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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第二章 採薬(生薬を採取する)
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採薬 3

「なあ、うちが維名(いな)んとこと親戚ってホントなのか?」

 突然の問いに、母は(まもる)によく似た、一重の切れ長の目を丸くした。



 亮二に会った後、守は父が出張でいないだろう時を狙って、一度家に帰ることにした。父の留守を選んだのは、あの父ならすぐに守が香子(きょうこ)に振られたことに勘づいて、何か言ってくるだろうと思ったからだ。

 だいたい幼稚園の頃からそうだった。守が好きな相手にやっとの思いで告白して家に連れていくと、いつも出張でいない父がその時だけは家にいて、家族には絶対に見せない、飛び切りの愛想笑いを浮かべて迎えてくれるのだ。すると彼女たちは頬を染め、皆同じ言葉を口にした。

『ごめん、他に好きな人ができた』って。

 そして守が抗議すると、父も同じ言葉を繰り返した。

『よかったじゃないか、早く判って』と。

 だから、香子だけは父に絶対会わせないと心に決め、事実、三年近く護りきってきたのだ。

 だのにまさか父ではなく、他の男に取られるとは――

 もしこのことが判ったら、父はきっと言うだろう。

『さっさと俺に会わせとけばよかったのに』と。

『俺がちゃんと見極めてやったのに』と。

 失恋のショックも大きい中、さらに追い打ちをかけられでもしたら堪らない。

 慎重に慎重を重ねた守が「ただいま」と実家のドアを開けたのは、亮二と会った五日後の午後だった。



「誰に聞いたの? そんなこと」

 専業主婦の母は、いつものようにキッチンのテーブルに座り、あれこれと夕飯の献立を思案しているところだった。

「亮二」

 守は、カバン置き場になっている自分のイスには座らずに、母の目の前の、父の席に腰を下ろした。

「教えてほしいこと、あんだけど――」

 上海で武志(たけし)に遇ったことを守は母に話した。


「武志くん? そう、あの子、上海にいたんだ」

 初めて聞いたような口ぶりだが、母はあまり驚いている様子でもなかった。

「でさ、さっきの話なんだけど――」

「う~ん、親戚ってわけじゃないんだけどね、まあ、肉親以上の関係だった、って感じかな」

「はぁ? 肉親以上の関係?」

 その言葉の持つ怪しい響きに、今度は守が目を(みは)った。

「昔からの知り合いでね。う~んと、三百……」

「三百?」

「五十……ううん、その前からだから――四百年ぐらいかな」

 恐怖の大王が、アンゴルモアの大王を蘇らせることなく過ぎて行った今年。世紀末を来年に控えた現在から数えて四百年ほど前といえば、日本では安土桃山時代の末期から、江戸時代になろうかという時期だった。

「……そ、それで、仲良くしろって言ってたのか――」

「そういうわけじゃないけど。武志くん、辛そうだったから」

義祖母(ばあ)さんにいじめられてか?」

「あら、そんなことないでしょ」

「じゃあ、何でさ?」

 母は急に真剣な顔になって、「守は、お父さんやお母さんが急にいなくなったらどうする?」と訊いてきた。

 武志の父親は大学を卒業した後、結婚して関西の方へ行き、その後で、奥さんと一緒に事故で亡くなったのだという。

「交通事故?」

「ううん、そうじゃないの……」

 母は口籠もって顔をしかめた。詳しいことは知らないが、不思議な事故で、地方版だが新聞にも載ったらしい。

「地方って?」

「関西の方。確か奈良だったかな。それより、何でそんなこと訊くわけ?」

 母の突然の切り返しには驚いたが、上海であったことを正直に話したとしても、この現実主義者の母がすんなり信じるはずもない。だから「いいじゃん、別に」と適当にごまかしてから、「何とかして判んないかなぁ」と自分でも気持ち悪いと思いながらも、ちょっとだけ甘えてみた。すると母はしばらく考えて、どこかに年賀状があるはずだと言いだした。

「年賀状? ああ、『肉親以上の関係』ね」

「もう、何言ってんの。維名くんは――ってお父さんの方だけど、うちのお父さんの親友だったからでしょ。お母さんも高校の三年間、ずっと同じクラスだったし。それにちょっと好きだったの」

