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ラストボクサー

作者: 三好英治

ちょっとした偶然から始めたボクシング、まったくの素人が年末最大のボクシング大会に出場するまでの「68歳の挑戦」物語。

ラストボクサー

三好英治

 何も言わず、何も喋らず、じぃ-と静かにテレビ画面を見つめている自分がいる、退職して半年近くになるが毎日この繰り返しだ、しかしすることが無い、このままで良いのだろうかとふと考えてしまうが仕方がない、しかしいつものようにテレビに噛り付いて見ているがテレビの民放番組の朝のワイドショーって内容が各社似通っているがすっぱ抜きや特ダネは殆ど無いように思える、しかし最近感じることは民放に比べてNHKの放送内容が非常に良くレベルが高いように思われる民放の方が自由な発想が出来る筈なのにNHKに放送内容が負けている様に思う、今までお堅いイメージだったが最近ユーモアとウィットにかけては天下一品と感じるのは自分だけだろうか?たとえば100語でスタート英会話に出てくるジョウージ ウィリアムズの軽妙な司会と番組運びスーパーコーパスとの掛け合いや番組に登場するマイクとエドワードのユーモア溢れる会話が非常に印象的だ、これは語学番組としては超一級品だ、またLIFE!~人生に捧げるコント~も今までになかった最高にウィットが効いた番組になっている、また、革新的な番組である浜田 岳が司会する見る落語 超入門 落語the Movieも最高だ、この様に民放を超えた番組造りをしているNHKが大好きだ、ふとこんな事を考えている時に妻が台所に入ってきた、「ねぇ、テレビばかり見ているとボケるわよ、これから先の事考えているの?あんた、もう幾つになると思ってんの、この10月で66歳よ、そろそろ先の事考えたらどうなの?介護が必要になったら、あたしも病弱だし、あんたの面倒みれないわよ」と真剣な顔で言ってくるが自分がまだ介護のお世話になるような事を毛頭も考えてもいないし自分の妻の発言には立腹したが若い頃の様に喧嘩をする気力もなかった、しかたなく妻に散歩に行ってくると家を出たが歩きながら妻の言葉が頭をよぎる「介護か、他人事の様に思っていたが目の前に自分自身に迫っているとは思いもよらなかった、しかし妻の言葉にも一理あるように思えてきた妻は最近まで入退院を繰り返しており確かに病弱だ、これから先妻に迷惑をかける訳にはいかないと真剣に考える時がきたような気がした、下を少し俯きながら「介護施設がどんなものか?幾らぐらいの費用が掛かるものか?知っておくのも大切な事の様に思えてきた、考えながら歩いて行くうち琴電瓦町駅の前まで来ていた、目の前に大きな商店街があるが一昔前まで、ここは高松市の中心街で大変賑わっていたが今や寂れてシャッターを下ろしている店も増えてきた、世の中の変化の早さを感じる、また商店街を歩いていると誰かに会った時代、ああー、あの人は靴屋のご主人だ、あの人は映画館の社長だ、あのおばさんは散髪屋の人だとか、しかし最近は、そういう人に会う事が無いし歩いている人の世代迄が変ってしまっている、こんなところに介護施設などあるのだろうか?有る筈がない、商店街を入って直ぐ左に沢山ポスターが貼ってあったが全てリハビリテーションに関するようであるポケットに手を入れて老眼鏡をさがした、しまった慌てて出かけたものだから忘れてしまった、階段の両側にも沢山貼ってある間違いない足を伸ばしたり手を伸ばしたりリハビリをしている写真だ、しかし老眼鏡がないのでポスターの字が読めない、まぁいいか中の施設の方に内容を聞いてみよう、そして二階のドアーを静かに開けると大音響でエアロスミスのハードロック音楽が部屋いっぱいに流れていた、50畳ぐらいの広さの部屋で床は真黄々右側には一面鏡張りになっている、そしてその奥にはたくさんのトレーニング機器がおいてある間違いない設備が整った介護施設だ、そう思ったとき奥の方から少し背の高いロングヘアーの介護職員がやってきた、「ああ、どうもどうも見学にやってこられたのですか?さぁー靴を脱いでおあがり下さい」と、まぁー何て愛想の良いとこなんだ最初から良いところに来たと思った、そして「入会をご希望ですか?」と聞かれたので「えぇ、介護」と言いかけたら「もちろん、毎日の練習で基礎体力が養われます」と「今からでも、そんな事は可能なんですか?」職員は、「それは、我々がサポート致します」、「やったー」と自分は思った、職員は、「両桐と申します、これから入会手続きをしていただきます、この用紙に住所、氏名、年齢を記入していただけますか?」、「ええー、今ここで書くんですか?」と返したが「書いて頂いた後に写真を撮らしていただいて入会完了です」とその雰囲気に飲みこまれながら用紙に記入し写真を撮った、職員はそれでは練習を始めましょうか?、「両手の拳を顎位に上げて、そうそう、左足を前に右足を45度下げて構えます」、「こうですか?」、「はい、そうです、左手をゆっくり前に出して、そして引きます、これがジャブですね」、「えぇー、ジャブってボクシングの?」、「はい、そうですよ、ジャブの基本的な打ち方です」、「いゃー自分は介護施設を探しに」、両桐は「いゃー、三浦さん、もうこれで介護施設のお世話になることは無いですよハッハッハッー」と誇らしげに言った、「さぁー、次は足を一歩前へ進んでジャブ、ストレートと同じ事をやりましょう、うん、そうそう良いですよ、最初にしてはなかなか良いですよ」、10分程して息が切れてきた日頃の運動不足が響いているようだ、しかし、この様なボクシングの経験は初めての事だが何か今まで使っていなかった筋肉や脳細胞が目を覚ましたような気がした、両桐先生が「じゃぁ、この辺で本日は切り上げましょうか、三浦さん、自分が担当している教室は水、金、土、日の週4日です、後いつでも練習をしたければフリータイムで自由に練習ができます、そして月謝は月8.000円で月末に銀行引き落としさせていただきます」と言った、その時他の練習生が3~4人中に入ってきた、両桐先生が「ハッハッハッーちょうど良いところに来られました、皆さん紹介いたします、新入生の三浦さんです」と紹介された、「損田です、海北です、佐々木です、志尾です」「三浦です、宜しくお願いします」と答えた、損田は三十歳後半に見え好青年のように思えた、海北はまだ高校生で大変なイケメンだ、志尾は三十歳半ばの志度方面から通うこれまた大変美人の練習生だった、もう一人佐々木を紹介された元防人の自衛隊員で30歳後半に見えた、大変読書家で何事にも見識豊かな青年だった、三浦は今まで使っていなかった筋肉の傷みを覚えながら出口まで来たら、両桐先生が万年の笑みで「ハッハッハッー今日は有難うございました」と見送ってくれた、この両桐先生の笑い声で迎えてくれ笑い声で見送ってくれる格闘技ジムは他ではあり得ないし、まぁーなんて愛想の良いとこだと感じた、ジムの中では志尾が両桐先生に「あの方お幾つなんですか?」「66歳だそうです」「先生、ジムの最高年齢を大幅に更新したじゃないですかジムの練習中に死んだらどうするんですか」「ハッハッハッーいやー、大丈夫ですよ、ジムはそんなに甘くない二~三回来たら直ぐ辞めますよ」と自信ありげに言った、三浦は帰る道すがら久しぶりに体を動かし関節の節々が痛く感じたが爽快な感じがした、自分の人生を振り返った時に一度でもこんな事をしたことがあっただろうか?若い頃から勉強は大嫌い運動という運動は何一つしたことの無い本当の怠け者の人間だった、反省するばかりだ今日の体験は今からでも遅くない努力しろとの天からの声かもしれないと思い何が何でも死ぬまでやり抜く決意をした、暫くして自宅に着き玄関のドアーを開け中に入った、家内が迎えてくれて「今日はどうだったの?」と聞かれ「入会してきたよ」と答えた、「もう、入会したって、いつから?」「今日から」「どんなとこだった?」「親切な先生がいてリハビリの運動の仕方や、運動によって新陳代謝を良くし病気にならない方法とか我々の年代の方の大半が入院しているか何らかの病気で通院している人が殆どだが、いかに病院のお世話にならないで健康を保持するか教えてもらった」「わぁー、それ凄いじゃない、いいとこ見つけたわね、なんてぃとこ?」「メンカツ道場」「道場って、施設に

