博士の愉快なお話
「この世界は主観の集合体と我々が干渉できない法則によって構成されている。それでいて世界の主観――解釈は厳密に言うと同じ結果になるものは一つもない。人間のいる数だけそれぞれの視点があり、差異があるものなのだ。で、この観点をもって聞いて欲しいんだけど――ん、最初から抽象的で情報を端折りすぎてる。もっと詳しく話せ――だって?
……う――ん、まぁいいよ。助手君にはこれからしっかりと私が規定する人間の能力、――「フィクション」を知っておいて欲しいからね。私も、もっと具体的に分かりやすく喋るように努力してみようか。
今ここに林檎がある。いや、普通の林檎だって。爆発したり、突然消えたり、毒をもってたりしない。ごくごくありふれた、普通の林檎だ。これを見てくれ。
――よく見たね。今、君は、この林檎を認識した状態となった。
具体的に言うと光が網膜を刺激し、電気信号となって脳に届く。そこで初めて君はこの林檎を林檎として認識したワケだが――じゃあ質問だ。君はこの林檎が何色に見える?
赤。
そうだね。もっと具体的には?
燃え盛る炎のように情熱的で力強い深紅?
うん、ごめん。言い方が悪かった。助手君って案外ロマンチストだよね、……ってことは一旦置いといて、質問、いや問題を変えようか。
この君が見た赤色を、私に正確に伝えてくれ。正確にだ。
――案外、難しいものだろう。RGBなんてものを使えば一応伝えられるがそれでも「君が見た色」の正確な認識を他人に伝えることなんてできない。自分が得た情報を完全な客観性を持って伝えることなんて言葉なんてモノで縛られているうちには難しい。それにRGBだって結局、色を認識するのは一人一人の人間であって、人間の個体差を無視している。同じ物差しで測った色をどう感じるかは、個人差に委ねられているから。これは極論だけど人間は錐体細胞にブレがあって「その人が認識する色をまったく同じようにを共有する」なんてことはできないと考えられる。
じゃあここで本題。人が世界、法則に干渉する行為の総称、「フィクション」について考えてみようか。大丈夫だろうけど、架空の物語のことじゃないからね。
そしてここではもっと限定して、大多数の人が使えない個人や一部の小さな団体しか使えない能力、俗っぽく言うと魔法とか超能力について考えてみようか。
台詞の練習がしたくてここまで書きました。
中途半端だけれど、作者がここで満足したので、一旦ネットに放流します。
また気が向いたら、この「フィクション」という設定について表に出すかもしれません。