OLE
ー俺ー
その日も仕事を終えてるんるんの足取りで帰っていると新宿駅でとても美しい声を聞いた。
透き通るような天使のハミングのような声だ。
その声の方を向くと顔も中々良いしスタイルだっていい。
その通る声と熱心なスピーチにコロコロと変わる表情に思わず魅入ってしまった。
一目惚れとはこのことか。
確か英語では一目惚れをクラッシュうんぬんとか言うらしいが、全くその通りだ。
この無駄に広いスクランブル交差点の信号が青になったら即座に彼女の元に行って応援していると一言かけてやろう。
なんて思っていると、俺の目論見を察したかのようにさっきまで行儀良く立ち止まってスマホを覗いていた人らがオタマジャクシのように八方へとのろまな足取りで俺の後ろから出てきて、しかも彼女の声を打ち消すように人工的な鳥の声が辺りに響いてきた。
青になったんだ。すっかり彼女に魅入ってしまって気付かなかったようだ。俺も一足遅いものの足を踏み出して彼女へと歩を進める。
しかし、その時人混みに紛れて二つの異様な丸が見える。
都市に住んで文明的な生活を送っているとその形ですぐ分かる、警官だ。
近所迷惑とかそういうので通報があったんだろう。
例え彼女がどんなに俺好みの美人だとしても面倒ごとは嫌だった。
嫌だったはずだがその大きな目に見つめられると目を離せるはずもなく、仕方なく、俺は彼女の元へと行き、友人のフリをして彼女にこう言った。
「なにかあった?」
白々しいにもほどがあり、俺の存在に気付いた警官が訝しげにこちらへと顔を向け"オシリアイサン?"と呪文を投げ掛けてきた。
しかしこの呪文はまだぬるい。次の呪文が酷かった。
「イマダ!!」
この呪文の効能は恐らく俺らの顔を青くする効能と美少女の手に刃物を持たせる効能があるのだろう。
なんと野蛮な呪文か。というか今の時代に呪文か。
しかし不可解なのはそこのみでなく、太陽光を反射してギラギラと光る刃物が警察官の首や顔ではなく足元へと向けられているのも不可解だった。
彼女は動きやすそうなズボンを履いているのを良いことに膝を折り曲げて、刃物の切先を地面へと垂直に向け、俺が中学の頃に流行った指と指の間をシャーペンで高速で行き来するゲームみたいに、執拗に警官の足元を狙っていた。
呼応するように警官が足を上げたり下げたりしていたので、彼女の動作も含めてそういう遊戯のようにも見えた。
個人的には警官と美少女のそのやり取りが面白かったのでしばらく見ていたかったが、すぐさま駆け付けた警官に彼女はあえなく抱き上げられ筋肉バスターを掛けられ、取り押さえられその舞台は幕を閉じた。
幕が閉じたら観客は去るものだ。
警官に労いの言葉を掛けて立ち去ろうとしたのだがどうにも肩が重い、疲れか、幽霊か。
「オシリアイサン?」
警官か。
署までご同行願われてしまった。
そしてなんだかんだあり、俺が身元引受人となることとなったのだけど、彼女はなぜか俺を昔の人と思っているらしい。
何度も弁明しているうちに彼女がどういう間違いをしているのか分かってきたので、執拗に繰り返されるチョンマゲの行方について"ヌケニンだから"という理由であしらい、ことなきを得た。
俺の信条として働かざるもの食うべからず、というものがある。
彼女には食事を任せることにしたが、キッチンから肉の香りしかしない。
大丈夫だろうか。