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機巧人形はザクロを噛む_1

「明日……ですか?」

 

 研究局一課の執務室。朝の陽射しが書類棚に斜めに差し込む中、煮え切らない顔をしたリディアは室長の机の前で言葉を繰り返した。

 

「ああ」

 

 室長は手元の書類にさらさらとサインを入れながら、相変わらず顔を上げることなく淡々と応じる。


「……視察というのは、あの国境の駐屯地でしょうか?」

「ああ、大規模のものでな。王族もくるらしいぞ」

「……そんな大事なものに研究局からは、私だけが派遣されるのですか?」

「いや、三課からは技術主任連中が来る。防御装置の設計改良に関わったのは君だろう。君の名前で申請が通っていた」

 

 さらさらとペンが走る。ふと、室長はそこで顔を上げ、眼鏡の奥の目をリディアに向けた。

 

「なんだ、行きたくないのか? こんなにスムーズに予算が出ることなど滅多にないぞ」

「いっいえ、急なことだったので……」


 突然の長距離出張、それも国境地帯――帝都から見れば、地図の端にあるような場所だ。

 魔導汽車で少なく見積もっても、半日はかかる。

 

(よりによって、なんで今……)

 

 リディアは予定が詰まった日程表を思い浮かべながら、そっと額に手を当てた。


「リディアが行くなら私もついてこうかな~。室長! 記録係ならまだ枠ありますよね?」

 どうやら話をきいていたルーシーが、背後からひょこっと顔を覗かせた。

 

「室長、記録係ってまだ空いてます?」

「さあな。総務に確認してみるといい」

「やった!」

「……ルーシー、あなた仕事は?」

「大丈夫、大丈夫!」


 鼻歌でも歌い出しそうな顔でルーシーは軽やかに駆けていく。残されたリディアは呆れつつも苦笑を漏らした。


(とりあえず急かされてる仕事だけでも今日中に終わらせて、予定も調整しないと……)

 リディアは深いため息をついた。



 ***


 汽車の吐き出す蒸気が、朝陽に照らされて細かな光を返す。

 それは、空気中に漂う魔素――魔力の微粒子が反応しているのだと、誰かが言っていた。

 帝都は、特に魔素の濃度が高い。

 工業区に立ち並ぶ魔石圧縮炉からは、日夜、魔力を含んだ靄が吹き出している。

 汽車の蒸気もまた、その残滓のひとつだ。

 

 春先の帝都はまだ肌寒く、リディアは肩章付きのロングコートをきっちり留めた。駅は軍の視察班と一般旅客でごった返している。


 許可証を見せて通された先は、奥の特別車両乗り場だった。一号車に指定されたことに小さく眉をひそめる。防御装置の技術者とはいえ、場違いな気がしてならない。

 リディアは重たい鞄を肩にかけ直す。防御装置の設計図および解析データをまとめた資料がぎっしり詰まっている。

 何が必要になるかわからない――その思いで、必要以上の資料を持ってきてしまった。念には念を、というのがリディアの悲しい性分だ。

 

 念には念を。そう思って詰め込んだ書類たちは、もはや呪いのように肩に食い込んでいた。

(昨夜の私に、少しは荷物を減らせって言いたい……)

 

 「リディア!」

 ふわふわの金髪を揺らしてルーシーが駆け寄ってくる。いつもの人懐こい笑顔を振りまいている。

 見えないしっぽを大きく揺らしているようだった。


 「ちゃんと通してもらえたのね」

 「うん! 記録係ってことで何とか滑り込んだ!」

 「私は一号車らしくて……なんだか落ち着かないな」

 「そっちって、司令部のお偉いさんとか乗ってる車両じゃないの?」

 「……えっ」


 リディアの顔が一瞬強張るのを見て、ルーシーは肩をすくめた。


 「宿泊室は一緒にしてもらったから! また後でね~」

 

 手を振って去っていく彼女を見送りながら、リディアは一号車へと足を向けた。

 車両内には、軍服姿の高官たちがちらほら見える。部外者である技術者の自分がこの場所にいることに、リディアは不安が募る。


 指定された個室の前で立ち止まり、小窓から中を覗き込む。リディアは薄桃色の瞳をぐるりと巡らせた。

 誰もいない。そのことに、胸の内がわずかに緩んだ。ドアに手をかけようとした、その時だった。


「入らないのか?」


 背後からかけられた声に、リディアは肩を跳ねさせた。

 声の主へと振り返ると、体格差で見上げる形になる。その碧翠色の眼差しが光を反射して、まっすぐに彼女を射抜いた。

 

「……ルーペンス少佐、」


 慌ててドアに手をかけようとした瞬間、長い腕がすっと伸びてドアを開けた。見上げた視界に、ドアを押さえる手に琥珀色の石を留めた指輪がちらりと映る。

 カイルは目配せで中へ入れと促した。思わず後ろから抱き寄せられるような格好になり、リディアは顔が沸騰したように熱くなる。

(近……っ)


