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地上伝奇譚  作者: 橋口 紅葉
8/13

隻眼の大剣豪

近江国甲賀の地にある屋敷に一人の男が訪れた。


名は丹原 十蔵という。


無精髭で右目に黒の眼帯をしているこの男、天下に轟く丹原一刀流の師範代で、剣術以外にも闘争において必要だと肌で感じた武術をその道の師範の元に訪れては指南を懇願し、己を研磨するために地方を歩き渡る大剣豪である。


数十年前、彼は甲賀の地に訪れ、双方の勘違いから甲賀流忍術の師範代にして甲賀家の棟梁である玄道と一度殺しあうことがあった。


一撃のもと相手を粉砕する剛の十蔵、相手を翻弄し敵に悟られぬまま窮鼠の如く追い詰める技の玄道。


達人同士の闘いは常人では理解の範疇から超えた領域であり一瞬の気も抜けない攻防が続いたが、その後の遣り取りで双方ともに誤解が生じていたことに気づき、剣を収め、二人は年齢や極める道は違えど直ぐ様意気投合した。


玄道は向上心旺盛な若者である十蔵に甲賀流忍術を指導し、見事此れを習得した彼は何時の日か甲賀家に受けた恩を返さねば、と思いながらも数十年の時が過ぎた。


そして、数ヶ月前。


甲賀家が貧窮で苦しんでいると風の噂を耳にし、あの時の御恩、今が返す時だ、生活に困ることのないほどの金銭を玄道に譲与するためにこの地に訪れたのだ。


さて、会合の約束する手紙は送っておらず些か常識はずれだが、彼は顔見知りの門番に事情を説明し、屋敷内で待つことになった。


門をくぐり抜けると、偶然懇意にしている玄道の孫娘を見つけ、相手も十蔵に気付いたらしく、質素な服に身を包んだ彼女は微笑みをこぼして彼の元へ足を運んだ。


「十蔵さん。こんにちは、今日はどのようなご用件で?」


蠱惑的な美貌を持つ彼女は普段の子供のような天真爛漫で無邪気な姿を陰に潜め、大人な女性を装っていたが、本性を知っている十蔵はあえて指摘せずに、実の娘を相手する父親のように慈愛の眼差しを向ける。


「おお、彩花。玄道殿に用があってな」


「お爺様に?とりあえず、立ち話も何ですから上がってください」


「ああ、そうするよ」


奥の部屋を案内される十蔵は彩花の後ろに着いて行くが、途中通りかかった庭で巻藁に向かって苦無や手裏剣を投擲して鍛錬に励む総勢50人程の将来有望な子供達を目すると、昔と変わらぬ光景に彼は笑みをこぼした。


「相変わらず此処は凄いな」


「いえいえ、丹原家には負けますよ。さ、此方です」


奥の部屋に到着すると、彩花は床に膝をつき、凛とした声を障子越しの人物に聞こえる声量を出した。


「お爺様、丹波様がお見えになられました」


「おお、入ってまいれ」


「失礼致します」


洗礼した仕草で襖を開ける彩花。


十蔵は部屋の敷居を跨ぎ、座布団に座り黙読する老人を前に歳を取っても壮健である彼に尊敬の瞳を向け、静かに座敷に座った。


「お久しぶりです、玄道殿」


「ああ、久しぶりだ、十蔵。見ないうちに逞しく成長したな。して、何の用だ?」


「あの時の御恩、返しに参りました。此方を御受け取り下さい」


「いや、要らぬ」


まだ金銭が入った袋を取り出していないというのにこの老翁、施しを受けることを拒絶した。


呆気にとられた十蔵だが顔に出すなどの愚行を見せず、凜然たる態度で今尚書物を読み耽る玄道に僅かばかりの懐疑心を覚えた。


「ですが、風の噂で困窮の一途を辿っていると聞きました。それに」


「言うでない、十蔵。誰であろうと主君以外の者に施しを受けるなど甲賀の名を汚す行為だ」


この時初めて、手にしていた書物から視線を外し、威厳に満ちた瞳で十蔵を見たのであった。


「そうですか」


「すまぬな、意地を張る頑固ジジイで」


「いえいえ、私も要らぬ世話だったようで」


「ふむ、それで代わりとは言ってはなんだが少し貴様に頼みたい小僧がおる。断るわけないよな?」


「ええ、もちろん」


「仔細は彩花に聞け、奴が保護した小僧だ。彼奴に尋ねれば分かるだろう」


気難しい顔を見せた玄道に十蔵は僅かに首を捻った。


× × × ×

場所は移って甲賀の道場。


此処では将来忍者となる者が任務先で生き残るために活用出来る術を学ぶ場所で、今は竹刀を手にした子供達が一人の少年相手に圧倒されていた。


どんな達人であろうとも多勢の敵を一度に相手するなど至難の技であり、どれだけ奮闘しようと何時かは息が乱れ、僅かな隙を作ってしまうのが人である。


だが、目の前で繰り広げられている光景はそんな常識を覆すもので、少年は一撃も喰らうことなく十数人もの相手を次々と打ち負かし、無機質な瞳で竹刀を振るっていた。


「あの少年の名は何という?」


少年の一挙手一投足を食い入るように凝視しながら、隣にいる彩花に問いかけた。


「え?ああ、彼ですか。彼は不城家の者ですよ。十蔵様も耳にしたことはありますよね?」


「不城?」


怪訝な声を洩らした。


無理もない。


剣を極めるものとして誰もが一度は耳にする不城の名が出た事に驚愕するのは必然であり、滅多に姿を現さない不城の者が公然とこの地にいるということに不信感を抱くのは無理もない事である。


「あの悪名高い暗殺一族か?」


「はい、その不城で間違いないです。彼、不城家当主の実孫らしいです」


何故、そんな大物が甲賀の地にいるのか分からず、益々分からず頭を捻った。


「そんな少年が何故、甲賀の地にいるのだ?」


「彼にも色々とあったらしく、衰弱している所私が保護しまして、行く当てもない様子だったのでお爺様が此処で療養しろと仰ったのです」


「そうか。玄道殿が言っていたのは彼のことか」


納得した様子で頷いた十蔵は未だ竹刀を振るい、迫り来る敵を倒し続ける秋夜を見る。


己の手足のように自在に扱う手練の剣技は見事なもので、達人の境地に辿り着いた者しか彼が振るう神速の太刀筋を見極める事は出来ず、背後から襲ってもその攻撃が事前に分かっていたかのように迎撃するのだ。


そうこうしているうちに、最後の一人が秋夜に叩きのめされて、苦痛の声を洩らしながら地に伏した。


感情のない冷徹な瞳で地に倒れている彼等に一瞥するだけで、安否を尋ねることもせず、何事もなかったかのように其処から離れていく。


「しかし、天稟の才を持っていながら腕を上げようとする向上心、気概が感じられない。実に勿体無いな。剣に生きる者として鍛えれば何処まで伸びるか見たいものだが、今の様子だと何時凡人に抜かれても可笑しくはないだろう。いや、それどころか詰まらぬ所で死ぬ方が高い。今の彼は死期が迫った老犬のように誰にも気付いてもらえずに野たれ死ぬだろうよ」


無精髭を撫でなから秋夜の本質を即座に見抜いた十蔵の慧眼に彩花は驚愕し、流石は天下に知れた大剣豪と心内で賞賛する。


「それで彼を如何するおつもりで?」


獲物を捕捉した狼の如き眼光で秋夜を見つめ、何か口にする事もなく口角を吊り上げて笑った。

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