没落令嬢のタダメシ婚活記
「いいミネット? 世の中はお金がすべてじゃない。でもお金は命の次くらいに大事なものなの」
お母様、それが『金がすべて』って意味なんですよ。
内心ツッコミながら話を聞く。
なんてことない日の夕方。
リビングでガーガー睡眠中のお父様の近くで、お母様は人生訓を口にする。
「一時の感情に流されて貧乏な人と結婚しちゃダメ。女の幸せにはやっぱりお金が必要なの。見なさい、この部屋を!」
お母様は壁の塗装が剥がれた壁を指さし、ほころびだらけの絨毯を憎々しげに踏みつける。
貴族家とはいえ、資産が足りていない我が家は平民の暮らしとなにも変わらない。
いや、ちょっと裕福な平民に負けているまである。
「ですがお母様、私はまだ十八です。お金よりイケメンを取りたいお年頃なんです」
「黙りなさい! いくら若いときイケメンだって、年を取ったらこうなるのよっ」
ドーンと大げさにお母様はひとさし指で腹の出たお父様を指さす。
そういえば、お父様も昔はモテまくりのイケメンだったと聞く。
なお現在面影はゼロ。
「お金が大事なの。絶対に! そして親孝行してちょうだい」
「それはつまり、私に結婚をしろと?」
「していてもおかしくない年齢よ。私だって十九で結婚したのだから」
「まだ十八です」
「だから今から動きなさいっ! 今晩、夜会の参加を決めておいたから」
また勝手なことを。
どうやら平民の男女が集まって、みんなでそこそこ優雅な食事を取るらしい。
母上は私の手をしっかりと握り、力強い声を発する。
「表向きはただの夜会。でも隠れ婚活パーティーと呼ばれているの。あとはわかるわね」
「待ってください。平民の集まりですよね?」
「平民だって、お金があれば問題ないでしょう」
「問題あります! 貴族としてのプライドを持ってくださいっ」
「そんなものゴミ箱に投げ入れなさい!」
「私から貴族を取ったら何が残ります? 職もない、人生の目的もない、毎日寝ているだけのダメ女ですよ!」
あれ、言ってて泣きたくなってきた。
お母様も若干涙目になっている。
そして「ゴメン」と言われた。
それはなんのゴメンでしょう?
私を産んでしまったことに対してですか。
なにはともあれ、参加を決めてしまったものは仕方がない。
タダゴハンをいただけると切り替えて参加することに決めた。
私は一番高いもといマシな服をきて、パーティに参加することに決めた。
準備が終わるとお母様に尋ねる。
「馬車は何時にきますの?」
「は?」
「は? って……。変なこと言ってませんよね」
「馬車などくるわけないでしょう。呼ぶお金があったら果物を買っているわ」
「貴族が歩いて夜会に参加するんですか!?」
「何度も言ったでしょう——プライドは捨てろ!」
「ひっ」
お母様の怒鳴りつけはあまりにも怖い。
盗賊出身だと言われてもあっさり信じてしまいそうなほどに。
お父様はイケメンでモテモテだったのに、なんでこの人を選んだのだろう。
顔か?
私はお母様をキッと睨みつけながら家を出て行く。
ドレスの裾が少し長いので地面にすれそうで気を遣う。
ハイヒールを履いているので歩くにくくてしょうがない。
どうにか会場につく。平民のパーティというには結構なところだ。
パーティー用に建てられ貸し出されている館で、借りるにはなかなかのお金が必要なはず。
これはもしや、期待してもよろしいのでは?
