第五話 猛特訓
「ヒロトのくせにやり返そうとかしてんじゃねぇ! 避けろ! 防げ! 守れ! 受け流せ! バカヤロウ! 目つぶるな! 」
猛特訓中だ。
「切ろうとするな! 殴れ! 大振り過ぎる! 脇締めろ! そう! 隙が出来たら引け! 目を逸らすな! バカヤロウ! 背中向けてんじゃねぇ!」
もう、ボロクソだ。そしてボロボロだ。
「ハザン、休憩、も、無理」
仰向けに倒れる。ああ、空が青いな。
「とーたん、あい!」
ハナが俺の顔を覗き込み、ビシャビシャに濡れた布を被せる。
ああ、冷たくてめっちゃ気持ちいい。でもハナ、お父さん息が出来ないかも。
どうにか上半身を起こし、ハナを抱く。
▽△▽
あの日、なんとか大岩ファミリーに、旅立ちの承諾を得た。リュートは最後まで、俺はヒロトの家族だから一緒に行く、と言い張っていた。妊娠中のラーナを置いて行ける訳ねぇじゃねぇか。アホか。
つぎはキャラバンの連中に話を通そうと、シュメリルールに行って全員集めた。ロレンの店の会議室っぽい部屋で、
『ナナミらしき耳なしがいる街、または確実に手紙が届いた街の教会』が特定出来次第、三人で旅立つつもりでいる事を伝えた。
まぁ、多少は反対されるだろうとは思っていた。俺の戦闘力なんて、あいつらに比べたらないみたいなもんだ。
大反対だった。
「俺の大事なハルとハナを危険な目に合わすつもりか!」と、ハザンに言われた。
誰がおまえのだよ。ハルもハナも俺のだ! それだけは譲らん!
自分の嫁を迎えに行くのに護衛付きじゃ、格好つかねぇじゃねぇか。
そんな風に言ってみた。
「今更ですね。ラーザも、ポーラポーラも、ちゃんと商売になりました。ザトバランガ地方は、おいしい匂いがします。ヒロトのためじゃありません」
ロレンが言った。ツンデレ気味な応えになってるぞ。
「ハナを連れて行きたい。どうしても」
商会の立場としては、許容出来ない話なのだ。ロレンが口籠る。
ロレン、俺はおまえを言い負かしたい訳じゃないんだ。上手く説明出来ないけど、願掛け、とか大切な儀式、みたいな気持ちに近い。
ナナミを家族揃って迎えに行く。この世界に飛ばされて来た日から、そうしたいとずっと思っていた。でも、それは余りにも、余りにも無謀が過ぎた。言葉もわからず、身を守る術もなく、移動の方法すらなかった。
まだ万全には程遠い。だが、万全なんて、きっとずっと無理だ。無茶も危険も承知の上で、それでも俺は、三人で旅立つ事を望んでいた。
「まぁ、ヒロトの気持ちは、みんな本当はわかってるさ」
ガンザが言った。
「おまえら、惚れた女を迎えに行くのに、誰かの手が借りたいか? 仕事のついでに迎えに行く、それでいいのか?」
ヒロトの男の意地、通させてやれよ。今のヒロトなら、きっとハルとハナを守れるさ。信じてやれよ。
▽△▽
そんなやり取りの後の、この特訓である。俺に拒否権はない。この後、アンガーによる武器を使わない徒手空拳の特訓が待っている。その後は、トプルの防御術の為の足捌きの練習。
まだまだ終わらない。ヤーモとガンザのサバイバル術の訓練、ロレンのこの世界の常識と詐欺師や拐かしへの対抗策の座学。
繰り返し言うが、俺に拒否権はない。
ああ、空が、本当に青い。
「ヒロト、いいところに連れて行ってやる」からはじまる閑話シリーズ。
第三弾 『アンガー』
「ヒロト、いいところに連れてってやる」
ある日アンガーが大岩の家のドアを開けるなり言った。骨折がようやく完治したらしく、心なしか晴れ晴れとした表情に見えないこともない。アンガーの表情は相変わらず読みにくい。
「ハルとハナも連れていく。あとクルミも」
またこのパターンか。
「どこ行く?」
「いいもの見せてやる」
アンガーはそれだけ言うとふわりと笑った。
「ほわぁー」
クルミちゃんが妙な声を上げた。
「あら、やだ」
さゆりさんが口に手をあてて見惚れる。
アンガーは本当に滅多に笑わない。その貴重な笑顔はキャラバン内で『シロヤマユリの花がほころぶよう』と称されるほど可憐だ。本人はどうやら笑うと幼くなり、女の子のような顔になることを気にしているらしい。
二人の反応にアンガーが憮然とした表情になる。まったく、そういうところも可愛いんだから!
