148話
荒野に向けて全速力で飛ぶ英たち、先ほど合流を果たしこうして鴻大の元に向かっていた。そこに伊音や忍の姿は無い。
鴻大を助けるのも大事だがそれ以上に託された伊音の保護も重要だ。なので忍に彼女を任せ残りのメンバーでこうして援護に向かう。
(伊音ちゃんは小峰君に任せて……師匠を助けねぇと!)
夜空を飛び伊音に教えられた場所を目指す一向、予めチョコバーを食べて体力を全回復している。準備は万端、想定される嵬姿たちとの戦いに備え褌を締め直した。
「そろそろだ……無事でいてくれ、神童さん!」
豪牙の無事を祈る声、一方黒金は冷静に状況を判断しているからこそ急いでいる。
果たして鴻大は無事なのか、急かされる想いで飛び続けようやく現場へと辿り着く。一帯を眺められる高台に着地し文字通り戦況の確認を行う。
「コーカサス……!」
「ギラファに七魅彩辻、本当に勢揃いしているな」
見えるのは今までに戦ったことのある三人の甲虫武者、その姿を見るだけで殺されたかつての仲間や自分の生徒を思い出し、英と豪牙は気持ちを昂らせる。
しかし鴻大が今戦っているのはその三人の誰でもない、見たことも無い黄金の甲虫武者だった。
「あれは……新手か? 鴻大さんが追い詰められている!?」
「……師匠!」
顔はよく見えないがあの鴻大が謎の甲虫武者に押されているのは分かる。それでもその事実が受け入れ難く、驚きを隠せない。血まみれの師を見て、青ざめた英の叫びが響いた。
そして鴻大もただ追い詰められたわけではない。金涙を騙し、見事渾身の居合切りでその体を斬り裂いた。黄金鎧の傷口から血が溢れ、彼自身も血反吐を大量に吐き捨てる。
「うぐッ……!?」
「ッ――ドクター!!」
それ見たアミメが珍しく取り乱し、遠くで見る英と同じように悲痛な叫びをあげる。普段冷たい目をしている彼女が初めてか弱い様子を見せ、急いで彼の元へ駆けつけようと走り出す。
たったの一太刀で大きく変わった戦況に、鴻大は逆転のチャンスを見出す。正直自分はもう限界だったが、目の前には重傷を与えた金涙がいる。ならばこの場で倒せる。
(力を振り絞れ鴻大! この一撃で——倒す!)
振り上げた太刀を持ち直し、再び金涙へ刃を向ける。最早無いに等しい体力を底まで使い切り、トドメの一撃を振りかぶった。
これが正真正銘最後のチャンス、今ここで金涙を倒せば娘を守れる。子を守るという気持ちが燃料となり、鴻大の激昂を燃え上がらせた。
「……だぁああああああああああ!!!!!」
響く雄叫び、消えぬ闘争心、自分に残った全てをこの一太刀に込める。これで勝負を付けるという強い信念が刀を後押しした。
やがて太刀は金涙の体を――斬り裂かない。
刀を持つ腕の手首から先が、消失した。
「あ……は?」
野太い雄叫びも虚しく途絶え、消えた自分の右手を見て唖然とする鴻大。綺麗な切断面から蛇口のように血が垂れ流れていく。最早驚きでその痛みすら感じなくなった。
――その行方は遠く。柄を握りしめたままの右手が回転しながら吹っ飛んでいき、丁度英たちが立つ高台の崖に突き刺さった。
「師匠の刀と……右手!?」
突如として飛来してきた物体に息を呑む英たち、力強く太刀を振るっていた右手があっさりと斬られた衝撃は計り知れない。
誰が斬ったのか? そんなことはもう決まっている。
「がはッ……私としたことが、油断した。まだそこまでの余力があったとは……」
刀を振り上げた状態で後退る金涙、同じく傷口や口から血を流し苦しんではいるが、その表情には余裕が戻ってきている。最後の力が込められた一太刀を受け止め切ったことで勝利を確信したようだ。
「だが、武器を失った今……ヘラクレスの鎧と言えど勝機は無い」
自慢の太刀は遥か向こう、取りに行ける距離ではない。例え近くとも金涙がそれを許すはずがなかった。
更に金涙は、双剣を左右の胸に突き刺す。それは右の鋼臓だけではなく、唯一の逃走手段とも言える翅を胸から貫通させることで穴を開けた。
「が……げ、おえ……!」
ここで遂に限界が訪れる、寧ろよくぞここまで耐えたと褒めるべきだ。
ヘラクレスオオカブトの鎧はその力が失われドロドロに溶けて消えていく。鎧も翅も無くなり、普通の人間としての姿で倒れた。
あんなに強かった鴻大が満身創痍の姿で地に伏す。押し寄せる情報を受け止め切れずに英の感情が爆発した。
「し、師匠ぉお--ッ!!」
黒金の制止も振り払い、無我夢中で高台から飛び降り彼の元まで飛んでいく。当然そんなことをすれば金涙たちに気づかれないはずもなく、四人の視線が一転に集中する。一早く反応したのは嵬姿だった。
