めろ、我らはこの醜男共の始末をするぞ」
通路を塞ぐコーカサスの大剣、存在感を放つニジイロクワガタの両刀、とてもではないがこの二人をすぐに突破することなどできない。
戦いを再開しようとする嵬姿達を警戒しながら、黒金たちは小声で作戦会議をする。
「――下で何が起こっているかは分からんが、有利な状況でないことは確かだ。一刻早く雄白たちの援護に行きたいが……」
「どうする? 俺が無理やり退かすか?」
豪牙も軽い気持ちで言ったわけではないが、それができたら今頃苦労はしていない。
オオクワガタの切れ味とエレファスゾウカブトの破壊力なら突破すること自体は難しくない。この二人を無視して先へ進んでも後ろから"崩山"が飛んできてら一溜りもないだろう。
「――僕が行きます。コクワガタのスピードなら追いつかれない」
ここで名乗りを上げたのは意外にも忍だった。しかもその提案は内向的である彼のものとは思えない、自信にあるものだ。
黒金も同じことを考えていたが自分より先に、尚且つ忍自身が率先したことに目を見張る。そして一番驚いていたのは担任教師として忍の人柄をよく知っている豪牙であった。
「え、おい小峰――!」
「象さん先生たちはあいつらの足止めをお願いします!」
豪牙の静止も聞かず走り出す忍。一見焦りからの無謀にも見えるが、決して嵬姿たちの力を甘く見ているわけではない。しかしその背中に迷いは無く、ただ彼女の元へ駆けつけることだけを考えていた。
(来るか――!)
真正面から迫る忍を見て、嵬姿たちはまた自分たちを翻弄するつもりなのだろうと身構える。
しかし忍にそんな気はもう無く、自分が飛び回ることを警戒している二人を横目に、難なく素通りした。
「あぁ? なんだよ逃げるのか?」
「ッ――地下に行くつもりだな、させるか!」
凄い速さで院内の奥へと走る忍、当然彩辻たちが黙ってそれを見逃すはずもなく、すぐに斬撃を放ってその足を止めようとする。
特に嵬姿が繰り出そうとしているのは"崩山"、途轍もない威力を持つあの斬撃は忍を止めるどころかこの病院を一撃で半壊させるだろう。
「お前たちの相手は――俺たちだ!」
「――ッ!!」
嵬姿が渾身の力で大剣を振り下ろすその瞬間、豪牙の大槌が咄嗟に割り込みその太刀筋を妨害する。
エレファスゾウカブトの破壊力で斬撃が発する前に大剣を弾き、相殺とまではいかないがその方向を力尽くで上へと変えた。相殺しきれなかった切れ味が天井を貫き大きな風穴を開ける。
一方彩辻の斬撃は黒金が食い止め、こちらはその威力を押し殺すことができた。
走り去る忍を、黒金と豪牙が身を挺して庇った。
「――生徒の自主性を重んじるのが森ノ隅高校の校風であり、俺の教育理念なんでね。
俺もついて行ってやりたいところだが、後はあいつに任せよう!」
「そういうことだ、あいつの邪魔はさせん!」
彩辻たちの斬撃を食い止めたところで両陣営の立ち位置が入れ替わり、黒金と豪牙が通路を阻む。
未だ抵抗の意思を見せる二人に、彩辻は気に食わない顔で両刀を構え直す。
「――まぁいい、元はと言えばあの小童がドクターから神童伊音を守れなかったから此度の好機となった。
今更奴が行ったところで我らが不利になるとは思えん」
「どうかな。"男子三日会わざれば刮目して見よ"って言うぜ。まぁ三日どころかついさっきのことだが。
覚悟を決めた野郎ってのは、想像以上に逞しくなるもんだ」
「下らない、その程度で真の強さなど手に入るものか。
――それにしても、我らの目的を知って尚逆らうか。愚かな醜男共め」
七魅彩辻にとって一個人の心境などどうでもいい。あるのは己の信じる美しさを追求する美意識のみ。
彩辻にとっての美しさとは力、強さ。嵬姿で隠れてしまっているが、彩辻も中々の戦闘狂である。寧ろ力を求める者としては、嵬姿以上だろう。
「――これは慈悲だ。
