125話
「美代子さんですよね!?雄白たちに俺のガキの頃の話したの!」
『ごめんごめん、つい話しちゃった』
カフェ・センゴクを後にした黒金は、怒りの表情で美代子に電話する。天気は今にも雨が降り出しそうな曇り、刻一刻と台風が迫っているためいつその影響が訪れてもおかしくはない。
何故黒金は怒っているのか?それは勿論黒金の気恥ずかしい話を彼女がカフェの面々にリークしたから、そしてよりのもよって英にそれを弄られたのが堪らず、こうして顔を真っ赤にしながら電話をかけているわけだ。
一方美代子の方はというと、クスクスと笑いながら黒金の怒号を受け止めている。現在彼女は秘書としての務めから離れ、個人としての時間を楽しんでいた。今週の土曜日は珍しく社長の黒金も暇ができたので彼女も休みを貰えたわけだ。
つまりこの電話は社長と秘書による事務的なものではなく、昔からの付き合い――慣れ親しんだ者同士による他愛のない会話だった。
「やめてくださいよもう!あの馬鹿のことですから数日は弄ってきますよ!」
『それってあの白い髪の人?仲が良いんだね』
「そんなことありません!」
そんな美代子の勘違いによる発言に、黒金は鳥肌を立たせ必死にそれを否定する。英と黒金が普段から貶し合っているのを見たことが無いからそう思えるのであって、戦いにおいては妙なほど連携と信頼をしているがこの二人の仲が良いということは決して無い。いつまでたっても犬猿の仲だ。
「鴻大さんや伊音ちゃんなら兎も角、俺があいつとだなんてあり得ない!コーヒーは不味いわ頭足らずの馬鹿だわ、一緒にいて碌なことがない!」
『……そうかな?私には、君はあの人たちと会ってから変わったと思う』
「え……?」
すると笑い混じりの楽しそうな声が、寂しそうに黄昏ている声色へと変化する。その物思いにふけるような反応に、黒金の怒気は消え去り思わずキョトンとしてしまう。
『大道さんが亡くなった後の大五郎君は何だか怖くて冷たくて……寂しく見えた。まるで子供の頃の君がいなくなった気がしたよ』
「……そうだったんですか」
信玄に家族を殺され、その影響で変わったことは黒金自身も覚えが無かった。それ程までに信玄への憎しみを滾らせ、その復讐を果たそうと一途になっていたのだろう。その頃の自分がどんな感じだったのか、美代子の口からそれを聞いて初めて実感した。
(……当然と言えば当然だ。俺はあの日から鎧蟲という存在を憎むようになった。怖いと思われても仕方ないだろう)
ジワジワと押し寄せる自覚症状、そこまで表に出ていたことを恥ずかしくも思ったがそれ以上に申し訳ないとも感じた。
父から継いだ会社を守ることも決意していた。しかしそれ以上に奴への恨みが日に日に膨れあがり、無意識のうちにそれしか考えない人間になっていた。
(俺が甲虫武者として覚醒した頃と叡火の惨劇の間にそこまでの時間は無い、つまりこの力を手にいれたばかりだった。まだ活気的だったはず)
甲虫武者という戦える力を手にした直後に家族を殺された。だからその使い道が復讐以外に無くなるのも無理はない。オオクワガタの力を身に付けた黒金は、必ずや仇を討つと決心した。会社の決意と復讐の決意、どちらが硬いかと聞かれれば答えるまでもない。その様子が以前の彼から変わったように見えたのだろう。
『でも、最近は前の君が戻ってきたみたい。気づいた?私にプライベートの用で電話するのはこれが初めてだよ?』
「そうでしたっけ……それはすいません」
『カフェ・センゴクの人たちと出会ってから、大五郎君は楽しそうに洗っている。それがすっごく嬉しいの』
美代子が本当に喜んでいるのは声だけでも分かった。まるで母親のように包み込むような優しさで安堵し、自分を気遣っている。そのことが小っ恥ずかしく黒金は綻ぶ表情を抑えながら話を続けた。
