122話
「……フゥ、ようやく帰ってこれたか」
金曜日、時刻は22時の夜中。新大阪駅からの新幹線から降り黒金はネクタイを緩めた。体の底に沈む疲れを溜息と共に排出していき、体を伸ばしながら駅を後にしていく。
大阪支部社への視察出張も何事も無く終わり、後は家に帰るだけであった。
(やはり大阪限定の商品に乗り出した方が良いだろう。しかしその開発も向こうに任せるか、それともこちらで考えるか。大きな分かれ道だな)
しかしその思考が止まることはなく、歩きながら常に会社のことを考えていく。皮肉にも社長としての仕事に率先している時が憎き信玄のことを忘れられる唯一の時間であった。
そして駅前で待機している送迎の車に乗り込み、そのまま家へと向かっていく。高級車のイスに身を任せた途端、睡魔が襲ってくるも堪えて頭を動かした。
次の瞬間、その眠気は右手の違和感によって一気に覚める。むず痒い感覚が右手から脳へと伝わりその発生を知らせた。
虫の知らせだ――近い場所で鎧蟲が現れたのだ。
「ッ……ここで降ろしてくれ、後は徒歩で帰る」
「か、かしこまりました……」
こんな所から歩いてどうするのか?そんな運転手の疑問など無視し黒金は送迎者から降りる。そうして車が消えた後で急いで虫の知らせが反応している場所へと向かった。
光は街灯のみ、暗闇に包まれた道を躊躇なく進んでいく。いつしか人気の無い十字路に辿り着き鎧蟲たちを発見した。
「蜂の鎧蟲……!」
今回出現した鎧蟲は蟻ではなく蜂、基本蜂は弓兵として矢を飛ばしてくるがその中には槍を持つ白兵戦に特化された個体もいる。
数にして数匹程度、黒金が蜂の顔を見て連想するものと言えば奴しかいなかった。
「――仕事疲れが残っているのに、空気の読めん虫共だ」
その顔に顔をしかめ、うんざりとした様子で上着を脱ぎ捨てる。そして体を動かしつつ右手のクワガタの痣を翳す。
「悪いが今週の予定にお前たちとのアポは無い、素早く片付けさせてもらおう
――開戦!」
身を包もうとする糸に身を任せ、蛹の中で装甲を身に纏う。そうして闇に紛れる漆黒の鎧姿を夜と蜂の前に曝け出した。
その色は、例え刀身の色だろうと暗闇の中に浸透している。それでも街灯の光が黒光りとなって反射しその存在を表していた。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。
我が名は、オオクワガタ――ハッ!!」
威勢良く蜂たちに特攻し、それを迎え撃つ二匹の槍持ちを二刀で弾き飛ばす。群れの中へと容赦なく突っ込んでいった。
そこで蜂たちとの白兵戦が繰り広げられる。槍を避け刀を振り、幾度も刃が交差し合った。蜂たちの連撃は凄まじいものだが、最早黒金にとって足軽レベルの鎧蟲の攻撃など屁でもない。
「フッ――ダァアッ!!!」
その強烈な一太刀に蜂は派手に吹っ飛ばされ壁に激突、オオクワガタの圧倒的な切れ味に成す術も無かった。
すると後方に下がった数匹の弓兵が弦を引き絞り、一斉に矢を放つ。黒金はそれを虫の知らせによる紙一重で躱した。
「ッ――鬱陶しい!」
宙を回転しながら刀を構え、黒い斬撃を地面と平行にして斬り放つ。横に並び弓を引く蜂たちをまとめて斬り裂いた。
着地すると同時に、槍持ちたちが四方から襲い掛かる。しかしその間を掻い潜り、まとめて前方の間合いに入れた。
立ちはだかる鎧蟲たちを前に、黒金は腰を低くし構える。
「オオクワガタ――金剛砕きッ!!」
『ギガァ――!?』
強烈な二刀流が炸裂、大きな破裂音と共に剣撃が蜂たちを斬り落とした。その肉片は飛び散り緑色の鮮血が辺りを汚す。今の一撃で大分数が減った。
『キギ……ィイ!!』
すると先ほどの斬撃から逃れた弓兵たちが空を飛び夜の領空を我が物とする。そして上空を飛び回りながら地上の黒金に向かって何発という矢の雨を降らし始めた。
「ッ――蒼玉雷閃ッ!!」
降り注ぐ大量の矢を躱しつつ、黒金は前翅を開いて飛行。矢の間を掻い潜り一直線に蜂たちの元へ加速した。
