機巧人形はザクロを噛む_3
壮麗な館には、夜の光が惜しげもなく降り注いでいた。この地方で絶大な影響力を持つ魔導貴族――魔石事業で五代続く名門の屋敷だ。
迎賓のために整えられた正面入口からは、すでに華やかなざわめきが漏れ聞こえている。
魔力によって滑らかに磨き上げられた石床に足を踏み入れた瞬間、リディアは自分が明らかに場違いな人間であることを肌で感じ取った。
大広間の壁面や天井には魔石が惜しげもなく埋め込まれ、柔らかく揺れる照明球が優雅に光を放つ。
装飾は煌びやかなだけでなく、どこか静かな威厳すら漂わせていた。壁際には楽団が控え、優雅な魔導器の旋律が場の雰囲気を整えている。
集まった貴族たちは華麗な衣装と宝飾をまとい、まるで技術と権力の展示会のようだった。
窓ガラスに映る自分の姿を盗み見る。
ルーシーに借りたドレスは、華やかすぎて気後れするほどだ。水面のような蒼白いドレスが、照明の下で静かに揺れる。
魔導織布の繊細な反射が、彼女の動きに合わせて微かに光を散らした。
(……私なんかより、ルーシーの方がよっぽど似合うのに)
普段はまとめるだけの髪はふんわりと巻かれ、頬には薄く紅が差してある。ルーシーは会場へ向かう途中、「大丈夫、めちゃくちゃ似合ってるから!」と繰り返し励ましてくれた。
隣で明るく笑う彼女はいつも通りに堂々としていて、衣装も髪も完璧に整っている。
招かれた中庭では、貴族たちの華やかな装いにリディアは思わず立ち止まった。
(やっぱり……場違いだわ)
有力商家の娘として顔が広いルーシーは、すでに挨拶回りで忙しく動き回っており、リディアはいつの間にか一人になっていた。社交の隅で視線を感じ、ただの技術者という自分の異質さを強く意識する。
ふと顔を上げると、会場の奥で談笑していた一団の中に、こちらを見ている男の姿があった。銀縁の眼鏡に端正な顔立ち――ヴェルナー・ラースフェルト。かつて父の下で長く働いていた人物で、自らを“弟子”と称していた。リディアにとっても、馴染み深い顔だった。
彼は驚いたように目を見開き、すぐに笑顔を浮かべて近づいてきた。
「やあ、まさかここで会えるとは思わなかった」
「……お久しぶりです、ヴェルナー先生」
「ずいぶん見違えたな、リディア。華やかな席もよく似合う」
軽やかに褒める彼に、リディアは懐かしさと、同時に一抹の安堵を覚える。見知った顔を見つけて、少しだけ気持ちが緩んだ。
「実は君のお父さんの資料を元に、新しい魔導構造を試している。君が以前言っていた通り、識別魔素と制御回路の連動が鍵だった。おかげで実用化されるとこまできたよ」
数年前、まだ学生だった頃の会話を覚えていたことに、リディアの胸が微かに揺れた。
「それで思ったんだ。君が博士の研究を引き継いでくれれば、もっと素晴らしいものが作れるんじゃないかって」
父の研究を肯定されたこと。それ自体は嬉しかった。しかしその言葉には、父の存在を超える期待が滲んでいる気がして、リディアは小さく息を詰めた。
「帝都の研究所で一つ、形になったものがあるんだ。見学だけでもどうかな?」
「……ええ、機会があれば。ぜひ」
口角をあげて微笑んで応じたものの、胸の奥には名状しがたいざらつきが残る。
ヴェルナーは静かに続けた。
「君のような才能は、一課に埋もれさせるには惜しい。三課なら、もっと実用的な開発ができる。博士よりもずっと良い成果が出せるだろう」
リディアは口を引き結んだまま、返事を迷った。
(三課……。確かに、あそこなら成果も出しやすい。でも――)
目の奥に、白衣のまま図面に向かっていた父の背が浮かんだ。
(頷いたら、ずっと一課にいた父の場所が揺らいでしまう。……父さんは、基礎研究ができる一課にこだわっていた。三課は軍事開発専門だし……)
かすかに浮いた口角が、忘れ物のようにそのままだった。まるで、雨上がりの後、店先に忘れられた傘のように。
その時、ふと周囲の空気がわずかに変わった。ざわめきが走り、何人かの視線が壁際を向いている。
リディアもつられてそちらを見た。真っ白な軍礼服の男が立っていた。静かに杯を傾けていたその姿に、思わず目が留まる。
――カイル・フォン・ルーペンス少佐。
彼はこちらの会話に加わることもなく、ただ会場の一角に佇んでいたらしい。その存在感は群衆の中にあっても際立っていた。
リディアはふと視線を落とし、言葉を探す。
けれど、はっきりとした返答は浮かばなかった。
「……私は……」
その言葉はどこか頼りなく、宙に漂った。
そうして視線を外そうとした瞬間――背後に人の気配を感じた。気づけば、カイルがすぐ近くに立っていた。
「無理に答えることはない」
低い声が静かに響く。
その声音は落ち着いていたが、そこに滲む針のような棘に、ヴェルナーの表情がわずかに動いた。
一瞬、眉を顰めたが、軽く微笑んでその声の主に目を向けた。
(……庇って、くれた?)
言葉が胸の奥でつかえる。心臓の音が早まっていく。否定したいような、すがりたいような気持ちが密かに揺れた。
そこへ、主催者である魔導貴族が数人の取り巻きを従えて歩み寄ってきた。動きひとつにしても、長年受け継がれてきた血統と、その資産で培われた威厳がにじみ出ているようだ。
「おや、ヴェルナー技監。お噂はかねがね。新型装備も最終段階だとか。次の軍事パレードが実に楽しみです」
握手を交わしながら、彼はリディアにも目を向けた。
「君がグレイウィンド技官か。博士の訃報はまことに残念でした……帝国にとって、あまりにも大きな損失でしたな。だが、これほど立派なお嬢様が継がれるのであれば、きっとご安心なさっていることでしょう」
リディアは館主から差し出された手を握り返し、慌てて礼を述べた。領主は優しく微笑み、続けてカイルに目を移した。
「お二人……ルーペンス家のご子息と並ばれると、まさに帝都の誇り、という風情ですな」
周囲の貴族たちも頷き合い、リディアはますます居心地の悪さを感じていた。
変な誤解を持たれては困ると、そっとカイルを盗み見るが、彼の横顔は仄暗い照明の陰に沈み、表情は読めなかった。