120話
製菓会社ブラックダイヤモンド、「黒金大道」が初代社長を務めた大手企業。幅広い製品を売り出しその界隈では指折りの売り上げと規模を誇る。最近では海外進出も更に加速していき、世界的な知名度を得るのも近いという。
そして今やその社長を務めるのは亡き父の後を継いだ「黒金大五郎」。初期は二十代の男性があそこまで大きくなった会社を統率するのは不可能と言われていた。一部の人間には「若造」と笑われ拒絶されていたが、その敏腕な指示、先見する洞察力、青二才とは冗談でも呼べない実力でブラックダイヤモンドを更に拡大していく。
「社長、おはようございます。今週のスケジュールを簡単に説明いたします」
ブラックダイヤモンド本社、その社長室にて。席に座る黒金へ挨拶をする女性秘書が一人。年齢は黒金より上だろう。
社会人の象徴ともいえるスーツに身を包み、長い髪を団子状に纏めスラリと背筋を伸ばしている。お淑やかで隙が殆ど無いように見え、資料を脇に抱えていた。
一方黒金も落ち着いた様子で自分のデスクにいる。表情を変えずに彼女から伝えられる今週の仕事内容を聞こうとしていた。それに答え、彼女は持っていた資料から黒金のスケジュールを伝える。
「まず今日はいつもの雑誌社の記者から取材を、明日は新商品について、開発班がいくつかの案をまとめましたので予め目を通してください。
水曜日は海外進出について、アメリカに建設予定の支部社と工場についての会議です。向こうから責任者の方々が既に来日しております。木曜日と金曜日は大阪支部工場への視察で短期出張です。そして……」
その口からはビッシリと突き詰められた多忙のスケジュールが語られていき、普段よりも満載な内容に黒金は少しだけ冷や汗を流し俯く。
そうして説明が終わると、淡々とスケジュールを説明していた彼女の冷徹な顔は、穏やかに破顔し一変した。
「ということですので――今週にカフェへ行く余裕は無いよ?大五郎君」
「ぐっ……はい」
そこで秘書は社長を君付けで馴れ馴れしく呼び、社長は秘書に対し敬語を使うという本来ならば逆の会話が始まる。クスクスと笑う秘書に対し、黒金は考えていたことを見透かされたことにぐったりと崩れ項垂れる。
勿論普段からこういった言葉遣いではない、現に最初は秘書という立場をしっかりと務め相応しかった。何故こうも和やかな空気なのか?それは今社長室にいるのはこの秘書と黒金だけだからだ。
「仕事を殆ど終わらせてから行くからいいけど……あまり長居はしてほしくないな。社長がカフェでサボっていると言われても仕方ないよ」
「それにしたって……今週はやけに忙しくないですか?美代子さん」
「次の土曜日に台風が来るからね、その分仕事を詰めているの。海外支部の話だって本当は来週の月曜日の話だったけど、飛行機が動かなくなることを危惧して早めさせてもらったわ」
――「夜咲美代子」、黒金大五郎の社長秘書を務める女性。何故彼と親しそうなのか、それは彼女が前社長秘書からの引継ぎでもあるからだ。
前社長、黒金大道の秘書。大道が存命の内からブラックダイヤモンドの縁の下の力持ちとして働き、黒金家とも交友が深く大五郎にとって彼女は幼い時からお世話になっているお姉さんでもあるわけだ。
「まぁ仕方ないか、こうなったら意地でも出張までに空き時間を作ってやりますよ。取材は三時予定ですよね?それまでに粗方今日と明日の分を終わらせます」
「フフ、果たしてそう上手くいくかな?」
そう言って美代子は書類の山を片っ端から机の上に置いていく。見るのもうんざりするであろう仕事の束、最早それで作られた壁で視界が八方塞がりになってしまう。それに臆することなく黒金は判子とペンを構えて仕事に勤しみ始める。
社長黒金大五郎と秘書夜咲美代子、二人の間にだけある奇妙な関係。今日も穏やかな空気で社長室は満たされるのであった。
「では、御社の製品で心掛けていることは?」
「わが社では子供だけではなく大人や年配の方、幅広い層に受け入れられる商品を志しています。特に長年販売している『ポテトチップス 緑茶味』などは一見珍しい味で売り出していると思われていますが……」
