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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第三章 識炉鼎(炉と鼎を見分ける)
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識炉鼎 1

やっと、ヒロインの登場です。


 近鉄の奈良駅で電車を降りた(まもる)は、国立博物館を右手に見ながら、東大寺へ向かって真っ直ぐに進んでいった。目的は大仏殿の西に位置する戒壇院(かいだんいん)だが、せっかく来たのだから仁王門や大仏も見学しておこうと思ったからだ。

 道を外れ、奈良公園の冬枯れた芝生の上を歩いていくと、木立の合間に繁殖期の終わりを迎えた神鹿の姿が見え始めた。

 淡い木漏れ日の中、立ち止まったり、寝そべったりと、思い思いの格好でくつろぐ姿は、以前修学旅行で来た時に見たものとはかなり違っている。

 そう、あの時は、夏になったばかりだった。

 夏毛は暖かそうな冬毛に()え変わり、もう特徴である白い鹿の子模様を見ることはできない。またみっしりと産毛(うぶげ)に埋まっていた雄の袋角(ふくろづの)も、袋が剥がれ落ちて立派な枝角(えだづの)に変化し、それもすでに人の手によって()られている。

 そんな中に、ひときわ小さなシカがいた。

 他に比べると、毛並みがずいぶん黒っぽい。

 その子鹿の頭上に(あか)い火が点る。

 ピンと立った耳と耳の間に燃える炎。

 だが、目を凝らしてよく見ると、炎ではなくスズメが留まっているだけだった。

 寒さに対抗するように空気を孕んで膨らむスズメは、普通のそれとは違い、赤みが強く目立っている。冬の陽射しをいっぱいに浴びたその羽が、光の加減で燃え立つ炎のように見えたのだ。

 スズメは子鹿の耳にくちばしを寄せ、しきりにチチチと鳴いていた。

 何かを耳打ちするかのようなその姿が、ひときわ激しく燃え上がる。

 雲一つない冬の空へとスズメは軽やかに飛び立った。

 渡っていく風のように、子鹿も軽やかに走り出す。

 子鹿は守に向かって迷うことなく直進し――

 そして、飛んだ。

 低い姿勢になって避けた守の上を、驚くほどの脚力で軽々と飛び越える。

 と、そのままスズメの後を追っていった。

 守も反射的に走りだす。


 木立の合間を、朱い炎と黒い風が、後に先にと縫っていく。

 その時、何か白いものが守の頬に当たった。

(雪? ――いや……)

 行く先には、冬だというのに満開の桜。

 仄かな(くれない)に染まる白い花片(はなびら)が、冬の冷たい風に舞う。

 淡く霞んだその先に、細身の少女が立っていた。

 風になびく細い髪。

 栗色に染まった髪で、少女の顔はよく見えない。

 子鹿はその()に向かって突き進み、危ない、と思う間もなく速度を落とした。

 周りを嬉しそうに跳ね回り、甘えるようにその身を擦り寄せる。

 応えるように、ほっそりとした指が子鹿の頭を軽く撫でた。

 花片が舞う中、優しげに振る舞う少女は――

 ひどく儚く、朧気だ。

 スズメは楽しげに、守の頭上を旋回する。

 だが、守はそれには気づかない。

 チチチチチ――

 スズメが鳴いた。

 うっとりと享受していた子鹿が顔を上げる。

 少女がこちらを振り返った。

 その刹那、通り抜ける一陣の風。

 一斉に花片が舞い上がる。

 チチチチチ――

 青い空をスズメが鳴きながら飛び去っていく。

 気を取られていた守が空から地上に視線を戻した。

 と――


 少女の姿は跡形もない。

 桜の花も咲いていない。


(夢?)


 残された守を、黒曜石のような大きな瞳が、ただじっと見つめていた。


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