受付の男性に声をかける。
「本日参加予定のミネット・セイノールですわ」
「ミネットさんですね。一応年齢と職業をお聞かせください」
「年齢は十八です」
職業は答えたくないけど、そういうわけにもいかないのではぐらかす。
「セイノール家は子爵家ですので、現在は教養を極めている最中です」
「貴族の方だったんですか?」
「あ、いいんですのよ。そんなに畏まらなくて」
特に畏まった様子もなかったがなんとなくノリでいってしまった。
彼は不思議そうな顔で問うてくる。
「平民が主な参加者ですが、よろしいので?」
「平民も貴族も同じ人間です。私は差別なんて一切しませんの」
「ほぉ、素晴らしいお方だ!」
その言葉を待っていました。
受付の尊敬を浴び、心地よい気分で私は鼻を高くする。
が、わりと鋭い質問が受付から届く。
「外に馬車きてませんよね? 貴族の方は馬車で参加するのが流儀と聞いたもので」
「ちょ、それはっ、あの、馬の調子が悪くて!」
「馬が調子悪い?」
「その、発情期でっ!」
「発情期!?」
やばい、恥ずかしすぎて死にそう。
せめてもうちょっとマシな言い訳なかったのか。
自分をぶん殴ってやりたい。
「は、発情期なら仕方ないですね……。どうぞ、中へ」
「あ、ありがとう。……失礼しますわ」
彼のものすごく生温かい、憐れむような視線が痛い。
私は逃げるようにして会場の扉をくぐり抜けた。
扉が閉まった瞬間、私は壁に額を押し付けてうめき声を上げる。
「うぐぅぅぅ……、一生の不覚よ。なんであんなこと口走ったの私」
貴族の令嬢が公衆の面前で「発情期」なんて単語、一生に一度も使うべきではない。
お母様のスパルタ教育のせいで、私の語彙の引き出しがおかしくなっているに違いないわ。
顔から火が出るどころか、全身が燃え尽きそうだ。
とはいえ、いつまでも壁のシミになっているわけにはいかない。
顔を上げると、会場内から漂ってくる香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
——肉だ。
それも、我が家で出るような筋張った何かではなく、脂の乗った上等な肉の焼ける匂い!
私は会場を見渡す。
そこには、私の想像以上に煌びやかな世界が広がっていた。
シャンデリア(たぶん偽物のクリスタルだけど綺麗)の下、着飾った男女が談笑中だ。
だが、そんな盛った人間どもはどうでもいい。
私の目は、会場の壁際にずらりと並んだテーブルに釘付けだ。
ローストビーフ、鶏の丸焼き、色とりどりの果物、そして見たこともないようなふわふわのケーキ!
「……これが、平民のパーティー?」
冗談やめてよ。
我が家のクリスマスより豪華じゃない。
お母様の「平民だってお金があれば問題ない」という言葉が、重みを持って脳内に響く。
お金、すごい。お金、正義。
ぐぅぅぅ、と私の腹の虫が、まるで猛獣の雄叫びのように訴える。
幸い、周囲の話し声にかき消されて誰にも聞かれていない。
「まずは腹ごしらえですわ。戦は兵糧からと言うし」
独り言をつぶやき、私はビュッフェ台へと向かった。
もちろん、背筋を伸ばし、扇子を片手に優雅に。
心の中ではヨダレを垂れ流しながら。
皿を手に取り、ローストビーフを一枚、二枚、三枚……いや、五枚くらいいくか。
これくらいは誤差だ。ギリ成長期だし。
フォークで刺した肉を口に運ぶ。
「んほっ……!」
とろけりゅぅ……。
噛む必要がないほど柔らかい肉と、濃厚なソースのハーモニー。
久しぶりに、素材の味以外がする料理を食べた気がする。
幸せすぎて涙が出てきた。
「随分と豪快な食べっぷりだね」
不意に横から声をかけられ、私は肉を飲み込み損ねそうになった。
慌てて口元をナプキンで押さえ、咳払いを一つ。
なんとか貴族の仮面を貼り直して振り返る。
「あら、食事は美味しくいただくのが礼儀ですもの。……どちら様?」
そこに立っていたのは、スタイル良い青年だった。
仕立ての良さそうな紺色のスーツを着て、手にはワイングラスを持っている。
整った顔立ちだが、どこか人を食ったような笑みを浮かべていた。
イケメン発見。
しかも服装からして、そこそこお金持ち確定?
