153話
一見ヘラクレスオオカブトとは関係無さそうに思えるが、グラントシロカブトはヘラクレスオオカブト属である。しかし同属と比べそのサイズは大きく劣っている。日本のカブトムシよりも小さく、その美しい白色以外地味な特徴ばかりであった。
しかしグラントシロカブトは別名「ホワイトヘラクレス」と呼ばれ、その美しさから多くの愛好家がいる。
そして今、英のグラントシロカブトは大きく進化する。師のヘラクレスを染め、白から銀へと。
ヘラクレスリッキーブルー、雪景色のように綺麗な白銀の鎧が混蟲武人衆の前に降臨した。
「グラントシロカブトの鎧が変わった……!? 鴻大さんの力を痣で吸収したのか?」
「この感じ……まるで英の中に神童さんがいるみたいだ」
驚くのは外見だけではない。甲虫武者たちの虫の知らせは彼の内包にある強さも察知し、正に英と鴻大の力が合わさったようだと感じた。鴻大の鎧にその太刀、その全てが銀色へと変わり同じ形と言えど全く違う鎧に見せた。
黒金たちが驚いているのに対し、混蟲武人衆もまた突然のことに理解が追い付かない。彩辻とアミメの二人は僅かに動揺しているが、嵬姿は目を輝かせて新しい英を凝視している。そして金涙は興味深いものを見る目でその全身を観察していた。
「ヘラクレスリッキーブルー、鴻大さんの力が新たな鎧として受け継がれたということですか――実に興味深い! 第一世代と第二世代のどちらにも確認されていない現象だ!
甲虫武者は倒した鎧蟲を吸収することができる。そして鎧蟲と同じ力を持つ甲虫武者をも吸収できる。ただし二つの鎧が複合し全く新しい物になることは無かった!
言わば英さん、貴方は甲虫武者の……いや、生命の新たな進化の第一人者です!」
あまりの興奮の口止めが効かず、子供のように語り出す。そこから英たちが知らなかった新しい情報が怒涛の勢いで流れていく。これも貴重な情報源、一言一句間違えないように黒金は耳を傾けた。
「……やはり私の理論は間違ってはいなかった。思わぬところでそれを証明できて安心しましたよ。甲虫武者には人智の及ばぬ力がまだ隠されている!
その現象が一体どういう原理で起こったのか、是非とも教えてもらいたいです」
「……原理とか理論とか、そんな難しいものじゃない」
ここで初めて英が口を開き、長い金涙の言葉に返事をする。いつもの感情の籠った声ではなく、大人びた口調だ。その目つきも鋭く全く別人のようだった。
「これは師匠が俺に託してくれた鎧でもあり、伊音ちゃんへの愛情だ。あの人が最後まで諦めなかった理由、絶対に娘を守るという親心が込められている。
そんな師匠の心が、俺に奇跡を起こしてくれたんだ!」
それでも普段の熱血さが失われたわけではなく、佇まいは静かで冷静になっているが鴻大から受け継いだ想いが心を滾らせている。その鎧の本来の使い手を、その意志を誇りにするかの如く、堂々と金涙へ言い放った。その感想はどうやら気に食わないらしく、少々呆れた様子で首を横に振る。
「そんな感情論では何もわかりませんよ。鴻大さんは既に死んだ身、死者の想いが何だというのです」
「――試してみるか? その感情論が人を強くするということを教えてやる」
そのまま片手を英に向けて払うと、その指示に従いアミメが斬りかかる。流れるような長刀の太刀筋が迫った。
――響く金属音、甲高い音が短く鳴る。ギラファノコギリクワガタの二刀流は、銀色の籠手一つに受け止められた。
(ギラファの刃が……片手で!?)
傷は勿論その威力に後ずさる素振りも見せない。ピクリとも動かずただ右腕を上に伸ばしただけでアミメの攻撃を防いでいた。
その間に今度は左から彩辻が剣撃を放つ。七色に輝く刀身が軌道を描く……が、今度は左腕でそれを受け止める。
(馬鹿な、私の美しい剣が……!?)
