139話
対峙する小峰と半蔵、二人の忍。あらゆるものを拒絶する巣界の中だというのにまるでその間にはひと吹きの風が流れているようだった。
つい先ほどまで一方的だった勝負は、小峰が半蔵の前に立ちはだかることでようやく始まる。全身の傷に顔をしかめ苦痛を味わっているが、それでも真っ直ぐと半蔵を捉えるその目はまさしく戦う男のものだ。
「この俺を速さで倒す? ……冗談も休み休み言え」
もう何度目か分からなくなる半蔵の失笑。しかし今回は愉悦に身を任せたものではなく、体を震わせ怒気を孕んだ目で睨み返す。
本当に冗談ではない、安く見られるという屈辱が半蔵の誇りを逆撫でする。
「たかだ一手取れただけで調子に乗るなよ雑魚! 今のは油断しただけだ、すぐに我が鬼咆爪で串刺しにしてくれる――!」
次の瞬間、半蔵の速さが加速し一気に小峰の元まで接近する。赤い残像を残し爪先を尖らせる鬼咆爪が小峰に向かう。
――が、その爪先が到達する直前、その先に進まず止まってしまう。
「――ッ!?」
爪の間に小刀を挟まれ両方とも食い止められたのだ。刃先が目前にまで迫っているというのに動揺する素振りも見せずに半蔵の攻撃を止めた小峰。先ほどとは違うその気迫に、半蔵は驚きを隠せなかった。
(俺の動きが読まれた!? 第六感でも今のは察知できなかったはずだ!)
それで数秒沈黙する程半蔵も戦い慣れていないわけではない。すぐに爪は引き離し今度は至近距離で何度も斬りかかる。
一回、また一回。振る度に加速する半蔵の爪。しかし肉を斬り裂くことはなくただ小峰に弾かれ火花を散らすだけだった。
数を重ねる度に小峰の防御は洗練され、真正面からの勝負では全く当たらなくなるまで強くなっていた。
「ガァ! ウラァ! このッ!!」
それどころか半蔵の方が短気になって動きが単調になっている始末、更に読みやすくなった隙に、小峰の虫の知らせと速さが付け込む。両爪の間を掻い潜り、一閃を貫くように胸へと刃が突き刺さった。
「ッア……ガっ!?」
「――えいやぁ!!」
そしてすぐに小刀を逆手に持ち直し、間髪入れず一気に振り払う。刀の小ささにより大した威力も残せなかった刺突もこうすることで大きな痛手となる。辺りに散漫する緑色の血、半蔵は傷を抑えながら後ろにたじろいでしまう。
(武者共の急激な成長は今までだって珍しくなかった……だからといって、ここまで強くなるのか!?)
予想外の強さに動揺を隠せず、最早畏怖の感情しか向けられなくなる半蔵。斬られた傷がジンジンと痛む中、様々な感情がその頭を駆け巡る。
甲虫武者たちの成長速度は凄まじいもので戦闘中に相手を上回るのもあり得た。実際今までにも強敵たちをその才能で倒してきている、彼らの秘めたる力は侮れない。
それにより猶更の事半蔵の怒りが滾っていく。ましてや相手はつい先日武者として成ったばかり。自分が見下す相手に圧されるという屈辱が、半蔵の残虐性と上手いこと絡み合った。
「……あり得ん、あり得んあり得んあり得ん! 猿もどきの小僧に、こんな戦闘の素人に俺がやられるなど!」
爆発する半蔵の感情、それにより研ぎ澄まされる殺意を小峰の虫の知らせが受け止める。まるで絶対零度の気温の中全裸でいるように全身が冷え、半蔵への恐怖がより硬いものとなった。目を真っ赤にして雄叫びを上げる巨大ゴキブリは、黒光りする翅を大きく広げ更なる嫌悪感を生み出す。
「小童の武者がこの上杉御庭番衆の半蔵を超えるなどあってはならない! すぐに地獄へ落としてやる……身の程知らずが!!」
傷の痛みなど忘れ再び小峰に跳びかかる半蔵、しかし今度は翅により更に加速し尚且つ正面突破はやめ周囲を飛び回る。黒い残像に包囲され下手に動けない状態となった。
(速い……でも僕だって!)