そしてすれ違うと同時にその翅を斬り落とし、そのまま地面に打ち落とす。
『ガッ――!?』
最後のトドメとして急降下のまま刀を頭部に突き刺し、地面に着地すると同時に圧し潰す。残った弓兵を完膚なきまでに叩きのめした。
最早勝敗はついたも当然だろう、残る蜂は戦慄した二匹のみ――それを相手に負けるはずがない。
(妙だな、この前の巨大蟻と比べて戦力に差があり過ぎる。今更こんな少数部隊で挑む意味は無いはずだ)
そこでふと頭を過る違和感、今自分が相手をしている蜂たちが弱すぎることが疑問だった。
鎧蟲たち、終張国は甲虫武者に対抗すべく人間の世界に送り込む兵や群れを徐々に強くしている。時に圧倒的な大群、時に巨大鎧蟲、先日現れた巨大蟻はまさしくそれだ。
しかし今目の前にいるのは足軽と弓兵で構成された数匹程度の群れ、これだけで甲虫武者を討つというのはあまりにも無謀であることは分かっているはず。つまり――
「――そこか」
虫の知らせが感じていた僅かな気配、鎧蟲の反応ではないがこちらをチラチラと見ていた存在がいるのは分かっていた。
その気配に向かって振り返ると同時に斬撃を放ち、その軌道状にあった障害物ごと斬り落とそうとする。しかし曲がり角に命中する直前で、金属音と共にその軌道は大きく逸れた。
「――バレてしまったか、隙を伺っていたが」
「コソコソと隠れられる方が逆に見つけやすい。今回の主力は貴様だな」
その角から隠していた姿をスッと現したのは、鎧蟲ではなく人間の姿形をした青年であった。
赤茶色の髪、手には黒金の斬撃を弾いただろう長い十字槍が握られ穏やかではない。しかしその表情は場違いな程爽やかな笑みを浮かべている。
(……武将か、人間に擬態して気配を消していたか)
鎧蟲の武将が人の姿に擬態し、甲虫武者の虫の知らせから逃れる手段は勝家も使っていた。擬態中は鎧蟲特有の気配が消え甲虫武者から逃げることも可能。
その為目の前の男が武将と見極めるものは無いが、黒金と蜂との戦いを近くで見続けそれに全く動揺しないことが何よりの証拠であった。
(勝家の時は雄白と橙陽面義と共に、信玄の時はギラファの乱入があった。
つまり、武将相手に単独で挑むのは初……!)
緊張が走る。目の前の武将がどれ程の強さを持つかは分からないが、黒金が一人で武将相手に戦ったことはない。勝家や半蔵との戦いでは英や鴻大などの仲間がいた。信玄と相まみえた際は別の敵であるギラファとの三つ巴、こうした一対一の機会が無かった。
「その鎧、信玄様が言っていた黒武者というのはお前だな?」
「ッ!貴様奴の部下か!」
「いかにも!まだまだ若造だが我こそは信玄様の家臣信繁!あのお方の命令でその首を取りに来た!」
信玄に命じられ、甲虫武者を倒しにきた信繁。その正体に気づいた黒金は抱いていた警戒心を怒りに変え、信玄への恨みへ変換していく。ちなみに以前現れた千代女も奴の部下だが、あの時は碌な会話などせずに事態が終息した。
家族の仇の部下を前に、感情を昂らせ柄を強く握りしめる。最早名前を聞くだけで怒りが込み上げていく。
「……ハッ、そいつは丁度いい」
しかし燃え上がる感情とは裏腹に、黒金の口角は曲がり笑みが零れる。しかしその目は鋭い眼光を放ち続け尖らせていた。
信玄の家臣、つまり今までの武将の中でより奴に近い存在だということ。
「わざわざ俺の前に出てくれて感謝する。奴への手掛かり、吐いてもらうぞ!」
「悪いが俺は主君を売ったりはしない!そんなに信玄様に会いたければ晒し首の状態で会わせてやろう!」
打倒信玄の糸口を見つける為、絶対に信繁を倒すという強い意志を見せつける黒金。そして向こうもそれに答えるように、人の皮を破いて本来の姿となる。
赤い甲冑に黄色の肌、今しがた葬った鎧蟲たちと同じく蜂の本性を曝け出す。
六文銭が描かれた兜、そして胸には信玄の鎧にもあった家紋。燃えるようなその色は蜂の色と混ざり威圧感を生み出していた。
「この信繁、全力でお相手いたす!」




