164話
「――だぁあッ!!」
絶叫から放たれるオオクワガタの刃、光秀はそれをカマキリの両鎌で文字通り正面から受け止める。
黒金の剣撃を受けても刃こぼれ一つせず、その緑色に輝く刀身を保っていた。
そもそもカマキリの鎌は獲物を斬り裂くためのものではなく、鋭い突起でしっかりと抑えつけるためのものだ。しかし鎧蟲と普通の虫は違う、光秀の鎌は名刀の如く切れ味を持つ。
「……ハァ!!」
黒金と比べ光秀の引き締まった動きは、虫の知らせでも躱しきれない程の瞬発力を見せる。黒金の刃を僅かに掠るだけに終わったが、たった一太刀でもその強さが伺えた。
カマキリの関節を活かした素早い剣撃、まるで獲物に飛びつく獣のようである。今までに戦ってきた武将とは明らかに違うタイプの戦い方だった。
(鎌の振り始めから命中までが殆ど見えない――鎌使いというよりかはフットワークの軽いボクサーのようだ!)
怒涛の連続斬りに対し黒金は後退、標的の間合いから避難する。その後に斬撃を飛ばして牽制を図るも、間髪入れず距離を詰めてくる。
後ろへ下がる黒金を容赦なく追い休む暇なく斬りかかる光秀、鋭い剣撃で怒涛の猛攻を繰り出していく。
(虫の知らせで冷静に回避、動きを見極めると同時に奴の隙を探れ!
確かに厄介な鎌だが、捉えきれないものじゃない!)
黒金もただ攻められるだけではない、持ち前の判断力と虫の知らせで光秀の攻撃を躱し続けて打開するチャンスを伺う。
それにしても、確かに光秀は鎌で攻撃してくるがこれは体の一部に過ぎない。今までの武将は矛や槍、ある怨敵は蜜蜂たちに戦闘を任せていたがこうして正面から己の体だけで挑んでくる敵は初めてだ。
――ただの偶然かもしれないが、あくまで光秀という男は黒金と真っ向から向き合いたいのだろう。
鎧蟲に全てを奪われ、その復讐心を糧に生きていた男。そんな黒金を生んだのは他でもない鎧蟲(自分たち)、その罪悪感で黒金に付き合っているかもしれない。
「気に食わねぇ……気に食わねぇ!」
それを薄々悟っていた黒金は、鎧蟲に気遣われていることが許せず怒りの言葉を復唱すると同時に反撃の一手を入れる。
夜という時間帯はオオクワガタにとって絶好の時、その鎧も刀身も黒のため全てを闇が隠してくれる。ほぼ透明と言ってもいい黒金の二刀が光秀の鎌を弾き、その懐目掛けて一気に振り払われた。
しかし鎌を弾いたことにより光秀は態勢を崩し、逆に刀が到達するまでの猶予をほんの少しだけ作る。オオクワガタの二刀が光秀の目前を通過し、そのまま本体を取り逃した。今の回避は強運によるものだった。
(闇夜に隠れる漆黒の刀身……油断できない、黒金殿は本気で私を殺しにかかっている……!)
改めてこの戦いが決して戦場の下見や両者の力を測定するためではないことを悟り、容赦なく斬りかかる黒金に息を呑んだ。
そうとなれば出し惜しみはできない。光秀は素早い動きを続けて黒金を翻弄、いつでもその懐に潜り込める位置で体を俊敏に動かしていく。
(素早いのは鎌だけじゃない、身のこなしも軽い。常に牽制しなければ一気に詰め寄られるな!)
躊躇など一切無い本番に近い斬り合い、高速で攻撃を続ける光秀に黒金はそれ以上向こうのペースに乗られまいと二刀流を用いて戦況を自分の方に傾けようとしていく。
それにしても光秀は本当に速かった。もしオオクワガタの武器が二刀流でなければ、黒金は既に斬られていただろうと言っても過言ではない。虫の知らせをフルにしても隙を突ける機会は数百手の内一つしか見つからない。
(これ以上好きにはさせて堪るか!)