 胸の内で爆ぜる音を、カイルに聞かれてしまいそうで、リディアはそっと呼吸を潜めた。

 そそくさと中に入り、荷物を脇に置いて視線を逸らす。

 

(なに、今の……ただ近づかれただけなのに……)


 静かに呼吸を整えながら、カイルと向かい合うように座る。とてもじゃないが、ルーシーに話せない秘密がまたひとつ増えた。

 ふいに、車両の外から、隣の車両の軍人たちの声がかすかに聞こえてきた。

 

「今回の視察、王族も来るんだろ?」

「あの第三王子って噂だ。貴族たちも噂していた」

「新型武器の試験が見られるとかなんとか……実戦投入も近いのかもな」

 何気ない会話の中に混じるその単語に、リディアは眉をひそめた。

(新型……? 視察だけじゃなく、実演まで……?)


 軍人たちの雑談のはずなのに、不穏な響きが、胸の奥に小さなざわめきとなって残る。

 その瞬間、向かいの席に座るカイルが、リディアの横顔にちらと視線を走らせた。言葉は交わされなかったが、そのまなざしにリディアの心もまた揺れた。


「……少佐も同行されるんですね」

「当然だ。君を指名したのも私だ。あそこの駐屯地はドラヴェムとの紛争の最先端だ」

「ドラヴェム……」


 はたと考え込む。目の前の男が“災厄”と呼ばれるきっかけになった隣国の名だ。

 

 「防御装置の話は表向きの理由だ。当時使われていた兵装や魔導機もまだ現地に残っている。調べるにはちょうどいい」


 防御装置の件はただの理由付けだったと気付き、リディアはじとりと恨めしげに重たい鞄を睨みつけた。

 

(それならこんなに持ってこなければよかった……)


 遠くで汽笛が短く鳴る。発車が近いことを告げる合図だ。


「……他の方々遅いですね」

 二人きりの気まずさを紛らわせるように、リディアは口を開いた。

 

「他?」

「この部屋、四人用ですよね? 他の方も乗られるのではないのですか?」

「軍の規定に基づき、機密保持対象者は二人一室と決まっている」

「…………え?」


 汽車の蒸気が鋭く吐き出され、甲高い音が車両の周囲に響く。続いて、車輪がゆっくりと動き出した。リディアの困惑は、その音と振動にかき消された。

(つまり……半日ずっとこの部屋に二人きり……?)


「所属別に振り分けた際、魔技研一課からは君一人だった。人数の都合上、君をこちらに組み込んだ。あれから話もできていなかったしな」

 調べてほしいと言われたことだ。あれからもう一週間が経っていた。


「その……怪しまれたりしないでしょうか? 私たちの関係を……いえ、変な意味ではなくて……その……」

 

 自意識過剰な発言に感じて、段々としどろもどろになってしまう。

 それでも、本来関わり合うような関係性ではないのだ。

 

(まさか、恋愛関係などとは思われなくても、何か裏があると探られても困るし……)


「いや、他もそんなものだ。……大概、余り物通しで組まされる」

「……?」


 リディアは首を傾げる。カイルはリディアから目をそらし、窓の外に目を向けた。

 その整った横顔を見つめ続けるのも失礼かと思い、リディアも外に目を移す。帝都の建物群が次々と流れていく。


(まるで自分も余り物みたいな……。少佐は立場もあるし、女性陣の間ではいろいろ噂もあるのに。……少佐がそんな扱いされるわけがないのに)


「保管庫の捜査は打ち切りになった」

 ふいにカイルが口を開いた。


「中への侵入は確認できなかったという報告が上がっている。証拠がないから、追及もできないそうだ」

「本当に……報告されてないんですね」

 リディアは目を伏せる。あの夜の出来事が、正式な記録に残らなかったことに、安堵と戸惑いが入り混じる。


「――あの夜の逃走者が君だとは、未だに信じがたいが。あの空飛ぶバイクは……趣味か? そんなもの、聞いたこともないが」

「それは……報告されたんですか?」

「いや。あの場にいたのは私だけだった。あの天気じゃ、誰も上なんて見ていなかっただろうしな。報告したところで誰も信じなかっただろう。……運が良かったな」

「あれは元々、父が改造した機体なんです。私がいじってるうちに、たまたま飛ぶようになって……」

「……変わった親子だな」


 カイルの目元がわずかに緩んだ気がして、リディアは思わず目を見張った。

 

 (……笑った?)

 瞬間、言葉にできない何かが胸の奥に波紋のように広がる。

 汽車はすでに帝都の外縁を抜け、少し寂れた郊外の土地を走り抜けている。魔導線の唸りと車輪の音だけが、静かに二人の空間を満たしていた。


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