そんな名前つけるの?」「施設というよりボクシングジムや」「あんたアホと違うの。介護が必要な老人がそんな事をしたら死にに行くようなものじゃない」「そんな事を言うたって両桐先生が愛想が良すぎて」「何言うてんの、そんなとこ断りまい」と言う会話が延々と続いた、しかし三浦は引かなかった、そしてジムに行く前には近くの公園で硬くなった体をほぐし準備体操をしてからジムに向かった、ジムに入ると相変わらず愛想よく両桐先生が出迎えてくれた、更衣室で着替えトレーニング機器に向かった、まずは腹筋を50回苦しみながらも何とかこなした、次は置いてあったバーベルを上げようとしたが上げれるものではなかった、バランスボールにも挑戦した丸い30cm位の大きさで厚みが15cm位の物の上に乗る分けだがそれもなかなか出来なかった、両桐先生が「三浦さん、打撃の練習をしましょうか」「はい、了解です」と三浦は答えた、そして基本的な練習を繰り返し数か月が過ぎたが、まだまだボクシングの形には程遠く、そのことは周りの者も感じていた、それでも人に何を言われようが三浦は怯まなかった、根底には三浦の人生を振り返った時の反省や後悔や至らなさを払拭させたかった、道場に有ったバランスボールは

バランスを養うにはうってつけでバランスボールをネットで買い、それに乗りながら髭を剃り歯を磨き顔を洗うのを日課にした、その結果三浦は昔から寝起きに少し目まいがしたがバランスボールで三半規管が鍛えられたのか目まいが解消され入会した最初の成果が上がった様な気がした、それから一年の時が過ぎたがジャブやストレートは何とか形になってきたがフックが大振りでフォームになっていなかった、見かねた損田が「ディフェンス練習をしましょう」と言ってきた、入門してから何もアドバイスがなかったのに今頃声をかけてくれた、これも一年間ジムで辛抱をしたからだと三浦は思った、三浦のフックの打ち方は脇が開き手打ちで自分の体重が拳に乗っていなかった、それに比べ損田のパンチは力半分で打ち込まれても衝撃が半端でなかった、違いは何か三浦には判らなかったが損田は三浦に手先で打つのじゃぁなく体の回転で打つようにアドバイスした、損田は足のつま先から蹴りの力が足首を通りふくらはぎ、太もも、そして、その力が腰の回転を誘発し、その回転力を増す為に両方の腹筋背筋が強くなければいけないと、三浦は思った「この歳になって、そんなこと出来るか」しかし、三浦は踏ん張った、それからは損田のトレーニングパートナーのように二人で激しい練習に打ち込み一年が過ぎ三浦のフォームも体重が乗った正しいフォームに近ずいたのは全部損田の指導のおかげだった、三浦は年齢と共に落ちている持久力や体力を鍛える為にどうすれば良いか真剣に考えた、「そうだ自分が大好きな山登りで鍛えよう」、これで人一倍足腰が鍛えられる、高松市周辺の里山から始めた、まずは栗林公園の背景の山である紫雲山、この山は高さは200mを切るあまり高い山ではないが春は桜で有名な峰山に続くトレッキングコースとしては手頃で楽しいコースだ、この山も三十数回上り下りした、次に屋島だ、この山は高松ではもっとも有名な場所で登山道が九つも有るという、それを確かめるために挑戦した、もっとも登山として愛されている道が昔のへんろ道にあたる南側から急登を登るコースだ、それから高さが250mといえども南東からの屋島神社の裏から登るコースは危険をともない、また北方向の長崎の鼻から登るコースは駐車場から見上げると、とんがり帽子の様にそびえ立つ屋島と思えない程の威容を見せる、屋島の東隣の女体山は八栗の石切り場で切り出した後の岩場は、この上ない危険な様相を見せていた、また、その東隣の五剣山は表参道から二回、北側から一度登ったが最初のうちは普通の山道だがあと一歩の頂きが近ずくと長いはしごが掛かっており非常に危険であった、それから讃岐最高峰の竜王山にも冬場にあえて雪が降る天候に登ったが頂上付近は30cm以上の雪が積もり頂上までの稜線を登るのに一苦労した、また大窪寺の背景にある女体山も五~六回登り一度南斜面から降りようと道に迷いひどい目にあった事もある、このように登山のおかげで下半身が鍛えられ持久力がでてきた、登山に合わせジムでのウェートトレーニングもかかさず続けた、ある時ジムでシャドーボクシングやミット打ちや損田とのスパーリングを両桐先生がスマホで撮っていた、後日、両桐先生が三浦さんの動画を「68歳の挑戦」というタイトルでユーチューブにアップロードしたよと一言言った、こんなジジィの練習風景をユーチューブに上げてどうするんだろうと思った。

