156話
混蟲武人衆の拠点、薄暗い地下室をそのメンバーが歩く。アミメに抱えられた金涙は今にも死にそうな瀕死の状態で、寧ろまだ生きていられることが信じられない程だった。
一歩進むたびに傷が痛み、血反吐を吐く。そうして彼らが目指した場所は、研究室だった。
青白い照明に照らされる大量のビーカー、棚の上の並べられ中には気味の悪いものが詰まっている。鎧蟲の頭部、足、その様々な部位が腐敗しない状態で保管されている。鎧蟲だけではなく中には人間の内臓もあった。
すると彩辻がホルマリン漬けのビーカーを次々と落としていき、床の上で散乱させていく。空気に触れていく鎧蟲の部位に、金涙は英に斬られた右手の痣を翳す。左手や他の傷はまだ再生していない、しかし鎧蟲のホルマリン漬けを吸収すればその傷も見る見るうちに治っていく。
やがて完治までとはいかないが、一人の力で立てるまでの回復を遂げる。
「……ふぅ、流石に死ぬかと思いました」
崩れるように近くのイスに座り、天井を見上げる。まだ治りきっていない傷を見ながら、重い溜息を吐き捨てた。仮面を外し、その美形を解放する。足を大きく広げ溜息を吐くその姿は、外見よりも歳を重ねているように見えた。
「伊音さんの誘拐には失敗しましたが……思っていた以上に面白いものが見れました。本当にこれは謎が多い……」
そう言って金涙が棚から持ったのは彩辻に割られていなかったビーカー、その中では紫や緑など不気味な色に染まった肉片が、ホルマリンの中だというのに脈動を繰り返している。そしてそれを見つめる金涙の目は、好きなおもちゃを見る子供のように綺麗で、それ以上の狂気に満ちている。
「――混蟲因子、鎧蟲や甲虫武者の鋼臓に宿る遺伝子であり力の源。
混蟲因子は同じ混蟲因子を吸収し細胞を活性化させる働きがありますが、吸収ではなく複合という形は今までに無かった」
その混蟲因子とやらをジッと見つめる金涙、その金色の目はガラス越しで歪んでいるように映る。やがてそれを棚の上に戻し、再び椅子の上でゆっくりと体を伸ばし独り言のように語り続ける。
「英さんのグラントシロカブトと鴻大さんのヘラクレスオオカブト、二つの要素が合わさり新たな鎧、ヘラクレスリッキーブルーを生んだ。
何故そんな現象が起きたのか……遺伝子配列の相性? それとも一致か……甲虫武者には現代の生物学では決して解けきれない」
「申し訳ありませんドクター、私たちが不甲斐ないばかりに……!」
金涙の続ける考察を、アミメの謝罪が遮断する。その表情は普段の落ち着いたクールさの面影も無く、今にも泣き崩れそうだった。そうやって下げている彼女の頭に、金涙は優しく手を置いた。
「仕方ありません、元はと言えば消滅しない鴻大さんの太刀に興味を持った私の油断です。それに今日の戦いで我々は素晴らしい成果を得ました。後は実験を繰り返すのみ……
同時に伊音さんの誘拐と、もう一人のターゲットのことも考えなければ」
再び自分の世界に入る金涙、しかしまたもや邪魔が入る。廊下の向こうから感じる異様な存在感、金涙だけではなく他の甲虫武者も虫の知らせでそれを察知する。
臨戦態勢に入る三人の甲虫武者、しかし金涙だけは椅子に座り続けている。自分の出番は無いと思っているのか、それともただ余裕があるだけなのか。
やがて扉が慣れない手つきで開き、その正体を現す。金涙の表情はほんの少しの驚きで崩れるが、すぐに興味深そうなものを見る目になった。
「――珍しいお客様ですね、一旦何の御用件でしょうか?」
混蟲武人衆との全面戦争の後、神童鴻大の葬式は速やかに行われた。知人や親族は思っていたより少なかったが、それでも訪れる全ての人がその死を嘆いていた。中には英や伊音と顔見知りの常連客もいた。
その葬式で改めて鴻大の死を実感し、悲しみに暮れるカフェ・センゴクの面々。あの人を救えなかった後悔がジワジワと押し寄せる。
しかしいつまでも立ち止まっているわけには行かない、葬式も終えた後も様々なことが起きた。まずは激戦の跡地、大橋の件についてだ。
日が変わったら突然大衆が使う橋が血まみれでボロボロに斬られていたので大きな騒ぎとなり、様々な考察が行き交った。やれUMAの仕業だのテロリストの仕業だの、しばらくしてもこの話題は消えないだろう。
そして一番の問題、それは伊音の身寄りについてだった。
母親は昔に無くなり、その親族とは疎遠になっている。そして父親である鴻大には両親がおらず、彼女を引き取れるような間柄の知り合いはいなかった。それ以外にも問題は多く存在している。
そして今、彼女のこれからについてカフェ・センゴクで話し合いが行われていた。彩辻に斬られていた出口はもう修理を終えている。
「……さてどうするか。こう言うのもなんだが君の引き取り問題は少々厄介だ」
