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苦しい。辛い。
息が吸い込めない。今にも吐血してしまいそうだ。しかし足を止めることは許されない。それに目的地はもうすぐそこに見えている。
「遅いよ響ちゃん」
「2秒の遅刻だよ響」
「悪いな。昨日は全然寝れなくて」
息を整える。
「全く呆れちまうぜ。昨日はあんなにやる気満々だったやつが初日から遅刻なんて」
その外国人は流暢な日本語に大袈裟にジェスチャーを混ぜそう言った。
ちょっと待て。その外国人って誰だよ。誰だこの外国人!普通に会話に入って来たから一瞬普通に受け入れそうだったけど!
それになんできいと扇も普通に受け入れてるんだよ!
「お?この外国人誰だよ、って顔してるな?」
してるよ。それも猛烈に。
「名乗って欲しそうな顔をしているな。でもダメだ」
???
「人に名を聞くときはまず自分からだろおおおおおぉぉぉ!!」
俺は確信した。こいつ、めんどくさい。
*****
「ウェイン・カーターだ」
施設の案内中に彼はそう言った。
アメリカ人で陽気な彼は俺たちの前の新人らしい。俺たちが入って来るまでは1番の新参者だったという。
「気をつけろよ?ここにいるやつらはみんな仏頂面だからな。俺がジョークを飛ばしても顔色1つ変えねえんだよ。みんなくるみ割り人形かっつーの」
「そりゃお前のジョークがつまんねーからだろ」
「なにー!?このウィットに富んだジョークを理解できないだとー?」
「大体くるみ割り人形ってなんだよ。そこは普通蝋人形とか…」
「そこをくるみ割り人形にしてツッコミ待ってたんだよ!つっこめよ!」
この外国人、自分のボケの説明を始めた!
「なるほど、蝋人形とドイツの名産品であるくるみ割り人形をかけたんですね?」
扇わかってなかったのかよ!それにボケの説明はもうやめてやれよ!カーター真っ赤だぞ。
「ところで…カーターさん。これはどこに向かってるんですか?」
「お、おう。これは司令室に向かってるんだよ。まあ施設の案内も兼ねてな」
「司令室?」
「お前ら今日から初任務だろ?初任務だけは白金大将から直々に司令室で言い渡されるんだよ」
「そんなわざわざ直々に言わなきゃならないような任務を初日から任されるのか?」
「いや、まずないだろうな。新入りにそんな重要な任務は任されないだろう。そんなことより司令室だ。あそこはすごいぜ」
「なにがそんなにすごいんですか?」
扇が首をかしげる。
俺もこのいい加減な外国人の言うことだからあまりあてにはしていないが確かに少し気になる。
「まあ見ればわかるよ」
カーターはにやりと笑った。
*****
「司令室はここを曲がって真っ直ぐ行けば着く」
そう言うとカーターは曲がり角の手前でぴたりと止まった。
「お前は行かないのかよ」
「もちろん行くさ。でもここはお前らを先に行かせた方がいいと思ってな」
この外国人、まだ司令室自慢を引きずっていたのか。確かに少し気になるとは思ったがそれもほんの少し、雀の涙くらいだ。俺も大人だ。多少豪華な部屋や大きな部屋を見たところで驚いたりはしない。
「あんまり期待してないぜ」
「見りゃわかる。百聞は一見にしかずって言うだろ」
日本のことわざがカーターの口から飛び出したのは予想外だったが、どうやら彼は本当に俺たちが司令室を見て驚くと思っているようだ。顔が得意げである。いかにもしてやったりという顔。どうだと言わんばかりの顔。ドヤ顔。まだ何もしてやられていないのに。腹立たしい。
だがここで揉めていても事は運ばない。角を曲がって真っ直ぐ行けば司令室。それがどんなものかは知らないがカーターのドヤ顔がとにかく腹立たしいので素直に驚かなかった反応をしてやろう。
俺は努めて冷静な面持ちで角を曲がった。
「あっ……!」
声が出てしまった。不覚。
「うわっ……!」
「ひゃっ……!」
続いてやってきた2人からも思わず声が漏れる。
「な、驚いただろ?」
声から察するに、カーターのドヤ顔はさっきよりもさらにパワーアップしていただろうが、もうそんなものは視界にも入らなかった。
信じられない。
角を曲がった先に広がっていたのは巨大な空間だった。司令室へと続く廊下は途中から金属の橋になっていて、下は深すぎてよく見えない。落ちたら命はないということだけはわかる。まさに奈落の底だ。
橋は100メートルくらいあるだろうか。橋や壁など、ライトが至るところについているのもあって真っ暗ではなかったが決して昼間のように明るくはなく鉱山のように薄暗かった。
橋の上から見回すとどうやらこの巨大空間は卵型になっているようだった。橋はその卵型の空間の中を貫いているようだ。欄干から身を乗り出して目を凝らすと、卵の内壁は配線やらパイプやらで覆われている。
「一応ここはコンピューターとかから出た熱とかを冷やす役目もあるらしいぜ」
カーターの得意げな解説は癪にさわるが、確かに橋の上は涼しかった。解説は嘘ではないようだ。癪には触るが。
「…すごい…」
「まさか司令室への道がこんな風になっているとは思いませんでした」
2人も驚きを隠せないようだ。
「そうだろう、そうだろう」
「いや、別にお前を褒めてるわけじゃないぞ」
「なんだなんだ?確かキョウヤは絶対驚かないって言ってたよな?」
「うっ…」
それを言われると弱い。道中しつこく俺に司令室の話をして来たのはここでドヤ顔をするためだったのか。
カーターの顔は満面も満面、これ以上ないくらい得意満面な笑顔だった。
司令室は思った以上に普通だった。
いや、普通と言うには語弊がある。大きなモニターやらパソコンやらが並び、ふかふかした真っ黒の椅子に腰掛ける白金大将の姿や、やたら大きな机、巨大空間を望む大きな窓を見るといかにも司令室という感じでスタイリッシュだった。空港の管制室に似ているかもしれない。
だが残念ながら卵型空間ですっかり驚き疲れてしまって感嘆の声1つでない。念のために言っておくが決して驚いていないわけではないのだ。さっきの驚きに比べたら…ということである。
「やあ、来たか」
「ウェインカーター大尉、神薙響也、為永扇、里中希唯の3名を連れてまいりました」
カーターは急にかしこまった。さすがのカーターといえどここでジョークを披露する度胸はないらしい。
「ご苦労。さて君たちがここに来た理由はわかっているね?」
「初任務ですよね」
「わかっているなら話は早い。では早速通達しようか」
ごくり、と俺は唾を飲む。
「神薙響也。いや、もう神薙大尉だな。神薙大尉!君にはカーター大尉と台場基地で偵察機の迎撃任務を命じる。速やかに台場基地に向かい任務を遂行するように!」