141話
「……半蔵が討たれただと?」
終張国にて、御庭番衆たちの領域で千代女と頭領である段蔵が対峙している。普段冷静沈着である段蔵も半蔵の死に僅かながら目を見開く。その証拠とも言わんばかりに千代女は鬼咆爪を渡した。
「名誉挽回の為に無断で向こうの世界に出向き、返り討ちに遭いました」
「勝手な行動は止めろと言ったのに……謙信様にどう申し開けばいいのだ」
段蔵への報告には僅かな嘘も織り交ぜ、自分が半蔵にトドメを刺したことは勿論半蔵を止めず同行したことも伏せている。
分かりやすい溜息を吐き顔に手を当てる段蔵。その素振りと言動からは半蔵の死に対する悲しみなど微塵も感じられず、それよりも謙信への言い訳に困っている。
「汚名返上のつもりだろうが、己の不始末は片付けるつもりだ。馬鹿な真似をしよって……」
半蔵の無断出撃は全て上杉御庭番衆と謙信の為だったが、寧ろその名を更に下げてしまったのは皮肉でしかない。結果的に半蔵は自分の頭領と主の足を引っ張る形になってしまう。
段蔵もまたコーカサスたちに敗北した身、それは数の差もあるだろうがそれでも組織の頭がやられてしまえば面子も何も無かった。
「段蔵殿、半蔵を倒したのは新たに発見された武者です。それも半蔵と互角に渡り合える速さ、未熟ではありますが無視はできないかと」
「あいつが速さで負けたか……確かに油断できないな、しかし我らが出る幕は無いだろう」
「……というと?」
「信長殿が大規模な遠征を計画している。あの兵力ならば武者共など一網打尽だろう」
段蔵と千代女がこうして話をしている間にも、現在進行形で信長の兵がその備えをしていた。
地面を埋め尽くす蟻の足軽たち、鼓舞の鳴き声を響かせ来たる戦いに向けて訓練している。その中心に立っているのは信長の家臣でもある秀吉だ。
「信長軍のほぼ総戦力が揃う大部隊だ。うつけの魔王もようやくやる気を出したらしい」
(信長め……今になって本格的な武者狩りを始めるつもりか)
信長がその重い腰を上げたことにより千代女の中に僅かながら焦りが生まれる。
そもそも甲虫武者を狩る目的はその肉を姫、信長の妻でもある濃姫に食わせる為。姫というのは鎧蟲が蔓延るこの終張国で重要な存在であり、彼女に最も貢献した者が国の頂点に立つと言われている。
何故濃姫が重要なのか? 何故甲虫武者の肉なのか? その事実を今の英たちが知ることはできず、全ては鎧蟲たちの手のひらと言わんばかりに終張国で事が進んでいた。
しかしその国内でも統一が行われているというわけでもない。まるで人間社会と同じように、様々な思想が織りなしている。
千代女もその内の一匹だ。半蔵に呆れてばかりだったが、その本質は彼と変わらない。
(この国を支配するのは、魔王でもなければ軍神でもない――我らが主だ!)
「「こ、小峰君が甲虫武者!?」」
カフェ・センゴクの店内に、神童親子の声が響く。上杉御庭番衆との戦いが終わった四人の甲虫武者たちはそのまま店により、戦果と新たな仲間が加わった報告をしていた。
その中で縮こまっている小峰の右手にあるクワガタの痣を見て、伊音と鴻大は開いた口が塞がらない。自分の知っている人間が甲虫武者だったというので驚くのも無理は無いし、伊音にとって豪牙も含め二度目だ。
「……はい、恐縮ですけど」
「あの半蔵を一人で追い詰めたんだ、凄い奴だよ君は!」
その戦いに惚れたのか、英は謙遜気味だった小峰の肩を掴み意気揚々と語る。確かに半蔵と互角に渡り合える速さは誇れるもので、他の武者には無い強みだ。小峰忍のコクワガタ、強い攻撃や硬い防御があるわけでもないがそれを速さで補える。
「でも小峰君が甲虫武者だったなら、象山先生と同じく学校襲撃の時に目覚めていてもおかしくはないぞ?」
甲虫武者がその力を覚醒させるキッカケは基本鎧蟲と対峙した時だ。現れた敵に本能が呼び起こされ、その変態方法も無意識のうちに理解できる。英や豪牙もそのパターンだ。その疑問に黒金が口を開く。
「……恐らく年の差じゃないかと。コーカサスたちのように甲虫武者の事を詳しく知っているわけではないですけど、あの時の小峰忍は覚醒するには若すぎたのでは?」
「といっても、あれからまだ数か月だけどな」
一番考えられるのは、豪牙に比べ小峰が若かったから。今のところ英たちは幼い甲虫武者など知らない。鎧蟲の存在を察知したり対峙したらすぐにでも目覚めるわけではない、言わば小峰は最年少の甲虫武者だ。
それでも学校襲撃からそこまで時が流れてはいない。その数か月の内に甲虫武者として十分な歳になった可能性が高い。
「……さてどうしたものか、まさか娘の同級生が甲虫武者だったとは」
いきなりの急展開に鴻大は頭を掻く。正直言ってここで自分側の戦力が増えるのは嬉しい、しかし小峰はまだ高校生だ。果たしてそんな彼を戦いに駆り立てていいものか?
