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機巧人形はまだ知らない_2

 夜深く、窓の外には濃紺の空が静かに広がっていた。遠くで猫の鳴き声が一度だけ響き、また静寂が戻る。リディアは父の残したアトリエで、ひとり机に向かっていた。静かな灯りに照らされた設計図を前に、じっと息を潜める。

 指先に伝わる紙の古い質感、インクのわずかな滲み。昨夜、保管庫から盗み出したばかりの原本である。


(……やっぱり、違ってる)


 魔技研の資料室で誰もが閲覧できる場所にあった設計図を思い浮かべる。

 その資料には父の名前があったが、違和感が拭えなかった。あの日それを見て、どうしても納得できなかった。

 だから、リディアは今日の行動に出たのだ。

 そして今、目の前にある盗み出した原本の図面を、ひとつひとつ慎重に確認する。


(間違いない、ここには『外部から即時停止』なんて記載はない)


 元の設計では、魔力が異常値に達すると、自動的に出力が遮断される補助回路が組み込まれていた。

 使用者の負荷を最小限に抑えるための、安全のための装置――それが、父の設計思想だった。


 だが、あの日見た研究所の図面には、見慣れない回路が追記されていた。

 誰かが、その補助回路に手を加えている。


「……やっぱり父さんが書いたんじゃない」


(どうして……こんなことを?)


 静かな呟きがアトリエの空気を震わせた。

 確信を得た指先は、小さく震えている。


 改ざんされた図面の署名は押印だった。けれど、父はすべての図面に、自らの手で署名を残していた。

 癖のある、僅かに右上へ流れる文字――そして、その横に、必ず添えられていた独特の記号。

 図面の余白にひっそりと刻まれたその記号は、父にとっての技術者としての証のようなものだった。


 そっと図面を裏返し、作成日を確認する。

 改ざん版の作成日は、父が亡くなった七ヶ月後だった。


 喉がつまったような息苦しさが胸を満たす。

 その数字を見るだけで、何かがじわりと心の奥に染み渡っていく。


(誰かが、父さんの名前を勝手に使って……思想も、記録も歪めてる)


 机の端に置かれた古い写真が視界の端で揺れる。

 そこには若い父が、小さなリディアの肩に手を添えて優しく微笑んでいる。

 

 母はリディアが物心ついた頃、流行り病で亡くなった。父と二人、間取りの少ない古びた家で肩を寄せ合うように暮らしてきた。

 その家の奥には、父が仕事に使っていた小さなアトリエがあった。居間と繋がる扉の先、木製の棚や工具台が並び、古い設計図が巻かれた筒が天井近くに吊るされている。朝は父が慌ただしく出勤し、狭いキッチンに置かれた小鍋で冷めたスープを温め直すのが夜の習慣だった。窓際の棚には父の工具が整然と並び、リディアの勉強机と相まって、アトリエ全体がまるで親子の研究所のようだった。

 父は研究に没頭していて、リディアがひとりで夕食を取る夜もしばしばあった。冷えたスープを温め直しながら、父の帰りをじっと待っていた幼い記憶が、今も胸の奥に残っている。

 研究ばかりで寂しい思いをすることも多かったが、それでも父が時折教えてくれる魔道工学技術は、リディアにとって何よりの楽しみだった。触れると、蝶のような光が舞う機械。魔力を込めると身体が浮く機械。

 魔導バイクも元々は父の趣味だ。


 ――五年前の誕生日。悪夢を思い出す。


 いつも帰りの遅い父がその日は早く帰ると約束してくれていた。

 リディアも学校帰り、急ぎ足で帰路に着いた。


 あの日も雨が降っていた。

 帰り道、近道として、いつもは暗くて危ないから通るなと父に言われていた裏道を使った。遠くに父の姿を見つけた。

 本当に早く帰ってきてくれたんだ、とリディアは喜び声をかけようとした。

 ふと、父と男が揉めている様子が見えた。その瞬間、父が倒れた。もう一人は銃のようなものを持っていた。

 雨音だけが規則正しく鳴っていた。身体の芯が冷えていくような、冷たさだけが残っていた。

 その男は周りを窺う様子を見せた。咄嗟にリディアは近くの物陰に隠れた。

 物陰からそっと覗くと、何人かの男たちが現れ父を布で包み運んでいく。

 男たちは軍人のような帽子を被っていた。


 (父さん……?)

 雨が滴り落ちる。傘を持っていたはずなのに、ずぶ濡れになっている。

 唖然としているうちに、男たちの姿がみえなくなった。


 父に見えた。だが、遠く暗い雨の中だった。

 父が殺されるわけがない。きっと。見間違えたんだ。リディアはそう思い、裏道から大通りに戻り、家に帰った。

 食事も手をつけずに、部屋の時計を何度も見た。

 その夜、父が帰ってくることはなかった。


 翌日、軍に問い合わせると「職務中に心臓発作で倒れて亡くなった」と知らされた。

 

 あれはやはり父だったのか。

 それなら、なんのために。


 そのために魔技研に入った。

 父のいた、あの場所でなら見つけられると思った。

 やっと糸口を見つけられた、かもしれない。


 ふと、リディアはデスク隣りの小窓を見た。

 少しだけ開けていた窓から風が吹き込み、カーテンが揺れた。



 ――コン、コン。


 玄関のノック音に、リディアの心臓が跳ねた。


「……誰?」


 慌てて設計図を隠し、資料を重ねて机を片付ける。

 外へ出ると、淡い靄がかかった月明かりの下。男が立っている。

 軍服ではなかったため、一瞬誰かわからなかった。けれど、光の下に浮かんだ顔を見た途端、背筋に冷たいものが走った。

 ――碧翠の災厄だ。


「こんな時間に……どうされましたか?」

「一つ、確認したいことがあってな。すぐ済む」


 彼の視線が、リディアの背後――玄関先に置いたままの分解した改造機と、積み上げられた工具箱へ向く。

 パーツはバラバラに置いていた。見た目だけでは昨夜の機体とはわからないだろう。


「……その車輪。どこかで見たものに、よく似てる」

「そうですか? よくあるものですよ」

「……賊が入った家にしては、随分片付いてるな。どこだ? 荒らされたのは」


 返答を待たずに、カイルは玄関を通り抜ける。リディアは慌てて追いかけた。

 

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