110話
「あれ、英はいないのか?」
あれから最初の休日、カフェ・センゴクに豪牙と黒金の2人が訪れる。今現在店にいるのは鴻大と伊音のみ、英の姿はどこにも見当たらなかった。この2人が同時に来るのは珍しい、どこかで落ち合ったのかもしれない。
「はい、英さんは今日お休みを入れていて……」
「フン、大方まだ引きずっているんだろう。情けない奴だ」
英は毎日シフトを入れており、今日のような休みの日は珍しい。伊音は気づけばこのカフェに英がいなかったことは最近無いことに気づく。
その休みの理由としてはサボりなんかでは決して無く、当然甲虫武者のことについてだった。先日までバイトもしっかり熟せていたが遂に限界が来たのかシフトに穴を入れる。
鴻大たちは特にそれを責めようとはしない、しかし黒金だけが辛辣な言葉を今はいない人間に対し浴びせていく、その言葉には若干呆れが混じっていた。
「七魅彩辻の言葉に賛同するのはどうかと思うが、これしきのことで情けない」
「おいおいそんな言い方は無いだろ、仕方ないだろアレは……」
実際復讐だけを志す黒金に自分の正体など気に掛ける暇など無く、信玄の首を取る事だけを考えている。そんな彼からしたら、いつまでもウジウジと悩んでいる英の姿は苛立つのかもしれない。
その点豪牙も黒金動同様ある程度割り切れてはいるが、心情としては英よりであった。自分は兎も角、人ではない恐怖というのは理解しているつもりだ。
「それであの馬鹿は戦えるんですか?」
「いや、難しいだろうな。精神的にもまだ立ち直れていない」
「でも……この間お店を任せた日から大分良くなってきてるんです」
この間というのは英が客の青年から助言を貰った日、あの後吹っ切れたわけではないがその心情は少しずつ元の物へと戻っていた。言ってしまえばまだ気持ちの整理が終わってない状態だろう。
「それでも甲虫武者の力に対してはまだ拒絶感があるな、あれじゃあ前線に立つのは無理だ」
「一番折れないと思っていた奴がこの様だ、もうあいつのことは放っておいていいでしょう」
いつまでも鋭い言葉を上げ続ける黒金、雄白英はもう戦えない役立たずだと言わんばかりの言動に反応したのは、豪牙でもなければ鴻大でもなくなんと伊音であった。
「そんな……英さんは皆さんと一緒に戦ってきた仲間ですよ!このままずっとあんな感じでいいんですか?」
どうやら黒金の軽はずみな発言が聞き逃せなかったらしい、珍しく声を上げて反論する。突然の大声に鴻大と豪牙は驚いた様子で押されるが、肝心の本人はというと優雅にコーヒーを飲み全く取り乱していない。
黒金と英同士は兎も角、伊音と黒金の2人が言い争いに発展するのは珍しい。それ程までに英のことを心配しているのか、兎にも角にも張り詰めた空気が店内を包む。
「じゃあ聞くが、君は今の雄白に守ってもらいたいと思うか?臆病者が戦場に出ても足手まとい、良くて囮だ。
奴らとの戦いはスポーツじゃないんだ、そんな奴の世話までする筋合いはない」
「黒金、お前……!」
英相手の時とは比べ物にならない程冷たくそして刺さる言葉、あんな口喧嘩とは違い今はお互いの意見がバチバチと火花を散らしながらぶつかり合っている。しかし女子高生にも容赦しないその発言に流石に豪牙も黙って見ることはできず、急いで宥めようとした。
対し伊音は全く怯まない。その重みに少しは圧倒されているが、それでも引き下がろうとは思ってない。
「……英さんは、臆病者なんかじゃありません」
「ああそうだな、あいつはただの単純馬鹿だ」
黒金を睨みつける伊音、それと衝突する黒金、豪牙はどうしたものかと焦り父親の鴻大はそれを止めようともしない。
――このカフェ・センゴクがここまで雰囲気の悪いものになるのは何時ぶりだろうか?これも英という男が欠けたせいかもしれない。しかしそれは、次の言葉で解かれる。
