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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第一章 止念(考えない)
1/99

止念 1

『そらつかい』とは

     虚遣い【道】道家の基本理念である『虚』を遣うことのできる人

     空遣い【仏】仏家の基本理念である『空』を遣うことのできる人

  そらつきゃぁ【方】日本のとある地方の方言で『うそつき』のこと


(何でこんなコトになったんだ――)


 丹下守(あかもとまもる)は、考えていた。


 根っこから引き抜かれた街路樹。

 大きな水溜まり。

 止んでは降りだす土砂降りの雨。

 突発的に逆巻く風。

 そして――

 痺れるほどのバイブレーション。


打気(ターチー)!」

 子供の頃の顔しか知らなかった男が、突然叫んだ。

 異国の地で偶然遇った幼馴染み。

 ある日、突然いなくなった同級生。


「逃げろ、丹下!」

「ど、どこに?」

「国術!」

「えっ?」

「大学だ!」

「だ? ……あ~あ、大学か」

 ひとまず守は納得する。

 けれど――


「どう行きゃあいいんだよ!」


 慌てて叫んだその問いに、答える声はない。

維名(いな)!」

 守は、武志(たけし)名字()を呼んだ。

「どこだよ!」

 甲走(かんばし)る声は、終わりの方がさらに上擦って掠れていた。

 だがそれも無理ないことだろう。武志は言葉も通じぬこの異郷(くに)で、守がよく知る、ただ一人の日本人なのだ。

 迷子の子供がするように、守は左右を見回した。意外なほど簡単に、守は武志を見つけることができた。

 細身の男は、すでに降りしきる雨の中にその身を置いている。

 ところが――

 雨に(けぶ)る武志の姿は、さっきまで一緒だった彼と違っていた。

 鋭い眼光に、肉眼では捉えきれないほどの素早い動き。雨さえ()けられそうなその勢いに、守は目を(みは)った。

 けれど違っているのは動きではない。その片鱗なら、さっきまでいた国術大学でも垣間見ていたはずだ。

(なら、どこが……)

 守はよく見ようと前に出た。雨が当たるのも構わずに、全神経を、武志を見つめる(おの)双眸(そうぼう)に集中する。

 視線が雨の中を突き進み、動き回る武志に辿り着く。

 と――

 その足に絡みつく、モヤモヤとした黒いモノを捉えた。

 叩きつける雨や、突然殴りかかる風とは遥かに違う異質なもの。

(何だ、ありゃ?)

 そう思った途端、武志が驚くべき脚力で跳ね上がった。

 武志の体が宙を舞う。

 人間離れした跳躍にも、『(もや)』は離れるどころか、武志の全身を包み込もうと、広がり追い縋っていく。

 その時――

「!」

 守の背にどうしようもなくイヤな気配が這い上がってきた。

 敵意。

 殺気。

 憎悪。

 怨念。

 そんな直接的な感情でなく、もっと根源的で陰湿な澱んだ感覚。

 それが、守の生理的嫌悪感をこれでもかと刺激する。

 誰だって、嫌なものは嫌だ。

 それは人に備わった、性命(いのち)を護るための本能でもあった。


 自分の(こころ)(からだ)を保持しようとする強い欲求――

 守は特にそれが激しかった。

 そしてそれこそが、守の体内(うち)に漲る闘争本能の原動力でもあるのだ。

 どうしても、逃げたい。

 けれど、どうしても(のが)れることはできない。

 この時初めて、守は自分だけではどうすることもできない、圧倒的な力に捕らえられていることに気がついた。

(な、何だよ……これ?)

 微かに残る理性が考える。

 あのジンジンと痺れるバイブレーション。アレのせいなのか。

 顔に。指に。全身に。痛いほど突き刺さったアレなのか。

 あの時、武志は何かを言っていた。

 けれど――

(あれは、日本語じゃあなかったような――)


 思考はそこで中断する。守を包み込む嫌悪感が、これ以上我慢できないほどぴったりと、焼けた素肌に張りついた。

 短い髪が逆立って、守の感情(こころ)が『逃げたい』と叫んだ。

 何が何でも逃げ出したい。

 どうしても嫌だ、と。

『止めろ!』

 守は心の底から声を上げた。

 だが、その悲痛な叫びを発することはできなかった。

 体がまったく動かない。

 不意に目の前がぼやけて暗くなる。


『!』


 ついに、守は自分に纏わりついているモノが、武志の足下(そっか)に絡みつく、正体不明の黒い『靄』だと知ったのだ。

 途端――

『イヤだ! イヤだ! イヤだ!』

 守の心が悲鳴を上げた。

 だからといって、それで解放されるはずもない。

 それどころか冷たく陰湿なソレは、閉じることのできない耳、鼻、そして毛穴という毛穴から、無理やり体内に入り込もうとする。


 ヤ、

 メ、

 ロ。


『止めろぉおおおおおおおーーーーっ!』


 反射的に、体がすべての呼吸を止めた。

 すると――

 下腹(したはら)と共に、睾丸と肛門の中間に位置する会陰(えいん)の部分が、体内の一点へと急速に収縮を始める。

 (へそ)から指三本下。気海(きかい)(つぼ)の、さらにその奥の奥。

 昔から『丹田(たんでん)』と呼ばれ、人にとって一番重要とされている場所だった。

 すぐに、体のすべてがそれに倣う。

 まるで体内に小さなブラックホールが発生したかのように、すべてが『丹田』へと引き摺り込まれていく。

 やがて、それは豆粒ほどの一点に凝集し――

 固まった。

 と、同時に、狂おしいほどの熱感と膨大な(ちから)が噴出する。

 それが間欠泉(かんけつせん)のように勢いよく吹きあがり、体中を駆けめぐって鍛えられた筋肉へと伝わっていく。


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉお!」


 雄叫びと共に全身が激しく痙攣(けいれん)し、黒ずむ眼前(がんぜん)が朱く染まった。

 シュウ、

 シュウ、

 シュウ。

 黒い『靄』が、音を立てて蒸発する。

 守の体が強い戒めから解き放たれるのに、それほど時間はかからなかった。


「助かっ…た……、のか?」

 守が切れ切れに声を漏らす。それを合図にしたように、これまでにない激しい雨音が、熱く猛った脳内に響き始めた。

「いったい、何が起こったんだ……」

 呆然とする守に、容赦なく雨は降りかかる。

 雨は体に当たると音を立て、あの『靄』のように瞬時に蒸発した。

 白い蒸気と無数に落ちる雨の線が、辺りの風景を歪めている。

 その向こうに――

 (おぼろ)に浮かぶ黒い影。

 守は慌てて身構えた。

 それは瞬く間に雨の中へ溶け込んで――

 そして、消えた。


 守はついに武志の姿を見出すことはできなかった。






 *文中の『性命』は、『性』=心、『命』=体で、心と体の意味になります。


 文章を書くのが苦手な私でも、参加できる場を与えていただきありがとうございます。人様に見ていただけるレベルかどうかは判りませんが、これを機会に少しずつでも上達できるようがんばりたいです。


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