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感傷的な季節の日々

なつのくも

作者: DRtanuki

 気が付けばすでに雲はぐんぐんと背を伸ばしている。

 先月か先々月くらいにはまだ形もぼんやりしていた筈なのに、いつの間にか雲ははっきりとした形を取って空を流れている。

 生い茂る草木もより緑を濃くし、日光をより吸収しようと躍起になっているのだ。

 河原をちょっと歩いてみると、強くなった日差しによって草いきれ、熱気といっしょにむわっと立ち上る独特の青臭さが鼻につく。そうだ、もうそういう時期なんだと私はふと振り返る。

 

 我が家にはかつて猫がいた。

 私が生まれたころにやってきた、私と同じくらい小さくか弱い子猫。

 物心ついたころには私の遊び相手をやってくれたり、あるいは子守りをしてくれたりしていた。

 ミケと雑に名付けられたその猫とともに私は成長した。

 私とミケはまるで姉妹のように仲が良かった、と思う。当のミケがどう思っていたのかは全く知る由もないけど。

 私が十八歳になったあたりだともうミケはあまり動かなくて、日がな縁側で日向ぼっこをしながら寝息をぷすぷすと立てている事が多かった。起きたと思ったらのそのそと台所にあるエサ入れに行き、もそもそとごはんを食べて水を飲み、また縁側の自分の座布団に丸くなって寝る。そんな一日を繰り返していた。

 もうそのくらいになると猫じゃらしなんかにも興味を示さず、何もかもが面倒で物ぐさになったという感じだった。若い頃は二階にも軽々と跳んで行っていたのに、いまは足腰も弱った影響で階段を上ろうともしない。

 毛並みもつやつやだった頃と比べるとぼさぼさしていて本当に年を取ったんだな、と思うと無性に悲しくなった。ミケは年を取った事自体なんとも思っていないのかもしれないけど。


 梅雨入り宣言がされたのに、ちっとも雨が降らずに晴れてばかりの日が続いていた。

 日差しがそろそろきつくなってきたなと思った水無月のある日に。

 ふと、ミケのか細い鳴き声が聞こえた気がした。

 私は居間から縁側に行くと、座布団で丸まっていたミケが起き上がり何時になく私に甘えてきた。何かが不安なのだろうか。しきりに私の足に頭と体をこすりつける。

 私が座ると、ミケは私の太腿に乗ってそのまま丸まって寝息を立て始めた。

 ミケの体を撫ぜる。相変わらずのぼさぼさした手触り。でも今はこれが良いと思う。

 そのまま、私もついうとうとと眠ってしまった。

 

 夕方の冷えた空気でふと目が覚める。

 いつの間にか外は雨が降っていて、先ほどまでのちょっとした日差しの暑さは失せて半袖では少し肌寒いように感じる。そのくせ雨が降ったせいで湿気があって、なんだかじとじとして気分が良くない。

 

「ミケ?」


 そういえば私の太腿にはミケが寝ていた筈だった。私が寝ているうちにいつの間にか定位置の座布団に戻っている。

 ミケをちょっと撫でようとしてから私は部屋に戻るつもりだった。

 でも見て気づいた。

 ミケが息遣いをしていない事に。

 

「……そっか」


 冷たくなったミケの頭をそっと撫でる。その顔はいつもの変わらない寝顔と同じように私には思えた。

 雨はしとしとと降り続け、夜が明けるまで止むことは無かった。

 



 ミケが居なくなって、私は高校を卒業して。

 大学に進学してからというもの、実家にはほとんど戻らない日々を過ごしていた。

 実家ではミケが居なくなったあとにまたすぐ猫を飼い始めたらしい。施設にいた子を引き取ったとの事だ。最初はミケと同じように小さくて震えていて、こんなにか弱い子が果たして長く生きられるのかと心配になったが、2カ月くらい過ぎるともう成長して家じゅうを縦横無尽に動き回っていると親から連絡があった。

 その時の写真が送られてきた。今度の猫はオス猫で毎日やんちゃばかりして家がボロボロになって困っていると言っていたけど、両親の顔色は明るかった。

 

 大学二年のあくる日。

 急な雨に降られた私は急ぎ足で自分のアパートに戻っていた。天気予報では雨の降る確率は20%だって言っていたのに。

 やっと自分のアパートの玄関先まで戻ると、茶トラの猫が雨宿りなのか私の部屋のドアの前で毛づくろいをしていた。

 私がやってきたことに気づくと、私を見上げて「にゃあ」と鳴き、私の足に体をこすりつける。随分と人慣れしているように思う。首輪が付いているから多分どこかの飼い猫なのかもしれないが、この様子だと半野良なのだろう。

 私も猫の愛想の良さについほだされて家の前で猫をちょちょっと撫でてしまっていたが、体がじっとりと濡れている心地悪さに我慢できず、ついには猫を構うのを止めて私はドアのカギを開けた。

 カチャリと音がし、私がドアノブをひねって扉を開けるや否や、猫がするりと私の部屋に入ってくつろぎ始めた。

 

「ここはアンタの家じゃないのよ」


 私が言うと、「にゃーん」と言って私の座る座布団に鎮座してしまった。完全に私の部屋に居候をしようとしている。

 やれやれと私はため息をつき、濡れた衣服を洗濯機の中に入れたのであった。

 この茶トラの猫は雨が止んだらすぐに出て行った。

 もう来ないだろうと思っていたら翌日にまた来た。今度はスズメの死骸を添えて。お礼のつもりなのだろうか?

 私がドアを開けるとまたするりと部屋に入って座布団に座ってくつろぎはじめたのである。その座布団はお前のじゃないんだけどなと思いつつ、諦めて私はクッションを取り出して座った。

 明らかにこの猫は私の家を第二の住処と決めてしまっている。

 餌とかはたぶん首輪をつけてもらっている家の人からもらっているのだろうとは思うが、食い意地が張っているのか私が食べようとしているまぐろの刺身にちょっかいを出してくる。仕方がないので一切れやると、「うみゃうみゃ」と言いながら食べる。


 可愛い。


 結局私も猫からは逃れられないと気づいた。

 我が家は代々猫を飼う家系なのだとうちの親は言っていたけど、どうやら私も猫を飼う運命にあるらしい。

 たぶんこの茶トラ猫には名前があるんだろうけど、私は私の付けたい名前を彼女につけてやった。

 

 名前はミケである。二代目のミケ。

 しかしミケと言ってもまるで反応しない。

 なんとはなしに二代目と呼び掛けてみるとこちらに顔を向けて首を傾げたので、それ以降はニダイメと呼んでいる。ニダイメ。なんとなく間抜けな響きだけどそれが可愛いと思う。

 ニダイメは好きな時にやってきて、好きなように過ごして好きな時に帰っていく。

 猫の気まぐれに付き合っている時が、一番私の心が安らぐ大事な時間になっていった。


 そして社会人として働き出した今。

 あの時と同じような、雲がぐんぐんと伸びている。

 我が家のニダイメはいつの間にか私の家を根城にしている。

 実家にいるオス猫タマは更に成長して縦横無尽に家を三次元的な動きで駆け巡っている。両親はその動きに翻弄されているばかり。


 間もなく雨が降り始めるだろう。アスファルトの湿気た匂いが鼻につき始めた。

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