一方東京では、たまたま総理官邸で昼食をとっていた時の総理大臣の宇部がスマホでアップロードされた「68歳の挑戦」の動画を見ていた、宇部総理は小声で「68歳でボクシングが出来るんだ」と隣にいた秘書に囁いた、秘書も動画を見て、「宇部総理、本当に元気ですね」と一言言った、総理は「今度計画してるプロジェクトの資料を見せてくれる」、「はい、これですか」と渡された20枚ぐらいの資料を読み始めた、その資料内容は「総国民健康回復プロジェクト」といわれるタイトルだった、宇部総理は「ねぇー君、これから進めるプロジェクトの主役にぴったりじゃないか」と秘書に言った、秘書は「まったく、その通りですね」と答えた、宇部総理は「この総国民健康回復プロジェクトは野党の反対も無い非常に意義のある政治家の総意の元の国家プロジェクトだ」、秘書は「まったく、その通りです」と答えた、宇部総理は「君、この人物を調べてくれないか?」、秘書は「了解です」と答えた、宇部総理はこのプロジェクト進める迄の事を思い返した、それは総理に就任してからも毎年の国家予算の増大を懸念し、いまや国の借金が1000兆円を超え、国民一人あたりの借金が赤ちゃんから老人まで一人当たり900万円近く迄達している現状を食い止める方法を苦慮している時に思いついた総国民健康回復プロジェクトだった、毎年増え続ける一兆円の医療費の内、高齢者の医療費が大半を占めている高齢者が病院にかからず健康になればという思いから始まったプロジェクトだった。宇部総理は、この総国民健康回復プロジェクトを推進するための予算も確保しており何とか早急に進めたいと思っている矢先だった。数週間が過ぎ調査の結果が総理に報告された、香川県高松市在住で68歳だそうです、名前は三浦幸太郎、今は無職ですが65歳までホテル勤務をしていたようです、性格は温厚で人当たりも良く問題はなさそうです、退職後にメンカツ道場に入会し現在に至っている様です、それから一切病院のお世話にはなっておりません」、総理は「ああーそうか、居所をつかめたのか、それは良かった」と嬉しそうに言った、続いて総理は秘書に「直ぐにスポーツ庁長官に連絡をとって日本ボクシングコミッショナーや関係者を集めてくれ」と指示した、数日後、総理直々から召集された人たちが何の為に集められたのか理解が出来なかったようだ、総理官邸会議室に日本ボクシング協会よりコミショナーを含め5名が参加し、スポーツ庁長官及び厚生労働省の役人が2名、総理秘書が3名の計11名が着席した、会議室の正面にはスクリーンがセットされていた5分位して宇部総理大臣が会議室に入りスクリーンとは反対側のU字型のテーブルの真ん中に座った、冒頭、総理の挨拶が始まった「今日はお忙しい中お集まり頂き誠に有難うございます、今回お集まり頂いた趣旨は毎年毎年一兆円以上の医療費の増大を苦慮しておりました、特に高齢者の医療費が増え続けており何とか食い止める方法は無いか苦慮しておりましたが総国民健康回復プロジェクトを今年の年末より政府として大キャンペーンを計画しておりました矢先にユーチューブで「68歳の挑戦」という動画を拝見させて頂きました、皆さんご覧になられたでしょうか?」と日本ボクシングコミッショナーや関係者に問いかけた、コミッショナーは「そんなの有ることも知りませんでした」と答えた、総理はスクリーン横に座る秘書に合図した、会議室が薄暗くなりスクリーンに、みんなの介護のサイトのホームページが大きく映し出された、その内容は次の様なものだった。


           みんなの介護 (ニッポンの介護学のホームページより引用)


{特集}超高齢社会の「今」がわかる 

              ニッポンの介護学 

第326回 42兆円超えの医療費は過去最大!超高齢社会の渦中で抑制は可能か!? 

 最新の「国民医療費事情」とは

医療にかかる費用は増加の一途を辿っていると言われてる超高齢社会の日本、厚生労働省は、2015年度の国民医療費を発表しました。その額は前年度から3.8%増の42兆3.644億円となっています。この結果は一昨年のものであり、昨年、そして今年はまだまだ伸びている可能性があります。今後、高齢者の増加や医療の複雑化、高額な治療薬が保険適用になるなど、さまざまな要因が絡み合うことで日本の医療費は増え続ける可能性があります。

国民医療費は、私たちが支払う健康保険料と税金、窓口で支払う患者負担、そしてその他の財源によって支えられていて、医療関係者の給与や製薬会社などの利益となっていきます。それ自体は、消費が喚起されるので悪いことではないのですが、医療費42兆円のうち16兆円が税金で支えられているため、支出は少ないほうが良いと考えられるでしょう。


             現役世代に比べ、高齢者は4倍の医療費

なお、国民ひとりあたりの医療費は33万3.300円となり、前年度から3.8%増加という結果になりました。こちらも9年連続で増え続け過去最高額となっています。日頃、「それほど医療費を使っているつもりはないけれど」と思われるかもしれませんが、これはまた、高齢者は現役世代に比べ、4倍の医療費がかかっています。原因としては病院にかかる頻度が増え、なおかつ持病を複数持っているケースがあり、かかる治療費が増大しているからでしょう。

ところで、ひとりあたり医療費を都道府県で見たデータも厚生労働省は用意しています。かかった医療費の総額は、人口の多い東京都が4兆1.433億円。続いて、人口の多い大阪府は3兆2.193億円。さらに神奈川県2兆7.186億円と続きます。


             医療費が増大を続けるカラクリとは

では、なぜ国民の医療費は年々増加しているのでしょうか?様々な原因が考えられますが、やはり高齢化に伴う医療費の増加が中心だと思います。高齢者の医療費は若年者よりも高く、75歳以上は2014年の時点で93.1万円を超えています。

   年齢別平均投薬数・・・・・高齢者になるほど投薬数が増加の傾向に・・・5個

また、年齢別平均投薬数を見ると0歳~9歳頃までは増加傾向にありますが、成人年齢に近ずくにつれて、減少します。しかし、成人時は3種類前後の投薬数だったものが、70歳~74歳になると3.8種類程度になり75歳~79歳になると4種類を超えます。85歳以上になると5種類以上の薬を投与されており、高齢期には年齢に比例して薬剤数が増えることがわかります。

つまり、治療に使う薬剤数の多い高齢者が増えることによって、医療費全体も増加する、という仕組みです。もちろん医療費増加の原因はこれだけではないでしょう。いずれにせよ、医療や年金、介護とその他福祉を含めた社会保障費の総額が100兆円を超えていることは、保険制度崩壊を推し進める要因であることに間違いないと思われます。