「――馬鹿だから、全部忘れてその内戻ってくるだろう。俺たちが何もせずともな」
「え……?」
その言葉を聞いた途端、伊音の怒りはスッと雲のように消えていく。今までの辛辣な正論を全て覆してしまいそうなものを最後の言葉にし、黒金は飲食を再開しそのまま何も言わなくなった。
いざとなったら止めようと思っていた豪牙は拍子抜けになり、鴻大はこの終わり方を察していたかのように微笑んでいる。
(もしかして、黒金さんはとっくに……)
顔を合わせれば高確率で喧嘩を始めどこからどう見ても不仲に見えた2人、その原因は最初の出会いと性格の違いであった。
しかしあれから随分時間が流れている。その間に幾度も強敵相手に連携し死線を超えてきた。普段の仲こそ悪いが、共闘を通じて独自の信頼感が生まれているのだ。
つまり、黒金も信じていた。雄白英という男がこんなことで立ち止まり続ける男ではないと――
「何だよお前!素直じゃない奴だな!」
「喧しいぞデカブツ!」
豪牙が黒金を揶揄うのを起点とし、再び元のカフェ・センゴクの空気が戻っていく。黒金の心情を理解して思わず破顔する伊音の肩に、そっと鴻大が手を乗せる。その眼差しは更に彼女を安堵させる。
「まぁ遊びに行くぐらいなら良いんじゃないか?後であいつの住所を教える」
「お父さん……」
――その場にいる全員が、英の復帰を望んでいた。戦えなくなった彼を見捨てる者など誰一人としておらず伊音はそれが自分のことのように嬉しかった。
そしてこのまま和やかになった雰囲気が続くのかと思いきや、それは突然訪れる。最初に察知したのは豪牙であった。
「――ッ!」
「……噂をすれば来たか」
そして間髪入れず黒金と鴻大も続く。その様子を見てこの3人に何が起きたのか伊音も察した。遠くの方から感じる禍々しい気配、その電波をキャッチするのは甲虫武者の力である虫の知らせだ。
「も、もしかしてまた堕武者ですか!?」
「いや……この感覚は多分鎧蟲だな、しかもこれは……!」
伊音はまたもやコーカサスたちの誰かによって堕武者が差し向けられたのかと不安に駆られるが、鎧蟲と堕武者の気配には微妙な違いがあるため豪牙がそれを否定する。しかしだからといって安心はできない、少なくとも確定している不安要素が1つあった。
「この数……奴ら大群でやってきたな!学校の時以上はいるぞ!」
「これは……全員でいかないと駄目そうだ」
それはその数、虫の知らせでもその多さは分かりあまりの大群に武者たちは戦慄していく。鴻大も今回は自分も参戦した方が良いと悟り唾を呑み込む。他の2人も緊張し拳を握りしめた。
「伊音、すまないが店を頼んだぞ!もしこっちにも何か来たらすぐに教えてくれ!俺たちはこのまま――!」
「待ってお父さん!行く前に……英さんの家の住所教えて!」
急いで向かおうとする鴻大を伊音が呼び止める。その内容は後で教えると言われていたことであった。
鴻大たちの慌てぶりを見て英も必要だと思ったのだろう、しかし鴻大はそれを断る。
「……英も虫の知らせで感じているだろうな、だが今のあいつには無理だ!俺たち3人に任せろ!」
「お願い、あの人が心配なの……!」
しかしただ激励に向かうわけではなく、英の身を案じての懇願だった。伊音の考えていることを察し鴻大はハッとする。
今の英は精神的に不安定な状態だ。甲虫武者の力を拒み怯えている。そんな時の鎧蟲の大群の気配を虫の知らせで察知すれば取り乱し危険な状態に陥るかもしれない。
「――分かった、あいつのことを頼んだぞ!」
「うん!」
そうして鴻大は住所を教え、それを聞いた伊音は急いでそこへ向かう。鴻大たち甲虫武者も覚悟を決め店を飛び出していく。
――カフェ・センゴクのメンバーが、今全員走り出す。皆が自分のやるべきことを意識し行動していった。