「白野郎ッ!! 会いたかったぜぇーー!!!」
「貴様――雄白英ァ!」
次に恨みのある彩辻、二人も空を飛び向かってくる英を迎え撃つ。
まずは彩辻の剣撃が迫る。それはグラントシロカブトの鎧で受け止め切れるも、その勢いで姿勢を崩す。そこへコーカサスが斬りかかり、その鎧を容易に斬り裂いた。
「うがっ――!?」
「――あの馬鹿!」
無謀な特攻に黒金は愚痴を零し、その補助へ豪牙と共に向かう。
一方英は空中で斬られながらも飛行を続け、血を撒き散らしながらも何とか金涙の横を素早く通過し鴻大を回収する。
そのまま少し離れたところで着地しその体を優しく抱える。その体温は徐々に冷たくなっていき、呼吸も浅くなっているのが分かった。最早助かる見込みが無い、その事実を突きつけられているような絶望感が押し寄せた。
「黒金! 早くチョコバーを!」
「分かってる! これで最後だ!」
しかしまだ助かる可能性はある。今すぐに糖分を摂取させればある程度の回復ができるはずだ。
これが最後の一本、二人の元へ向かう黒金はこのままだと間に合わないと判断しチョコバーを投げつけた。これさえ食べさせれば助かる、しかし英の手に渡る前に、いつの間にか空を飛んでいた金涙に取られてしまう。
(おっと、今彼らに顔を知られるわけにはいかない)
すると金涙は最初に付けていた鬼の仮面で顔を隠す。そして奪い取ったチョコバーを容赦なく頬張り、自分の傷を回復していく。
「――成る程、いいものだ。製菓会社ブラックダイヤモンドの若社長が作る甲虫武者専用の栄養食品。大量の糖分を効率的に摂取できる」
「くっ、やられた……!」
鴻大を回復させるどころか敵の傷を治してしまったことに、黒金は英ほどではないが自分も焦っていたことに気づく。
塞がっていく傷、修復される黄金の鎧。金涙は万全の状態を取り戻してしまう。
「師匠! 師匠!」
一方英は、必死にその名を呼んで意識を確かにさせようとしている。死にかけの状態は見るに堪えず思わず目を逸らしそうに成る程惨い状態だった。
やがて黒金と豪牙も到着し、共に傷だらけの体に寄り添う。
「は、英……黒金や、象山先生ま、で……」
「神童さん……しっかり!」
最早成す術がない。鴻大の目は虚ろになりながらもしっかりと英たちの目と合わせ、掠れた声でその名前を呼ぶ。それでもまだ意識があるのは甲虫武者の生命力のおかげだろう、しかし刻一刻とその命は死へ近づいていく。
「い、伊音は……」
「……小峰と共に安全な場所に」
死にかけているのにも関わらず伊音の心配を最初に聞く鴻大、黒金は金涙たちにそれを悟られないよう小声で伝える。それを聞いた鴻大の顔が大量出血で青ざめながらも安心感に包まれた笑みを見せる。
「なら……安心だな。彼にならあいつを、任せられる」
そしてその血に濡れた手を起こし、か弱い力で精一杯英の腕を掴む。最後まで娘のことを思いやるその姿は、父親として立派に見えそれでいて儚く感じた。
その言動で、鴻大がもう死を受け入れているのを察した英たち。
黒金は顔をしかめて俯き、豪牙も同様悲しみに暮れる。英だけが最後まで名前を呼んだ。
「そんな、師匠……!」
「……頼みたいことがある。娘を……あいつを頼む。思い残すことがあるとするなら、伊音がこれからも……平和に暮らしていけるかだ」
その走馬灯は、ほぼ伊音との記憶だった。
彼女が生まれた日、出産を終えて疲れた妻と涙を流しながらその誕生を喜び合った。
初めて寝返りした日も、ハイハイができた日も、立てた日も全て覚えている。決して忘れられない思い出の日々。
楽しいことだけではなかった。妻はその成長を最後まで見守る前にこの世から旅立ってしまう。それでも亡き妻の想いを受け継ぎ、自分が彼女を立派な人に育てようと決意した。
そして甲虫武者として覚醒し、鎧蟲と戦うようになった。いつしか伊音は狙われる身となり、彼女を守るための日々が始まった。
それが今終わる。しかし決して安全とは言えない、金涙たちがいる限りそれは決して訪れない。ならば自分が倒れるわけにはいかない、そう思っていた。
「英……お前には、全てを託す。黒金や象山先生も、どうかあいつの……居場所に……」
最後の走馬灯で見たのは、カフェ・センゴクの後ろから伊音と英たちを見守っていた時の光景だった。四人の甲虫武者に囲まれながら、以前の彼女と比べ楽し気に笑い声を弾ませる伊音を見ていた。
――自分がいなくとも、彼女を守る存在はいる。ならば、後は彼らに任せよう。