対し小峰も負けじと走り出し、半蔵の動きを読んだ上でその包囲網を突破する。
広い巣界の中を圧倒的な速さで駆け巡り、常人からは二人が消えてはすぐに現れるようにしか見えないまで加速していく。
半蔵の爪、小峰の小刀、竜巻の如く動き回るその中を刃が幾度も交差した。それによって生じる火花もすぐに掻き消され、最早音以外何も残さない戦場となっていた。
「いくら逃げ足を速くしようと俺から逃れることはできん! すぐに仕留めてやる!」
「――僕の速さは逃げ足じゃない、お前を倒す足だ!」
ぶつかり合いの最中、その言葉を証明するが如く小峰の動きが変わる。
正面に向かい合った際、左右に躱すわけでもなく小峰は前進しその目の前で大きく跳ぶ。そして半蔵を斬ると同時にその肩を踏み台にして更に上へと跳躍した。
更に跳び上がった先の巣界の壁を足場にすることで更に加速、斜め上から半蔵を斬りつける。巣界をも利用した三次元的な動きにまんまと翻弄されていく。
「ぐッ――猪口才なぁ!!」
新たなに一太刀浴びせることができた小峰、地面に着地し達成感に包まれていると自分の脇腹に激痛を感じる。
「いっつ……ぁ!」
見れば綺麗に並んだ三つの爪痕、元々付けられた傷の上を斬られ痛々しい交線が数えきれない程できていた。
先ほど斬られたと同時に爪を立てたのだ。これ以上のダメージはいよいよ危険だという時に更なる追い打ちをされてしまう。
「認めたくはないが……貴様は俺より速い。だが例え速さで勝っても俺の勝利は揺るがない! その傷なら長くは持たないだろう、いくら再生力が優れていようといずれ限界が訪れる」
「うっ……ガハッ!」
その言葉を肯定するかのように押し寄せる嘔吐館、我慢できず口から思い切り吐き捨てるも出てきたのは吐しゃ物ではなく血反吐。口の中を鉄の味が支配する。
本来なら即死のはずの傷を甲虫武者の再生力で何とか支えてきたがそれも限界が来た。傷を治すための力も無ければ蓄えられてもいない。エネルギーが底を尽きかけているのだ。
とめどなく流れ続ける血、意識も朦朧となる回数も増えていき立っているだけでも辛くなる。それでさっきまで動き続けていたのだから死にかけるのも無理はない。
このままだと小峰の方から倒れるのは一目瞭然、なんとか状況を打開しなければならなかった。
「こ、小峰君……超速いな」
「だけどあれじゃあすぐにやられちまう……!」
巣界の外にて小峰の速さに驚愕する英たち、しかしその窮地も同時に理解する。早く千代女を倒し巣界から解放しなければ取り返しのつかない事態になる、自分の生徒のピンチに豪牙は焦るしかなかった。
「黒金、あいつを倒す方法ってのはまだか!?」
「待て、あいつの動き……」
千代女を守る木葉層の守りを突破する策を考えている黒金だったが、小峰の動きを見て何か思い当たるものがあるそうだ。急いでその打開策を必死に思いつこうとするも、そんな暇は彼女が与えない。
「余所見をするとは余裕があるな、あの小僧の前に自分を心配したらどうだ!?」
再び繰り出される桃色の手裏剣、木葉層と同じ理屈で作られたそれは回転しながら三人の元へ飛んでいく。
英たちは虫の知らせでそれを避けていく。空振りの手裏剣は近くの木や壁に刺さりそのままスッと消えていく。僅か数秒しか形を保たない。
「この――象覇弾ッ!!」
やがて反撃にと豪牙が光弾を大槌で殴り飛ばすも、今までと同じように分厚く重ねられた木葉層によって防がれる。それに伴い英も斬撃を飛ばすも同様に終わった。
一見普通に防御に徹しているように見える千代女だが、黒金はその一連の動きに違和感を見出す。
(今の攻撃もそうだが……何故あの壁を一々出したり消したりしている? 常に広範囲で出していれば隙を突かれることもないはずだ)
千代女の強固な木葉層、甲虫武者たちはその壁に成す術もなく――というわけでもない。彼女は何故かその壁を出しては消してを繰り返し断続的に自分を守っていた。おかげでこの戦いでも指で数えられる程度だがその間を突くことはできていた。
もし突破できない壁を作れるというなら常に木葉層を張る、そして一か所だけではなく前方全体に形成した方が効果的だ。それなのに彼女は何故かそうしない……
(もしやしないのではなく、できないのか――?)