やがて黒金は光秀の攻撃を敢えて防がず、そのまま鎌に両肩を斬り裂かれる。激痛が鋭く神経を通るも、本格的な命中をしたことで光秀の猛攻に本のひと時の静止が訪れた。
黒金が躱さなかったのはわざとだと気づいた時にはもう遅く、両肩を斬られながらも渾身の技を放つ態勢に入っている。光秀は両鎌を胸に寄せて盾とし、急ぎ後ろへと下がった。
「オオクワガタ――翠玉咲き!!!」
炸裂する交差斬り、その切れ味に防いでも弾けるように吹っ飛ばされていく。光秀はそのまま崖下に激突し、その強烈な剣撃に腕が痺れる。
(なんという切れ味……もう少し前にいれば斬られていたかもしれん!)
背中を強く打った痛みを堪えながらすぐに態勢を立て直す光秀。回避が遅ければ危なかった事実に冷や汗を掻き、オオクワガタの強烈な切れ味に息を呑む。
光秀の攻撃を読み、反撃した黒金は間髪入れずに再び斬りかかる。
「命拾いしたな、だがこれならどうだ! ――空裂水晶ォ!!」
透き通る色の斬撃が二つ、闇の中を掻き分け光秀へと進む。そして斬撃を放つと同時に前へ走り光秀との距離を埋めていく。
斬撃と黒金本体に迫られる光秀、先方する空裂水晶に対し――花を描いた。
「華鎌斬――菫波紋」
鎌が見せる色は緑ではなく深い紫、まさしく菫が数輪咲いたように円を描く。黒金の斬撃は流れるように軌道を変えられ、岩の壁を斬り裂くだけに終わる。
見惚れてしまう程美しい鎌使いに、黒金は思わず呆気に取られてしまう。今のは本当に鎧蟲が見せたものなのかと。
「我が華鎌斬は花の如く戦場を着飾る。貴殿の昂った心も、この花で鎮めてみせよう」
「言ってくれるじゃねぇか……この虫けらが!」
しかし光秀の言葉を挑発として受け止めた黒金は再び走り出し斬りかかる。しかし光秀の技に見惚れていた時点で、戦いの流れは片方の物になっていた。
猪突猛進の勢いで刀を振る黒金だが、先ほどよりも洗練された動きで躱されていく。攻めるだけの黒金と違い、光秀の動きは一瞬だけ後ろに引き相手の剣撃を誘導していた。
やがて黒金が攻めていた状況は逆転し、再び光秀の鋭い鎌に防戦一方となってしまう。
「華鎌斬――木春菊の弾き語り」
すると地面を蹴る方向を変え素早く回り、回転する軌道を黒金の懐で見せる光秀。動きは読めても捉えられず、その胸元を鎧ごと斬り裂く。
飛び散る黒金の血、しかし光秀の鎌に乗りそれさえも美しく舞っていた。
「あぐッ……!」
全てが光秀のペースに乗せられていき、優しさ故に反逆を狙おうとも彼が信長の家臣であることを再実感する。
勝家と比べ威力は下、斬り合う近接戦では直接命を奪うのは難しいはずだ。それでも素早い身のこなしがそれをカバーしている。三大名を除き今まで戦ってきた武将でも随一の手練れである。
しかしその殺傷能力の薄さが黒金の怒気に絡み合い、思わぬ勘違いを生んでしまう。
「お前……本当に全力で戦っているのか! 今だって俺の胸を貫けば勝てていただろうに!」
「手を抜けばそれは黒金殿に対する侮辱となる。しかしこの戦いは命の奪い合いの為ではない、それは貴殿が良く分かっているはずです」
本気で勝負はするがあくまでも殺すつもりは無い、一方黒金は最初から最後まで殺しにきていた。いつの間にかそんな意識差が生まれていたことに気づき、光秀に翻弄されているような気がして激昂せずにはいられない。
「私の命が欲しいのなら、全てが終わった後にするといい。私や貴殿も信長様を迎撃する為には欠かせない戦力なのですから」
黒金の憎悪を理解している上で、尚自分の命を顧みない精神。全ては打倒信長の為にと決めたその覚悟は自己犠牲にも近かった。
――少しでも連携できるように、黒金の我儘は聞いてやろう。そう思われている気すらした。
「……なら、力尽くで本気にさせてやる!」
怒りと共に再び斬りかかる黒金、柄を折る勢いで握りしめ問答無用で光秀に刃を振り下ろす。
——オオクワガタ、紅玉烈火。燃え盛る炎のような突進斬りが襲い掛かる。光秀は足でガッシリと足で体を支えて鎌でそれを防ごうとした。
しかしあまりの勢いに押し負け、鎌ごともう一度崖際に叩きつけられてしまう。そこから黒金は力強く斬り続ける。鋼鉄すら容易に切断するであろう剣撃が絶え間なく光秀を襲った。
「うぐぁ——せいやぁ!!」
鎌で受け止められるのにも限界がある。光秀の華鎌斬は矛であり盾、斬られてしまったら矛すらも失ったことになる。
何とか黒金を止めようと鎌を振る光秀だったが、ようやく出た反撃の手も虚しく、鍔競り合いで止められてしまう。そして両手を斬り落とすオオクワガタの刃が迫った。
(華鎌斬——雛菊の産声!)