「は? 誰が、誰を?」

「お母さんが、維名くんを、よ」

「はぁ?」

 盛大に驚く守を尻目に、母は話し続けていた。

「それがね、背がすらりと高くて凄く格好良かったの。お父さんと違って、性格も良かったし。あ、でもお父さんだって、決して悪いわけじゃないんだよ。ちょっと変わってるけど、基本、優しいとこあるじゃない。それにまあまあ家族思いだし。ただ、それを素直に表現できないんだよね、あの人は。何かこう、複雑に考えすぎちゃうみたいでね。でも逆に言えば、そこがお父さんの可愛らしいところでもあるわけよ――って、何の話だったっけ?」

「親父が、維名の父親と親友だって話だろ」

「あ、そうそう」

 さらに母は、武志の父が守の父と違って落ち着いた大人な雰囲気だったとか、でも身近で親しみやすかったとか、皆に優しく親切だったとか、女子に人気があるだけでなく、男子にも一目置かれて頼りにされていたとか、どうでも、と前につけたくなるほど、いいことばかりを並べ立てた。

「とにかく維名くんって、彼氏として理想的だったわけ。あ、でもね、ずっと好きな人がいたんだけどね」

「いや、だから――」

 守は、「何でそこで『でも』なんだ」と一度突っ込みを入れたくなった。そして何よりも、親の恋愛事情など知りたくもない。だいいち、あの父のどこが可愛いと言うのだろう。父が変わっているというのなら、母の方も存外だった。

 けれど母はそんな守の気持ちなどお構いなしに話し続けている。

「でね。その好きな人っていうのが、何とお父さんの許嫁(いいなずけ)だったりするわけよ」

「え……」

「でね、でね。維名くん、大学院に進学するのが決まってたんだけど、大学卒業してすぐに、二人で駆け落ちしちゃったの」

「誰と?」

「だから、お父さんの許嫁とよ」

「はぁあ? じゃあ親父、親友に婚約者……と、取られたのか?」

 さすがに自分の母親に『寝取られたのか?』とは訊けなかった。

「う~ん、表面的にはそういうことになるのかな。でも許嫁って言っても、親同士が勝手に決めてただけで、正式に婚約してたわけじゃないから、取られた、ってのとはちょっと違うかも。それに維名くんたちが駆け落ちする時、一番ノリノリだったのは、お父さんだったし――」

「え? 勧めてた、ってこと?」

「うん。だってお母さんたち、あの頃もう、つきあってたから」

「………」

 久し振りの母の手料理を堪能し、守は早々に退散した。夏に旅行に行った皺寄せが続いていて、バイトを休むわけにはいかなかった。

 母は、守が帰るまでに目的の物を見つけられなかった。見つけたら連絡をくれると約束して、守は実家を後にした。


 二ヶ月ほど経った頃、守は母からの速達を受け取った。冬至(とうじ)の二日前だった。

 封筒の中には「ごめん。忘れてた」という手紙と共に、武志の父からの年賀状が入っていた。さらに母の手紙には、お詫びと称して家賃の他に少し多めに振り込んだ、とも書かれていた。

 口座を見たら確かにいつもより十万ほど多かった。

 大学生になって一人暮らしをする時に、守は家賃、光熱費以外の生活費を自分で稼ぐ約束になっていた。だのに今回に限っては、あの締まり屋の母が守の銀行口座に旅費の振り込みをしていたのだ。

 母の真意を測りかねた守は、急いで実家に電話を入れた。

「何でさ?」

「だって、すぐ行きたいんでしょ。でも夏に旅行しているからお金がない」

 さすが母、自分の子供のことはよく解っている。

「でも――」

「普段は食費も出してあげてないんだから、たまにはいいいじゃない。それにこれ以上バイトを増やされて、勉強する時間がなくなるほうが困るでしょ。学生は勉学が第一なんだから、帰って来たらしっかり勉強してよね」

 もっともらしい理由を並べていたが、守は逆にこの母の態度に疑問を持った。

 いつも金銭的に厳しいのは父よりも母だった。

 だのに母は武志が絡んでくると、何故かいつもとは違ってしまう。

 しかし今はそんなことを考えている余裕はなかった。すぐに冬至がやって来る。明日と明後日を逃したら、守は当分自由に出歩けなくなる。

「で、解ってると思うけど――」

「もちろん、親父には内緒だろ。ありがとう」

「じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」


 そして一年で一番陽射しの短いその日の朝、守は奈良駅に降り立った。


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