序章
カブトムシをモチーフにしたアクションものです。
夜、殆どの人なら眠りについているこの時間帯、街灯の僅かな光によって照らされている道を1人の酔っ払いが千鳥足で闊歩していた。顔を真っ赤にし、何もないのににやけ、仕事のカバンを落としそうになりながらも前を歩こうとする。
「カミさんが怖くてぇ……酒が呑めるかってんだっ!!ひっく……」
よっぽど酔っており、普段は嫁に下手に出ているが、酒の力で要らない自信がついていた。体格や顔つきは男らしいのに、自分に対して厳しい人間に対しては女々しくなってしまうのがこの男の癖。
「よーし!!こうなったらもう一軒行くぞっーー!!」
そんな癖も全て酒によって打ち消され、先ほどまで家に帰宅していたのにUターンして再び呑もうと店の方向に足を動かす。それによって嫁が更に厳しくなるというのに哀れな男である。
すると、ふと自分の背後に何かの気配を感じとる。その気配に男は酔いの勢いでイラつきを覚え、目つきを鋭くして後ろを振り向いた。
「んだてめぇ……って」
それを見た瞬間、男の酔いは一気に覚め、大きく目開く。調子に乗っていたその心は、即座に恐怖へと塗り替えられた。
「ひっ、ひぃいいいいいいいいいい!!!??」
後ろを振り向いて真っ先に見えたのは巨大な蟻の顔だった。鋭い2本の顎、真っ暗な目、長い触覚、そんな顔をいきなりドアップで見たので、男は腰が抜けてしまう。
それによって全身が見え、その蟻は2本脚で立っていた。頭に笠を被り、体には鎧を纏い、両手で槍を持っている。まるで足軽のような格好だった。
そのサイズは最小という言葉の代名詞とは思えない程でかい。男と顔が合ったのだから大人と同じくらいであった。
そんな大きな蟻が、男の前に3匹いる。どれも槍を構えジリジリと近づいてくる。その恐怖に耐えられなくなったのか、男は泡を吹き、失禁しながら気絶してしまった。
それを見た蟻たちは頷き合い、気絶した男に手を伸ばす。手が男の顔に触れそうなその時、後ろから走ってくる足音が聞こえてきた。
蟻たちは一斉に後ろへ振り向き、ここに向かってくる者を見る。闇の中から走ってくるそいつは、蟻たちを視認すると更に走るスピードを上げる。その速さは並の人間じゃ出せないものだった。
「出陣!!!」
その青年がそう叫ぶと、手から糸が溢れ、糸は青年の全身を包み込める。そして汚い土色に変色しまるで蛹のように変化した。全長3mはあるであろう大きな蛹、その形状はカブトムシのものだった。
すると蛹に、内部から亀裂が入る。いや、亀裂というより何かで斬られたような跡である。そして蛹が真っ二つに割れ、中から恰好が変わり果てた青年が飛び出てきた。
青年は蟻たちの横を素早く通過、そして通り過ぎた後には1匹の蟻の頭部が斬り落とされていた。残った胴体から、噴水のように緑色の血が飛び出る。
この蟻たちに感情があるかどうかは分からない、しかし残った2匹は仲間がやられたことに驚き、再び青年の姿を確認する。
――一言で言い現わすなら、それは白い武者だった。いくら光が少ないといえども、黒い闇の中ではその白さは存在感を大きくしている。
足、腕、そして兜、全てにおいて白い配色。いや、良く見れば黒い点がほくろのように点々と付いていた。
そしてその手に持たされているのは、白く輝く一刀。その美しさには先ほど切った際の血が付着している。
「うおおおおおおっ!!」
白武者は残った2匹の蟻に向かって突撃、両手で刀を握り直し後ろに引いた。そうして振り落とされる刀、狙われた蟻はそれを後ろに跳んで回避する。
自分たちに襲い掛かる白武者に対し、蟻たちは槍を向けて走っていく。
白武者は最初に来た槍に対し体を反らして避け、2本目の槍を左手で掴みそのまま後ろに引く。
それを持っていた蟻は槍ごと白武者の方へ引っ張られ態勢を崩す。その隙に白武者は白刀を横に走らせ蟻の胴体を切断した。
緑色の血が噴き出て白武者の鎧を汚していく。しかし血の雨を浴びながらも白武者は最後に残った蟻へと視線を移した。
最後の蟻はジリジリと近づいてくる白武者からゆっくり離れ、そのまま近くのあった最初に殺された蟻の死骸へと跳び移る。
そしてその亡骸を遠慮なく貪り始めた。蟻の食事スピードは人間とは比べ物にならず、自分とほぼ同じ大きさの肉を肉団子状に丸めてそのまま丸のみにする。
すると蟻の体は見る見るうちに逞しいものになり、まるで風船のように筋肉が膨らんでいく。気づけばその体は白武者を見下ろせるほど巨大化しており、太くなって手で握っている槍を彼に向けて振り下ろしてきた。
白武者は刀を横にしてそれを頭上で受け止め、自身にかかってくる重量感に歯を食いしばる。ここで蟻は槍を大きくスウィングすることで白武者を払いのけた。
「どぁあ!?」
蟻は吹っ飛ばされた白武者を通り過ぎ、そのまま2つ目の亡骸を貪り始める。そして更にその体は逞しさを増し、凶暴さも目に見えてきた。
白武者はそんな蟻に臆することなく刀を向けて突撃、高所から来る槍の猛攻を刀で弾いたり屈んで避けたりしながらその懐へと潜り込む。そしてその両足を横に斬り裂いた。
――キキィーーーーーツ!!――
その瞬間蟻は甲高い声を出しながらバランスを崩しその巨体を下げながら膝を付く。
「だりゃあああああああああああ!!!」
白武者はその隙に高く跳び、奴の頭からその白い刀を入れた。そして大声で叫びながら刀を振り下ろしていき、圧倒的な対格差の蟻を見事真っ二つに斬り裂いた。
緑の血が溢れ出て白武者の鎧を更に汚す。自分にかかった血に嫌悪感を抱き鬱陶しそうにする白武者は、蟻の死骸の前で右手の甲を差し出す。すると金色に輝くカブトムシのような紋章が浮かび上がる。
その瞬間、蟻の死骸はどんどんそれに吸い込まれていき、いつしか掃除機のように全てを吸収していった。
自分より数倍大きいものを取り込んだというのに、白武者の外観に変化は見られない。するとその白い鎧はドロドロに溶け、地面に落ちた時には蒸発して影も形も無くなっていた。
白い鎧を脱いだ青年は、一息吐いてその場を去っていく。辺りは何も無かったかのように静かになった。
今起きた出来事は誰にも知られない、酔っ払いの男もアルコールに見せられた夢と自己解決するだろう。しかし蟻の怪物が現れ人を襲ったのは事実だ。
これは、そんな闇の怪物と戦う武者たちの物語である。