             少子高齢化は先進国共通の問題

医療費制度をめぐる問題は、いわゆる先進国でも起こっています。たとえば、アメリカでは世界一薬価が高く、国民皆保険も未導入のため、病気や怪我で莫大な医療費がかかって破産することもあると聞きます。

反対に医療費が無料なので、誰でも自由に病院にかかることのできるイギリスや、自己負担が全額還付されるフランスでも、医療費の莫大な増加に悩まされています。

原因としては、少子高齢化が考えられるでしょう。移民が多く経済発展が順調なアメリカをのぞいて、先進国はどこも少子高齢化に悩んでいますし、北欧は福祉国家が多いため、国家財政に占める医療費の負担が大きいのです。

ところで、日本は平均寿命が伸びていることが調査でわかっています。若々しい高齢者が増え、65歳以上は準高齢者、75歳以上を高齢者と呼ぼうという呼びかけもありますし、それにともなって、病院にかからず自分の力で生活できる健康寿命も伸びています。

高齢期になると医療費はかかるものですが、健康寿命を終えて平均寿命が来るまでの期間に集中して、医療費がかかっているのが大半ではないでしょうか。それが累積して、国の莫大な国民医療費につながっているのです。


             今後の日本、医療費はどうなる

現役世代と高齢者の医療費の問題 65歳以上(59.3%) 65歳未満(40.7%)

ご覧の通り現在、医療費の約6割が、高齢者医療に使われています。平均寿命がいきなり100歳になることは考えられませんが、逆に短くなることも考えにくいので、日本の高齢者は長寿であると同時に、医療費が非常にかかるでしょう。私達もいずれは年をとり日本の医療制度にお世話になる時が必ずきます。決して他人事とは思わず、常に考えていくことが大切です。

では、どうすれば増え続ける国民医療費を抑えることができるでしょうか。まずは、健康寿命をできる限り伸ばして予防医療を充実させ、なるべく病気にかからないような体ずくりが大切ではないでしょうか。

実際、歯科の分野では予防歯科が進んでおり、虫歯にかかる前の歯磨きや、定期的な口内メンテナンスを重視するよう、歯医者さん主導で啓蒙しています。それによって医療費が抑えられ、患者はいつまでも健康な歯を保つことができるでしょう。

 

             医療費抑制のためにできることは?

そして、大きな病気にかからないためには、健康診断なども欠かせません。自分の体に自覚症状がでないうちは、健康診断をおろそかにしてしまいがちです。また、薬剤の特許期限が切れており、薬価の安いジェネリック医薬品などの活用も有効です。診療を受ける場合、大学病院を受診するより、近所の病院に頼ったほうが安くすむ場合もあります。

また、高齢者の医療費を支えるのは、若者やこれから生まれてくる子供たちです。そうした未来の人たちがいきいきと活躍できるような社会を応援していくことも、経済成長には必要で、それがあれば、高齢化社会の医療費増加は怖くありません。これらは、ひとりひとりが努力していかなければ解決できない問題なので、国民全員が意識していかなければならないのです。



総理秘書のホームページの説明が終わり会議室が急に明るくなった、宇部総理が「ご視聴、誠に有難うございました、この様に医療費の増大を食い止めるための国家プロジェクトとして総国民健康回復プロジェクトのキャンペーンをこれから推し進めようとしている時に、たまたま個人的な事ではございますがユーチュブでメンカツ道場に通う68歳のボクシングを懸命に練習をしている姿を拝見いたしました、この香川県在住の三浦幸太郎氏がこのプロジェクトの広告塔として最敵の人物だと考え皆様に国民に対してアピールできる、これ以上ないインパクトの有るパフォーマンスを考えていただきたい、このプロジェクトで国民を奮起させ年間10兆円の削減ができれば10年間で100兆円の効果が出てまいり財政再建の救世主となります、皆様方の考えて頂くパフォーマンスで5億や10億掛かろうが安いものです、そして日本ボクシング協会にもボクシングの普及と発展の為に助成金も出したいと考えております」と締めくくった。秘書は「これで説明会を終了させていただきたいと思います、何卒皆様のご協力の程宜しくお願いします、ボクシング関係者の皆様には、このプロジェクト案を持ち帰り協会の方で協議していただき一ヶ月後にパフォーマンスの案の結果をお待ちしております、ではこれで散会とさせていただきます。一月が経った、日本ボクシング協会よりコミショナーを含め3名が今回のプランニングの資料を持ち会議室に待機した、暫くすると宇部総理と秘書の計2名が着席した、総理は「今日はわざわざ有難うございます、良いプランニングは出来ましたか?」とコミショナーに笑顔で問いかけた、コミショナーは「我々関係者で熟知に熟知を重ね協議してまいりました、今回のプランニングはお配りした資料にもございますが、やはりインパクトのあるパフォーマンスという事で、これは試合以外にないと結論ずけました、そこで年末の東京ドームで行われる世界三大タイトルマッチの前哨戦のエキシビションマッチとして組み込まして頂きました、全容は下記の通りです。


場所・・・東京ドーム 特設リング


日時・・・12月31日 試合開始時間 6時半より


試合・・・ヘビー級世界タイトルマッチ12回戦、バンタム級世界タイトルマッチ12回戦、

     フェザー級世界タイトルマッチ12回戦

エキシビジョンマッチ・・・ウェルター級 6回戦 

          ジャバン サスケロフ(ロシア)対 三浦幸太郎(メンカツ道場)

                 

(ジャバン、サスケロフ 34歳 32戦26勝4敗2分、現役の時はシベリアンマンモスの異名を持ち名前の由来はシベリアのツンドラの永久凍土で発見された1万年前の殆ど原型を留めたマンモスからとったものだった。)

(三浦幸太郎 68歳 0戦0勝0敗0分 異名は無し)


総理は、「これは、なかなか良いねー、これを雲泥の差と言うんだ

、ワッワッワッハ」と満面の笑みで微笑んだ、「ところでコミショナー、ロシアのジャバン サスケロフはアマチァだろうね、もちろんアマチァです、対戦相手には大変苦慮いたしましたが実績のあるボクサーでないとアピールしないし誰も見てくれないと思いロシアのマフィアのボスに相談したらジャバン、サスケロフの紹介を頂きました、しかし、この間迄刑務所ぐらしで、ついこのあいだ出所したばかりですし若い頃から粗暴で傷害事件を繰り返し少年院にも何度も出たり入ったりしてます、刑務所に入った理由は試合を控えたジムの帰り道で酔っ払いに絡まれ暴力を振い相手を半殺しにしてプロライセンスを剥奪されました。」、総理は「その男は元はプロじゃないか、勝負になるの?」、コミショナーは「そりゃ、何とも言えません、しかし今度のプロジェクトのパフォーマンスとしては最高の相手かも知れません、三浦幸太郎の命の保証はありませんが」ときっぱりと言い切った、総理は「分かった、それで行こう、試合を盛り上げる為賞金と副賞を用意した」、秘書に耳打ちをし何か確認をしている様子だった、総理は「コミショナー、勝った方に賞金一億円だ、副賞は瀬戸内海の国有地の島に老後がゆっくり過ごせる介護施設と介護士2名常駐の別荘をプレゼントを用意した」、コミショナーは「アマチュアの試合に賞金が出るわ副賞が出るわ政府が全面バックアップの本当に異例ずくしの試合となりそうですね、ワッワッワッハ」、総理はところで今度の試合のキャッチフレーズは何か良いの有ったかね」、コミショナーは「三浦幸太郎 68歳の挑戦」ということで、このキャッチフレーズは如何でしょうか。


