採薬 2
「それで、なぁにィ? 聞きたいことってェ」
梨佳江に問われて我に返った守は、姿勢を正し真面目な顔で本題に入った。
「黒鏡は、維名のこと、憶えてるか?」
武志が最初にいなくなった一月半の後、守たち一家は集落よりも都心に近い一戸建ての建売住宅に引っ越した。そこで中学の、残りの一年と少しを過ごすと、守は実家近くの県立高校へ進学し、梨佳江と再会した。同じクラスになったのは、三年になってからだった。
「武志クンのこと? 雷が落ちて権現さまの境内が火事になった日にいなくなっちゃった」
「ああ。オレ、夏に上海で維名に遇ったんだよ」
守は上海で起こった出来事をかいつまんで話した。もちろん、信じてもらえそうもない不思議なことは除いてだが。
「気がついたら、いなくなってたんだ」
「って言うかァ、守クン、嫌われてんじゃないのォ?」
梨佳江は、また言いにくいことをはっきりと言った。
「そんなことないさ。だいいち、大学の留学生楼にも帰って来なかったんだぞ」
「だって守クン、子供の頃、武志クンのこといぢめてたじゃない。だから守クンのことがイヤで、友達んとこ、行っちゃったんだよォ」
思わぬことを言われ、守は慌てて否定した。
「そんな。オレ、別に維名のことなんか、いじめてないぞ」
人聞きが悪すぎる。守は弱い者いじめが大がつくほど嫌いなのだ。
「確かに、オレはあいつのことは好きじゃなかったさ。お袋にもしょっちゅう仲良くしろって言われてたし。けどさ、いじめたりはしてないんだ」
「いぢめっ子って、よくそう言うんだよね。いぢめてるのにィ、そんなつもりはなかったって――」
守は、梨佳江の抗議が意外だった。
「何だよ黒鏡、ずいぶん維名の肩、持つじゃん」
「だって、わたし、武志クンのことが好きだったんだもん」
その後しばらくの間、守は容赦ない、梨佳江の毒舌の餌食になった。そしてそれを我慢した後で、やっと訊きたい問いを訊くことができた。
「なあ、維名んちの叔父さんって、今もあそこにいるのか?」
問題を解決するために必要な情報が何なのかを、守は自分で判断できなかった。
そもそも守を悩ましている問題そのものすら、今一つ明白ではないのだ。ならば武志に関する情報を、手当たり次第集めるしかないだろう。その手始めとして同じ大学にいて一番会いやすい梨佳江に、武志が神隠しにあった後の状況を聞くことにしたのだ。
梨佳江は小さな口をヘの字に曲げて、天井へ視線を向けた。小首を傾げ「う~ん」と少し唸ってから、艶ややかなピンクの唇を動かした。
「あのね、怪我はそんなにたいしたことなかったはずだよ。だけどォ、いつの間にか、いなくなっちゃたんだよねェ」
「いなくなったぁ?」
「うん。亮二クンに聞いてみたら? 亮二クンだったら、もっと詳しく知ってるかもよ」
守の幼馴染みの亮二は、高校を卒業してすぐ結婚し、父親の後を継ぐためにガスの配管工の修行に出ていた。なかなか都合がつかず、ようやく会う段取りを整えた時には、十月も半ばを過ぎていた。
「ワリィ」
待ち合わせのファミレスに、約束の時間より少し遅れて亮二は現れた。
「もっと早く会いたかったんだけどサ、何せガキが生まれる生まれないで、ガタガタしてたもんだからサァ」
「で、どっちだったんだよ?」
「それがサ、女の子でサ、これがまたサ、マジかわいいわけよ」
亮二は、携帯の待ち受けに使っている子供の写真を守に見せた。亮二には悪いが、皺くちゃの子供の顔は正直あまり可愛いとは言えなかった。けれど守の思いなどお構いなしに、亮二はひとしきり子供の自慢話をして親バカぶりを発揮した。
やがて同じ話が繰り返されるようになると、亮二はワークパンツのポケットから何かを取り出した。それは本物のタバコではなく、禁煙用のパイプだった。
「ウチのがうるさいからサ。で、タケちゃんのことだったよな」
