機巧人形はザクロを噛む_4
ヴェルナーと主催者が一礼して去ったその直後だった。入れ替わるようにして現れた数人の貴族たち。その中心にいた若い男に、主催者がわずかに頭を下げたのを、リディアは見逃さなかった。
「……お前も、こういった席に顔を出すようになったか」
くぐもった声音に、周囲の空気がぴたりと緊張を帯びた。男はカイルをまっすぐに見据えている。
「兄上。ご無沙汰しております」
カイルは姿勢を崩さず、短く答えた。その言葉にリディアははっとして、男の顔を見つめる。目元や口元、確かに面影はある。
だが、似通った顔立ちにもかかわらず、どこか質の異なるものを感じさせた。
「少佐になったそうだな。……まあ、家の務めを果たしているのなら、それでいい」
あからさまな皮肉に、カイルは特に表情を変えず、ただ「……はい」とだけ返す。その淡々とした声が、逆に距離を際立たせていた。
リディアはそのやりとりを間近で聞きながら、何とも言えない圧力のようなものを感じていた。
(……やっぱり、私はこの人たちとは違う)
貴族の義務、家の務め、果たすべき責任――彼らの言葉には、それぞれが生まれながらに背負わされた重みがある。
(私は……あの夜から、ずっと時間が止まったままなのに。父の研究を手がかりに、ようやく歩き出せたと思ってたのに──)
それでもこの場に立つと、その重みに怯んでしまいそうになる。
彼らは誰もが、未来の役目を背負っているのに。
(皆、自分の役割を持って、この場所にいる。未来のために、国のために。……私は、まだ何も掴めていないのに)
会場では次々と人々の笑い声やグラスの音が重なっていく。
ふと――その喧騒が一瞬、静まった気がした。
思考が沈みかけたその瞬間、柔らかな足音が近づいてくる。
振り返るより先に、空気がふわりと変わった。まるで、場がその人物を迎え入れる準備をしていたかのように。
すっと視界に現れたのは、切れ長の瞳に穏やかな微笑みを湛えた青年だった。
立ち居振る舞いのどれもが自然で、それでいて、誰の目にも明らかな気品があった。
リディアは一瞬、その気配に気圧されて背筋を伸ばす。
「ずいぶん真面目な顔をしてるな、カイル。……夜会だぞ?」
その声でようやく気づく。彼は――第三王子、セディアス殿下。
リディアも、何度か軍の式典で見かけたことがあった。
カイルはほんの少しだけ表情を動かし、低く応じた。
「……任務中ですので」
「なんだ。士官学校の頃から変わらないな。相変わらず堅いヤツだ」
カイルの返しに、セディアスは目元だけで笑った。そしてふと、そばに立つカイルの兄へと視線を送る。
「おや、未来のルーペンス侯爵閣下もお揃いでしたか。……随分と厳しい眼差しでしたが、弟君の様子はご満足いただけましたかな?」
その言葉は穏やかな皮をかぶっていたが、明らかに牽制の色を含んでいた。カイルの兄とおぼしき男はわずかに口角を引き、言葉を返さずセディアスに軽く頭を下げる。
そして、セディアスは今度はリディアに気づいたように顔を向け、視線を向けた。目が合った瞬間、リディアはぎくりと固まった。
「カイルが女性を連れているなんて、珍しい光景だ」
声に揶揄の色はない。ただ、心から意外そうな響きが込められていた。
カイルは、頷きも否定もせず、ただ視線を逸らした。
やがて、楽団の演奏が静かになり、視線は中央階段に集まる。登壇したのは先ほどの若き青年、第三王子セディアス殿下だった。
会場の空気が、登壇者の足音に合わせて一瞬だけ静まった。
「皆様、本日は遠路よりご参集いただき感謝いたします。我が国と周辺諸国の安定、そして魔導技術の更なる発展を祈り――歓迎の意を」
その直後、小声の囁きが聞こえた。
「またあの言い回しだよ……」
若い官僚たちの声が耳に届く。
「中央の魔石事業を分散化すべきだと、また議論になっているらしい」
「当然だ。貴族の独占では末端の対応が鈍る」
噂話に、リディアの心は重くなる。帝都では、貴族と実業家の対立はよく聞く話だ。
ルーシーの姿も見えず、軽く飲んだ酒が妙に身体にこたえた気がした。
周りに気づかれないよう、ゆっくりと息を吐きだす。
喧騒の中、一人で夜風に当たろうと静かに館を抜け出した。
中庭の木々も灯りで着飾られている。人々の熱気から逃れて、しんと感じる風が気持ちよかった。
(私は、ただ父の跡を追って、技術に向き合ってきただけ。誰かに支えてもらえる人間でもない……)
人の輪の熱気から離れるように、リディアは中庭の奥へと足を向ける。
薄いドレス越しに夜の風が肌を撫でる。体温が、じわじわと奪われていく。
(……本当は、ただ、父さんのいた場所にいたかった。でも、そんなのただ、執着してるだけみたい)
リディアは答えを出せない自分が、情けなくて仕方なかった。
(……あの時なんで声をかけてくれたんだろう。……大して意味なんてなかったのかもしれない。でも……)
思考に霞がかかるように、心が重く沈んでいく。
もう帰ってしまおうか。そんな思いが胸をよぎる。
ふと、足音が後ろから近づいてくる気配に気づいた。振り返ると、白い軍礼服をまとったカイルが、静かに歩いてきていた。
「……冷えるぞ」
そう言うと、カイルは自分の上着を外し、リディアの肩にそっと掛けた。
驚いて顔を上げたリディアに、彼は視線を逸らさずに言葉を継いだ。
「風が強い。あまり長くはいられない」
その声に、リディアの胸が少しだけ跳ねた。
「……すみません、勝手に抜け出して」
共に行動しないといけないわけでもないのに。リディアはなぜか謝罪を口にしていた。
「いや。君が外に出るのが見えたから」
並んで歩くと、彼の歩幅にあわせて自然とペースが整った。
「こういった場は、あまり得意ではなくて……」
「俺もだ」
短く返されて、リディアは思わず笑った。いつも通りの、そっけない声音。でもそれが、どこか安心できた。
沈黙のあと、カイルがぽつりと呟いた。
「……変わった布だな」
「あ、えっと……魔導織布と言うらしくて、貸してもらったんですけど……変ですか?」
魔力に反応して光る布だと聞いていた。光源のないこの場所では、月明かりに溶けるように、淡く光が揺れている。
言われて初めて意識し、リディアはそっと裾を握った。
「いや、似合ってる。……君の魔力で光るのか」
「え?」
顔を上げると、カイルがまっすぐこちらを見ていた。
「……君にしか似合わない色だと思った」
鼓動が跳ねた。リディアは何か言おうとして、でも言葉が出ず、視線を夜空に逃がした。
夜風の向こう、星が静かに瞬いている。
「……あの、ありがとうございます……」
(こんなふうに並んで歩くなんて、考えたこともなかったのに)
肩に掛けられた上着の重みと、隣を歩く足音。
懐かしさに似たものが胸に残る。その奥に、じわりと熱のようなものが、リディアの胸を締め付けた。