第十話 南に向けて旅立つ朝
空が白みはじめるのを待って、大岩の家を出る。今回は湿っぽくならないで出発できた。お互いに『良い風が吹きますように』と、この世界のやり方で挨拶を交わした。
馬は前回と同じで、リュートが返しに来てくれる。
結局、リュートの家の厩に馬を繋ぎ、馬の背中に『行ってくる。あとの事は色々頼む』と日本語で書いた貼り紙を貼っておいた。今回はリュートに見つからずに、旅立てたようだ。
俺は別れの場面がものすごく苦手だ。特に見送られるのがたまらない。卒業式も送別会も電車や飛行機の見送りも、できれば勘弁してもらいたい。
繋いでいた手が、離れる瞬間を見たくないのだ。離れた後の温もりが、冷めてゆくのが怖くてたまらない。
だからと言って逃げるように旅立つのは、現実逃避と俺の弱さ故のことなのだが。
この、物にも人にも執着する体質には、我ながらうんざりする。ナナミには「執念深い!」と言われる。酷い言い草だ。情が厚いとか、愛情が濃いとか言って欲しい。
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さて、キャラバンは砂漠の先にある『ポーラポーラ』という街を目指す。ここで宝石の買い付けをするらしい。シュメリルールからはラーザの塩やスパイス、チョマ族の毛織り物や細工物、シュメリルールの特産であるチーズやヨーグルト、トマトやジャガイモを積んで行く。途中、街や村へ多く寄り、それらの品を取り引きするのだ。
その街や村で特産品などを仕入れ、街道の行き止まりの街『ルッソ』で降ろす。季節や市場の流れを読む、商人の腕の見せ所だとロレンが言っていた。前回の旅では、情に負ける場面ばかり見た気がするが、ビジネスライクな商売は得意らしい。なるほど奥が深いものだ。
商会の倉庫に着くと、馬車に荷物を積む活気のある光景が広がっていた。ハザンの怒号が飛び交い、トプルやヤーモが驚くほど多くの箱を担ぎ上げて行く。ガンザは腰が痛いと言いながら、適当な感じでチョロチョロしていた。
俺とハルは、馬の様子を見に行く事にした。馬はすでにピカピカに磨きあげられ、気力も体力も漲っているのか、俺はやるぜ、やってやるぜ! みたいな声が聞こえるような勢いだった。
俺が少し圧倒されながらも『ま、またよろしく頼むな』と言うと、俺はやるから、おまえもな! とでも言うように、ブルルルと盛大に首を振った。ロレンのやつ、なんか一服盛ったんじゃねぇの?
ロレンが『アッサラ・マセーナ!』と掛け声を上げ、先頭の馬車のガンザが『ほうほう、ほう! やー!』といつものように応える。馬車はいつものようにあっさりと走り出し、馬車道を抜け、街道に出る。
馬車は、まずはここから南へ、三日くらいのところにある『ガーヤガラン』という街を目指す。この街にはリュートの姉ちゃんであるパラヤさんが住んでいて、さゆりさんから手紙や結構な量の荷物を預かっている。
さゆりさんは正式にキャラバンに荷物の配達を依頼し、料金を支払っている。このへんをなあなあにしないところが、あの人の凄いところだと思う。
そういえば、リュートがキャラバンの幌の骨組みを修理してくれた。この世界ではあまり見ない鉄パイプを使い、軽いと頑丈を両立させている。一番嬉しいのは、乗っても平気! とお墨付きをもらった事だ。俺とハルは幌に登って景色を眺めるのが大好きだ。
ロレンはたいそう感心して、商会全体の馬車の幌を、全てこの仕様とする事を決めた。鶴の一声というやつだ。おかげでリュートは鍛冶屋とは違う方向へ進んでしまいそうだ。
ハルがさっそく幌に登る。ポンチョが風に煽られて、ユキヒョウの刺しゅうが笑っているように見える。俺は落ちるなよ、と声をかけてから御者席のトプルの隣に座った。
トプルが低く小さく、シュメリルールの流行り歌を口ずさんでいる。以前ハザンが歌っていたのと同じ歌だ。比べものにならないくらい上手いけどな!
少し掠れた男くさいバリトンが、茜岩谷の朝の風に流れていった。