醜くのさばることしかできない弱者共に、我ら甲虫武者が力を与えてやるというのだ。
全ての人類が甲虫武者になる、そうすれば世界は真の強者だけが生き残る美しいものに生まれ変わる。
貴様らが剣を振るうのは鎧蟲から弱者を守るためだろう? 全人類の手に得物が回れば、そんな下らない心配など無用になると思うがな」
確かに全ての人間が甲虫武者になれば、鎧蟲に殺される被害者は少なくなるだろう。
ここで黒金と豪牙の脳裏に、"守れなかった者たち"の顔が浮かび上がる。
――大切な家族、昔からの恩人。
――尊敬していた同僚、かけがえのない生徒たち。
もし彼らが甲虫武者であったら、結果は変わっていたかもしれない。
しかしそれは、あくまでもたらればの話に過ぎない。
「――慈悲だと? 貴様らの慈悲などただのありがた迷惑。
ナルシストの勘違いもここまでくれば滑稽だな。貴様の下らん美意識に哀れられる程人は弱くない」
「何が強くて美しいかなんてのはお前の勝手だ。
だけどな、無関係な人たちを巻き込むのは間違っている! 全人類を甲虫武者なんかにしていいはずがない!」
もしも本当に地球上の人間全てが甲虫武者に進化すれば、そこから広がる混沌は予想もできない。確かに誰もが鎧蟲に対抗できる力を持つことは素晴らしいが、決して良い影響だけではないはずだ。
「そうかぁ? 人間全員が強くなるんだぜ、そんな世界楽しいに決まってるだろ!」
彩辻と比べ、嵬姿の欲求は単純明快だ。
"強い奴と戦いたい"、生粋の戦闘狂にとって混沌とした世界は寧ろ願ったり叶ったりだった。言わば全ての人間が自分の"遊び相手"になるのだから。
「まだ思考の抜けたこの男がマシに見えてきたな。
――こんな弱者まみれの世界の方が間違っているに決まっているだろう!」
そして再び衝突する両陣営。
異なる価値観によるすれ違いが火花を散らし、戦いを更に熱く燃え上がらせた。
(僕が守り切れなかったからこうなったんだ――今度こそ助けてみせる!)
一方英たちが堕武者と戦った痕跡を追い廊下を駆ける忍。
彼がこうして単身で進むのは、カフェ・センゴクで伊音と濃姫を守れなかった自責の念から。そして今こそ彼女の窮地に駆けつけ、己の失態を償うためであった。
加速していくコクワガタのスピード。同じように戦況もまたどんどん進んでいき、この病院での戦いも節目が見えてきていた――
同時刻、信長が開けた道を必死に守り通す英。意地でも通さないという硬い意志は、金涙たちを寄せ付けずにいた。
金涙たちとしては、今ここで伊音と濃姫に逃げられるのは非常に避けたい。自分たちの悲願にどうしても必要な二人の女性を同時に捕縛できたのはこの上ない幸運であり、この先あるかどうかも分からない好機だからだ。
「――君はフォローを、少し乱暴に突破します」
「はい――!」
一見このような状況でも落ち着いているように見える金涙だが、先ほどまで保っていた余裕の笑みは消え失せ、鋭い眼光で前方の英を捉えていた。
表面的では僅かな変化でも、覇気が大きく変わったのを英の"虫の知らせ"が察知する。
――"そこを退け"、と言わんばかりの迫力。そして大きく両足を前後に展開する構えを見て、"虫の知らせ"は更に激しくなった。
(――大技が来る! 俺ごと突っ切るつもりか!
どんな技だろうと避けるつもりはない、受け止めてやる!)
対し英も一度鞘に刃を収め、居合切りの構えで迎え撃つ準備をする。
伊音たちがくれたこのチャンス、決して無駄にはさせない。大きく息を吸い、前方から飛び出してくるであろう衝撃に備えた。
遂に激突の時。金涙が地面を蹴るその瞬間、脹脛が膨れ上がり装甲を内側から打ち破る勢いで筋肉が働く。
全身全霊を込めた脚力による突進、その勢いに乗り途轍もない刺突が繰り出された。
(オウゴンオニクワガタ――"鬼夜ノ輝・狂彗星"!!)