自分たちの攻撃が全く通用していないことに驚きを隠せない二人。確かに英は元々防御力の高いグラントシロカブトの鎧で攻撃を防いでいたが、それでも少しは効いていた。
しかしヘラクレスリッキーブルーの武者となった今、反動にのけ反り姿勢を崩すことなど全く無い。悠々と立っているだけで、視線すら違う方向を見ていた。
「……さっき言っただろう、これは師匠の心が込められた鎧だ。そう簡単に斬られるはずがない!」
やがて左右からの刃から手を放し、次の攻撃が来る前に腰に携えた太刀へと手を伸ばす。
その素早い動作はまさしく鴻大の元、しかしそこから繰り出す技は――全くの異色だった。
(リッキーブルー――銀世界)
鞘から抜かれ僅かな時の間に周る剣撃、銀色の軌道を置き去りにして一周した。あまりの一太刀の速さに二人は反応しきれず、まさしく地平線を描く世界の如く一直線に伸びた剣撃に斬られた。
そのタイミングはほぼ同時。全く同じ傷を付けられ後ろへと薙ぎ払われる。
「っあ……!?」
「馬鹿、な――!?」
地を流しながらアミメと彩辻は倒れる。まだ立てるが予想以上に鋭かった一太刀で大きなダメージを与えられた、そのせいで多くの体力を消費することとなる。
敵を打ち払い翻る外套、その一挙手一投足を厳格なものに見せてただならぬ気迫を纏わせた。
「もうこの鎧は、誰にも斬れない」
「そいつは嬉しいねぇ!!!」
瞬間、英の前に嵬姿が立ちはだかり容赦なくその大剣を振り下ろす。しかしコーカサスのパワーもリッキーブルーの鎧の前にただ弾かれるだけだった。
それでも大剣を振り続け、がむしゃらに攻撃していく。
「俺が試してやる! 斬れねぇなら最高 斬れても最高!」
ただ戦いを楽しむ嵬姿にとって耐久力の塊とも言える英は絶好の相手だった。そんな彼がより硬くなれば喜ばないはずがない。
休むことなく斬っていく嵬姿、その威力はアミメたちの比ではないがそれでも傷一つ付かなかった。変わることのない圧倒的な防御力に嵬姿は胸を躍らせた。
「崩――」
そして見せる一撃必殺の構え、それを確認した黒金たちは急いで英の後ろからより遠くへ離れようとする。嵬姿の崩山は広範囲を斬り飛ばす最強の技だ、それから逃れるにはより避難しなければならない。
果たして?自分たちも英も間に合うのか? 一抹の不安を覚える黒金たちだったが、それを放たれる当の本人が全く逃げようとしていないことに気づく。
「雄じ――!!」
「――山ッ!!!!!」
避難を仰ぐ言葉も間に合わず、英の目の前で炸裂する崩山。既に亀裂ができた大橋を更に削り、強い衝撃波を吹き飛ばす。
しかし驚くべきことに、その破壊力は黒金たちへ届かなかった。
「なっ――片手で受け止めただと!?」
それは、英が真っ向から崩山を受け止めたおかげだったから。
先ほどの攻防と同じように、英は片腕を伸ばし掌で崩山を迎えた。山をも切断する程の技は、アミメや彩辻の技とは比べ物にならないはず。だが英はいとも簡単に防いでみせた。
(リッキーブルー……水銀の滴り!)
驚く暇も与えず、今度は英が技を繰り出した。太刀を引いてその刃先で一気に刺す突き技、強烈な刺突が嵬姿の体を貫く。
「うっっがぁ!!」
そしてその威力は水滴が落ちて波立つ波紋のように全身へと伝わり、派手に後ろへ吹っ飛ばす。嵬姿の巨体がいとも簡単に飛ばされ、橋の上を転がった。
身体中に行き届いた衝撃が体内を破壊して吐血する嵬姿だったが、すぐに起き上がり益々興奮していった。
「――アハハハハハハハハハハハハハハ!!! ヒーハッハッハ、ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャア!!!!」
そこから開口一番、壊れたように爆笑している。全身を激痛が走ったはずだが、全く気にしていないのか楽しそうに破顔しながらその笑い声をどこまでも響かせる。
「最高の最高!! 超超超最高だぜお前!!!
