第十二話 プロローグ〜大岩の壁の上で〜其ノ三
「おとーさん、ドルンゾ山はどっちの方向?」
「シュメリルールまで行ってから、街道を西に向かう。あっちだな」
太陽が顔を出しはじめた方角と、反対側を指さす。地平線を見つめるハルの横顔は、思わず二度見してしまうほど、ナナミによく似ている。
近頃のハルは、俺の服の裾を掴まなくなった。まっすぐ前を向いて俺の隣に立つ。手を取って歩こうとすると、すっと離れていく。この世界に飛ばされて来たばかりの頃は、いつも俺の脇腹のあたりにしがみついていたのに。
日本に住んでいる頃、当たり前のようにハナを片手で抱き上げ、ハルの手を取り歩いた。隣にはナナミがいて、腕が疲れるとハナを渡したり、荷物を受け取ったりした。
様変わりした周囲の状況に負けることなく、ハルは一人で歩くようになった。ハナもそのうち自分で歩くようになるだろう。変わっていく、それでいい。でも、変わらないものも、きっとある。四人揃ったら、きっと見つかるはずだ。
その、変わらないものを探しに行こう。俺たち家族の、大切なものを。
俺とハルは、旅に出る。大岩の家に、ハナを置き去りにして旅に出る。ナナミを探す、旅に出る。
俺がいなくともハナが泣かずに、笑って暮らしてくれると良いなと思う。俺が帰って来ない事で、ハナが泣き叫んでしまえばいいと思う。
我ながら病んだ父親だ。
「そろそろ行くか?」とハルに聞くと「おとーさんを待っていたんだよ」と返された。
寝顔でもいいから最後にハナの顔を見ようかと思い、やめておく。出掛けられなくなりそうだ。二本目の煙草を消してから、岩壁の縄ばしごを降りる。
この世界に飛ばされて来た日に着ていた、Tシャツにジーンズ。爺さんお手製の編み上げブーツの紐をぎゅっと結びなおす。革製のベルトに、スリング・ショット入りの小物入れを通し、腰から下げる。ポンチョを羽織ってから、ハルの装備を確認する。コスプレのような格好だが、ここ茜岩谷地方では一般的な旅装だ。
荷物を馬に乗せ、大岩の入り口へと歩く。
壁の、未だに謎のままのギミックが、ゴゴゴゴーっと、びっくりする程大きな音を立てて開く。たぶん、全員が同じことを考えている。
『ハナが起きちゃったらどうしよう』
四人で同じ方向を見て咄嗟に顔を見合わせて、なんだか全員でうなずき合う。
同じ心配をして、まるで、家族みたいに。
さゆりさんが、膝を折りハルを抱く。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「元気で帰って来い」
爺さんが、いつも通りの口調で言う。
「行ってきます。ハナを、よろしくお願いします」
特別なことは誰も、何も口にしない。当たり前の朝の、出かける前の挨拶のみ交わして。
「じーちゃん! ばーちゃん! 行ってきまーす」
ハルは手を振り、俺は軽く頭を下げる。
俺たちは今日、ナナミを探す旅に出る。『海辺の街の教会』という、ほんのわずかな情報を頼りに。
昇り始めた朝日を背に、俺とハルは、ようやくはじめの一歩を踏み出した。




