異形
剣を片手に久蓮は怪物に向かって一歩踏み出す。
その気配を察したのか、怪物は獲物を貪るのを止めて首を久蓮の方に向けると、威嚇するように尾を真っ直ぐ立てた。
「キュウ!」 双方が睨み合う中、久蓮の後ろから健太が駆けつけた。久蓮の対峙する怪物に気がつき足を止める「こいつはいったいなんだよ!」
「分からない。分からないけど、異形かもしれない」 頭の端で思っていた疑惑を、ありのままに口にした。「マップの表示とまったく同じ怪物なんだ、あいつは。それに、装備画面で変えた装備が現実に出てくるんだよ」
一息に言い切って、手にした剣をよく見えるようにかざす。
一緒にゲームをやってきた仲だ。健太も久蓮の愛用武器は把握しているし、ゲーム内のグラフィックもよく見ている。
「おい、それじゃあ……」
健太が言いよどみ、久蓮もそれ以上言葉が出なかった。
だが異形はそんな二人の心情など関係なく、新たに目標を定めたようで、獲物を捨て置き、ゆっくりと久蓮に向かって近づき始めた。
久蓮は息を呑み、後じさる。
「こいつはレベル3だ。一般人でも勝てる相手だ!」
自分に言い聞かせるように腹から声を出して気合を入れ、恐怖や迷いを振り払う。剣を両手で握り締めて異形に向かって走り出した。
走り出した次の瞬間には異形が眼前に迫っており、そのまま一瞬で異形の横を駆け抜ける。驚きと共に急停止して振り返ると、そこに異形の後ろ姿があった。予想だにしない速度が出たため、ただ横を通り過ぎただけになってしまったのだ。
改めて自分のキャラクタのレベル、能力値を思い出す。
もしゲームと同じ内容になっているのであれば、敏捷値は9。設定上では3が一般人、5がプロスポーツ選手の値だ。
数字は単純計算でプロスポーツ選手のほぼ倍。実際はそれ以上に素早い事になるだろう。
しかしこれは久蓮にとって大きな自信となった。
次の動きに一切の迷いは無く、異形の傍まで一足飛びで近づき掬い上げるように剣を一閃。
手ごたえは僅かだった。異形は、なんら反応することすら出来ず両断されて力尽き、霧となって消えた。
「すげぇ」
「すげ」
二人の反応が綺麗に重なり、顔を見合わせた。
「そうだ、先生!」
はたと気がつき、久蓮は倒れた担任教師に駆け寄ろうとしたが、辺りに広がる血溜りに足を止めた。
その惨状に口元を押さえて教室の中へと引っ込む。
「いったいどうなってんだ」
霧で真っ白な窓を見つめて健太がポツリと言った。
ポケットから自分のスマートフォンを取り出し、ミスティックエクスプローラーを起動する。
「本当にゲームと同じ世界になっちまったのかな」健太の背中に久蓮が問いかける。
「そうとしか思えねぇよな。タイトルのイントロとまったくおんなじだしよ」
久蓮は残りの装備。胴体、足、左手装備、装飾品を身につける。
それは、当然のように実態を待ち。フード付きマントと革鎧、しなやかな素材のブーツ、30センチ程の短剣を身にまとう。
大きなため息をつく久蓮に健太は苦笑いを返す。
「冗談じゃねぇよな。俺等はただの高校生だぜ」
「世界が霧に包まれて、異形がうろつき始めて、俺等はミスティックで、そいつらと戦わなきゃいけないってか」
目の前に広がる深い霧の中、ゲームでやっていた時のと同じく至る所に先程のような異形が潜んでいるのだ。
『全校生徒にお知らせします、速やかに体育館まで移動してください。現在濃霧により校内で混乱が起きていますが、これは決して人体に害のあるものではありませんので、落ち着いて体育館まで移動してください』
不意に流れた校内放送に、二人はスピーカーに冷めた視線を送る。
「異形と戦うなんてごめんだよな」
だからといって体育館に避難するのもおかしい気がする。それは、自分達が特別な存在になってしまった事を渋々ながら認めたということだ。
それでもヒーローになってやろうなどという気概があろうはずも無く。二人は黙って霧を見つめていた。
遠く、霧の中からパトカーのサイレンが聞こえてきて、比較的近くで停まる。
何事かという表情の健太に、先程の霧で事故が起きたという事を教えていると、不意に乾いた破裂音が3回響く。
「もしかして銃声かよ?」
「いや、わからねぇ。わかんねぇよ」
霧の中に異形が溢れている、それは確実といってもいい。
それは彼らが嫌だ嫌だと駄々をこねようと変わることは無い現実であった。