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機巧人形の真白なアイリスは香らない

 夜会の翌朝、前線基地には夜明けとともに緊張が漂っていた。岩山を抜けて滑り降りる冷たい風が、まだ薄暗い空気をさらに引き締める。


 視察任務の一行は、施設内の各区画を順に巡っていた。

 集合時、ルーシーは「私は別ルートの付き添いがあるから」と軽く手を振って、先に別行動へと移っていた。


 リディアの案内役は、昨日と同じく技術班所属のティノ・バルジェだった。緊張と興奮の入り混じった表情で、視察ルートの説明に力がこもっている。


 「ここの管制塔は、魔導障壁と監視術式を一括制御してるんです。防御装置の起動記録も、中央記録区で確認できますよ」

 「ありがとう。実際の運用が見られるのは、助かるわ」


 通路や格納庫には、携行型の防御装置が簡易的に配置されていた。

 整然と並ぶ機器たちは秩序を保っていたが、リディアの胸に浮かぶ感覚は、どこか落ち着かないものだった。


 ふと、通路脇の装備棚が目に入る。

 規格通りに整頓された魔導銃、携帯防御盾、戦術補助端末――見慣れたはずの装備に、なぜか視線が吸い寄せられた。


(装備の異常……。記録に残らない制御干渉があるかもしれない、って……)


 カイルに頼まれていた調査内容を思い出し、リディアは無意識に端末へと指を伸ばした。魔導核に触れ、識別信号と演算履歴をなぞる。

 ……異常はない。制御信号も履歴も、きれいに整っている。


 (……やっぱり、気のせいだったのかもしれない)


 溜め息をひとつ、視線を前へと戻す。


 次の区画では、実際に運用されている小型防御装置が展示されていた。

 リディアはその構造を見た瞬間、足を止めた。


 「これ……この回路構成……」


 手元の設計図と照らし合わせるまでもなく、見覚えがあった。

 それは、かつて彼女が試作した小型防御装置の構造に酷似していた。だが、内部の幾つかの回路が、明らかに別用途へと書き換えられている。

 近くにいた軍人に声をかけると、気さくに話しかけてきた。

 

「ここのは、捕虜管理のために転用した型ですね。最近は制圧にも便利で」

「捕虜……に、ですか?」


 リディアの声が、掠れる。

 

「でもそれ、元の用途と違いますよね……? 元は防御装置だから出ようと思えば、いつでも出られますよね?」

 隣にいたティノが問いかけた。


 近くにいた軍人が小さく頷いて応じる。

「ええ、なのでこれは中から開けられる機構を切って、外からしか開けられないようにしているんです。完全に閉鎖されるので、魔導的な逃走や暴走を防げます。精神的な抑制効果も確認されてますよ」


 その言葉に、リディアの背筋が冷たくなる。


 本来この回路は、小型防御装置――つまり、密閉型シェルターの内圧や魔導負荷から使用者を守るために設計されたものだった。

 外敵を防ぎつつ、内にいる人間を圧迫しないように、優しく包むための仕組みだった。

 それが今では、精神を削り、逃げられないよう抑え込むための“枷”に変えられている。

 

(……中にいる人を守るための装置なのに。安全弁への回路を分けた私の設計ミスだ……)


 彼女は無意識に装置へと近づき、魔導核の縁に刻まれた識別信号を確かめる。


(……まちがいない。私の改良型だわ)


 装置の内側に、焦げ跡のような魔素痕が残っていた。

 誰かが内部から脱出を試み、失敗した痕跡に見える。


 「……誰が、こんなふうに使ったの……」


 リディアの呟きは誰にも届かなかった。

 唇を噛んでも、心のざわめきも、鼓動も、落ち着かない。視界がわずかに歪んで見えた。



 ***



 昼過ぎ。ティノに誘われて、食堂でランチでも――という話になった。喉を通る気はしなかったが、頷いて基地の入り口まで戻ってくる。


 ちょうどそのとき、司令部の制服を着た一団が出入りしていた。

 その中のひとりと目が合う。カイルだった。

 彼もこちらに気づき、まっすぐに歩いてくる。


 隣にいたティノが目を輝かせて敬礼した。


「ルーペンス少佐、お疲れ様です!」

「ああ」


 カイルは軽く手を上げ、リディアのそばで足を止めると、低く落ち着いた声で問うた。


「……何かわかったか」

「…………いえ」


 カイルが疑っていた装備の不具合は見つかっていない。

 だが、先ほどの違和感が、胸の奥に引っかかっていた。


(でも、防御装置は少佐の話とは関係がないだろうし……)


 リディアの歯切れの悪さに、カイルは一瞬目を細めたが、それ以上は追及してこなかった。


「軍務がある。これから帝都へ戻る。……君は、今夜泊まってから帰るのだろう?」

「はい」

「何かわかったら知らせてくれ」


 それだけ言うと、カイルは踵を返して部隊のもとへ戻っていった。


「グレイウィンド技官! ルーペンス少佐と仲がよいのですね……!!」


 はしゃいだ声が背後から聞こえた。振り返ると、ティノが目を輝かせてこちらを見ていた。


「ただの仕事の話よ」

「そんな……あれは仕事の距離じゃなかったですよ!」


 ルーシーを彷彿とさせる勢いに、リディアは思わず吹き出す。


「ないない。全然そんなんじゃないから。……私と少佐じゃ、住む世界が違うわ。今回の視察の報告で、少し話しただけよ」


 ええ……、とティノはしょんぼり耳を垂らす。


「でも、やっぱりすごい方ですね。あの特別仕様の装備、噂の通りでした」

「特別仕様?」


 リディアは首を傾げた。


「指輪ですよ! 確か、グレイウィンド博士が開発に関わってたとか……」

「父が……? ああ、そういえば、そんな資料があったかも」


 ぼんやりとした記憶の糸が、ティノの言葉で引き寄せられる。


「魔力が相当高くないと支給されないって話です。やっぱり、災厄と呼ばれるだけありますね……! 本当に、すごい力なんだろうなあ」


 ティノは腕を組み、憧れるように天を見上げた。


「……そうね。すごい力、かもね」


 けれど――それは本当に、羨むべき力なのだろうか。

 リディアはそっと視線を落とし、ティノの背中を追って歩き出した。

 

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