お母様、やりました。開始五分でターゲット遭遇です。
「失礼、僕はカイル。一応、商会をいくつか経営している家の次男だよ」
「まあ、経営者の方でしたの。私はミネットと申します」
「知ってるよ。さっき受付で『馬が発情期だ』って叫んでた面白い貴族のお嬢さんだろ?」
——撤回。
優良物件どころか、今すぐ記憶を抹消して埋めたい相手だった。
「き、聞こえてらしたの!?」
「あんな大声で言えば、会場の入り口付近にいた人間には丸聞こえだよ。馬車が来ない理由としては、今まで聞いた中で最高傑作だったね」
カイルは、クスクスと楽しそうに肩を震わせている。
終わった……。
私の婚活パーティー、開始早々に終了の鐘が鳴った。。
顔から再び火を噴きそうな私を見て、彼はニヤリと笑う。
「で、本当のところはどうなんだい? お腹を空かせた没落貴族のお嬢様が、タダ飯に釣られてやってきた……って図に見えるけど」
図星すぎて反論の言葉が見つからない。
だが、ここで認めてしまっては最後の砦であるプライドが死ぬ。
私は皿に残ったローストビーフを口に放り込み、精一杯の強がりを言う。
「失礼よ! 私は社会勉強のために来ましたの! 決して、家の食料庫が空っぽだからとか、お母様に金持ちを捕まえてこい、と脅されたからではありませんわ!」
「事情説明、ありがとう」
カイルは手近なウェイターから新しいグラスを受け取ると、私に差し出してきた。
「その正直さと食いっぷり、僕は嫌いじゃないよ。……どう? 肉だけじゃ喉が詰まるだろ。乾杯くらい付き合ってくれないかな、ミネット嬢」
差し出されたグラスの中で、黄金色の液体がキラキラと揺れている。
嫌味なやつだが、悪い話ではない。
それに、タダ酒だ。
「……いただきます。ただし、私の馬の話は二度としないでくださいね」
「善処するよ」
カチンとグラスを合わせる音が、妙に軽やかに響いた。
なんだか前途多難な予感だけど、とりあえずローストビーフのおかわりを取りに行ってもいいだろうか。
☆
「——つまり、商売の基本は安く買って高く売る。単純だが奥が深い」
「なるほど。つまり、見切り品の野菜を買ってきて、お母様が高級料理風に盛り付ければ高く売れると?」
「君の母親は何者なんだ……。まあ、当たらずとも遠からずだが詐欺に近いな」
カイルの商売話(主にいかにして儲けるかというえげつない話)を聞き流しながら、私は三皿目のローストビーフに手を伸ばした。
この男、意外にも話せる。
初対面のレディを、馬の発情期ネタでいじってきたこと以外は。
その時だった。
私の伸ばした手の横から、ものすごい勢いでトングを奪い取っていく手が現れたのは。
「あーら、ごめんなさい。お腹が空いていたものだから、つい」
わざとらしい声と共に現れたのは、目が痛くなるようなショッキングピンクのドレスを着た女性だった。
首、耳、指、腕。
つけられる場所すべてに宝石をジャラジャラとつけている。
歩く宝石箱か、あるいは趣味の悪いクリスマスツリーを表現してるのかな。
「……いえ、どうぞ。まだたくさんありますもの」
私は貴族の余裕(やせ我慢)で微笑んだ。
だが、女はトングで肉を掴んだまま、私をジロジロと値踏みするように見下ろしてくる。
「あら? その安っぽいドレス、随分と年代物ね。十年くらい前のデザインかしら? 生地もずいぶんと薄くなっているみたいだし」
カチン。
あんな人でも私の母親だ。
その服を馬鹿にされると頭にくる。
「あなた貴族の方なんでしょう? 噂で聞いたわ。没落して、今じゃその日のパンにも困っているとか。……かわいそうに。いくら身分が高くても、お金がないと惨めねぇ」
女はクスクスと笑いながら、わざとらしくローストビーフを自分の皿に山盛りにした。
周囲の視線が痛い。
悔しい。言い返したい。
『お黙り! 腐っても子爵家の娘に向かって!』と叫んでやりたい。
でも騒ぎを起こせば、最悪つまみ出される。
目の前のローストビーフが、ふわふわのケーキが、遠のいてしまう……!
……耐えろミネット。あんな肉団子みたいな女の言葉に反応するな。お前の目的はタダ飯だ……!