咄嗟に光秀は滅多斬りような技を展開、迫る黒刀を無理やり遮る。負けじと黒金も刀を連続的に降り続けるも、「雛菊の産声」により全て弾かれてしまう。
「ッ、オオクワガタ——!!」
(——何か来る!)
痺れを切らした黒金は、姿勢を低くし渾身の一太刀を浴びせる準備をし始める。光秀はそれを本能的に察知、多少斬られようとも技を中断し翅で上へと逃げた。
「——金剛砕きィッ!!!」
そうして炸裂する必殺技「金剛砕き」、光秀には躱されるもその背後の崖に突き刺さる。
その切れ味は岩を貫通し奥へと到達、そして内部から爆裂する様に崩壊していった。岩山をあっさりと破壊した威力に光秀は大きく見開く。
(岩山を砕くとは……!)
「これでも、かぁ!!」
すると黒金は慄く暇も与えず一気に飛び上がり、下から素早く斬り上げる。
翅による加速で強烈な切れ味を生む「蒼玉雷閃」、光秀は鎌を下に降ろし直前でそれを受け止める。
しかし下からの急襲に対応しきれず、斬り裂かれると共に上へと打ち上げられてしまう。夜空に緑色の鮮血が散っていく。
痛みを堪えながら二つの傷を抑え空中に留まる光秀、いつしか戦場は荒野から空へと変わった。
空中でぶつかり合う鋭い視線、光秀は何やら飛んでいる自分の体を不安げに見ていた。
「――今の動きで分かった。貴様、空中戦は苦手だろう!」
「ッ……!」
そんな図星を先に突き出し、黒金は光秀の元へ直行し勢いよく黒い刀身を叩きつける。動揺しながらも防ぐ光秀だが、黒金の言葉通り空中での飛行が上手くできないようだった。
――カマキリは確かに飛べるが、その多くは飛行が苦手である。長距離飛び回ることはできず短距離の跳躍しかできない。その翅も威嚇に使うことが殆どだった。
それは光秀も同じ、普通のカマキリと比べ長時間の飛行は可能だが甲虫武者の飛行能力より劣っている。
地上で見せた身のこなしはどこへ行ったのやら、黒金の猛攻を躱しきれずどんどん宙で斬られていく。しかしオオクワガタの剣撃は一切躊躇せずその全身に襲い掛かった。
「これでもまだ俺を許せるか!? どうだ殺してみろ!