――少なくとも一人は渋るだろう。
「小峰君、君は最初から伊音を守ると言っていた。その時点で今更だが……俺たちに君を戦わせる権利はない」
そもそも小峰は甲虫武者として目覚めていない頃からカフェ・センゴク陣に片足を突っ込んでいる。コーカサスたちの差し向けた堕武者にも襲われこうして甲虫武者として戦った以上無関係とは言えない。
しかしこれからどうするか――これからは共に戦っていこう、と鴻大たちは決められない。
「象山先生、彼にどうさせるべきですか?」
「――教師として、俺は守るはずの生徒に戦ってほしくはない。それに今日の戦いでも危うく死にそうになった」
唯一この中で決定権があるとするなら、それは担任教師である豪牙だ。教師として、甲虫武者としてどうするか。しばらく悩んだ末、やはり命が大事とその結論が出る。
「……俺でも、必ず生徒を守れる保証はありませんから。でも俺は――こいつの意志を尊重したい」
その際思い出したのは守れなかった一人の生徒の顔、お世辞にも人間ができていた子とは言えないが、それでも自分の生徒には変わりなかった。同じように小峰も救えないのではないかという不安があった。
しかしそれ以上に小峰の意志、そして成長を大事にしたかった。
「小峰、俺は止めとけと言うぞ。だがお前はどうしたい? 今日初めて甲虫武者として戦って、どう思った?」
両肩を掴み見つめ合うことでその顔色を伺う豪牙、その表情から様々な感情が交差していることが分かる。
改めてどうしたいかと聞かれ小峰はどう答えるのか? 意外に悩む時間は短く、すぐにその答えが出た。
「……怖くて、痛かったです。それでも僕は甲虫武者として、神童さんの友人として戦いたいです……!」
「小峰君……」
その言葉に伊音は感銘を受けほんの少し涙目になってしまう。自分の為に友達がこうして奮起してくれるのが、嬉しくて堪らないのだ。そしてそれ以上に、申し訳なさがあった。
「私も象さん先生と同じ、私のせいで小峰君に傷ついてほしくない。だけど私一人じゃ何もできない……」
自分のせいで父親は勿論本来なら無関係な人まで傷つき、命を落とした者もいる。そんな彼らに何もできないという無力感が彼女を苦しませていた。
そんな役立たずの自分が、どんな形でもいいから皆の側にいたいと思った。少々身勝手ではあるが、ここから離れたくない。
「だから……頼らせてくれないかな?」
「……うん!」
そんな彼女の微笑み、小峰は気が舞い上がり大きな声で返事をする。やがて恥ずかしくなり、バレない程の赤面をしながら更に小さくなってしまう。
「それでさ、これから名字呼びだとお父さんと同じでややこしくなると思うから名前でいいよ」
「いいの? じゃ、じゃあ僕も忍でいい……!」
元から仲の良かった二人はこれを機により仲が深まっていく。ややこしいという口実でお互いを名前で呼び合うまでにまで発展する。
それを見た鴻大が驚愕とした顔になり、英を揺すって珍しく動揺し始めた。
「お、おい英! この間『それ以上はない』って言ってたがやっぱり仲が良いだけじゃないのかもしれんぞ!」
娘の交友関係が気になる父親の姿に黒金と豪牙は意外に思っている中、英は思わず笑みを零してしまう。この中で小峰の恋心を知っている唯一の男が英だった。その為全てを知っている身からして微笑ましいのだ。
「さぁどうでしょうかね? 俺はお似合いだと思いますよ」
その発言に鴻大はより迷走することになる。
意気揚々と話す忍と伊音、それを見て焦る鴻大、一体どうしたのかと首を傾げる黒金と豪牙。伊音がここから離れたくないと思うのも当然な楽しい空間に、英の気は一層緩んだ。
こうして小峰忍は甲虫武者としての、そして恋愛成就の為の一歩を踏み出すこととなる。果たしてそれがどう運命に左右するのか、少なくともカフェ・センゴクをより明るくするだろう。




