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憧れというものは誰にでもある。人間というのは勝手な生き物だから憧れたものには美化した想像をもって肉付けし、期待し、幻影を作り出してはさらに憧れを加速させていく。そして幻影はいつしか現実をも超えてしまうことがあるのだ。
レジスタンスという組織は俺にとって憧憬の的だった。宇宙人を駆逐するための最新鋭の設備にクールな人々。神薙響也少年の目にはレジスタンスは嫌でも想像を掻き立てるような夢そのものとして映った。
色々想像した。捕虜にした宇宙人が実は囚われているとか、ロボットを操って宇宙人を倒している班もあるとか、宇宙人に対する秘策として要塞のような巨大宇宙船があるとかそんな都市伝説みたいな楽しい想像が頭の中を常に飛び交っていた。そんな荒唐無稽な都市伝説の創造ばかりしていたものだからつい自然に俺は想像していたのだ。『レジスタンスには世界と繋がる地下のトンネルがあって、本部と各地をリニアのような超未来的な高速の乗り物が繋いでいるのだ』と。
「移動って車かよ…」
「なんだ?文句あんのか?下っ端だから仕方ねえだろ。経費削減だよ、経費削減」
と、不満そうなカーター。そもそも下っ端じゃなくても移動手段は車しかねえよ、と呆れたように吐き捨てた。まあ未来的な乗り物などないとわかった今となっては当然といえば当然だが。
白金大将からまさかの通達を受けた俺は不本意ながらこの縁もゆかりもない外国人と2人でドライブをする羽目になっている。
なぜ俺だけがという思いでドライバーのカーターに向かって車に乗ってからずっと愚痴と文句ばかり言っているが、どうやら不満があるのはなにも俺ばかりではなかったらしい。カーターもカーターで女の子に新人研修ができると聞いて鼻息荒く司令室に行ってみたらご覧の有様でその鬱憤を愚痴や文句で晴らそうとしているようだった。
そんなわけでこの車内は出発時からずっと愚痴と文句の応酬で溢れているのだ。だからさっきのように車移動という事実に俺が愚痴を言ってカーターがこれまた愚痴で返すというのもこの車内に限り至って正常なコミュニケーションとして成立する。決して喧嘩しているわけではない。喧嘩するほど仲がいいと言うぐらいだから会って1日でそこまで深い仲になれるわけもないのだ。その割にはよく喋っている気もするが。
「そもそもなんで俺が男乗っけて運転しなきゃなんねえんだよ。あーあ、ミス・サトナカとドライブできると思ってたのになー」
なんだかんだ言いながらも運転は手慣れているようで法定速度を50km以上超える暴走族もびっくりなスピードで高速をすっ飛ばしている。よい子は真似しないでね、とテロップでも出てきそうだがこんなもの命が惜しければ悪い子でも真似はしないだろう。
「さっきから思ってたけど出しすぎじゃねえか、スピード」
「150kmまではチュートリアルだ」
「そんなんでよく免許取れたな」
「天才だからな。まあ火災報知機から1m以内の場所には駐車しないようにしてるから平気さ」
「日本の屋外にある消防機関に通報するための火災報知機はイタズラが多すぎて1974年までに廃止されてどこにもないくせに道交法の文面に未だに火災報知機の1m以内は駐車禁止って載ってるせいで覚えなけりゃいけないっていうマイナー自動車教習所ネタを使うのはやめろ。もうみんな忘れてるよ」
「そうなのか?星飛雄馬が対岸の火災報知機に石を投げて作動させてたからてっきりあるもんだと思ってたぜ」
このアメリカ人はどうも日本の知識に偏りがあるようだ。星飛雄馬と絶滅した屋外火災報知機を知っていて法定速度も知らないらしい。法定速度の標識を指差しても「なんだ?ラップ80?回りすぎだって。さすがのマリオでも飽きるぜ」と言う始末だ。
「いつ見たんだよ巨人の星なんて」
「そりゃ俺が日本語勉強してる時だ。巨人の星は俺の日本語のバイブルだからな。まあ嘘だけど」
「誰も得しない嘘をつくな。そういえばお前やけに日本語上手いよな、不自然で気持ち悪くて腹立つくらい」
「そうか?お褒めに預かって恐縮だ」
露骨な罵倒が耳に届かなかったのかカーターは少し照れているようだった。
全く褒めてはいないが敢えて何も言わない。
「まあでも日本語喋れていいことばかりじゃないぜ?日本人って外国人が外国語で話しかけると『何言ってんだよこいつ』みたいな顔するくせに、いざ流暢な日本語で話しかけると露骨にドン引きするだろ?あれ、どうすればいいんだろうな」
知らねえよ。確かにどう見ても外国の人が日本語ペラペラだと驚くことはあるが。
正直カーターの場合本当に英語が喋れるかの方が疑問である。
「なんで日本語勉強しようと思ったんだ?」
「いい質問だ」
「いい質問なのか?」
「ああ、いい質問だとも。答えてやらんでもない」
随分と高飛車だ。
「じゃあいいです」
「本当にいいのか?もう2度と聞けないかもしれないぜ」
なぜこの男は自分が日本語を学び始めたいきさつにそんなに価値があると思っているのだろう。
「実はな…」
聞いてもいないのに話しだした…
「なんだ不満か?」
反論するのはもう面倒臭い。
「いえいえ、どうぞお続け下さい」