(リッキーブルー、"雪山銀幕"!!)
――"鬼夜ノ輝・狂彗星"は貫通力に特化した刺突技。
対し英の"雪山銀幕"は、敵を斬るのではなくその攻撃を受け止める為の技。
刃同士による攻守は、凄まじい衝撃波を生む。金涙の突進による推進力は一向に衰えず、防御技である"雪山銀幕"でも簡単には抑えられない。
(踏ん張れ――絶対に止めてやる!!)
歯を食いしばり、両足に最大限の力を張り壁として立ちはだかる。リッキーブルーの硬さだからこそできる防御技、鋭い衝撃を全身で受け流し分散させていく。
このままいけば金涙の刺突を弾くことができただろう。
しかしその瞬間、金涙のとは別の衝撃が数回足腰を襲う。
「ッ――のわ!?」
踏ん張りを利かせていた下半身を、刺突の感触が押し出すように走る。装甲が傷ついたわけではないが、僅かな力が全身のバランスを崩す。
――金涙の後ろを見れば、アミメが長刀を突き出している。刺突を斬撃として打ち飛ばす技、"騏驎奔走"であった。
僅かに踏ん張りが弱くなったタイミングを狙い、金涙の推進力が増す。全身を襲う衝撃を分散できなくなり、遂に英の体は通路の奥へと押し出されてしまう。
「ぐぁあああああ――!!!」
そして牢屋の部屋に到達したところでその壁に激突。まだ信長が濃姫と伊音を連れて今しがた脱出しようとしていた時であった。
「きゃっ――英さん!?」
(ッ――あの白武者がこんなにも早く突破されたのか!?)
その実力を認めていた信長は、英が押し負けたことに驚きを隠せない。
金涙の刺突は両肩を貫き、杭を打つように英を壁に抑えつけていた。これではすぐに動くことができない、英の無力化に成功した金涙は素早く振り返り、信長と伊音たちを捉える。
「うぐぁ……早く、逃げろ……!」
「ッ……言われずとも!」
英のこと見捨てると言えば悪い言い方だが、今ここで濃姫たちを逃がさなければ全てが水の泡。意地でも彼女たちを連れてこの場から脱出せなばならない。
「――アミメ」
しかし二人の乙女を両脇に抱えようとしたその時、土煙の中からアミメが飛び出してくる。ギラファの長刀が伸びるように迫った。
無論銃で迎撃しようとする信長だったが、自分に寄り添う濃姫の感触に手が止まる。
(不味い、今本能死を撃てば――!)
――本能死の銃撃は、まさしく熱エネルギーの塊。自衛の術が無い濃姫と伊音が至近距離にいる今それを放てば、彼女たちへの不安は計り知れない。威力を弱めることもできるが、そうすればアミメを止めることができない。
「ギラファ――"聳孤乱舞"」
その一瞬の迷いが、アミメの剣撃を迎い入れてしまう。長い間合いによる素早い太刀筋があっと言う間に信長の全身を切り刻み、立つことすらままならない状態まで追い詰めた。
「――信長様ぁ!」
「うぐぅ……うぉお!!」
しかし濃姫の甲高い悲鳴を聞き、何とか力を振り絞った信長は伊音と濃姫を自分の後ろ側に突き飛ばし、距離を取らせる。
このまま好きにさせてなるものか、と一丁の銃を形成しアミメを迎え撃とうとするも、放つ前に銃身がバラバラに斬り裂かれてしまった。
「ッ……おの、れ……!」
全身から噴き出す血と共に訪れる脱力感、無念の内に信長はその場で倒れてしまう。アミメはその横を素通り、伊音と濃姫を追い詰めていく。
「――ようやく雄白英と信長を無力化できた。
ここからどうします? ドクター」
「これ以上時間を掛けると黒金社長たちも来るかもしれない。不安要素が多いからあまりやりたくはありませんが……直接やってください」
信長が開けた地上への道は坂が急で、とてもではないが伊音と濃姫が自力で上るのは無理であった。迫る長刀の刃先に恐怖し、背中が壁に付くまで後ろへ下がる。
「ひッ――!」
「……猿もどきが、我が妻に気安く近づくな!」
