第十一話 旅支度
旅支度も三度目ともなれば、ずいぶん手慣れたものになる。だが今回は荷物の制限がキツイ。今までは馬車の旅だったので、多少荷物が増えても問題はなかった。調理器具や食材もロレンが用意してくれていた。今回持って行けるのは、本当に最低限の物だけだ。
パラシュは力持ちだが、あまりたくさんの荷物を積めない。独特の歩行の邪魔にならないようにするには、あまり身体に荷物をぶら下げる訳にもいかないのだ。超撫で肩なので肩にも掛からない。
ハナはユキヒョウの姿になれば、若干大きめの猫くらいの大きさになる。俺の肩にでも乗せておけば大丈夫だろう。
「おとーさん、クーを連れて行こうよ。もうぼくを乗せて走れるんだよ」
クーは最初の旅でドルンゾ山から連れ帰った、ビークニャの子供。アルパカに似たモコモコで、とても辛抱強い生き物だ。クーは今、生後七~八か月くらい。人間でいうと高校生くらいだろうか。線は細いがずいぶん大きくなった。
「クーはまだ子供だからなぁ。旅に連れて行くのはかわいそうじゃないか?」
「ヤーモが、クーが食べる草や木の実はぼくたちが食べても平気だから、連れて行けって言ってたよ」
それは何とも抗い難い提案だ。この世界には食べるとヤバイものが多過ぎる。
クルミちゃんはお留守番予定だ。
「家族の感動の対面とか、ぜひこの目で見たいんだけど、今は大岩の家を離れられないんですよねー」
クルミちゃんは今、巣から落ちていた卵から孵った、谷大鷲のヒナを育てている。カパーっと口を開けてエサをねだるヒナに、畑の隅をほじくり返してミミズを探すのに忙しいらしい。餞別にと、俺たちのポンチョになんとも個性的な、谷大鷲のアップリケを付けてくれた。
谷大鷲は、谷角牛の子供を持って飛ぶくらい大きくなる。あくびといい、これ以上大岩の家に危険生物が増えて大丈夫だろうか。
でも、怪鳥と大トカゲの戦いとか、ちょっと胸躍る。実際戦ってもらったら困るのだが、軽いスパーリングくらいなら見てみたい。
ザドバランガ地方の事を色々調べたり、聞いたりした。俺の絵を、委託販売してくれている本屋のご主人のトリノさんが、ザドバランガ出身だったので、色々教えてもらった。
「ザドバランガは雨が降るんだ。雨具を持って行った方がいいぞ。生水は絶対に飲むなよ。必ず腹を壊す。竹林があってな、なかなか風情がある。ぜひ描いてきてくれ。あ! 豚がいるぞ」
美味いらしい。乾燥地帯にはイノシシや豚は生息していない。
耳なしについても聞いてみた。
「耳なし? うーん、子供の頃は『いい子にしてないと耳なしが来るぞ』って言われたな。あと、祭りでは耳なし退治の演目がある」
地球での悪魔とか悪い妖怪とか、そんな感じだろうか。
「ザドバランガの教会だと、神を裏切ったみたいな教義になるから、近づかない方がいい。注意は必要だが、まあ気にするな。突然襲われたりはしないさ」
と肩を叩かれた。これは完全にバレているな。あと、教会が目的地だ。
「知ってたのか?」
一応聞いてみる。
「隠してたのか?」
逆に聞かれた。
「耳なしってのは、何なんだ? 本当に使徒様なのか?」
「耳はここ、ある。そういう種族なだけ。故郷ではこれが普通だ」
「そうか。俺はおまえさんの絵がもっと見たいだけだから、使徒様でも構わんよ。ああ、でも、火は吹かないでくれ。この店はよく燃える」
本屋だからな。トリノさん的には会心のギャグだったらしい。にやりと得意そうに笑った。
「俺にそんな能力はない」
俺が吹き出し、ハハッと笑いながら言うと、
「そうか、良かったよ」
と言った。俺が火が吹けないからなのか、会心のギャグに笑ったからなのか。トリノさんは、少しほっとしたように見えた。
委託してあった絵の代金を受け取り、画用紙を買う。出発前にもう一度寄る約束をして本屋を後にする。
しかし雨具か。サラサスーンには雨がほとんど降らないので、雨具は見た事がない。どうにか考えないといけないな。
図書館に行き、ザドバランガ地方の事を調べる。気候や地形、危険生物や植物の分布。治安や野営した場合の危険度、物価や宿の相場。日本でふらりと温泉に出かけるのとは訳が違う。調べなければならない事も、備えなければならない物も、山ほどあった。
今までの旅で、どれだけ自分がお客さんだったのかを、思い知らさせる。
ロレンが一日の流れを決め、危険な時はハザンが前に立った。ガンザが先を歩いて狩りをして、ヤーモの鼻はどこにいても食えるものを見つけた。
本の山に囲まれて、ついため息が漏れる。
『難儀な人ですねぇ』
ロレンに言われた事がちらりと頭を過る。
一人前になりたくて、足掻いていた頃を思い出す。もう十年以上前の、若造だった自分だ。格好をつけて実力以上に見せたくて、必死でイキがった。思い出すと身悶えるほど恥ずかしく、それでいて忘れられない熱があった。
今俺が感じている熱は、あの頃と同じものなのだろうか。それとも、年甲斐もなく、あの頃の自分と同じような事をしようとしている自分を、ただ恥ずかしく感じているのだろうか。
無茶をするなら、出来る事は全てやろうと思っている俺は、やっぱりあの頃とは少し違うような気もするが。
「ヒロト、いいところに連れて行ってやる」からはじまる閑話シリーズ。
第六弾 『ハザン』
「ヒロト、いいところに連れてってやる」
ある日、ハザンが大岩の家のドアを開けるなり言った。
そうか、とうとうハザンの番なのか。こいつに連れて行かれる場所なんて、R指定の場所しか思い浮かばない。
「ハルとハナとクルミも行くぞ! 用意しろ!」
子供が一緒で大丈夫なのか?