思えば彼女は自分が社長になった時からずっと支えてもらってきた。その有難さを再確認し、彼女の言う「変われた」のは他ならぬ美代子のおかげだと気づく。
「美代子さん、確かにあいつらは俺の支えかもしれない。だけど俺の中で一番頼れたのは貴方です。貴方がいたからこそ俺はここまで来れた。本当にありがとうございます」
『……やだ、急にそんなこと言うからなんか恥ずかしい』
「言い出したのは美代子さんじゃないですか、もう」
やがて今まで真面目に話をしていた自分たちがおかしくなり、二人は電話を通じて笑い合う。黒金がこうして笑みを見せる相手は彼女だけかもしれない、そういった面でも美代子は彼にとって気を許せる存在だった。
「急に電話してすいません、今日はショッピングモールで買い物でしたっけ?」
『そうだよー今まさに満喫中!台風も来るしそろそろ帰るけど。大五郎君も久しぶりの休みを楽しんでね』
「はい、そちらこそ」
そうして通話を切り、携帯電話をしまって黒金は一息つく。まさか電話を通じてこんな話をするとは思ってもおらず、こうして真面目に会話をしたことはなかった。知人だからこそそれが恥ずかしくなり、次会った時はどんな顔をすればいいのか迷走するのであった。
(……良かった、自分の気持ちを正直に話せて)
通話を終えたケータイを鞄の中に入れ、美代子はショッピングモールの中を再び歩き始める。天井まで吹き抜けで尚且つ大きな天窓があるため室内と言えども太陽の光は入ってくる、しかし今の天気は曇りの為現在モールを照らしているのは照明だけだった。
黒金に伝えた通りもうじき台風が来る。今にもポツリと雨が降り出しそうな雲色、このショッピングモールで沢山買い物をしその袋を持っている彼女の身としては降り出す前に変えるのが得策だろう。
それでも彼女は瞼を閉じ、何か思いに浸るような表情でその場に留まり続けている。それでいて嬉しくて堪らないのか、クシャりと破顔した。
(大五郎君、これからもっと明るくなるだろうな。今度は一緒にあのカフェに行こう)
自分の知る黒金大五郎が徐々に戻りつつあることを嬉しく思い、それがこれからも続くことを願って歩み出す。その歩調はスキップのように跳ね体全体で喜びを表していた。
傍から見れば休日を謳歌している女性に見せるだろう、その実態は切実に思っていた願いが叶ったことによる小躍りだ。
このまま平和な時間がいつまでも続くかと思われた。しかし次の瞬間、ガラスの割れる音によってそれは崩壊を迎える。
「きゃっ!?」
突如として割れた天窓、その破片が上から降り注ぎ辺りは騒然とする。もしその真下に人がいたらとんでもないことになっていただろう。美代子も後一歩前にいれば巻き込まれていたかもしれない。
ワイワイと繁盛していたショッピングモールが一気に曇り、周囲が騒然とする。すると今度は人影が彼女の前に落ちてきた。
「よっと……ここは市場か?中々の繁盛ぶりだな」
「人だ!人が落ちてきたぞ!」
「あそこから!?何で立ってられるんだ!?」
「救急車呼べ救急車!」
このショッピングモールは3階まであり当然天窓もその上にある。今落ちてきたこの男はそこから落ちてきたというのに、普通に着地し何事も無かったかのようにピンと立っている。あまりの人間離れした様子に不気味に思う人、どちらにしろ落ちてきたことには変わりないので誰かを呼ぼうとしている人と大きく分かれていた。
その男――正体を信繁、人の姿に擬態しこのショッピングモールに現れた。目の前の男が鎧蟲とも知らず美代子は呆然とし、動けないまま信繁と対峙する。
(な、何この人……!?)
「毛無猿もこんなに……これは食い甲斐がありそうだ」
そして、その人間を装う姿に亀裂が走る。顔に、首に、腕に、足に、まるで割れ物のようにヒビが入っていき、その中から真の姿が現れた。
蜂の武将、その怪物と呼ぶに相応しい風貌はショッピングモールに一瞬の沈黙を生み――直後にパニックを起こす。