それこそが千代女を倒す方法――断片的ではあるが、黒金は見事それに至る。
もしそうだとしたら何故できないのか?彼女は英と黒金の重技を特大の木葉層で受けた際、同時に豪牙の殴打にも迫られたがそれは壁ではなく普通に躱した。一体どうしてか。
小峰を閉じ込めている巣界、断続的な木葉層、躱す理由、様々なヒントが織り交ざり黒金の頭の中で一つの答えとして導かれた。
「……象山、今から言うことをあの中の小僧に伝えろ。俺だと信頼感が足りない」
「何か分かったんだな? ――教えてくれ!」
その答えの一端を豪牙に耳打ちする黒金、そんな光景を千代女が見逃すはずもなく再び手裏剣が放たれた。
「敵の前で堂々密話とはな!」
「――させるか!」
しかしそれは英によって受け止められる。猛回転する手裏剣たちは、グラントシロカブトの硬い鎧によって全て防がれた。木葉層といい勝負の硬さ、それこそが英の強みだ。
「私の桜吹雪を鎧で受けるか……!」
「よし分かった――小峰!」
英のおかげでその内容は完璧に豪牙へ伝わり、喉から全力の大声で彼の名前が呼ばれる。それは小峰だけではなく半蔵の動きまで止める。自分が尊敬する教師の声、小峰がそれを聞き逃すはずがなかった。
「象さん先生……?」
「――動き回れ!お前は絶対に俺が助ける、それまでその中を縦横無尽に駆け走れ!」
豪牙の決して隠す気の無い指示が周囲に響きまわる。それは自分たちが助けるまで逃げろという意味だろうか?少なくとも半蔵はそう受け取る。
「絶対に俺が助ける?馬鹿も休み休み言え! 貴様らが千代女を倒すまでに、俺がこいつを仕留められないとでも思ったか!」
小峰と半蔵の戦いに決着がつくのにそこまで時間は掛からないだろう。それを見越した半蔵は赤い爪を装着した両腕を大きく広げ、前方の小峰に向かって跳びかかった。
その小さな体を包み込むように腕を閉じ、鬼咆爪を一気に振り下ろす。しかし両爪が半蔵の懐で交差した時にはもう小峰は跳び上がっていた。
「ッ――上か!」
ほぼ真上に跳躍した小峰、更に宙で逆さまになり天井を蹴り上げて一気に地上へ戻る。その際すれ違い様に半蔵を斬り、再びその元から離れた。
豪牙に言われた通り巣界の中を動き回る小峰、近づいては離れてを繰り返し半蔵を翻弄していく。
「ちょこまかと――無駄な足掻きを!」
必死にその素早い動きを捉えようと接近した際に腕を振り回す。しかし紙一重で躱されてしまい、その速さを妨害することは叶わない。
まるでスーパーボールのように巣界の中を跳ね続ける小峰、その機敏な動きに半蔵の体は次々と斬られていった。
どうしてここまで一方的になるのか?理由は巣界の狭さにある。
小峰を半蔵から逃げられないようにする為の蟲ノ有利巣界は、多様な動きを補佐する足場となっていた。
そこまで巣界内部が狭いわけではないが、動き回る小峰が空間の殆どを埋め尽くし見た目より窮屈に感じさせている。
「チッ……千代女!巣界をもっと広げろ!」
小峰の猛攻に耐えられなくなったのか、半蔵は焦燥感に駆られながら外にいる千代女に命令する。この巣界は彼女が作ったもの、なので広げるのも縮めるのも彼女の思うがままだ。
「……全く、世話のかかる!」
対し千代女は一拍置いて巣界に腕を伸ばし、ゆっくりと蟲ノ有利巣界を広げていく。広げ過ぎずと慎重に操作している様を見て、黒金の考えは確信に変わった。
一方小峰はやや幅広くなった巣界に足を踏み外しそうになるも、引き続き加速を続け半蔵に襲い掛かる。広がったことで若干その合間が増えたようにも感じるがそれでも些細なものだ。
「グッ――もっとだ、まだ狭いぞ!」
そうやって更に広がり続ける巣界、じわじわと壁が外側に伸びていき遂には最初の時から約倍のサイズにまで膨れ上がった。
流石にここまでくれば小峰の攻撃も連続性が薄くなっていき半蔵に余裕が生まれる。逆にそこまで巣界を広げた千代女の方が何故か余裕を無くしている。
(ッ――これ以上は無理だ……!)