「用意、必要はなに?」
「着替えと手ぬぐいだな! どこへ行くかはまだ内緒だ」
風呂じゃねぇか! もうバレちゃったよ。
「男、女、一緒か?」
「あん? 全員子供じゃねぇか。問題あるのか?」
クルミがぷーっと膨れる。
「私、子供、違う!」
「ぼくも子供、違う」
いや、ハルは子供だから。つーか、お父さん、まだしばらくは子供のハルくんでいて欲しい。
クルミは『乙女の肌は、そう簡単には晒せない』と、不参加を表明。ハルは乙女じゃないので行く事になった。
ハザンが『なんだ、クルミは生理日か?』と、デリカシーのかけらも感じられない質問をして、クルミに飛び蹴りされていた。
乙女、どこ行った。
道中ハザンが頻りに『なんでバレたんだろう』と言っていた。
それがわかるようになったら、嫁が見つかるかもな!
しかし、茜岩谷は乾燥地帯だ。温泉があるとも思えないな。シュメリルールに公衆浴場があるとも、聞いたことがない。
さて、太陽が中天を過ぎ、気温が上がってくる。干からびる前に、目的地に辿り着きたいところだ。
「見えてきた! あそこだ!」
ハザンが指差した先には、干上がりかけた水場があった。
茜岩谷のほとんどの水場は、地下水脈から湧き出した泉だ。気まぐれに移動したり、干上がったり、突然湧き出たりする。乾燥地帯の割に動物が多いのは、この水場の恩恵に他ならない。
さて、干上がりかけた水場である。昼日中の太陽に照らされて、ほっかほかのドロドロだ。ハザンがいそいそとポンチョを脱ぎはじめた。
えっ、ここなの? 風呂じゃないの? ここにドボンしちゃうの?
ハザンがハルとハナを捕まえ、あっという間にポンチョとブーツを剥ぎ取ると、両手に抱えて『いっくぞー!』と叫んだ。
ドップーン!!
どことなく粘着質な音と共に、二人の歓声が響く。どちらかというと、ハルのは悲鳴に近い。
ハザンの腰ほどの深さの泥沼だ。ハナは背がつかないだろう。慌てて俺もポンチョとブーツを脱ぐ。
見ると、ハザンがハルとハナを背中に乗せて、泥の中を犬掻キで泳ぎはじめた。
まあ、ハザンがハルとハナを、危険な目にあわせる訳ないか。俺は片足だけを泥の中に突っ込み、この後どうするか途方に暮れる。
湯煎にかけたチョコレートのようだ。暖かくトロトロとした泥が、足の指の間を通る感覚は、気持ちいいのか悪いのか、判断に迷う。
ハナがユキヒョウの姿になり、浅瀬を転がりまわっている。ハルは、バタフライで泳ぐハザンの首にしがみつき、今度こそ歓声を上げている。二人とも頭からドロドロのデロデロだ。
俺はこの後の洗濯の手間を考え、シャツを脱いでから、思い切って泥の中に沈み込んでみた。
トロトロの暖かい液体に全身で浸かるなど、初めての経験だ。服のままというのがまた、背徳感のようなものを刺激して、形容しがたい感覚が込み上げてくる。つまり、やたらと、テンションが上がるのだ。
雪の日に、誰もまだ歩いていない道に、足跡をつける楽しさと似ている。似ていながら、正反対とでもいえば良いだろうか。自分を汚す快感、開き直った気持ち良さ。
しかしハルとハナを見ていると、大人であることが残念で仕方ない。これは子供の頃にやってみたかった。きっとたまらなく、楽しい。
肩まで泥に沈み込んだ、中途半端な姿勢のまま、自分の限界を思い知る。俺にはとてもハザンのように、泥の中からトビウオのように飛び出したり、鼻から泥を吹き出して見せたりなんてできない。それで得るものより、失うものの方が大きい気がする。
ハザンが、子供たちと同レベルか、それ以上に楽しんでいるのを横目で眺めながら、俺はこっそりと、平泳ぎを楽しんだ。