やがて英の腕を掴んでいた左腕がダラリと糸落ちた。やがて残り火のように残っていた体温も完全に消え、その体を死が支配する。
「……嘘だ、そんな」
呆気に取られたような英の言葉、死の事実を信じられないのか先ほどまで鴻大を抱えていた両腕を震わせている。自分の手にベッタリと付いた血もいつしか冷たくなり、神童鴻大が先ほどまで生きていたという証拠が徐々に消えていった。
「あ、あああああああああ!!!!!!」
それが耐えられず英は発狂してしまう。悲しみと絶望の慟哭が夜の荒野に響き消えていく。
間近で大切な人の死を看取ったのはこれが二度目だ。それに慣れてくる、なんてことはなく、あの時のトラウマが呼び起こされ、更に上塗りされてしまう。
涙が止められない、英にとって神童鴻大とは自分を変えてくれた人だ。甲虫武者になったばかりの時も、黒金や面義と険悪になった時も、親身になって接し導いてくれた。武者としての戦い方だけではなく、その人格をも鍛えてくれたのが鴻大だった。
「――初めまして、
グラントシロカブト――雄白英さん」
水を差すように耳を貫く怨敵の声、仮面の下から発せられるそれは一言一句間違いなく英たちに伝わる。黄金の鎧が歩く度に擦れ、耳障りな金属を鳴らし続けた。
「私はオウゴンオニクワガタの甲虫武者、貴方がたとは一度会いたかった」
本名は名乗らず鎧の名前で通す金涙、顔も分からない新たな敵に一同は警戒し始める。ただ英だけは鴻大の骸の側で俯きながら微動だにしない。
そして嵬姿やアミメ、彩辻もその後ろに続きその全戦力が三人の前に立ちはだかった。
「……貴様が黒幕か。今までそいつらを動かしていたのも貴様だな」
「その通り、オオクワガタの黒金大五郎社長にエレファスゾウカブト、象山豪牙先生。どうやらコクワガタの小峰忍君はここにはいないようですね」
「あいつの名前を……!」
こちらの名前は勿論、この場にいない忍のことまで把握されていることに驚く。英たちは兎も角、忍はまだ嵬姿たちと顔を合わせたことは無いはずだ。
まるで全てが見透かされているような感覚を不気味に感じてしまう。目の前の甲虫武者は、今まで戦ってきた敵のどれにも当てはまらない恐ろしさがあった。
「こうして八人……いや七人の甲虫武者が相まみえたことは必然か奇跡か、どちらにしろ喜ぼうではありませんか。ここにいる私たちが、人間の未来を担う存在なのですから」
金涙は先ほど人を殺したことなど忘れたかのように、両腕を広げ嬉々として高らかに声を張る。この集結を祝福しているのか、英たちに対し敵意などは全く向けてない。本当に同じ甲虫武者としての仲間だと思っているのか、そもそも敵とすら認識していないのか。
「……何が人間の未来だ。今も一人の未来を奪ったくせに」
そこでようやく英が声を出す。俯いたままゆっくりと立ち上がり、刀の柄を怒りで握りしめる。
静かに捻りだされた声は所謂嵐の前の静けさだった。上げられた顔は涙を零しているものの、尋常じゃない程の怒気で歪んでいる。
「――訳の分かんねぇ理由で何人も殺しやがって! お前らなんかに未来なんてあるか!」
訴えかけるような怒声を響かせ、英は改めて金涙たちと向き合う。
怒りで我を忘れていた英は、皮肉にもその怒りで冷静さを取り戻す。鴻大を殺された憎しみよりも優先すべきものを悟ったからだ。
「伊音ちゃんや……師匠のためにも、ここでお前らを倒す!!」
復讐よりもまず彼女と全てを託してくれた鴻大の意思を受け継ぐ、それこそが今自分がすべきこと。
そしてそれに感化され、他の二人も構え始める。
「鴻大さんには俺も世話になった。その無念は晴らさせてもらう」
「その通りだ! それにお前たちみたいのがいれば生徒たちは安心して下校もできない!」
正直言って勝機は薄い。今まで苦戦を強いられた甲虫武者が勢揃いし、尚且つ最強の武者を倒した男もいる。それらに三人だけで挑むのは無謀だろう。
それでも退くわけにはいかない。勿論奴らを野放しにはできないという理由もあるが、自分たちの恩人を殺されオメオメと逃げられるわけがなかった。
「成る程、今ここで私たちとやり合うつもりですか」
躍起になる三人に対し、対照的な金涙は残念そうに溜息をつく。そう言いつつも黄金の刀を静かに構え、後ろの嵬姿たちも臨戦態勢となる。
金色に光る禍々しい鎧、まさに鬼武者と呼ぶに相応しい風貌は重苦しい威圧感を生んでいる。英たちの虫の知らせが今まで以上に危険信号を放つ。
「――残念だ。選ばれし者が、また三人減る」