本能がそう訴える。
私がプルプルと拳を震わせながら沈黙していると、女はさらに調子に乗った。
「ねえ、そんなにひもじいなら、私が雇ってあげてもよくてよ? うちのメイドが足りないの。貴族様が床を磨いてくれるなんて、最高に気分がいいわぁ」
「——おい」
横から低く冷たい声が響いた。
カイルだ。
さっきまでの人を食ったような笑顔は消え、能面のような無表情で女を見下ろしている。
「あら、カイル様じゃございませんの。こんな貧乏人と一緒にいると、品位が下がりますわよ。それより、わたくしと飲みません?」
女は媚びた猫なで声を出したが、カイルの表情はピクリとも動かない。
「君、バルド商会の娘だよな?」
「ええ、そうですわ! 父がいつもお世話になっております」
「ああ、世話になっているね。ところで、先月納品された絹織物だが、品質に問題があってね。取引の縮小、あるいは停止を検討していたところなんだ」
「え……?」
「君の父親は、今期の売上の大半をウチの商会に依存していたはずだ。取引停止になったら……君のその趣味の悪いドレスも、ジャラジャラした宝石も、すべて売り払うことになるかもしれないね」
カイルはまるで、明日の天気を話すような気軽さで言った。
女の顔から血の気が引いていく。
厚塗りの化粧がひび割れそうだ。
「そんな、まさか……父は、そんなこと……」
「嘘だと思うなら、今すぐ父親に確認してみるといい。……それから、彼女は僕の連れだ。彼女を侮辱するということは、僕の商会、ひいては僕自身を敵に回すと同義だと理解しているのかな?」
「いえっ……!」
カイルがわずかに目を細めると、女は小さな悲鳴を上げて後ずさった。
そして、ローストビーフの皿を持ったまま、脱兎のごとく会場の奥へと逃げ去っていった。
後に残されたのは、静まり返った周囲と、呆気にとられる私。
そして、再びニヤリと笑うカイルだった。
「……すっきりした?」
「あ、はい。ありがとうございます。……まさか、本当にお取引を停止されるのですか?」
「まさか。品質に問題があったのは事実だけど、停止するほどじゃない。軽く脅しただけさ」
この男、怖い……。
笑顔で嘘をついて、相手をどん底に突き落とした。これがやり手商人の手法か。
「でも、君があそこで言い返さなかったのは賢明な判断だった。騒がれたら、僕も助け舟を出せなかった」
「それは……ここで追い出されたらケーキが食べられないと思っただけでして……」
「あはは! やっぱり面白いな、君は。貴族のプライドよりも食い気か」
母上にゴミ箱に捨てられたもので。
カイルはひとしきり笑った後、スッと真面目な顔に戻った。
そして、私の方に向き直ると、とんでもない提案を口にする。
「ミネット嬢。単刀直入に言うけど、お金欲しいだろ?」
「はい。喉から手が出るほど」
「だろうね。僕も今、ちょっと面倒な事情があってね。形式上の婚約者が必要なんだ」
「……ん?」
「君のその金への執着と、いざという時の度胸、そしてなにより貴族の身分。僕のビジネスパートナーとして悪くない条件だ。……どうだろう? 僕と契約結婚、前提の婚約を結ばないか? もちろん、報酬は弾むよ」
報酬は弾むよ。
その言葉は天使の囁きか、はたまた悪魔の契約か。
私の脳内で、『金がすべて』というお母様の教えと、目の前のローストビーフと、そして札束の山がグルグルと回り始めた。
愛はない。
ロマンもない。
あるのはビジネスと、利害の一致だけ。
——最高じゃないか。
私はナプキンで口元のソースを丁寧に拭うと、ローストビーフの乗った皿を左手に持ち替え、空いた右手をカイルに差し出した。
貴族の令嬢として、最も優雅で、最も商魂たくましい笑顔を浮かべて。
「契約成立です、カイル様。そのお話、乗らせていただきますわ」
「……即決か。君ならそう来ると思ったよ」
「ただし! 追加条件がございます」
「言ってみたまえ」
カイルが面白そうに眉を上げる。
私はビュッフェ台の奥、煌々と輝くデザートコーナーを指差して言い放つ。
「結婚式のケーキは、私が指定する店の最高級品を用意すること。そして——」
私は一息つき、彼の手をガッチリと握る。
「毎日の食事は、最低でもこのローストビーフレベルを保証してくださいまし!」
カイルは一瞬きょとんとして、それから会場中に響き渡るような大声で笑い出した。
「ははは! 約束するよ! 君を飢え死になんてさせない。……ああ、退屈しなくて済みそうだ」
彼が私の手を強く握り返す。
その手は温かく、そして分厚い商人の手だった。
こうして、私の婚活はたった数十分で幕を閉じた。
手に入れたのは愛する旦那様ではなく、腹黒そうなビジネスパートナーと、安泰な食生活。
お母様、見ていますか?
娘は教え通りプライドを捨てて、お金を捕まえました。
ただ、そのお金に付随するオマケ(彼)が、とんでもなく厄介そうな気がするけれど。
私は握手をしたまま、カイルの背後に視線を戻す。
よし、次はあのショートケーキだ。
私の戦いと食欲は、まだ始まったばかりなのだから。




