162話
人間の赤子を攫い、その幼い体に悍ましき所業をしてからまた十数年。終張国は大規模な狩猟作戦を決行する。信長、勝家、信玄、謙信など当時の最大戦力を筆頭に大軍勢で毛無猿の世界を強襲した。
その時の光秀も参加する予定だったが、終張国防衛のため不参加となった。
四匹の武将が部下を従え、一気に人間世界を攻め入る。何も知らない人々は、突如現れた虫の怪物になす術なくその命を摘み取られていく。
――これが後に「叡火の惨劇」と呼ばれるのであった。
全てが終わった後、終張国で山積みにされていく数えきれない程の死体。その殆どが苦悶の表情を浮かべて絶命している。そこから切り崩すように数人の死体を運び、片っ端から肉団子に処理されていく。その光景を光秀は蒼白としながら眺めていた。
(酷い……あまりにも酷すぎる)
中には幼い子供もいた。老若男女問わず皆殺しにされている。あまりの残酷な光景に光秀は何も話せず硬直してしまう。
やがてその山積みの側で、この戦果を挙げた武将たちが集う。信長、勝家、信玄、謙信、何やら謙信が信玄に向かって怒鳴っていた。
『この阿呆が! 貴重な餌を塵も残さず毒殺するなど何を考えている!』
『儂の毒が毛無猿に通用するかどうか試したかっただけよ、その分狩ったからいいではないか』
どうやら信玄は、自前の毒で人間たちを殺していったらしい。しかしその影響で多くの人が遺体も残らず死に絶えていった。体を残し餌としてその命をいただくならまだしも、ただ毒を試したかったからという理由で大虐殺を繰り返した信玄、光秀には到底理解のできないものだった。
――姫が毛無猿を食えなくなった今、例え親より弱くとも戦力を生まなければならない。毛無猿の肉を多くの雌鎧蟲に食べさせることでその出産を促すのがこの作戦の目的だった。しかしそれともう一つ、重要な理由も含まれていた。
『――信長様、我が隊から黄褐色の武者に襲われたとの報告を受けました』
『我らの部隊も同じ、謎の武者によってその大半を失った』
勝家の報告を始め、謙信から語られる謎の武者の出現。突如として鎧を纏った武者が鎧蟲たちを殲滅、数こそ少ないがその圧倒的な力で次々と同胞を蹴散らしていったという。
それを聞いた信玄は、顎に手を添え深く考えだす。
『濃姫を襲い長秀を討ったという黄金の鬼武者は夢幻ではなかったか……実に面白いが何故急にそんな奴が現れた? 毛無猿にそんな力は無かったはずだ』
『――恐らく、我らの力の一派だろう』
答えを導きだしたのは信長、その日初めて確認された甲虫武者たちの正体をすぐに悟る。それを信玄たち三匹は勿論、光秀も遠くからそれを聞いていた。
『我らの力の一派……ということはつまり』
『数十年前、毛無猿の赤子に植え付けた種……それが成長するにつれ力となった。我らと同様の力を使う毛無猿……言わば猿もどきだな』
より良い栄養摂取を濃姫にさせるべく、鎧蟲たちは人間の赤子に自分の一部を無理やり植え付けた。栄養豊富な家畜として作った存在だったが、それが今となって新たな脅威として頭角を現す。それどころか「姫」に毛無猿が食えないようなトラウマまで植え付けられた。
因果応報ともいえるこの状況に――うつけの魔王は笑う。
『肥えた家畜を育てたと思いきや、手強い敵を作ってしまったというわけか……面白い。それ程の力を持つ戦士ならば濃姫の良き食事となるだろう』
終張国崩壊の道に少しだけ近づいたというのに信長はそれを楽しんでいる。昔からかの大名は窮地を遊びとして上手くいかないこの世の中を楽しんできた。
甲虫武者の出現もまた然り、鎧蟲にとってただ狩りの対象が鹿から熊になったようなものだ。
そしてその会話を盗み聞きしていた光秀は、二つの決心をつけた。
(この終張国は……とても悍ましい。そしてをそれを統治する者たちはあまりにも強大だ。
その武者という存在ならば、この悲しき連鎖を終わらせられるかもしれない)
こうして光秀はどんなに長い時間を掛けようとも、終張国への謀反を果たそうと画策し始める。信長たち三大名やその家臣、あらゆる武将を打ち倒せる力を持った武者が現れることを願って――
決戦に向けて相応しい戦場を探していく黒金と光秀、途中無視できない過去について語り一層仲が悪くなるがその後も視察は続いていく。叡火市を通り過ぎた後もいくつかの候補を見て回り、着実にその準備を進めていった。
そして最後の土地を訪れた後、黒金の車は行き慣れた店へ向かう。町外れにあるカフェ・センゴク、そこへ入ると手伝いをしている伊音が出迎えてきた。
「いらっしゃいませ――って黒金さん! それに……光秀、さん」
常連である黒金は笑顔で迎えるも、後ろに光秀がいることに気づき何とも言えない表情でその名前を呼ぶ。襲う意思が無いとは言えその正体は鎧蟲、虫嫌いな彼女は恐れてしまう。