「それじゃ。まあ大した理由じゃないんだけどな…」
「随分もったいぶるな」
「実は恥ずかしながら親父が出張で買ってきた神戸牛が美味くてな…」
本当に大した理由じゃなかった…。普通「大した理由じゃないんだけどな」という前置きがあったら実は前置きに反して結構大変な理由が語られたりするのがお約束だ。正直なところこの変なアメリカ人と日本語の出会いに全く興味がなかったわけではなかったし、大層な前置きもあったせいでどんな理由があったのだろうと続きが聞きたかった自分がいた。認めたくはないが神薙響也自身が、神薙響也の自我が、欲求がそこにはあった。
「神戸牛をバカにするな!親父行きつけの神戸牛の店から名前をつけられたバスケットボールの選手だっているんだぞ!」
「不憫すぎる!自分の名前の由来を親に聞いたら父親の食った美味い肉だったなんて俺だったらトラウマになるぞ。そいつが仮に5回NBAチャンピオンに輝いてたとしても引退試合で60点決めて永久に語り草になるとしても不憫だ」
「いやしかし牛のブランドから名前をつけんのも案外かっこいいかもしれないぜ?」
「まさか、そんなわけないだろ」
「じゃあやってみるか」
カーターが自信満々の笑みを浮かべた。
「三田牛が由来のサンダー!」
「む……」
不敵な笑みを浮かべていただけあって案外やるじゃないか。雷の英語thunderにも似ている。サンダーという語感にかっこよさを感じるのが幼稚だとかダサい必殺技の名前についてそうとかそんな誹りを受けるかもしれないが、それはサンダー否定派の妬み嫉み、あるいは負け惜しみと言っておこう。雲の切れ間から地面に向かって放たれる光の柱を見て畏怖を感じない人間はおよそいないだろうし、畏怖はそのまま尊崇の対象になる。そんな尊崇の対象に向かってダサいとか幼稚だとかそんなつまらない理由は無意味だ。
そういえば一応由来が三田牛だから英語にするとsandarとかsanderとかになるのか。sanderだと砂の人という恐ろしくダサい意味になるのはともかく、日本人にthとsの違いにうるさい人なんてそういないはずだから砂の人も特に問題なく雷として受け止めてもらえるだろう。第1サンダーとカタカナ表記してしまえば雷も砂人間も変わりはない。サンダーなんて名前聞いたこともないがサンダースなら聞いたこともあるし、元々外国人の命名感覚に敏感な日本人などいないに違いない。特に問題もないはずだ。この場合重要なのはかっこいい語感であってリアルさではない。
「皇牛由来のスメラギ!」
「な…」
…なかなかやるじゃないか。確かに日常生活をしている中で頻繁に聞きそうな名前ではない。が、皇という字も手伝ってかなんだか高貴な感じがする。全くの個人的意見だが、ゲームとかに出て来る女剣士でいそうだ。なぜ男の剣士ではなく女の剣士なのか?スメラギだぞ?どう考えても女剣士だろう。理由がない?感覚に理由なんていらないんだよ。スメラギ…スメラギ。やっぱり女剣士だ。長い日本刀を2本差していそうな気がする。何度も言うが重要なのは語感だ。正確性とか具体性とかそんなものは必要ない。
ちなみに皇牛は山口県のブランド牛だ。
「松阪牛由来のマッサーカー!」
そうだな…。なんとなく、これは本当になんとなくだけどアメリカの軍人で厚木基地とかに降り立ってそうだ。それになんとなく老兵は死なず、ただ消え去るのみとか言ってそうだ。なんとなくだけど。
「米沢牛由来のヨネ子!」
…米沢牛由来とあって風格と味のある名前に…
「なるか!かっこよくねえよ!というかマッサーカーくらいからもうなんかダメだったよ!」
「そうか?マツサーカっていい球なげるピッチャーになりそうでなかなかいい名前だと思ったんだけどな」
「ツを急に大きくするな。それは松坂だ」
「そういえば松阪牛って『まつざかぎゅう』って読む人が多いけど実は『まつさかうし』が正式名称なんだってな」
「……」
だからなんだというのだろう。
「ちなみに神戸牛も『神戸肉』か『神戸ビーフ』ってのが正式名称らしいぜ」
日本通もここまで来れば恐怖すら感じる。どこでこんなに牛肉に偏った知識を手に入れたのだろうか。会話を聞く限り彼からは微塵も外国人感を感じない。日本語を流暢に喋るとなぜかドン引きされると彼は言っていたが、ドン引きされている理由は案外別のところにあるのだろうと俺は今確信した。
アメリカ人の性格とか日本人の性格といった言い方は個性を無視したステレオタイプ的な見方で本来そんなことを言うべきではない。仮に日本人は礼儀正しいという一般論があったからといって、礼儀正しくない日本人は何者なのかといえばやはりその人も日本人だし日本人でしかないのだ。〇〇人だからと括ることになんの意味もない。旧時代的とさえ言えよう。だが敢えて言おう。カーターを普通に受け入れてたアメリカって国はさぞ包容力のある優しい国だったんだな。アメリカすげー。
「おい、そんなしょーもないことを話してる間にもう目的地が見えてきたぜ」
しょーもない話を始めたのはお前だ、と突っ込むのも億劫だった俺は窓の外を見た。すると確かに目的地らしい明らかに巨大な建物がビルの合間から見えてきた。
「あれが今回の目的地、ダイバだ」