守は、あまり時間がないという亮二のことを考えて、前もって梨佳江に話したのと同じ話を電話でしていたのだ。
「タケちゃんちには、バアさんがいたろ。タケちゃんが行方不明になってすぐに、オマエんちのほうの寺で葬式、やったじゃんか」
「そういやぁ……」
あれからいろいろ考えて、守は五年前の記憶を少しだけ思い出していた。
梨佳江に武志の叔父もいなくなったと聞いた時、ふと頭に浮かんだ言葉は『海外旅行』だった。あの時は香子のことを持ち出され、その影響だろうと思っていたが、よくよく考えてみると、武志の叔父は『海外旅行に行った』、と誰かから聞いたような気がしないでもない。
武志が行方不明になり、その叔父の事故現場を目撃したせいで、多少なりともショック状態にあった守は、あの後のことはほとんど憶えていなかった。憶えていたとしてもその記憶は曖昧で、夢の中の出来事のように現実味がない。
だから、武志の祖母の葬儀に関しても、何となくそうだったぐらいの感覚しかなかった。
「あそこのオジさんはサ、バアさんの四十九日が過ぎてから、どっかに引っ越したらしいんだ」
「引っ越した? 旅行じゃなくてか?」
「旅行? そういやァ、しばらくいなくて、春頃一回帰ってきたかもナ。で、また出て行ったんだ。家はまだあるけど、それきり見てないゾ」
「一度も、か?」
「うん。でも、タケちゃんが上海にいたんならサ、一緒にいるんじゃないのか?」
「え?」
そんな可能性を、守は一度も考えていなかった。確かに家族なら、そういうこともあるのかもしれない。
しかし――
「けど、維名は大学の寮にいたし、四年前から面倒を見てた人は中国人で、知り合いから預けられたって、言ってたからな……」
「じゃ、その知り合いが、オジさん?」
本当にそうなのだろうか。だが含明は、知人とはすぐに連絡が取れなくなった、とも言っていた。
黙り込む守に「でもサァ――」と亮二が声をかけてきた。
「これは、前にウチのバアちゃんから聞いた話なんだけどサ。あのオジさんって、維名んちの本当の血筋じゃないんだってサ。もう一人息子がいて、ホントはその人が継ぐはずだったらしいんだ。それがタケちゃんのお父さんなんだってサ」
亮二の話では、維名の家はもともと武志の父方の祖母の家で、お祖父さんという人は、武志の祖母と結婚してあの家に入った人だった。
武志の父が中二の時に、祖母は交通事故で亡くなった。武志の祖父はいくらも経たずに新しい奥さんを家に入れた。叔父はその人の連れ子で、まだ六つになったばかりだったという。
「でも、ウチのバアちゃんが言うにはサ、どうもジイさんは奥さんがまだ生きてた頃から、後妻のバアさんとデキてたらしいんだ。連れ子も実はジイさんの種だってもっぱらのウワサでサ。で、タケちゃんのお父さんと折り合いが悪くなって、タケちゃんのお父さんは中学を卒業してすぐに家を出ちまったんだってサ」
武志の父は、親戚の家から高校へ通い、大学へ行った。そしてどこかで結婚したのだという。
「よっぽど拗れてたみたいで、ジイさんが死んだ時も帰って来なかったらしいゾ」
「それじゃあ、何で維名を家に引き取ったんだよ?」
「そりゃあ、やっぱ血じゃないの、血。維名の本家の血を引いてんのは、もうタケちゃんだけなんだからサ」
「う~ん、よく解んないなぁ。維名んちって、そんなに凄い家なのか?」
「うん。どこからか来て、あそこに集落を作ったのは、タケちゃんちの先祖だってことだからなぁ」
その後、他愛のない話を少しして亮二は立ち上がった。
「そう言やぁサ、守。オマエ、自分の親に聞いたのかよ。オマエんちのオバさんのほうが、オレなんかよりずっと知ってるはずだゾ」
「何で、うちのお袋が?」
「だってオマエんち、タケちゃんちと縁続きなんだろう」
初耳だった。