第四話 ユキヒョウ幼女のハナ
尻尾のあるハナにパンツを履かせる場合、まずはパンツを膝まで上げる。尻尾用の穴に尻尾を通し、そのあと腹までパンツを引き上げる。スカートは着てから穴に通す。
ほらハナ! 尻尾振るな! 穴に通らないだろ?
ハナは尻尾を動かすのも、耳を動かすのも、とても楽しいようで、しょっちゅうフリフリ、パタパタとやっている。
ハルはどうやら羨ましいらしく、今から練習すると言って、顔を赤くして耳や尻尾を動かそうと頑張っている。血管切れそうで、少し心配なるくらい真剣だ。
蚤とかつくのだろうか? 風呂にちゃんと入れれば、大丈夫か? さゆりさんに聞いたら、そういえば蚤、見た事ないわねぇ、と言っていた。蚊や蝿などの羽虫は見かけるので、地域的な問題だろうか?
まあ、なるべく清潔を心がけよう。
ハナは獣の姿に変わると、ほぼ肉しか食べなくなる。本能に引き摺られるのか、動くものにじゃれ付く。
猫じゃらしに似た植物で遊んでやると、収集がつかなくなるくらい興奮する。ユキヒョウはとてもジャンプが得意だ。成長したユキヒョウは十五m上の崖に飛び移ると言われている。猫じゃらしモドキを追って、スーパージャンプを繰り返す。
「もう、おしまい!」と言うと、俺の肩へと音もなくふわりと飛んで顔を洗った。
足が太く短く、走るのも早い。尻尾でバランスを取りながら走る様子は、とてもユキヒョウ歴五日とは思えない。
ハルは本当に羨ましいらしく、
『ねぇハナちゃん、どうやってお耳生えてきたの? 呪文とかあるの?』とか『なんか変わったもの食べた?』とか、ことあるごとに聞いている。
気持ちはわからないでもないが、二人の珍獣兄妹喧嘩なんて、お父さん止めるの命がけだぞ。
ハナはハルの質問には、しきりに首を傾げていた。
一度だけ『あーたんがよしよし、してくれたよ。ハナちゃん、はーいって言ったの』と言ったことがあった。
ハナの言う、あーたんはナナミの事だ。
ハナは驚くほどナナミの話をしない。時々思い出したように「あーたんは?」と聞いたりするが、もうすぐ帰ってくるよ、と言うと「はーい!」と言い、しばらくすると忘れてしまう。この話をナナミにしたら、きっと泣くだろうなと思う。俺だったら号泣だ。
だが、側にいてくれる、可愛がってくれる大人に懐き、いなくなった者のことは忘れていく。それが自分で生きていけない幼児には、必要なのだろう。ナナミもハナが自分を思って泣き暮らすことを、望みはしないだろう。
ハナの目は人の姿に戻っても、アイスブルーのままだ。色だけでなく、瞳孔も変化していて、何かをじっと見つめると、キューっと細くなっていく。夜目も利くようで、真っ暗な部屋でも平気で動き回る。
これはハルでなくとも羨ましくなるな。
ただ、日中はサラサスーンの気温は暑いらしく、人の姿と獣の姿を行ったり来たりして、夕方からは食事の時以外はずっと獣の姿でいる。
もふもふだもんな。
こんなにも獣の姿でいる事は大丈夫なのかとさゆりさんに聞いてみた。戻れなくなったりしたら大変だ。
「大岩の中は他の人の目がないから、パラヤやリュートも、小さい頃はあんな感じだったわ。そのうち恥ずかしいと思うようになれば、やめるから大丈夫よ」と言っていた。
パラヤはリュートの姉ちゃんの名前だ。
喉や耳の間を撫でると気持ち良いらしく、喉をグルグルと鳴らす。尻尾や耳を掴むと嫌がり、肉球はピンク色でぷにぷと柔らかい。喋る事はできなくて、こっちの言っている事は理解している。
びっくりすると飛び上がり、背中の毛を逆立てる。うむ、猫とほぼ同じだ。
ハナが変化する瞬間も、見ることが出来た。これはちょっと凄かった。ちゃんと途中が存在しているのだ。なんとなく、キラキラしたエフェクトや光に包まれて、ふんわりと変化すると思っていたら大間違いだった。
生々しく、リアルに人とユキヒョウが、ユキヒョウと人が混ざり合い、変化していく。進化の過程を超早回しで見ているようだ。
質量保存の法則については、もうわからないので諦めた。ハナがユキヒョウに変化した場合、三分の一くらいの大きさになるし、体重もそのくらいになる。
まあ概ねハナの変化についてはこんな感じだ。
俺が今一番の気になるのは、ハナがユキヒョウの姿で、耳の後ろを足でピピピピッと掻くことだ。
女の子があんな格好をして良いものだろうか。お父さん、できれば人前ではやめて欲しいです。頼むよハナ!
