第六話 ビークニャの『クー』
ビークニャの子供は、おそらく春先に生まれた生後二ヶ月程度の女の子。体毛は濃い茶色だがこれは夏毛仕様らしく、モコモコ度も低めだ。冬になると真っ白な毛に生え変わり、ふわふわモコモコの毛玉のようになるそうだ。顔は短毛で真っ黒だ。
大人のビークニャは首が長いが、今はまだ子供なのでヤギっぽさが強い。名前はハルが付けた。
『クーニャ』。ビークニャのクーニャ。愛称は『クー』だ。一晩考えた割には単純だが、可愛いし呼びやすいので良い名前だと思う。
クーは、保護した時こそ衰弱していたが、三日たった今はすっかり元気になった。なかなか強い生き物だ。助けてくれたアンガーと餌をくれるハルに懐き、休憩の時などは『メェー』と鳴きながら後を付いて歩いている。
クーが歩くと、ロレンがくれた小さな鐘が、カランコロンと音をたてる。ハルはそれが嬉しいらしく、休憩のあいだずっとウロウロと歩いていて、ガンザに『ハル坊、休憩にならねぇな!』とからかわれていた。
まだ授乳期間中らしいが、残念な事にミルクは切れていた。今はチーズをお湯に溶かし、それに蜂蜜を入れたものをスプーンで喉に流し込んでいる。最初は嫌がったが、哺乳瓶がないので仕方ない。
母ビークニャの乳が恋しいのか、寝る前などはよくハルや俺の耳たぶをチュパチュパとしゃぶる。非常にくすぐったいし、よだれでべちょべちょになる。だが、クーのそんな仕草はとても可愛らしかったし、母ビークニャを恋しがる気持ちを邪険にできるはずもない。
ハルも『耳たぶがのびて、ふくみみになっちゃうよー』などと言いながらも、クーのやりたいようにさせていた。
ある晩、その光景をハザンに見られてしまい、俺たちの耳のことがバレてしまった。
ハザンは目を丸くして、
「ヒロト、それ、耳か? おまえら、跳びネズミか、黒目ウサギじゃなかったのか?」
と、戸惑うように言った。奇形とか障害とか、聞いてはいけない事情に口を挟むような、気遣いを含んだ、いつものハザンらしくない口調だった。
そんなハザンの優しさが嬉しくて、俺は偽耳の付いたフードを外した。
ハザンは更に目を見開いて、俺の頭頂部を恐る恐る撫でた。ハルもフードを外して、ハザンに耳を見せる。
クーがハルの耳を見て、嬉しそうに寄って行き、しゃぶり付く。チュパチュパと言う音に深刻さが薄れ、俺もハルも吹き出してしまった。ハザンのびっくりした顔が、かなり面白かったせいもあるのだが。
「ハザン、すまん。うさぎは嘘」
俺たち家族が、この世界の人間ではないこと、気づいたらサラサスーンの忌み地にいたこと、元々は猿が進化した生き物で、耳も尻尾も退化していることを話した。
ハザンは、
「なんだよ!うさぎじゃなくて猿だったんだな!」
などと、わかったんだか、わかってないんだか、判断しにくいことを言って笑った。
スマホを見せて、写真や動画で日本の街並みや、ビルや自動車、飛行機などを見せたら、ようやくこの世界とは全く異なる世界があることをわかってくれたようだ。
どーやって来たんだ?
そんなの俺たちにもわからない。
帰れんのか?
それは俺たちが知りたい。
迷子か?
そんなようなもんだ。
嫁さんはそんな状況でひとりぼっちなのか?
だから、早く迎えに行ってあげたい。
「バカヤロウ! 早く言えよ!」
怒られた。
顔を赤くして、どうやら本気で怒っているハザンに、俺とハルは顔を見合わせて笑った。あまり考えごとをしないハザンは、その分正直で、疑うすべもなく善良なのだ。
ナナミのそばにも、ハザンのような誰かがいるだろうか。大岩の家族のように、受け入れてくれる暖かい場所があるだろうか。
縮まらないナナミとの距離が、重くのしかかる。早くこの暖かい場所に、ナナミを連れてきてやりたい。そのためにできることなら、なんでもやろう。
だからナナミ、もう少し、待っていてくれ。