俺の崩山を受けて無傷な奴なんて一人もいなかった! どうしてそこまで硬いんだ、どうしてここまで嬉しくさせられるんだお前はよぉ!!」
体に穴が空いたというのに今まで以上に喜んでいるその姿は狂人のそれである。敵があらゆる攻撃を防ぐ鎧を手に入れれば、どうやってそれを突破しようか悩むのが普通だ。現にアミメは進化を遂げた英を警戒し恐れていた。
「硬すぎる……これが甲虫武者の進化だって言うの……?」
「なんて憎たらしい美しさだ……私を上回るなど!」
こちらを追い詰めていた嵬姿たちが英一人に圧倒される、その光景を見ていた黒金たちは一気に希望を見出した。今の英の力があればこの危機的状況も打破できるかもしれない。
しかし今の黒金たちに戦える力は残っていない。
「すいません黒金さん、もしかしたら必要かなと思って勝手に持ってきたんですけど……」
「チョコバー! すまない助かる!」
しかし伊音が黒金の家からチョコバーを持ってきてくれたことで糖分の補給ができる。本数は四本、丁度一人一本は食べられる。
各々急いでそれを食べて体力や傷の回復をしていく。戦線へ復帰できるようになった黒金たちは、英の元へ向かった。
「雄白、お前も食え」
「いや必要ない。師匠の刀を吸収した時に回復した」
そのまま英にも手渡すも自分は結構だと断られてしまう。鴻大の力はただ英を強くしただけではなく、その肉体も癒したらしい。残りのエネルギーは充分だが今の英は再生力には使わないだろう。
「お前らはコーカサスたちを頼む。俺は——奴とケリをつけてくる」
「あ、ああ……」
金涙を睨む眼差しは氷のように冷たく、落ち着いているがその言葉には怒気を孕ませている。それでいて自分から指示を出しているその変わりようを見て、黒金は僅かにたじろいだ。
「——勝負だ、鬼武者!」
そして奥にいる金涙へ太刀を向け、いざ尋常に勝負と叫ぶ。すぐにでも戦うために歩み始める英だが、その進行方向に嵬姿が立ちはだかった。
「お前の相手は俺だ! もっと遊んでくれよ——ぼげがっ!?」
「オオクワガタ——金剛砕きッ!!!」
しかし黒金が横から斬りかかり、その爆発的な切れ味で嵬姿を端へ吹っ飛ばす。コーカサスオオカブトの巨体が弾けるように吹っ飛んだ。
更に英を食い止めようと左右から彩辻、アミメが襲い掛かるもそれも阻止、豪牙と忍が逆に二人を抑えつけた。
「勝ち筋が見えたんだ、意地でも邪魔はさせんぞ」
「チッ……お前らなんかどうでもいいんだよ、白野郎と戦らせろぉ!」
そうして再び乱闘を始めるカフェ・センゴクと混蟲武人衆、英の活躍によりその戦況は大きく上下し、嵬姿たちが与えられた傷と黒金たちの回復した体力でほぼ戦力が均等になった。両者一歩も引かぬ互角の勝負を繰り広げていく。
そしてその頭である二人は少し離れた場所で対面している。しかし同じ橋の上だというのに別世界にいるかのようで、決して入ることのできない二人だけの世界が作られていた。
「いいでしょう、こちらからもお願いしたいくらいです。
二つの力を複合した甲虫武者がどれ程のものか……この身で検証してみましょう」
「そうかい、それは――後悔することになるぞ」
その言葉を合図とし、目を放す隙も無く交差する二刀流と太刀。
金色と銀色、宝石のような輝き――そして強いインパクトのある迫力、その存在感は至近距離でぶつかり合いただならぬ空気を醸し出す。
その始まりは落ち着いているようで、いつ爆発してもおかしくないような熱量を持っていた。
オウゴンオニクワガタとヘラクレスリッキーブルー、甲虫武者の共食いの中で最も激烈なものが起きる。




