不穏な不安
五天剣に配属される人間は、最初から人間ではない。
正確に言えば、「人類に準ずる存在」と分類された者だけが、あの部署の扉を通過できる。出生証明、戸籍、社会保障番号。そうしたものはすべて有効だが、同時にすべてが注釈付きだ。※本個体は通常の人類と同等の権利を有するが、例外規定を含む——その一文が、人生のすべてを決める。
エレベーターは地上三十階から、地下へと落ちていった。減速の感覚がない。重力だけが、こちらの存在を確かめるように内臓を撫でる。
「緊張している?」
隣に立つ男が、雑談の調子で言った。帽子を目深にかぶり、顔の半分が影になっている。識別番号は〈第三剣・調停〉。名前はまだ知らない。五天剣では、名前は最後に与えられる。
「いいえ」と答えようとして、嘘だと気づいた。
緊張ではない。期待でもない。もっと別の感覚だ。自分がここに来ることを、最初から誰かが決めていた、という確信。逃げ道のない既定路線に、今さら乗り換えたような違和感。
「そう。なら安心だ」
男は笑った。
「本当に緊張している奴は、もう壊れてる」
エレベーターが停止する。扉の向こうには、五つの影が待っているはずだった。
切断、観測、調停、改変、封印。
五本の剣は、決して交差しない——それが、この組織の安全装置のはずだった。
だが今日、その規則が破られる。
原因は、間違いなく俺だ。
最初に異変を検知したのは、第四剣〈観測〉だった。
観測室の壁一面を埋め尽くす光点のうち、ひとつが、あり得ない振る舞いをした。
誤差でもノイズでもない。未来のログが、現在を書き換えた。
「――おかしい」
観測士が呟いた瞬間、室内の照明が一段階落ちる。五天剣の施設では、これは警告ではない。判断保留の合図だ。誰かが、誰かの権限に触れた。
「対象、識別番号J-Δ07。・・・配属直後の準人類だぞ」
画面に映し出されたのは、地下第七区画の廊下。そこを歩く、俺自身の後ろ姿だった。
次のフレームで、映像が止まる。
本来なら、その先があるはずだった。
だが未来が、そこから先を拒否している。
「第三剣を呼べ」
「調停案件か?」
「いや……判断不能だ。これは」
その言葉が終わるより早く、警報が鳴った。
今度は第一剣〈切断〉の領域だ。
切断区画は、五天剣でもっとも静かな場所だ。不要なものを削ぐ。ただそれだけの部署に、感情も議論も存在しない。
だからこそ、異常は即座に実行へ移される。
「対象J-Δ07を、隔離処理する」
それは命令ではない。結論だ。
廊下の照明が赤に変わった瞬間、背後の空気が裂けた。
音はない。だが、何かが“切られた”感触だけが、遅れて背中を撫でる。
「止まれ」
声が、横から割り込んだ。
第三剣〈調停〉の男——エレベーターで隣にいた帽子の男が、いつの間にか廊下の中央に立っている。
切断の軌跡と、俺との間に、意図的に身体を差し込んで。
「その対象は、まだ評価前だ」
「評価前だから切る。原則だ」
見えない刃が、調停の男の喉元で止まる。
空間が、きしんだ。
「原則は、安全のためにある」
男は帽子を少し持ち上げ、こちらを見ずに言った。
「だが今回は、原則そのものが原因だ」
一拍遅れて、施設全体が震えた。
第二剣〈改変〉が、介入したのだ。
壁の材質が書き換えられ、床の摩擦係数が跳ね上がる。切断の刃道が歪み、観測の未来予測が一斉に崩れる。
あり得ない。五天剣の剣は、同時に抜かれない。
「誰が許可した!」
「許可は不要だ」
改変士の声は、スピーカー越しに冷たく響いた。
「対象は、すでに五剣すべてに影響を与えている。これは事故ではない。構造的欠陥だ」
最後に、静寂が落ちた。
第五剣〈封印〉が、発動準備に入った合図だった。
ここまで来ると、もはや俺の存在は“人間”ではない。
現象だ。バグだ。あるいは——試金石。
調停の男が、初めてこちらを振り返る。
「君はね」
困ったように笑って、言った。
「五天剣が、自分たちを試すために作った存在らしい」
その瞬間、封印が起動した。五本の剣が、初めて同じ一点を向いた。