『ヒロト、いいところに連れて行ってやる」からはじまる閑話シリーズ。
第一弾 『ヤーモ』
「ヒロト、いいところに連れてってやる」
ある日ヤーモが大岩の家のドアを開けるなり言った。いつも眠そうに緩んでいる目が、パッチリと開いている。のんびり屋で大きな声を出すことも少ないヤーモにしては、珍しく興奮した様子だ。
「ハルとハナも連れて行く」
「なんだ? どこ行く?」
「アッサンテ。着いてからのお楽しみ」
「危険、ないか?」
「うん、大丈夫。少し遠いから、馬で行こう」
早く早くと急かすヤーモに、引きずられるように大岩の家を出る。そろそろ夕方の風が吹きはじめる時間だ。
「ヤーモ、日が暮れる。危険」
ユキヒョウ姿のハナを肩に乗せ、ハルと一緒にあくびで走る。ヤーモは馬で並走している。
「うん、もうすぐ月が昇る。そしたら、はじまる」
はじまる? なにが?
ヤーモが馬を止めたのは、大きな洞窟の前だった。
「行こう。あんまり時間がないんだ」
ヤーモは馬をつなぐと、さっさと洞窟の中に入って行った。
洞窟に入ってしばらく行くと、外の光が入らなくなり真っ暗になった。ピチョーンと水滴の落ちる音がして、ハルが俺の腹のあたりにしがみついてきた。
「おい、ヤーモーー」
「しーっ。ほら、はじまる」
ヤーモの言葉が終わらないうちに、ポッと小さな灯りがともる。淡く黄色いその灯りは、蛍のようにゆっくりと点滅を繰り返している。しばらくすると、まるで何かの合図があったみたいに、次々と灯っていき、柔らかな光の波が、寄せては返すように揺らめいた。
「この、光りはじめる時が、一番きれいなんだ」
肩に乗ってミューミュー言っていたハナの重量がズドンと増す。人の姿に戻ったのだろう。ハナ、首、首絞まってるから!
「ちれいー(きれい)! しゅごいねー!」
「すごーい! ヤーモ、ヤーモ! あれなあに? キノコ?」
ハナが日本語で、ハルが異世界語でそれぞれ歓声をあげる。
「ハルもハナも、しーっ。キノコがびっくりしちゃうよ」
ゆっくり点滅していた光が徐々に赤に変わり消えていく。警戒色なのか?
「うるさくしたから、おこってるの?」
「大丈夫、見てて」
ヤーモが物入れからサンポーニャを取り出した。サラサスーン地方の人たちがよく吹く、風の音にとてもよく似た笛だ。
低く、単純な音階を繰り返す。ゆっくりと辛抱強く、穏やかに響くその音は、どこかヤーモに似ている。
小さなキノコのまん丸い傘の部分が、ポウッと微かに光りはじめる。光のさざ波がゆっくりと揺れる。
やがて、キノコの傘の部分が珊瑚の産卵のようにたわみ、一斉に胞子を吐き出しはじめた。
パフンという気の抜けた音と一緒に吐き出されるオレンジ色の光の粒は、霞のように漂って消えていく。
ハナが息を飲むように「わー」の形に口を開く。ハルがしーっ、と口に指を当て、後ろから抱きしめた。
「この季節の、最初の満月の晩だけ見られるんだ。間に合って良かった」
ヤーモが囁くように言い、また笛を吹きはじめる。
俺たちはその天然の光のショーを、BGM付きで贅沢に、心ゆくまで楽しんだ。