「ほらほら、行こう! クルミ、ちゃんとした靴履いて。ハル、ハナ行くぞ!」
ぶーたれたアンガーも促して大岩の家を出る。
ハルはクーに乗り、俺とクルミがあくび。ハナはまたユキヒョウ姿で俺の肩だ。長い尻尾をクルミがもふっている。
「ハナの尻尾はたまらんね~。あーたまらん。くぅ~」
サウナの後にビール飲んだ時の、ナナミみたいなこと言ってる。クルミは最近、ようやく俺たちに対する敬語が抜けてきた。俺も意識的に気安く接する。家族ごっこも本気でやれば、けっこう本物っぽくなるものだ。クルミはまだ十二歳。異郷の地で他人に囲まれた暮らしが、平気な年齢ではない。
俺が考えごとをしているうちに、目的地に着いたらしい。アンガーが馬から降りて、手綱を岩サボテンに繋ぐ。
目の前には『ドーン!』とSEが聞こえそうな岩山がそびえている。もしやここを登れと言うのだろうか。
「着いた。登ろう」
言った。
「大丈夫、ほら」
アンガーが指差す方を見ると、縄バシゴがかけてある。
「クルミは俺が背負う。ハルはヒロト。ハナは大丈夫だな?」
ハルが口を尖らせて言う。
「ぼく、自分で登れる」
「私は無理です! アンガー、マッセトーヤ(よろしくとかお願いねという意味)!」
おお、潔いな! クルミは本当にためらわない子だ。決断が早い。
ハナが俺の頭を蹴って、岩山の足場へと跳んだ。尻尾を左右に振り、楽しそうだ。ハナ、今ガリってなったから! 爪、頭に食い込んでお父さん流血してるよ。
まったく、ユキヒョウ幼女の父親も楽じゃないな。
アンガー、ハル、俺の順番でハシゴを登りはじめる。ハル、下見るなよ! ハナはあっという間に頂上付近までたどり着き、人の姿に戻って裸で手を振っている。
ダメ! ハナ、危ないから人間ダメ! 早くユキヒョウに戻って!
ハルが歯を食いしばって必死にハシゴを登ってゆく。近頃のハルは時々こんな風になる。自分がハナよりも足手まといかも知れないとか、ハナちゃんズルイとか、でもハナちゃんはぼくが守るとか、色々葛藤があるらしい。少年の悩みはかくも眩しくほろ苦い。
汗だくだくになりながら、ようやく頂上に登り切る。先に着いていたアンガーとクルミが、低木に身を隠すようにうずくまり、手をひらひらとさせながら俺たちを呼ぶ。
見ると、洞窟があり、中から茶色い毛の塊がポロポロと飛び出してくる。
谷子猫の親子だ。谷子猫は、子猫のように小さい猫で、岩山や洞窟に住んでいる。それはそれはキャルカ(可愛い)な動物なのだが、臆病で用心深い性質なので、なかなか近くで見ることができない。ましてや子供連れなど初めて見た。
親でさえ地球産の子猫サイズ。子猫はマグカップに入るだろう。親猫の尻尾にじゃれついてはコロコロと転がっている。これは眼福だな。
クルミちゃんが真っ赤になって、口をパクパクして身もだえる。
(触りたい手のひらに乗せたいスリスリしたぃぃぃ!)
(ちっちゃくて、ふわふわだ! だっこしたい!)
(かーいーねー。ハナちゃんもだっこしたい!)
いつの間にかまた人の姿に戻っているハナに、物入れからポンチョを出して被せる。
(二、三匹捕まえて帰るか?)
アンガーが三人に聞いた。
一瞬目を輝かせた三人は、幸せそうにじゃれ合っている岩子猫を眺めてから、
(ダメ、そんなの可哀そうだよ)
(うん、見てるだけでいい)
(ハナちゃんも、がまんしゅるよ)
と、口々に言った。
岩子猫はしばらくの間、ふくふくと膨らみながら日向ぼっこをしてから、やがて洞窟の中に戻って行った。
「また来よう。そのうち仲良くなれるかも知れない」
アンガーがそう言うと、三人は間髪入れずに声をそろえて言った。
「「「うん、また連れて来て!」」」