カフェ・センゴクの面々で一番の社会的地位がある黒金が率先して話を進める。開口一番冷たい一言だが、それが事実なのでどうしようもない。想像以上に悩ましい問題に全員が頭を悩ませていた。
「コーカサスたち……いや、混蟲武人衆にはこれからも狙われるだろう。一般家庭に預ければ巻き込まれてしまう。
だから、俺の養子ということでウチに来るということでどうだ?」
此度の戦いは勝てたが、それでも伊音は未だ狙われる身。いざ親睦の薄い一般家庭に預ければ守り切れるとは限らないし、関係のない人たちを巻き込んでしまう可能性が大いにあった。
そこで最善の方法としては、英たち甲虫武者の誰かの世話になるというものだ。そこで名乗りを上げたのが黒金だった。
「ありがとうございます黒金さん……だけど、遠慮させていただきます。ご迷惑をお掛けすることになると思いますし、
それに私は……お父さんと住んでいたこのカフェ・センゴクから離れたくありません」
「……そうか、君ならそう言うと思っていた」
しかし伊音は敢えてそれを断る。幼い時から過ごし、亡き父との思い出が残っているこのカフェを大切にしていきたいのだ。その回答を予想していた黒金は、珍しく微笑んでそれを受け入れる。しかしそれでも問題は生じた。
「だがもうカフェ・センゴクは経営できないな……どうしたものか」
「――俺がする。このカフェ・センゴクの店長になる!」
すると意外な……そうでもない男が率先して手を上げる。それをずっと言いたかったのか声を上げて、覚悟を決めた顔を見せた。決して冗談ではない、それはその表情を見て分かる。
「だから伊音ちゃんは俺の養子ってことで、ずっとここで暮らせばいい!
師匠の店も、俺が受け継いでみせる!」
「英さん……」
突拍子も無い提案のようにも思えるが、この中で伊音の次のカフェ・センゴクで暮らしていたのは英だ。未成年の彼女ができないのなら、バイトとして働いている英がその経営を受け継ぐしかない。
「――お前には無理だ、と言っても聞かないか」
「それに英なら、安心して神童を守れるしな」
「そうですね、英さんなら絶対に守れます!」
続々と他の三人もそれに賛成していく。唯一否定するかと思われた黒金も、普段の小馬鹿にする態度ではなく一人の男として英を信頼していた。
カフェ・センゴクの経営難はこれで一段落するだろう、しかしこのまま終わるかと思いきや黒金が英に迫った。
「だが! バイトだったお前に店長など片腹痛い! お前にカフェ一つを纏めるなんてことはできないに決まっている!
そこでブラックダイヤモンド社長の俺が経営とは一体何かを一から叩きこんでやる!」
「マジか! お前に勉強なんか教わるの!?」
「ど素人のお前にそのまま店を任せたら死んだ鴻大さんも報われん!」
最早日常とも言える英と黒金の口喧嘩、それを見てようやくいつものカフェ・センゴクの雰囲気が戻ってきたと一同は安堵する。二人の喧嘩を見て笑う伊音たち、するといないはずの鴻大の姿が見えたような気がした。
これこそがカフェ・センゴク、神童鴻大の店。例え店長が変わったとしても、その在り方は決して変わらない。
――そんな平和なひと時を、一つの気配がぶち壊す。
「「「「――ッ!?」」」」
それまで普通に話していた甲虫武者が、突如として虫の知らせが呼び起こされ立ち上がる。いきなり形相が変わったことで普通の人間である伊音は困惑した。
直したばかりの扉の向こうから、ただならぬ気配が感じられる。まさか、混蟲武人衆が堕武者をけしかけてきたのだろうか?
(いや、この感じは……!)
そこで扉がゆっくりと開き始める。どちらにしろ穏やかな空気ではない、英たちはいつでも鎧を纏えるように痣を翳す。緊張感が店内を支配し、冷や汗を流しながら息を呑む。
そして入店してきたのは、一人の優男だった。
「……!」
緑がかった長い髪を縦に流し、落ち着いた雰囲気を見せる男。それでいてどこか陰湿にも見え、爽やかと言える程ではない。
服装はワイシャツにジーンズ、しかし気慣れていないのか脇からシャツが少し飛び出してしまっている。それだけで第一人称はだらしのない印象が強く出た。
しかしその剣幕は戦士のように真っ直ぐで、背筋もしっかり伸びている。まるで覚悟を終えたような、引き締まった顔つきだった。
「……武将か?」
恐る恐る英が尋ねる。鎧蟲の武将は人間の姿に化けることもできる。こうして虫の知らせが反応する理由は分からないが、男はその単語に疑問を抱く素振りも見せずに頷いた。
「――私は光秀、貴方がたが鎧蟲と呼ぶ存在であり、終張国の一将を務める者です」
名を光秀、秀吉と並ぶ終張国の信長に仕える家臣の一匹。そしてその武将が語る内容は、想像だにしていなかったものだった。
「今日こうしてこの場にやってきたのは、毛無猿……ニンゲンの皆様との和睦の提案と、我が主である信長公が近いうちに大軍勢を率いて、貴方がた武者の殲滅をなさるつもりだということをお伝えに参りました」