そんなことなど露知らず、半蔵は逆転の時が来たと言わんばかりに顔を歪ませる。小峰の速さも広くなった巣界の中では間隔が空いてしまい先ほどのような怒涛の攻めはできなくなっていた。
「随分とやってくれたなぁ、猿もどき!!」
「うぐッ……!?」
やがてその素早い動きを見抜き、すれ違いざまに爪を走らせる。自分の加速も相まって鋭く斬られた小峰はそのまま一気に減速し、その場に倒れてしまう。
これまでに付けられた傷もあり、無理やり体を動かしたツケが回る。もう何度目かも分からない血溜りを広げ血に伏す。そこへ半蔵がゆっくりと歩み寄った。
「成り立ての雑魚が調子に乗りやがって……ようやく動けなくなった今 思う存分甚振ってやりたいが、そんな時間はもう無い。即刻殺してやる――!!」
そして小峰の首を斬り落とそうと、鬼咆爪の刃が繰り出されるその瞬間――黒金の合図が鳴り響く。
「――今だッ!!」
それとほぼ同時に英と黒金自身が走り出し、千代女を挟み撃ちにする形で斬りかかる。白と黒による三本の刃、彼女を逃がさんと完璧な位置から振るわれている。
「ッ――!」
木葉層の壁による絶対防御で余裕溢れていた千代女だったが、その表情も崩れていく。自分を追い込む二人の剣撃に、避ける暇も無いと判断するのに時間は掛からなかった。
「白断ちィ!!」
「金剛砕きッ!!」
迫りくる渾身の一撃、避けられなければ今までと同様防げばいいのに何故か木葉層を出さない。まるで躊躇っているようにも見え、その一瞬の間に脇目で自分の巣界を見た。
――もうすぐ向こうも決着がつく。しかし私の首が落ちる方が先だ、と僅かな時間の間でも最善策を見出そうと走馬灯のように思考が加速する。
(――やむを得ん!)
そして躊躇いの顔からしょうがないという諦めた顔付きに切り替わり、英たちの刃が到達する前に木葉層が出現し彼女を守る。
その直前、半蔵と小峰を覆っていた巣界が――消えた。
「何……!?」
小峰にトドメを刺そうとしていた半蔵だったが、自分たちを閉じ込めていた巣界の壁が消えたことにより思わず手を止めてしまう。
千代女がやられたのか?そう思ってその方角を見るが追い詰められているだけで彼女は生きている。しかしそこからは明らかに人影が一つ消えていた――
「――オラァアアア!!!!」
「ッ――うがはっ!?」
気づいた時には半蔵の腹部に強い衝撃が走っている。野太い声と共に重い打撃で殴られ、血飛沫を撒き散らしながら派手に吹っ飛んでいく。
横たわる小峰の体に寄り添い、彼を守らんとその大きな肉体を盾とする。今しがたゴキブリの武将を殴り飛ばした一撃は、その怒りを表していた。
「――俺の生徒を、散々苛めてくれたな!」
巣界が消えたことにより、豪牙が小峰の危機に駆けつけたのだ。
自分の大事な生徒を瀕死に追い詰められたことが何よりも許せず、先ほどの一撃でも発散しきれない程の怒りを滾らせている。
終張国側の有利かと思われた戦場は、一枚の隔たりが無くなっただけで大きくバランスを崩した。
コクワガタ、小峰忍は直接的にその結果を出したわけではないだろう。それでもその勇気ある行動が多くの命を救い、状況を打開したことに変わりはない。




