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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第二章 採薬(生薬を採取する)
14/99

採薬 1

「わぁ~い、(まもる)クン、久し振り~ィ」

 黒鏡梨佳江(くろかがみりかえ)は、大きく手を振ってすっとんきょうな声を上げた。

 文学科一年の彼女は、分校時代の同級生の五人娘の一人だった。守と同じ頃に、東京からあの集落へ引っ越してきて、実家はまだそこに残ったままだった。

「あれェ~香子(きょうこ)チンは?」

 ピンクのグロスがたっぷりと塗られた梨佳江の唇から、守が今、一番訊かれたくない質問が飛び出した。

「香子は、関係ないんだ」

「さァては、フラれたって話、ホントだなァ?」

 可愛らしい顔をして、梨佳江は平気で言いにくいことを言い放った。



 上海旅行の三日目。

 朝食の後、含明(がんめい)の勧めに従って、守はホテルから含明の大学の招待所へと荷物を移した。宿泊費については、日本に留学していた時に、日本の方にはとてもお世話になったから、と含明は受け取ってくれなかった。実際の宿泊料金は、一泊二百元。その日のレートで換算すれば二千円ぐらいだが、職員割引とか、たまたま月単位で借りていたとか、含明側の諸事情とも重なって、実質五百円でもおつりが来るらしい。「なら、なおさら」と守もがんばってみたのだが、「では私が日本へ行った時に食事でもごちそうしてください」と言われ、手を打った。

「絶対に、そちらの方が高いですよ」

 含明がすまなさそうに苦笑したところに、授業を終えた皓華(こうか)がやって来た。

「マモルゥ~ッ!」

 皓華は守の顔を見た途端、ポロポロと大粒の涙を零した。含明の話では、守の安否をとても気遣っていたという。

「ダイジョブカ?」

「ごめんな、皓華、心配かけて。維名(いな)は?」

武志(タケシ)、マダ」

「あ……やっぱ、戻ってないんだ」

「ウン」

 あまりにもしょんぼりしている皓華に、守はかえって申し訳ない、という気持ちが強くなる。あそこに行きたい、と言い出したのは守だし、連れて行くと判断したのは武志だった。自分のワガママのせいで、皓華に哀しい想いをさせている、と思うと心が痛む。何とか慰めようと焦ったが――

「そうだ。夏芽(なつめ)さんは?」

 話題を変えることぐらいしかできなかった。

「今、チーリン」

「『ちーりん』?」

吉林(きつりん)です。朝鮮半島の北側で、日本では満州(まんしゅう)と呼ばれていた地域です」

「満州ですか――」

 第二次世界大戦の末期、守の父方の祖父は学徒動員で満州へ行き、ソビエト軍に捕らえられ、捕虜としてシベリアに抑留(よくりゅう)されていたと聞いたことがある。旧満州地方なら、守にとってもまんざら縁のない土地でもない。

「どんな所なんですか?」

「一言では言いにくいですが、好い所ですよ。行ってみたいですか?」

「そうですね。はい」

「なら、いつか必ず行くことができるでしょう」

「はい?」


 三人で昼食を摂った後、授業がある含明に代わって、皓華が守の面倒を見てくれることになった。その日だけでなく次の日も、皓華は付きっきりで守の世話を焼いてくれた。

 どうやら心配だけでなく責任も感じていたらしい。皓華の態度の中には、小さな女の子が自分よりもさらに小さい弟の面倒をかいがいしく見ているような、そんないじらしささえ感じられた。

 皓華のお蔭で残りの日程を楽しく過ごし、守は帰りの飛行機に乗った。けれど、最後まで不機嫌そうな武志の顔を見ることは叶わなかった。


 日本に着いた守は、さっそくケータイの電源を入れ、香子に電話した。もちろん体調も心配だったが、何よりも今回の一連の出来事を聞いてほしかった。

 だのに呼び出し音が鳴るだけで繋がらない。時間を置いてかけ直したが、やはり香子は出なかった。留守電に『空港に着いた』とメッセージを残してしばし待つ。普段の香子なら、たとえどこかに出かけていても、必ず何らかのレスポンスは返してくれるのだが――

(ん? 着拒?)