俺は貴様を殺したくてうずうずしているぞ!」
「くっ……!」
本気の殺し合いを望まない光秀に黒金は依然斬りかかることで挑発する。
止まることを知らない剣撃が更に勢いを増していき、黒金の殺意を代弁していく。不得意な空中で斬られ続けるのは最早拷問にも近かった。
やがて飛ぶ余力も無くなり、光秀は夥しい量の血を流しながら下へ落ちていく。地上に戻れば素早い動きに戻ると思われたが、そんな力はもう残っていない。黒金も降りて再び地上で睨み合う。
「――ほら見ろ、甘いことを抜かしているせいでお前は殺される寸前まで追い込まれた。こうなった以上俺を殺してでも自分の身を守ってみせろ!」
「……」
「どうした! 人間一人殺すことさえできないのか!」
黒金の挑発は続くが光秀は何の反応も示せない。あくまで無言を通し、最早戦う意志さえ消えていた。
確かにこの勝負は黒金が一方的に仕掛けたもの、光秀に付き合う道理は無い。しかし光秀はそれに乗りこうして瀕死の状態になっている。
——黒金の憎しみ、怒りは信玄を筆頭にした全ての鎧蟲に向けられたもの。奴らを全滅させるまでは決して消えない。それを少しでも自分が受け止めてあげよう、そんな同情的な優しさを感じ取る。
そんな人の良さに甘えもしなければ一蹴もできず、ただ憎しみを八つ当たりのようにぶつけているだけ。そんな自分が情けなくて許せなかった。
やがて憎しみ続けることにも疲れてきたのか、枯れるような声でボソボソと語っていく。
「叡火の惨劇以来……俺は復讐を胸に誓って生きていた。家族の仇を討つ為に貴様ら鎧蟲を一匹残らず根絶やしにする、それだけを考えていた。
……だけどいつしか、それが虚しいことに気づいてしまった。あいつの言う通り、終わってしまったら何も残らない」
いつの日か英が黒金に言った言葉、復讐を人生の目的にしてしまえばそれを終えた後なにも残らない。復讐で得られるものは達成感しかないことに、黒金は気づいていた。
だからこそ光秀にただ憎しみをぶつけるのは間違っている、それも分かっている。彼は自分が見てきたどの武将とも違うことを理解した上で、今更和平を持ちかけた光秀が許せなかった。
「あの惨劇が起きるより先にお前が裏切りを決意していれば、俺の家族は殺されなかったかもしれない……数年早ければ、俺はこうして復讐心に縛られることはなかったのに!」
いつしか黒金の怒声は消え去り、代わりに嘆くような声色へとなっていく。
英に諭されても、完全に抑えることはできない憎悪。許そうという気は無いが少しでも緩めば死んだ家族の顔が過り、絶えず黒い心を滾らせていく。いつしか黒金は、自分の復讐心に首を絞められていた。
――光秀がもっと早く信長たちに反旗を翻したのなら、そう訴えかけるのは八つ当たり以外の何物でもない。聡明な黒金だからこそそれは理解できていた。
しかしこの憎しみのせいで光秀を責めずにはいられない。
「こいつは悪い奴じゃない」――そんな理解を認めてはくれなかった。
「……貴方の言う通り、我々が貴殿らの生き方を狂わした。申し開きもできません。その罪はいつか償うつもりです。
下らぬ内戦で一族滅亡の危機に晒され、別の世で生きる貴殿らを巻き込んだ。全く以て馬鹿らしい、どうしようもない愚者の集いだ」
黒金はもう刀を握る力も込められず、意気消沈するかのように刃を下ろす。その言葉は弱々しく、覇気などどこにもない。ただ自分の複雑な感情を吐露する存在でしかなかった。
対し光秀はゆっくりとその想いを整理して落ち着いている。やがて罪の告白のように自分の本心を曝け出した。
「本当は私だって、一族に滅んでほしくはない! 国や兵力のことなど関係無く、信長様と濃姫様には平和な世を生きて欲しかった……私はただ虚しい乱世を終わらしたいだけです。
――しかしそんな都合のいい話はない。終張国は多くの毛無猿の屍の上に建っている。今更安寧を願うことなど世が許してくれない」
黒金の本心からの叫びに続き、光秀も本音を曝け出す。それは初めて会った日の言葉と矛盾していた。
これ以上人に災いをもたらすなら、自分たちなど滅んでしまえばいい。自己犠牲をもって人と鎧蟲の戦いを止めようとした。しかしこれ以上犠牲を出したくないという優しさは、当然同胞である鎧蟲にも向けられる。
本来なら交わることもなかっただろう人間世界と終張国、それを繋げたのは他でもない鎧蟲たち。戦争を始めたきっかけとして、重い罪悪感が光秀を苦しめる。
「毛無猿と共に生きる……そんな贅沢は言いません。ただこの戦いを、終わらせたいだけです。
信長様を倒し……他の大名も葬る。そうして私が終張国の大名となり、この世界との繋がりを断ってみせる!」
静寂が戻った荒野の中、光秀は次第に声を大きくし最後には息を荒げた状態で語り終える。黒金と同じように自分の苦悩を吐き出しているのかと思いきや、それは決意の表明だった。
信長や信玄、謙信及びその家臣たちを倒し自分が終張国のトップになることで戦いを強制的に終わらせる。それこそが光秀の狙いであり、願いである。トップを倒して国を変える、言わば革命だ。
そんな光秀の思惑を聞き、黒金は俯いたまま何も喋らない。
別に説得するつもりではなかったが、自分の言葉で少しでも黒金を心を救えないかと光秀は考えていたが、それも裏目に出てしまったのだろうか?
