第二話 勇者のいない世界で
ここは『パスティア・ラカーナ』。日本語で言うと『羽ばたく鳥』という意味。そういう名前の大陸だ。地図で見ると、なるほど羽を広げた鳥に見えなくもない。右下に頭があり、左右に翼、左上に尾羽。
シュメリルールの街や、大岩の家がある茜岩谷地方は、鳥の翼の付け根ありに位置する。ここから街道を西に向かい、キャラバンは途中いくつかの村を経由し、ドルンゾ山脈を越えていく。
「みてみて! おとーさん、すごくきれいなお花畑があるよ!」
ハル、あの花毒あるからな。絶対近寄っちゃダメだぞ。あの花畑に足を踏み入れたら、三歩で倒れて、十秒で死ぬらしいぞ。茜岩谷では紫色は危険色だからな。たいてい毒がある。
「おとーさん、でっかいフンコロガシだよ! あのフン玉、バスケットボールくらいあるよ!」
うんうん。すごいな! フンコロガシもハルの頭くらいあるな。昆虫がでかいって、お父さんちょっとダメかも。
「わー、すごく甘い匂いがするねぇー! あのサボテンかな?」
あの禍々しいサボテンな、歩きサボテンっていうんだ。うん、そう、歩く。誘われちゃダメだぞ! 溶かされちゃうから。
「ハリネズミがいるよ、かわいいねー! 親子だよ、おとーさん!」
うん、かわいいよな。でもあのハリネズミ、すげぇ勢いで転がるんだ。体当たりもしてくる。油断できないんだよなー。
「ねーねーおとーさん、あそこ、もくもくしてるよ。 あれなーに?」
あれは谷角牛の群れだな。ドカドカ走るから、土煙りが上がるんだよ。さゆりさんがハンバーグ作ってくれたろ? アレがそうだ! 美味かったよなー。でっかいツノがあって力持ちだけど、意外と小くて大型犬くらいなんだよな。
シュメリルールの街から三十分くらい馬車で走ると、様々な動物を見かけるようになる。この世界に降り立って約二か月、わかったことがある。どうやらこの世界には魔物も、魔王も、そして勇者もいない。いるのは地球とは少し違った、面白かったり危険だったりする生き物だ。
「おまえら、異国人だったよな。なに言ってるのか、全然わからねぇな。どのへんの言葉なんだ?」
幌の下から、御者席のハザンの声がする。物珍しい茜岩谷の動物に、ハルがはしゃいで、つい日本語での会話が大声になっていた。
どこ、言葉、異国人。おそらく俺たちの言葉を聞いて、出身地を訪ねているのだろう。
「島、小さい、東」
図書館で調べて、リュートとも打ち合わせした設定だ。この大陸の東には、大小さまざまな、言葉も文化も違う島が、数多くあるらしい。
「ああ、大陸の東の方に、小さい島がいっぱいあるらしいな。すげぇな! 海を越えて来たのか」
海どころか、時空だか空間だか、よくわからないものを越えてきた。
「船、壊れた」
「そりゃあ、難儀なことだな。嫁さん、探してるんだっけ?」
嫁、探す。うーん、あとはわからない単語ばかりだ。
「行方不明の妻を探しています。妻は海辺の街にいるはずです」
『ユン(嫁)』という単語が出てきて疑問形で話しかけられたら、大抵これを言っておけば通じる。シュメリルールの教会で四苦八苦して、学んだ。あの日の俺、ありがとう。
「お!? なんだよ、急に流暢だな!」
ハザンも笑いながら納得してくれたようだ。練習した甲斐があったな。
このハザンという大男は、イヌ科のピンと立った三角耳を持っている。ギラギラと肉食獣そのままの金色の瞳と、大きな口。赤ずきんちゃんをがっぷりしてしまいそうだ。だが、顔中を笑い顔にして、その大きな口でニカっと笑う。なんとも隠し事の出来なさそうな男だ。
それでなくとも、イヌ科の人たちはストレートな人が多い。隠そうとしても尻尾が振れてしまうらしく『尻尾を握ってから挑む』という言葉があるほどだ。交渉ごとや、駆け引きには向かない人種だろう。年上だったら『親分』とか『大将』とか呼んでしまいそうだ。
「坊主、これ食うか?」
下からポーンとオレンジ色の木の実が投げ上げられてきた。リムラの実。種が大きく食べるところが少ししかないが、乾燥に強くシュメリルールの街のそこら中に生えている。種の中身を漬物にしたものは、茜岩谷地方のおふくろの味だ。
「わ! タカーサ(ありがとう)」
ハルの手の中にスポンと収まる。ナイスキャッチ。見えてないのに、すごいなハザン。
「でも坊主じゃないよ。ハルだよ」
ハルが日本語で俺に言う。
「うん。そう、言ってみれば?」
ハルが意を決したように頷く。がんばるハルの表情に、俺まで少し緊張してくる。
「ぼうず、ちがう! ハルだ!」
「そうか! ハルか。ハル坊主だな!」
ハザンの大きな笑い声が響き、前の馬車からアンガーが顔を出した。
馬車は軽快に街道を走り、土煙が風に流れてゆく。