そして本社のとある一室、黒金は雑誌記者と対面しながら席に座り予定通り取材を受けている。他には取材陣のカメラマン、そして秘書の美代子がいた。
予定の時間までに黒金はかなり仕事を進めていき、取材の準備も万端にできた。といっても話す内容はあまり変わらない、会社の方針を丁寧に語るだけであった。
こうして出来上がった雑誌の記事は、その取材内容など下の方に小さく収まり殆どのスペースは黒金の写真によって埋められるだろう。それを買い求めるのは女性陣、黒金が先日カフェ・センゴクで零した愚痴もあながち間違っておらず製菓会社の社長というよりかはアイドルと例えた方がピッタリかもしれない。
「それでは最後に、前社長――お父上のことについてですが」
「……!」
何も知らない取材陣の口から出たその単語に、黒金は僅かに反応を示す。目を若干見開き、小さく歯を噛み締める。足の上に置かれた両手は静かに握りしめられた。
その気づきにくい変化を、秘書の千代子は見逃さなかった。
(大五郎君、また……)
「叡火市で起きたテロリストによる大量殺人事件、黒金大道前社長もその被害者の一人。お父上の跡を継いだ心境を是非」
対し一番近くにいるはずの記者は何も気づかず話を進める。何も知らないから無理はないが少し不躾かもしれない。
テロリストなんていうのは表向きの嘘、全ては鎧蟲の大量出現による被害であった。そしてその魔の手に襲われたのは父親だけではなく、母親と妹もだ。
今黒金が抱いている感情は怒り、しかしそれはこちらの気も知れずに質問を投げかける取材陣に対してではない。自分の全てを奪ったとある鎧蟲に対してであった。
瞬間、ようやく記者はその変化に気づく。しかし先ほどのような小さなものではなく、近くで見れば察知する程黒金の表情は強張っていた。
「――父は、血の繋がっていない自分にこの会社を任せてくれました。それも含めて育ててくれた恩、それを生きている内に返せなかったのが残念です」
しかし黒金は話を止めず、取材を続ける。取材陣も冷や汗を流しながらそれを聞きメモに記していく。しかし声のトーンや目の鋭さ、全てにおいて敵意のような強く黒い感情が溢れているのは明白であった。
「だからこそ、私はこの会社を更に発展させていきたい。それが唯一できる恩返しだと信じて。父が任せてくれた会社や社員、その歴史をしっかりと守ると決意しました」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
そうして取材は終わった。記者たちは正体不明の悪寒に怯え少し慌てた様子でその場を後にしていく。一方黒金は一息つきネクタイを緩めた。
そこに千代女がお茶を淹れる。
「お疲れ様、少し休憩する?」
「いや、できるだけ仕事を進めたいです。これを飲んだらすぐに行くので先に戻って準備してください」
「……うん」
そうして美代子だけが社長室に戻ることになり、必要な書類を持ってその部屋を後にする。茶を飲み深い表情をする黒金だけがそこに残った。
一方美代子はその顔を思い出しながら、長い廊下を渡っていく。取材中に片鱗を見せた黒金の復讐心、その正体を掴めずにいた彼女はそれが疑問だった。
(やっぱり……大五郎君は大道様のことになると変になる。あれは悲しみじゃなくて怒り、誰かを恨んでいるように見える)
当然美代子は鎧蟲、ましてや黒金が甲虫武者だということは知らない。だからこそ父親のことに関して黒金が怒りを見せるのは不思議でしょうがなかった。
(――それでも、最近明るくなった気がする。少し前までは少しの愚痴や弱音も吐かなかったあの子が……)
そして感じ取っているのはそれだけではなく日常的な変化もであった。ほんの昔の黒金、このブラックダイヤモンドの新社長になったばかりの頃とは大きく変わっている。その時から秘書として彼を支えてきた彼女だからこそ分かる。
(大五郎君の行きつけ……カフェ・センゴクか。あの子が出張している間に行ってみようかな)
そこから美代子は黒金を変えた「何か」を探るべく、その第一候補へと向かうことを決意した。