         {介護ベットで死ぬくらいならリングで死ね!}


総理は「こりゃー、最高だね、直ぐに準備にかかってくれ」、コミショナーは「了解です」と答えて、その日の会合は終了した。

コミショナーは直ぐに動いた高松のメンカツ道場のオーナーに連絡をし今回の興行の内容を説明し了解をとった、次に三浦幸太郎本人にも内容を連絡し了解を得た。

メンカツ道場の方では8ヵ月後の試合に向けての三浦幸太郎のトレーニングプランも組まれた、三浦幸太郎は毎日の様にメンカツ道場に出向いた、朝9時からウェートトレーニングを昼までやり基礎体力を向上させた昼からはサンドバックやミットの打ち込みに1時間、鏡に向かってシャドーボクシングを1時間。そして損田とのスパーリングを30分、やはり損田のパンチは相変わらず体重の乗った強いパンチでジャバン・サスケロフに劣らぬパンチに思えた、損田との練習はディフェンスを中心に強いパンチに耐えられるガードに重点においた。次に志尾とのスパーリングにうつる、女らしくスラッとした体型の女性だが良く研究がなされていて綺麗なフォームで基本にのっていたので前後左右、上下の体の動きを中心の練習を繰り返

した。次に、海北とのスパーリングだ、とても若くスピードがあり各地で行われる高校の試合にも出場しているので、より実践的な練習となった。次に佐々木とのスパーリングだがさすが自衛隊で鍛えているだけあって大変タフだった、打撃もリーチが長く腕が伸びあがってくるパンチで、まるで小次郎の刃の様に思えたので打っては離れるヒットアンドアウェイの練習を繰り返した。

夏が来てふと不安が過ぎった、相手の選手は海外の強豪だし自分は未経験だし勝負になるのか、もっと持久力をつけなければいけない6ラウンドを耐え抜ける体力をつけなければいけない、三浦幸太郎は直ぐに行動に走った、やはり山登りだ、いままでの近くの里山ではいけない、もっと高い山に挑戦しょうと、そんな時に両桐先生から「ちょっと息抜きにキャンプでもいきませんか?」とお誘いを受けた、三浦幸太郎は、「しかし、試合が控えていますから」といったが「まぁ、いいじゃないですか、たまには息抜きを」と「はい、分かりました。」と答えた、八月に入り非常に熱い中、道場の仲間たちと徳島県の月ヶ谷温泉村キャンプ場パンゲアフィールドに向かった高松市内から高速道路を利用して2時間半位で到着した、山々に囲まれ目の前には勝浦川が流れていた、用意されていたコテージに荷物を置き暫く周辺を散策した蝉の鳴き声を聞き別天地に来たような感覚に襲われた、夜は焼き肉で盛り上がり、その後は向かいにある温泉で疲れを癒した、コテージは空調も効き快適に過ごす事ができキャンプ場の関係者の方々も大変親切な方ばかりであった、翌朝、三浦は夜明けと共に起き前もって調べていた山犬獄に向かって一人で頂きをめざした、他の連中は就寝中で起こさないようにコテージを出た舗装されている林道を通り山に近ずくにつれアスファルトの農道に変わっていった、途中、日本棚田百選にも選ばれている樫原の棚田を眺めながら頂きを目指した途中の民家の横に登山道があり整備された山道が続いたが夏休みというのに誰一人登山者に会う事はなかった、頂上は木々に囲まれた眺望もないところだったので直ぐに下山することにし5分くらいおりた所に小さな木の案内板があり、それには苔の群生地と書いてあった案内通り右に入り直ぐ小高い山があり、そこは今まで見たことが無い様な光景が広がっていた、山の岩肌の一面に見事な苔の群生が広がり、まるでスタジオジプリの「もののけ姫」の舞台に来たような錯覚を起こした、しばらく目の前の光景に圧倒されたが自分にかえりリュックを降ろしトレーニングを開始した苔の群生に囲まれアニメの主人公になった様な、それは言いようもない雰囲気だった、ジムで教わったシャドーボクシングで汗を流し打撃のフォームを自分の体の筋肉に植え付け、それを反復し自分の体に覚えさせた、トレーニングを終え帰路についた途中何か右腕や右肩が痛むのでふと見るとアブが腕にシャツの上から何匹も刺していた、そんな事も気にせず下山していると腕が曲がりずらくなり倍位腫れ上がってきた、傷みを我慢し汗まみれの体を流すためやっとの思いで月ヶ谷温泉村にたどり着いた、腕を見たフロントの方が病院に行った方がいいんじゃないですかと言われたが「大丈夫です」といって温泉で汗を流し帰路についた、次は何処へ行こうかとジムで地図を広げ日本百名山の一つ、愛媛県の石鎚山と決めた、この山は信仰の山として大変有名で修験者が修行の場としている大変厳しい岩場の多い山だった、夏も終わりに近ずいたある日高松よりバスで愛媛県に向かった、土小屋駐車場より登山道に入りなだらかな山道が続いた約3時間の行程で周辺の景色は雲海で覆われ天狗岳の頂きが雲から抜き出ていた、天狗岳の手前で荷物を置き頂きを目指した、反り返った岩場の続く大変危険な場所だった、頂きに着き狭い足場でいつものトレーニングを始めた足元の先は断崖絶壁の岩場だった、秋を感じさせるようなさわやかな風が自分のかいている汗を吸い取っていった、その他にには、大山、剣山、三嶺山、天狗塚、瓶が森、東赤石山、寒風山や地図上の主な讃岐の山は全て一人で登った、それからバスで上高地ツアーにも参加し自由時間に無謀だがツアーから離れ一人で予定していない北アルプス焼岳2.444Mを目指した,スニーカーに軽装は登山には適していない恰好だった、途中高い岩場にかけられた梯子を上り直ぐ斜めに反り返った岩場に鎖がかけてあり、それを登り切った暫く歩くと茶店があり、そこで一息いれてから頂上を目指した、茶店の前の登山道を暫く登ると焼岳の雄大な姿が目に入ってきた、焼岳の瓦礫の山道は道があるのかないのか分からない状態が続いた、頂上を形成している大きな岩場を左の方から回り込むと黄色く色ずいた硫黄の噴出孔が白煙を上げていた、その横には登山者用にロープがかけてあり、それをスニーカーで登り切ったところが頂上だった目の前には穂高連峰が続く見事な眺望であった、火山灰の頂きで噴出孔から出る白煙を浴びながらいつものようにシャドーボクシングを繰り返し下山した、最後にどうしても登りたかった富士山のツアーを地元のバスツアー会社に申し込みに行った、すると女性の事務員さんが応対してくれて富士山のツアーを希望すると担当者を呼んできますと言って席を離れた、暫くして若い男性の富士山ツアーの添乗員が出てきた何で申し込みに来ただけなのにわざわざ添乗員まで出てくるんだと思ったが、これはツアー参加者の面接みたいなものでツアーの足を引っ張る者は連れて行かないという意味だった、添乗員は、「今回のコースは表富士宮口登山道で富士山で一番きつい道で約8時間の行程ですが大丈夫ですか?」と俺にとても無理だと言わんばかりの年より扱いをされたが、どうしても富士山だけは登りたかったし、まじかに試合が迫っているので「大丈夫です」と答えた。いよいよツアーの日がやってきた夜行バスで高松から翌日の朝9時頃、富士山の五合目に到着した、そしてガイドと待ち合わせる集合場所で雨が降り出したのでレインコートを着用した、集合場所でガイドが自分に向かって「直ぐに山から下りろ」といきなり全員の前で一喝された、自分は何が何だか言われている意味が判らなかったが後でその意味が判った、それは全て自分が原因で自分に着ていたレインコートは透明の100円ショップで買った物で靴は相変わらずスニーカー、ガイドからすると山を舐めるなという意味だった、案の定自分にその報いがやってきた9合目付近に上がると富士山特有の傘雲がかかっており、その中は強風が吹き荒れ体の熱が奪われ震えが止まらない状況に陥った、頂上の山小屋で布団の中に入っても暫くの間震えが止まらなかった、山も人生も甘くないと言う事を思い知らされたが故に試合が迫っている状況を思い起こし頂上の鳥居の下で強風に煽られながらトレーニングを繰り返した、そして早朝多くの反省を残し下山した。