「――俺と同じだ」
「……え?」
長い数秒を掛けて返ってきたのは怒気を孕んだものではなく共感の声、思わず間抜けな声で返事をしてしまう光秀だがそれでも話は続く。
「俺は復讐心に囚われ、どうしようもない男になった。達成できた後の話なんて全く考えずに、ただ現れる鎧蟲を殺していくだけの復讐鬼だった」
かつての黒金は、蜂の鎧蟲に攫われそうになった幼女を犠牲にし終張国への足取りを見つけようとしたこともある。復讐の為にと小さな命を利用する少し前の自分は、今では男として恥ずかしいとすら思っていた。
そんな黒金を今の状態に諭したのは、他でもないあの男だった。
「だが雄白や鴻大さん、カフェ・センゴクの連中が俺を人間に戻してくれた。いつしかあいつらは、俺のかけがえのない仲間になっていた!」
告白のようなことを言い放つ黒金は、自分の言葉で殺された美代子を思い出す。
彼女はカフェ・センゴクが黒金の居場所となっていることを悟り、長年側にいた身としてそれを気づかせてくれた。英のムカつく純粋さ、伊音の優しさ、豪牙の爽やかさ、忍の勇気、そして鴻大の思いやりがあったからこそ今の自分があるのだと実感していた。
「そして俺には復讐以外の願望が生まれた。あの場所であいつらとずっといたい、俺を受け入れてくれたカフェ・センゴクを絶対に守りたいと!
お前もそうなんだろ? 口では滅べばいいと言ってるが、本当は人間と同じように終張国のことも想っている。革命さえ果たせればそれも不可能じゃない」
黒金と光秀、人と鎧蟲という時点でその在り方は大きく異なっているように見えた。
しかしそれは違った。黒金が何故光秀を見て苛立っていたのか、それは人や仲間を想う光秀に共感していたからだ。守りたいものがある、平和な世を望む、争いの無い世界を欲する、敵としてしか認識していなかった鎧蟲に仲間意識を抱いた、それが己の本心も惑わす混乱となっていた。
やがて黒金はオオクワガタの鎧を解き、武器も持たず光秀へと歩み寄る。まだ疑惑の念は残っているが、既に殺意は消え失せている。
そして驚くべきことに、そのまま崩れている光秀に手を差し伸べた。
「……鎧蟲は許せない。だが無駄な争いが無くなるならそれでもいい、勿論信玄の野郎は絶対に殺すがな」
「黒金殿……本当にかたじけない!」
光秀もその手を取るために擬態姿へと戻り、そのまま黒金に起こされる。種族も思想も違った二人の男が、こうして手を取り合う。今までの人と鎧蟲の関係性には決して無かった間柄が今生まれた。
「お前と共に信長や謙信は勿論……必ず信玄を倒し、終張国は一切人間世界と関わらないようにさせる。そういう条約でどうだ?」
「黒金殿や他の武者殿の寛大な心に感謝いたします。罪を償うつもりで、貴殿らの力となりましょう」
やがて片方の体を起こすための握手は、和解の為の強い信頼性が秘められたものとなる。こうして深夜の決闘は穏やかな空気で終わりを告げた。
既に日付は変わっている、決戦まで残り二日。果たして今の戦いがどんな運命を選択するか、その答えはその時にならないと分からない。