 何故か突然閃いた。まさか、と思いつつも守はあれこれと考えてみる。

 そうされる具体的な理由は思いつかなかった。だが、ただ一つ、後ろめたい思うことはあった。けれどそれだって、直接の理由にはなるわけがない。

『香子がいなくてよかった』

 旅行中に、守の頭の中を(かす)めた『想い』。それをどうやって、日本にいた香子が知り得るというのだろう。


 気を取り直し、今度はメールを送ってみた。五分ほどして返ってきた返事には、『好きな人ができたので、お別れします。ごめんなさい』との一方的な別れの言葉が記されていた。突然で納得がいかずにかけた電話は、今度ははっきりと着信拒否のアナウンスが流れた。送ったメールも届くことなく戻ってきた。

 それならば、と守は香子の家に電話しようと考えた。

 おそらく香子の母親なら、事情を話せば取り次いでくれるだろう。親同士が知り合いだし、何度も家に行って歓迎もされていたから、嫌われてはいないはずだ。

 守は携帯のアドレス帳を開き、香子の家電(いえでん)の番号を選んで決定ボタンを押そうとしたが――すんでのところで思い止まった。

 香子が旅行に来なかったのが、何よりの答えなのだ。

 好きな相手のために、守と二人だけで旅行へ行くのは(はばか)られた。

 おそらくそういうことなのだろう。

 それに今現在、香子が自分の家にいるとは限らない。

(もしかしたら、好きなヤツと一緒にいる可能性も――)

 そう思うと、ジリジリと焼けた痛みに襲われる。

 もし本当にそんな状況なら――

 きっと香子の母を凄く困らせてしまうことになる。

(香子のお母さん、良い人だったしな……)

 守は大きくため息をつくと、手荷物を肩にかけ、ガラガラとスーツケースを押し始めた。


 休みが明け、学校で香子を見かけても守は声をかけなかった。一緒にいたのは、香子と共に学園祭の実行委員をしている一学年上の男だった。

 振り向いた香子と目が合ったが、すぐに反らされた。気づいた男はあからさまに、守を睨み返してきた。

 いつからだったのだろう。まったくそれらしき気配は――

 そこまで考えて、守は、いや、と思い直した。

 旅行の前日に別れる時に、少しおかしいと感じたのだ。それは、香子が具合が悪かったせいだと思っていたが、今思えば、どちらを取るのか悩んでいたからかもしれない。でなければ、言いだせなくて苦しかったのか。

 どちらにしろ、これ以上纏わりついて惨めになることだけは避けたかった。

 今だって十分に惨めなのに、さらにストーカーとか言われたら、きっと当分立ち直れない。

 守はバイトを増やし、なるべく香子のことを思い出さないよう努めた。それでも思い出しそうになった時は、無理にでもいなくなった武志のことを考えた。

というよりも、守は頭のどこかで武志のことを考え続け、忘れることができないでいたのだ。


 旅行の最終日、帰国するギリギリまで待っていたが、武志は帰って来なかった。見送りに来てくれた皓華は、武志が見つかったら必ず連絡をくれると言っていた。もう二週間は経っているが、いまだ一報も届いていない。ならば、まだ見つかっていないということだろう

(維名はどこに行ったんだ?)

 どんなに思考はさ迷っても、最後にはその疑問に辿り着く。含明が言うように、考えても無駄だと判っていても、やはり考えを止めることはできなかった。

 それはまるで片思いの初恋の相手を想い続ける中学生のようで、守は自分のこの『想い』に困惑するばかりだった。

(どうすれば、いい?)

 もちろん女子相手の恋ならば、告白すればいいだけだ。それは守の苦手とするところだが、成功しても失敗しても必ず結果が出ることには違いなかった。振られたら振られたらで、無理にでもきっぱり諦めれば済むことだ。

 けれど武志の場合、女子相手の恋とは違う。何しろ相手は男で、どちらかと言えば嫌いな方で、おまけに今は行方不明ときているのだ。

(どうしたら、いい?)

 守は必死に考えた。

 不意に最初の夜の、含明との会話を思い出した。

 確か含明は、答えが出ないのは情報が足りないからだ、と言っていた。

(つまり、情報が必要ってことだよな)

 だが、その必要な情報は――

(いったい何だ?)

 守はしばらく考えてから携帯電話を手に取った。そして同じ大学の梨佳江に連絡を入れたのだ。


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