第十二話 神さまの湖
ドルンゾ山に入って四日目。今、馬車は大体五合目くらいの所を進んでいる。馬車が通れる道はこの辺りの標高が限界らしい。道はこの後山肌を沿ってぐるりと回り込み、谷を渡りまたぐるりと回り込み、やっと下りへと差しかかる。まさに『山を登り、谷を越え』だな。
谷間の向こう側に、首の長いモコモコのアルパカっぽい動物の群れを見かけた。ハザンに聞いたら『ビークニャ』という動物で、毛は上等の毛織り物や、高級な毛糸の材料として高く売れるらしい。大岩の家に二匹くらい連れて帰りたい。さゆりさんは刺しゅうや編み物が好きなので、きっと喜ぶに違いない。
昼休憩の時、アンガーとヤーモが釣竿の手入れをしていた。聞くと、この先に大きな湖と集落があるそうだ。集落で一泊して商売をする予定で、細い道を外れ更に上を目指す。少し馬車と馬に負担がかかるが、ラーザへの行き帰りに、必ず寄る集落らしい。いわゆるお得意様なのだろう。
アンガーとヤーモは湖での釣りを楽しみにしているらしい。茜岩谷は乾燥地帯なので魚はほとんど食べることができない。シュメリルールの街は川が流れているが、食べられるほど大きな魚は住んでいない。俺は釣りの経験はほとんどないが、魚料理は楽しみだな。
この先更に道が悪くなると聞いて、卵を使ってしまうことにした。ミルクもそろそろ使わないといけない。ホットケーキでも作るか!
ベーキングパウダーも重曹もないので、まずは卵白を泡立てる。筋肉担当のトプルとハザンに手伝ってもらおう。
「混ぜる、シャカシャカ、ずっと」
説明して見本を見せる。
ハザンは『ずっとかよ!』と言いながらもシャカシャカと泡立てはじめる。この男はどうしてこう、刃物以外のものを持つと、不器用そうになるのだろう。トプルは何でも器用にこなすタイプだな。兄より優れた弟がここにいるよ!
卵白はあっという間に白くなる。ハンドミキサーより速い。さすが世紀末筋肉兄弟だ。角が立つようになったらメレンゲの出来上がりだ。
『卵をかき回しただけで、こんな風になるのか?』と、トプルが首を傾げていた。この男がお菓子作りを知らないのか。それとも、この世界全体が知らないのか。
小麦粉を泡立て器で混ぜてから(ふるう替わり)砂糖を入れて練った卵黄とミルクを入れてよく混ぜる。この中にメレンゲを入れ杓子でさっくりと混ぜる。まだらでも大丈夫なので、まぜ過ぎないのがコツだ。あとは煙がでるほど熱したフライパンを、いったん濡れた布の上にじゅうっと乗せてから、バターを落として焼く。
小さく切ったバターを上に乗せて、好みでハチミツかジャムをかける。カッテージチーズやホイップクリームを添えたいところだが、旅の空だ。我慢しよう。
バターの香ばしい匂いと、生地の甘い香りにみんなが集まってくる。珍しくロレンが先頭だ。
「おや、ホットケーキですか」とクールに言うが、尻尾がピンと立ってフルフルしている。ロレンは見かけによらず、甘いものが大好きだ。さゆりさんの『ヒロトとハルをよろしくお願いします』という手紙と共に渡したクッキーも、少しずつ大切に食べているらしい。他のメンバーはあっという間に食べた。ハザンなんか三口だったな。
それにしてもあの手紙は気恥ずかしかった。まるで小学生の頃の誕生会で姉貴に『ヒロトと仲良くしてあげてね』と、友だちにお菓子を渡された時のようだ。まあ、有難いんだけどな。
ハザンが『しょっぱいものも食わせろ!』とうるさかったので、じゃがいもとベーコン入りのパンケーキも作った。ポーンとフライパンを返す技を披露したら、拍手が起こった。拍手、この世界にもあるんだな。ロレンに聞いたら、意味合いも同じだそうだ。
昼メシを終えてお茶を飲んだら、いよいよ順路を外れて更に細い道を行く。馬車と荷物を気遣って、ゆっくりと進む。トプルとアンガーが先行して、道の大きな石を取り除いているらしい。馬車は歩く速度と同じくらいなので、俺とハルも降りて歩くことにした。ハルは道端の小さな白い花を摘んだり、変わった形の石を拾ったりしてご機嫌だ。
俺たちが呑気にハイキング気分で歩いていたら、心配になったらしいハザンが馬車から降りてきた。この辺りでも季節的には狼の縄張りになるらしい。狼は薄暮性なので昼間はあまり狩りをしないんだけどな。
三時間ほど歩くと葦のような背の高い草に覆われた、湖が見えてきた。
一気に視界が開け、連なる山々が湖の向こうに見える。空が低く雲が近い! 静寂を絵にしたような、凪いだ湖面にゆっくりと流れる雲が映り、反射した太陽のまぶしさに目が眩む。
この世界は、なんて美しいのだろう。
ハルが『おとーさん、すごくきれいな湖だね! 神さまが作ったみたいだ!』と眩しさに目を細めて言った。




