118話
終張国、天守閣の一室にて2匹の武将が居座っている。静かな雰囲気を醸し出すその茶室は、会話をするのに持って来いだろう。
その内の1匹は、この終張国を統べる三大名の信玄。そして上杉御庭番衆のくノ一である千代女であった。御庭番衆は謙信の直轄だが、千代女は元々信玄の甲賀武田の忍者。なのでこうして会合するのも珍しくはない。
「聞いたか千代女?信長の巨大兵がやられたという」
「はい、どうやら三匹の甲虫武者によって討たれたそうです」
その話題は先日起きた鎧蟲の大量発生、及びその共食いによる巨大蟻を鴻大、黒金、豪牙の三名が倒したことだった。英は彩辻と戦っていたためその数には含まれない。かなりの強さである巨大蟻が三人相手とはいえ敗北したことは終張国でも騒然となっていた。
「それにより謙信から、『これからの出兵は足軽だけではなく上の位の者も付けろ』という提案が」
「まぁ妥当だな、武者共は直実に育ってきている。どうやら信長は奴らを姫に献上するつもりらしい」
「それはつまり……」
「そう、猿もどきの首を狩りその肉をより手にした者がこの国の長になるようなものだ。姫に最も貢献し、認められた者がその権利を得るのだからな」
刹那、信玄の表情が僅かに下劣な笑みとなる。まるで何かを企んでいるような裏の顔、どんな知将でもそんな顔を見せれば幻滅されてしまいそうだが、それを近くで目撃した千代女に変化は見られない。変わらず忠誠の意を込め跪いている。
「といってもあの小娘は信長公に惚れている、信長も嫁の食欲を促そうと珍しく活気になっているようだ。
毛無猿が食えぬのなら猿もどきを与えてはどうか――ということだな」
鎧蟲は毛無猿、つまり人の肉を食らう。だから人間の世界に現れ時折狩りを行っているのだ。
「姫」――信長たち武将と同じように言葉を話す存在にして、信長と夫婦である雌の鎧蟲。名を「濃姫」という。その位は三大名とはまた別格であった。
しかし濃姫は、極端の人間嫌いだった。人を見るのも、その肉を食らうのも拒絶する。枝のように痩せ細る程に。その問題を信玄は深刻に感じていた。ぶっきらぼうな性格の信玄が他人の事に対して悩む、濃姫が重要であると言っているようなものだった。
しかし他の武将と比べ何も無ければ姫という区別はされていないだろう、濃姫という存在は終張国で最も重視されている。
「まぁどちらにしろ姫にはもっと成長してもらわなければならない。今まで信長と謙信に任せていたが、儂の部隊も出してみるか」
「それは……武者共を狩るということですね?ならばこの千代女にお任せください」
名乗りを上げたのは千代女、気高く勇ましいその姿はとても女のようには見えず、立派な武士――男にも負けない誇らしさが重なって見える。しかし彼女のやる気とは裏腹に、問題があった。
「いや、表向きとはいえ今のお前は謙信の忍。奴の指令無しで動くのは些か問題だ。たださえ半蔵に怪しまれているのだろう?他の者を行かせる」
「ならば!この俺にお任せください!」
すると前触れも無く1匹の武将がその場に現れる。千代女の隣で同じように頭を下げ信玄に跪き、その朗らかな声を狭い部屋に響かせた。
紅蓮の甲冑を身に纏った蜂、兜には終張国で使われている硬貨が二列三枚で飾られている。十文字槍を背負い、いつでも戦場へ行ける格好をしていた。
「おお信繁か、相変わらず元気そうだ」
「はい!信玄様の部屋に挨拶も無く入ったことをお許しください!しかしこの信繁、お話は聞かせてもらいました!」
その表情は全く崩れない笑顔、一見爽やかそうだが一糸乱れぬその笑みは逆に不気味さを醸し出している。まず謝罪をしたがその際も笑っている、しかしその言葉に嘘はない。千代女同様心から信玄に忠誠を誓っていた。
信玄の家臣「信繁」、上杉御庭番にいる千代女とは違い主の元に残っている身であるため信玄の命令で動くことができる。
「手始めに武者の首を一つ持ち帰ってみせましょう!部下も連れて勝利を確実なものとさせ、三大名の中で誰が上に立つべきかを他の愚将に分からせてやります!」
「大きく出たではないか、ならばその任をお前に任せる。期待しているぞ」
「有難きお言葉!必ずや達成させていたします!」
そう言って信繁は部屋を後にし、ドタバタと走り去っていく。その足音に千代女が顔をしかめ、鬱陶しそうにしていた。普段ならば文句の一つは言っていたのだろうが、今は信玄の前にいるのでそんなことは許されない。
しかしその人選に意見を述べることは許される、それも恐れ多いことだが千代女は正直に言った。
「信玄様、お言葉ではありますが信繁では少々不向きかと。奴はごく最近家臣になった身、貴方様への忠誠心は本物ですが力不足ではありませんか?」
「ほう、ならば今回の結果でそれを見定めようではないか。果たして約束通りに猿もどきを討ち取れるのか、それでお前の後釜を決めるとしよう。
少しは信じてやったらどうだ?あれに蟲術を教えたのはお前だろう?」
蟲術、鎧蟲たちが使う不思議な術。千代女はその力に優れており様々な効果をもたらす巣界、主に防御面の蟲術を使いこなして戦う。この強固な守りで豪牙の大槌を何度も受け止めていた。蟲術という面で千代女は今までの武将の中で一番と言っても過言ではない。
「教えたと言ってもあくまでも基礎、それにあれと私の術は全く違っております。しかし使い手の立場から何かを言うとするならば、あの男は天才です」
「武道と蟲術を使い分けるという訳か、実に面白い。一体どの武者の首を持ち帰るのか楽しみだな」
甲虫武者との抗争、信玄はそれを完全に楽しんでおり酒を呑みながらニヤリと笑う。英たちやコーカサスの顔は既に割れ最早鎧蟲からは逃げられない立場だろう、特に三大名は先の戦いにて両軍の武者と会合し尚且つその実力をその身で体験していた。
(ときに儂が家族の仇だというあの黒武者、あの時は恨みに駆られ見るに堪えなかったが……今はどうだろうか?)
その際信玄と戦ったのはオオクワガタの黒金大五郎、家族を殺され復讐を誓いその仇と再会するも黒い感情に呑まれ普段の力も出し切れず惨敗した。
勿論信玄に申し訳ないことをしたという罪悪感は無い。それよりあの男が今はどうしているのかが気になり始める。それは自分を討とうとする敵への警戒というより興味本位であった。
三年前に起こった叡火の惨劇、その鎧蟲たちの大量殺戮に信玄も参加しその際黒金の家族も含め多くの人間を手にかけた。多くの犠牲を出したという事自体は認知しているが、殺した数が多すぎる為その顔は全く覚えていない。そんなものは一々覚えていられないのが普通だが、それ程多くの命を殺めたということを意味している。
(まぁ奴などどうでもいい、儂が見据えるのは更に先……好機が訪れるまで、後は家臣に任せておくとしよう)
何かを企み水面下に潜む信玄、一体何を目指して動いているのか、その真相は彼自身とその家臣にしか分からない。甲虫武者などその中間にある小石でしかない、潜むほど大きく膨らみ時を待つその野望は確かにそこにあった。
そんな信玄が差し向ける刺客――信繁と今回戦うのは皮肉か運命か、その主と因縁のある武者であった。