ジムでのトレーニングも佳境に入り仕上げの段階も終了し、いよいよ試合を迎えるだけとなった、5日前には東京に入りメンカツ道場の本部で調整を行い試合の前日を迎えた、午後3時から記者会見の予定だがジャバン サスケロフはまだ来日していなかった、やっと1時過ぎに成田に到着したらしい連絡が入った、そのまま記者会見場のホテルに入るらしいが、こちらでのトレーニングの調整もせず舐められているように思えた、記者会見場にはジャバン サスケロフは30分過ぎても現れなかった、周りの関係者が慌ただしく連絡をとっている様子だったが少し経ってから動きがあった、いきなり会場の左袖のほうから葉巻をくわえサングラスをかけた男が入ってきた、そしてステージの三浦幸太郎の横に反り返って足を組んで座った、一番前に座っている記者の一人が「ジャバン サスケロフさん、ここには灰皿はありませんよ」と顔をこわらばさせながら言った、ジャバン サスケロフは「灰皿?、ここに灰皿があるじゃないか」と三浦幸太郎の足の上に置いている手の甲に葉巻の灰を振り落した、ジャバン サスケロフは三浦幸太郎の方をチラッと見てニャリとほくそ笑んだ、三浦幸太郎は表情も変えず挑発には乗らい姿勢をとった、関係者の一人が「大変、遅くなりましたが明日行われますジャバン サスケロフ対三浦幸太郎の記者会見を始めたいと思います、それでは質問の方を宜しくお願いします」とある記者が「ジャバン サスケロフさん、何で40分も遅れたんですか?」と質問した、ジャバン サスケロフは「何で?、貴様どこの記者だ、俺はついこないだ迄、務所に入ってたんだよ、俺は飢えているんだ、途中でマクドナルドハンバーガーを食ってきて何が悪いんだ」と全然反省の色が無かった、続いて他の記者がジャバン サスケロフに「対戦相手の三浦幸太郎選手についてどのように思われますか、勝つ自信は有りますか?」、ジャバン サスケロフは「てめぇー、バカじゃないか、この糞ジジィに負けるはずがないだろう、小指一本で倒してやる」とドスのある声で言った、また他の記者が「三浦さんは勝算はありますか?」、三浦幸太郎は「あるかどうか判りませんがジムで培ってきたことジムの仲間を信じてぶつかるだけです」と小さな声で言い手の甲に乗った葉巻の灰を払った、ある女性記者がジャバン サスケロフに、「今回、日本政府が全面バックアップの非常に稀なケースの試合となっておりますがその点についてどの様に思われますか?」ジャバン サスケロフは「俺は金になれば、それで良いんだ、明日の試合で相手が死のうが生きようが、俺には関係ねぇ、ところで、日本の総理は誰だったかな?そうそう宇部総理・・・ところで昔から日本政府が北方領土の四島を返せ返せとうるさく言っている様だが、一向に解決しねぇだろ・・・てめぇら解決策を教えてやろうか、今、北方領土の四島に住んでいるロシア人は島は僻地も僻地、首都のモスクワからは遠く離れ誰も住みたくない不便なとこなんだよ、しかたなく住んでいるだけで、いつかモスクワ近郊に帰りたいと思っているんだよ、これが正直な感想だ、てめぇら知っているか?あの広大な土地のアラスカがロシアの領土だったことを、あんな僻地いらねぇって当時のロシア皇帝がアメリカに売っちまったんだ、金で!、ロシア国民は島に執着ねぇんだよ、宇部総理がプーチンに30兆円払えば、それで全部丸く収まるんだ、てめぇら判ったか」と立ち上がり会場を後にした。記者たちもジャバン サスケロフの粗暴で言葉ずかいの悪い人物の記事の扱いをどうするか苦慮した、その後、三浦幸太郎は一人準備が整った東京ドームに向かった、会場はとてつもなく広く薄暗い会場には誰一人いなかった、三浦幸太郎は客席の間の通路を通りリングの下迄やってきた三浦幸太郎は「このリングから生きて帰れるだろうか」と不安に思ったが自分の人生を頭の中で振り返り、今までの小さな出来事や大きな出来事が頭をよぎってくる、自分勝手で過ちを犯し反省もしないで同じことを繰り返した事もある、努力もしないで何の力も出さずに人生を何気なく送ってきた自分が情けない思いに駆られた時、この戦いが俺に天が与えてくれた人生最後のチャンスと思えてきた、リングを見ているだけで心の奥底から勇気が湧いてきた。