「おー黒金に光秀、何か用か?」
そして厨房の裏から英が現れ代わりに二人を迎えた。エプロンを着こなし落ち着いた様子で光秀と対面するその様は、かつての鴻大と重なる。
「ここの店長として大分慣れてきたようだな雄白、一時はどうなるかと思ったぞ」
「おう! たまにドジするけどそれっぽくなってきたぜ!」
鴻大の死後、カフェ・センゴクはその弟子でもありバイトでもあった雄白英が受け継いだ。伊音を養子として引き取り、鴻大がいた時の環境とあまり変わらないよう徹底していた。バイトからいきなり店長という大出世を遂げた英だが、当然だがついこの間までフリーターだった男がいきなり一店舗の経営を熟せるわけもなく、その点に関しては黒金からミッチリと経営論を教わった。
今や十分店長として働けるようになり、伊音は今まで通りその手伝いをしている。店長が変わったことにより客足も一時は少なくなったこともあるが、こうして盛り返している。
「その姿、雄白殿も菓子職人でありましたか。武者の皆様は多彩でございますね」
「……職人?」
「気にするな、ただの勘違いだ」
まだ勘違いが続く中、改めて英たちと顔を合わせる光秀。ちなみに豪牙と小峰は今他の用で店にはいない。
「中間報告をしようと思ってな、信長の軍勢が攻めてくる日は明々後日。今日はどこで戦うのかを決めている」
「明々後日!? すぐじゃねぇか!」
カフェ・センゴクに来た理由、全ての候補を確認した上で結局どこにするのかを英たちの意見も聞きながら決めるためだった。
その短い期限に英は仰天し、思わず盛大に転びそうになる。しかしそれは光秀が信長から取れた最長時間である。
「この三日間、私はこの世界で偵察を続けていることになっています。これ以上は信長様に疑われるでしょう」
「その為にも出来るだけ有利な場所を選ばなきゃならない。そこでお前たちの意見を聞きにきた」
他に客もいないので思う存分話すことができる。黒金と光秀はじっくりと話し合おうぞと言わんばかりに椅子へ座った。一応店に来た客として扱い、その注文を伊音が伺う。
「黒金さんは紅茶といつものですよね、光秀さんは……」
「この世界の食文化には疎い。お任せ致します」
流石の光秀もここが飲食をするための施設だということは察しがついている。しかしブラックダイヤモンドの菓子以外に人間の食べ物は食べたことがないので、何でもいいと伊音に答える。その紳士的な態度を見て、黒金は僅かに口角を曲げる。何か思いついたようだ。
「だったら、雄白のコーヒーを飲むといい」
「……こーひー?」
「えっ……!?」
その言葉に今度は伊音が目を見開く。英の淹れるコーヒーは尋常なく不味い、それは黒金も知っているはず。それを敢えて勧めるということは光秀を騙すつもりなのが分かる。
兎に角伊音は英のコーヒーを勧めること自体より、あの黒金がそんな小さな悪戯を仕掛けることが意外だった。
「美味しそうな響きだ、それをお願いします」
「……黒金さんはいつものセットで、光秀さんはコーヒーだそうです」
「マジ!? よっしゃ久しぶりに淹れるぜ!」
しかし店長となった英にかかれば美味しいコーヒーを淹れることなど最早造作もない——はずもなく、その不味さは相変わらず変わっていない。
勿論不味ければそれを求める客もいない。今までの客は全員伊音にコーヒーを淹れてもらうことを希望してきた。しかし初めての名指しオーダーに英は嬉しくなり、嬉々として準備を始める。その様子を見て伊音は不安に思うのであった。
そして先に黒金のメニューを提供した後、遂にそのコーヒーが光秀の前に現れる。
見た目はただのコーヒー、そこに変わりは無い。それでも光秀は初めて見る真っ暗な飲み物に意表を突かれた。
「これは……摩訶不思議ですね。早速いただきます」
何の疑いもせず英のコーヒーを口へと運ぶ光秀を見て、黒金は堪えきれない含み笑いを必死に隠す。数秒後には吹き出す姿を想像し、愉悦に浸らずにはいられなかった。
全員が固唾を呑んで見守る最中、殆どが予想していただろう結果とは全く逆の反応が浮かび上がった。
「――大変おいしゅうございます。この緑茶とも違う苦みが何とも」
「はぁ!?」
「ええっ!?」
不味さに悶絶する様子など全く見せず、それどころか「普通のコーヒー」を飲んだような感想を述べる光秀に、黒金と伊音は驚愕せずにはいられなかった。そして英はそれを聞いてガッツポーズを決める。
「よっしゃ! ようやく……ようやく俺もコーヒーを上手く淹れられたぜ!」
英が達成感を噛み締めるように感激の言葉を上げる中、開いた口が塞がらない状態の二人は、何も言えずにただ光秀を見つめる。その異様な光景に光秀もまたそれ以上の反応ができずにいた。
「あ、あの……どうかしましたか?」
(馬鹿な!? あの馬鹿のコーヒーが美味いだと……そんな訳無い!)
