仁科邸
学園で美弥子の遺体を発見してから三時間後。
霧の中をのろのろと軽自動車が進み、その傍を歩く久蓮の姿があった。
女教師の運転する車には、体育館にいた生徒は乗っていない。
比較的軽傷で車で運ぶ必要も無かったために、久蓮と同じく傍を歩いている。
変わりに、生存者を探索して見つかった初等部の生徒が三名、それと、足に負傷を負ったその生徒達の教師が乗っていた。
学園の正門を出て十分足らずで、一行は純白の外壁に覆われた三階建ての屋敷にたどり着いた。
外壁が霧の色と溶け込んで、今朝見た時とはまったく違った景色に見えるが、そこは仁科美弥子の住んでいた屋敷だった。
「なんかすごい屋敷だな。ここでいいのか?」 最後尾を健太と並んで歩いていた男が、前を行く久蓮に尋ねた。
「はい、ここは安全のはずです」 久蓮は憔悴しきった顔でそう答えた。
久蓮と健太は手の中のスマートフォンを確認した。
地図上、仁科邸の中に異形の反応がひとつ。6レベルのサソリで、いつもより強いが脅威度は低い。
それでも安全と思われていた場所に異形が存在している事は久蓮を驚かせた。
手早く能力画面を確認し、三時間の経過でヒットポイントとマジックポイントが完全回復したことを確認する。
「俺が中を見てくる、皆さんと健太はここに」 言うが早いが屋敷の中に駆け込む。
見慣れた屋敷の様子は窓から流れ込む霧のせいで一変していた。
歩くたびにガラスの破片を踏みしめ、耳障りな音が響く。それは、窓ガラスが全て割れているのであろうと、調べる必要も無く教えてくれた。
何度も訊ねている久蓮には屋敷の構造が手に取るように分かる。
一気に駆け抜け、異形のいる座標へ。そこに何もいなければ、すぐに窓から外に飛び出し、二階の窓を見上げる。
今の状態ならばこれぐらいの高さは簡単に跳べると判断し跳躍。軽々と二階の窓へと飛び込め。余力から考えるに三階の窓枠まで手が届きそうだ。
再度、座標の位置へ、そこに異形はいた。
今までより若干大きい個体だったが、そんな事は意に介さない。発見した瞬間そのまま速度を殺さず駆け寄り飛び掛る。
「《散血針》!」
全体重を乗せ空中から振り下ろされた短剣は、異形を容易に貫き床板まで達する。そして吐き出された血潮は異形の身体を粉砕させ、床を貫き、一階の天井から噴出する。
久蓮は全身を駆け巡る苦痛をこらえ、黙って走り出した。
二階中の部屋を見て周り、三階も一通り回る。そのどこにも美弥子の両親の姿は無く、窓から飛び降りて健太達の所へ戻った。
「お、久蓮。みんなは地下に行ったぜ」 一人、車に寄りかかって待っていた健太がいった。
「そうか……、誰もいないんで心配してたよ」
健太の説明によれば。美弥子の両親は異形に対抗するため、遮るものがガラスでは心もとないと、進入路のひとつしかない地下に避難したそうだ。
地下への重厚な扉をくぐり、コンクリート壁に囲まれた薄暗い階段を降りていると。昔、美弥子と健太の三人、地下を探検しに降りた日の事を思い出す。
それは健太も同じなのだろう、二人は心沈ませ、黙って短い階段を踏みしめた。
地下室は久蓮の記憶にある真っ暗な空間ではなく、しっかりとした電灯で照らされた空間だった。
それでも用途は物置なので、壁は打ちっぱなしのコンクリートで。そこら中に荷物が散乱はしている。
「キュウ君っ!」
「健坊っ!」
地下室に久蓮達が降りてくると、待っていた二人の母親が、目に涙を浮かべて駆け寄ってきた。
久蓮はその姿にほっと張り詰めていた気を緩ませる。
しかし、その向こうに見えた美弥子の両親の姿に、解け掛かった心を締めなおす。
母親に僅かな微笑みを向け、脇に追いやって美弥子の両親のもとに真っ直ぐ進む。
「すみません。俺は……ミヤを、……お嬢さんを。……助けることが出来ませんでしたっ!」
「すみませんでしたっ!」
健太と二人、深々と頭を下げる。
歯を食いしばり、痛いほどに拳を握り締め、ともすれば溢れ出しそうな涙を押しとどめた。
「……そうか」 美弥子の父親は搾り出すようにそう言った。
美弥子の母親が放心状態で膝から崩れ落ちると、それを抱きとめる。
「みなさん、お話したいこともありましょうが、申し訳ないが今は妻を休ませたい。しばらく時間を頂いてよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです。我々の事はお気になさらないでください」
男がそう言うと、美弥子の父親は頭を下げ、妻を連れて奥に下がっていった。