いよいよ、開幕の時がやってきた、東京ドーム特設リンクを中心に放射状にイスが並べられ正面の上部には大スクリーンが設置されていた、徐々に会場の中に観客席の後方から人が座りはじめている、エキシビジョンマッチまで後3時間となった、三浦幸太郎もセコンドにつく両桐、損田、志尾の三名と軽いスパーリングやミット打ちで体をほぐしバンテージを志尾に巻いてもらったりと緊張の頂点に立とうとしていた、一方、ジャバン サスケロフの控室では簡易ベットに横たわりマッサージの最中で本人は相変わらずサングラスをかけ葉巻をぷかぷかふかしていた、試合開始30分前となった、三浦幸太郎は周辺の空気を和らげるため、「損田さんの仕事はなんでしたっけ」、損田は「ファンドです」、三浦幸太郎は、「じゃぁ、損して徳とれということで大儲けして名前がいつか徳田に変わる日が来るかもしれませんねぇー」と言ったら大笑いとなり周りが和やかな雰囲気になった。いよいよ試合開始の時間となった、客席はほとんど埋まり人のどよめきが聞こえてきた、さぁーオープニングセレモニーが始まる、これからは放送局アナウンサーの実況となる、「さぁー年末も押し迫り、最大のイベント世界三大タイトルマッチの始まりです、これよりエキシビジョンマッチ・・・ウェルター級 6回戦 

          ジャバン サスケロフ(ロシア)対 三浦幸太郎(メンカツ道場)ですが、ゲストにミドル級世界チャンピオンの町田さんに来ていただいておりますが先ほどから目を潤ませて泣いているようにお見受けしますが、「いや、泣いてません」、なんか何処かで聞いた事のある言葉ですね、さて町田さんジャバン サスケロフはご存じでしたか?、はい、少し前ですが噂は聞いておりました、ハードパンチャーでKO率が80%のボクサーだと、それでは対戦相手の三浦幸太郎はご存知でしたか、「いえ、全然」、町田さん、今夜のこの勝負はどんな展開になると予想されますか?、そうですねぇー多分1ラウンド 3分も持たないでしょうね、と言う事は直ぐに試合が終わり全然勝負にならないと言う事ですか?、全く、その通りです、じゃぁー、できるだけ早く終わって世界三大タイトルマッチを早く見たいですね、「はい、そうですね、今からワクワクしております、しかし先ほどの涙はどのような心境で流されたのですか?、よくも政府主導で、このような試合を組んだなと思うと情けなくなりまして」、さて、そろそろジャバン サスケロフの入場です、場内が暗くなり入場するドアー付近に一点にスポットライトがあたりドアーが開いた、その瞬間に入場曲の旧ソビエト連邦共和国の国家が流れジャバン サスケロフがサングラスをかけ葉巻をふかしながらゆっくりと場内に入ってきた、観客席から拍手と歓声に包まれた、「町田さん、お客さんは全員ロシアを応援しているんですかね」、「まぁー、そうでしょう」と言い放った、ジャバン サスケロフはリング下でレフリーチェックを受けリングに上がり、そして着ていたガウンを脱いだ背中には真っ黒いマンモスのタトゥーが彫られ前足を上げ威嚇するマンモスの鼻が背中から首を這い喉仏まで伸びジャバン サスケロフが唾を飲みこむ度にそのマンモスの鼻が生きている様に動いた、アナウンサーは「恐怖ですねー」と一言発した、次に反対側のドアーにスポットライトに照らされた、特別席で総理と秘書がひそひそ話をしていた、「総理、イギリスのブックメーカーのオッズが出ました、三浦幸太郎が1.000倍です、つまり一万円買えば一千万円と言う事です」、総理は、「本当かね」、「本当です」、「ちょっと、一枚買っといてくれないか」、「総理何て事をおしゃるんですか公職の身でありながら、自分は買いましたけど」、「君は何て奴だ!」、総理は憤慨した、「さあー、三浦幸太郎の入場です」と言った瞬間、大スクリーン下のステージで演奏が始まった総勢10名ほどの女性ばかりの合奏だ、入場曲は「DEAD SILENCE」、アナウンサーは「不気味に迫りくる恐怖を感じさせる音楽を選びましたねー」、硬く澄んだ音が場内に響き渡った、サヌカイト(讃岐岩(さぬきがん、sanukite、サヌカイト)は、名称のもとである香川県坂出市国分台周辺で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩。固いもので叩くと高く澄んだ音がするので、カンカン石とも呼ばれる。)の楽器演奏だ、ドアーが開き黒装束の男四人が何かを抱えている、アナウンサーは、「なんだ、あれは、ああー棺桶だーーー」、黒装束の男四人が通路をゆっくりと前へ進み通路の真ん中まで来た時にゆっくりと棺桶をおろし真っ直ぐ垂直に立てた、ゆっくりふたを開けたら、アナウンサーが、「三浦幸太郎、真っ白な死装束だ、ひたいに三角の額紙だ、なんてなんてゲンが悪い入場だ、」、黒装束の男が上から吊るされたワイヤーに三浦幸太郎の腰に繋ぐと、ふぁーふぁーとゆっくり浮かび上がり三浦幸太郎の周りには火の玉が飛び交い場内を一周した、アナウンサーが「貴様は猿之助かー」と大きな声で叫んだ、そしてリングサイドの総理が座る特別席の前にゆっくりと舞い降りてきた、おもむろに三浦幸太郎は総理に何かを手渡した、「ああー、位牌だー、総理になんて事をするー」、そして三浦幸太郎はゆっくりとリングに上がった、リングアナウンサーが、「これよりエキシビジョンマッチ ウェルター級 6回戦を執り行います 赤コーナー シベリアンマンモス ジャバン サスケロフ 32戦26勝4敗2分 66.1Kgロシア場内から歓声が上がる、青コーナー 三浦幸太郎 0戦0勝0敗0分 65.5Kg(メンカツ道場)場内からブーイングが鳴り響いた、この特別試合には勝利者賞 賞金一億円、副賞、特別介護施設、すると大スクリーンに瀬戸内海国立公園の海を滑走する一隻のボートが周囲300M位の尖がり帽子の形をした島に近ずいて行くとボートは島の真ん中の岩穴に静かに吸い込まれていった中心部で止まると男女がボートから降り岩の壁面に有るエレベーターのドアーが開き静かに上昇した、そして島のてっぺんへ到着しドアーが開くと総ガラス張りの太陽の光がサンサンと降り注ぐ360度が見渡せる瀬戸内海国立公園の大パノラマが広がっていた、二人の介護士も常駐し、そこは勝利者だけの世界一の介護施設だった、スクリーンを見ている観客はただただ息を呑むばかりだった、レフィリーの注意事項やルール説明が行われた後グローブを軽く合わせコーナーに戻り、そしてゴングが鳴った。