言い過ぎかもしれないが、数日前光秀が対話を持ちかけてきた時より信じられない。しかし現に光秀は平然とし、あろうことか二口目も飲んでいる。多くのその被害に遭ってきた黒金は、嫌と言う程理解している不味さと鎧蟲の不信感が合わさりどうしてもその言葉が信じられなかった。
――いや、もしかして、本当に、奇跡的に美味しく淹れられるようになったのか?
「ッ――俺にも一杯淹れろ!」
「あいよー!」
真相を確かめるべく、意を決してコーヒーを注文する黒金。初めて味を褒められた英は本当にそれが嬉しく、張り切って淹れていく。
やがて出された第二のコーヒー、そのマグカップを持つ黒金は無意識のうちに憎い鎧蟲の言葉を信じていることにも気づかず、鼓動を打ち鳴らしながら勢いよく口の中に入れた。
――が、すぐに吹き出した。
「――ぶふぉあ!?」
「黒金さん!?」
「黒金殿!?」
一気に広がる不快感、これ以上口の中にそれを留めることを本能的に拒み盛大に吹く。いつもより力を込められたせいか、今までで味わってきたどの英コーヒーよりも不味かった。
あまりの不味さに悶えながらも口を拭い気を確かにする黒金、鎧蟲と言えど騙そうとした罰が落ちてきたのかもしれない。
(考えてみれば、人間と鎧蟲の味覚が同じなわけないか……!)
ブラックダイヤモンドの菓子を食べたということは、甘味は共通して美味しく感じられるが、それ以外の味覚は違ってるらしい。そもそも光秀にとってこれが初めてのコーヒー、その感想に差が生まれるのは当然であった。
「汚いなもう! 店を汚すなよ!」
「やかましい! なんだこれは今まで以上の不味さだぞ!」
「てめぇが淹れろって言った癖に!」
そしてすぐに喧嘩を初めていがみ合う二人とそれを止める伊音、例え英が店長になろうともこの流れは変わらない。鴻大が命を懸けて守った娘の居場所は、こうしていつも通りの日常が流れていた。
それが光秀の目にどう映るのか、口では罵詈雑言をぶつけ合っているが硬い信頼関係が築いているのが分かる。
些細なことで喧嘩をして騒がしくする、終張国では見られない光景だった。
(これが毛無猿、ニンゲンの世界……)
全員ではないだろうがあの日殺された者や、今まで狩ってきた人間たちも同様の家庭や生活を持っていたと思うと心が痛む。一日人間世界を回って自分たちがどれ程罪深いことをしてきたのかを再実感した。
無論鎧蟲たちにも誰かを想う感情はある。しかしそれは種族繁栄という名分のもとあっさりと失われていった。
(――信長様や濃姫様も、同じかもしれん)
長い間信長の家臣として側にいた身として、彼の濃姫に対する愛情は紛れもないものだった。最初は子を産む道具としか見ていなかったが、いつしか「姫」という立場も関係無く彼女を娶っていた。
そんな夫婦を、自分は裏切る。今更同情心や躊躇などは無い。これ以上悲劇を繰り返さない為にも、かの魔王を討たなければならない。
そんな覚悟を人知れず決めていた光秀を、口喧嘩をしながらも横目で黒金が確認する。その顔つきで何を考えているのか察したのか、彼もまた拳を握りしめ表情を張り詰めた。