逃げ場はない、そんな彼女たちを助けようと英は必死に藻掻くも、抜け出すには時間が掛かる。一方信長は自力で再生することが不可能、新たな銃を形成する余力も無ければ、あったとしても伊音と濃姫を巻き込む可能性があった。
「ッやめろ! 何をするつもりだ!」
こうしている間にも伊音たちに近付く濃姫、慎重そうに刃を構えるその姿を見て英は怒号を上げる。
先ほどまで大事そうに閉じ込めていた癖に、今になって危害を加えようとしている。一体何をしようとしているのか、皆目見当もつかない。
「――そう言えば、まだどうやって全人類を甲虫武者にするのかまだ教えていませんでしたね。
アミメの身体に伊音さんの心臓と濃姫さんの生殖器を植え付けるんですよ」
「なっ……はぁ!?」
そして全く予想していなかった答えが、金涙の口から語られる。その瞬間、この場にいる全員の視線がアミメへと集中した。
人間の遺伝子と混蟲因子を完璧な比率を持つ伊音の身体、強い混蟲因子を生む為に必要な濃姫の"姫"としての要素。それらが必要ということだけは教えられた。
しかしそれでどうやって全人類を甲虫武者にするか、そこはまだ語られていなかった。
「伊音さんの遺伝子と濃姫さんの生殖能力、まずこの二つを一つの器にまとめなければならない、それが彼女の役目。伊音さんの心臓を植え付ける器は、同じXX染色体の方が適合率は高いでしょうから。
そうして器となったアミメの"姫"の力で全人類に完璧な混蟲因子を植え付けるんです」
「そんなことが……」
「本来なら私が手術で移植する予定でしたが、こうも邪魔が入ってはそんな余裕も無い。
信玄さんもいつ来てもおかしくはないので、痣で心臓と生殖器だけを吸収させてもらいます」
「貴様……濃姫の胎を食うつもりか!」
その方法とは思っていたよりも単純明快で、専門知識の無い英たちでも何となくその理屈は理解できる。だとしても地道な方法としか思えないが、そもそも対象は全人類。時間を掛けるのは前提されているのだろう。
「――まずは濃姫さんからにしましょうか。
腹部から僅かに下、その箇所だけ混蟲因子が異彩を放っている。そこが生殖器で間違いありません」
「分かりました」
身体の構造は人間と変わらない伊音は兎も角、鎧蟲である濃姫の肉体など普通は分からないだろう。しかし金涙の今まで多くの足軽たちを解剖してきた経験と、お得意の"虫の知らせ"でその位置をピタリと言い当てることができた。
「ッ――逃げろ、逃げろ濃姫ェ!!!」
「あ、あ……あ……!」
まるで手術の真っ最中に指示を仰ぐように、メス代わりの長刀をアミメが突き付ける。恐怖で完全に動けなくなった濃姫はその場でへたり込んでしまい、ただ全身を震わせることしかできない。
信長の必死な叫びが地下に響き渡る。地を這ってでも助けにいこうとするがそれではどうやったって間に合わない。
絶体絶命、最早希望は消え失せてしまった――そう絶望しかけたその時であった。
――英と金涙の前を、アミメと信長の横を、風が通り抜ける。
「――ッ!」
その余波で凄まじい突風が起き、埃と破片が舞って瞬きをせざるを得ない。
瞼のカーテンが閉じたその一瞬で、アミメと濃姫たちの間に新たな人影が立っていた。
――院内から地下まで、一分にも満たないその超スピード。そしてアミメの横を通り抜けると同時に、予めその身体に刃を入れていた。
傷によって彼女が崩れたことにより、背中に覆いかぶされていたその正体が英たちにも見える。
「……忍君!」
「間に合った――僕が絶対に、守ってみせる!」
普通なら安心感とは真逆の小柄な体形から、いつにも増して頼もしさが滲み出る。守れなかったという自責の念が、三日と経たずに彼を変えた。
小峰忍、コクワガタ――只今見参。
2020年も後一年とか軽いホラーですわ。
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