1.ROUND

シベリアンマンモスがいきなりノーガードでコーナーから迫ってきた、「てめぇー、俺の顔を打ってみろ、このジジィのへなちょこパンチで、ほらほら当たらねぇだろ、この糞じじぃ!」、

三浦幸太郎は挑発には一切乗らなかった、これこそが年の功というものだった、シベリアンマンモスは相変わらずノーガードで大きく口を開け、おもいっきり舌を出し三浦幸太郎をもてあそぶようにリングを舞った、三浦幸太郎はこれをチャンスと捉えジムで教わった左右ボデーブローを確実に決めて行った、シベリアンマンモスは何食わぬ顔で終了まじかに、いきなり右フックを放った、ガードの上からのパンチだったが強いパンチで自分のグローブでテンプルを強打しダウンしたがゴングに救われた、一方下で見ていた総理は、「やらなきゃ良かった」と一言発し、テーブルに置いてあった三浦幸太郎の位牌を自分の足元に投げつけ踏みつけた、それを見ていた隣の秘書が何も判らない幼稚園の園児に軍国主義時代の教育勅語を無理やり覚えさせる行為だと思った。

2.ROUND

セコンドからヒットアンドアウェイで体の回転で体重を乗せた小さなパンチで打つように指示があった、一方シベリアンマンモスはノーガードをやめ大振りの打撃で攻撃を開始した、大きな

腕の動きはヒットアンドアウェイで多少かわす事が出来た、三浦幸太郎は相手の隙をねらっは打ち込みまた引いた、いくらかわしたとしてもチンをかすっただけで、また、ダウンを喫した、シックスカウントでファイティングポーズをとりゴングを迎えた、コーナーに戻り椅子に座って水を飲もうとした時、口の中から鮮血が溢れ出て真っ白いトランクスを赤く染めた。

3.ROUND

このラウンドも同じヒットアンドアウェイ戦法で特にボデーブローを中心の攻撃の指示があった、コーナ下でセコンドの損田と志尾が何か言い争っていた、志尾がタオルを手に持って「もう、だめ三浦さん、もう無理よ、これ以上戦えないわよ、今度、ダウンしたら私タオルを投げ入れるからね」、「志尾そんな勝手な事をするんじゃない、何の為に今までトレーニングしてきたんだ」、「だって、もう無理よ、二度もダウンしてるし、口の中も切ってる」と、その時、また三浦幸太郎がダウンした、カウントセブンでファイテイングポーズをとりセコンドの志尾がまたタオルを投げ込もうとしたが損田はタオルを両手で掴み必死で食い止め、そのラウンドが終了した。

4.ROUND

セコンド両桐は、「三浦さん、刑務所には高い山はないし

トレーニングもまともに出来なかった筈だ、それに葉巻の吸い過ぎで息が荒くなっている、とにかくヒットアンドアウェイでボディーストレートも一緒に打ちこんで」と送り出した、一方、シベリアンマンモスは相変わらず大振りで三浦幸太郎に迫っていく、コーナーの志尾は懸命にタオルを投げ込もうとしているが損田は後ろからタオルを掴み続けたがシベリアンマンモスの右フックが頬をかすりダウンしたが三浦幸太郎は直ぐにファイティングポーズをとった、シベリアンマンモスの口が少し開き息が苦しそうに見えた、そして、そのラウンドが終了した。

5.ROUND

シベリアンマンモスのセコンドが、「てめぇー、大きな口を叩きやがってド素人を倒せねぇのかよ、このままじゃ国に帰れねぇーぞ」と激をいれた、第五ラウンド終了まじか、シベリアンマンモスは三浦幸太郎に意図的に頭突きで右瞼の上に3cmの裂傷を負わせたがゴングに救われた、瞼からの出血で白いトランクスは真っ赤に染めあがった。

6.ROUND(最終ラウンド)

三浦幸太郎のセコンドでは両桐が右瞼の傷にワセリンをぬり治療におわれていた、セコンドアウトのアナウンサスがあり三浦幸太郎は両桐に、「右目が見えない」と一言言って立ち上がった、リング下のアナウンサーが、「ああー、何だー、三浦幸太郎、四谷怪談のお岩だーーー」と叫んだ、右瞼は青く腫れ上がり口からは血を流し、それは本当にお岩のように見えた、三浦幸太郎は打ち合いながら耳元で、かすかな鳥のさえずりのようなものが聞こえてきた空一面の青空に白い雲が流れ心地よい風が自分の体をすり抜けていく、ああー、ここは富士山だ、頂上の鳥居の下で懸命にシャドウボクシングをしている自分がいる、そしてコンビネーションの練習をしている自分がいる、その瞬間、シベリアンマンモスの右ボディが開いているのが見えた思わず左ボデーブロー、シベリアンマンモスの右ガードが少し下がった、続いて左アッパー、シベリアンマンモスの顎が反り返ったところ顔面に右ストレートのコンビネーションが見事に決まった、シベリアンマンモスは体をのけぞらせながらリングに倒れこんだ

、「勝った!、勝った!、勝った!」と特別席の宇部総理が立ち上がり両手を広げて

叫んだ、その瞬間、観客席から怒涛の歓声があがった、カウントテン、三浦幸太郎が見事勝利した、

シベリアンマンモスが両手をついて立ち上がろうとしている時、三浦幸太郎が、「歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、だまって返しな!」と吐き捨てる様に言った。そして全てが終わった。

三浦幸太郎とセコンドは控室に戻った、すると三浦幸太郎が「少し一人にしてくれないか」と両桐に言った、両桐、損田そして志尾はイスに座っている三浦幸太郎の肩にタオルをかけ部屋を薄暗くしドアー

を出て控室の周りに集まっている記者の対応にあたった、暫くして両桐が志尾に「中の様子を見てきてくれないか」と志尾に様子を見に行かせた、暫くの時間が過ぎた後ドアーが少し開き薄暗い中から志尾が小さな声で「入場時に使った棺桶をお願いします」と言って泣き崩れた。 

                                      終わり

この物語はフィックションだが登場する三浦幸太郎のモデルは今も実在する。

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