――白い鴉がカァと鳴く
リディアはバイクを飛ばして、帝都の外れにある古い喫茶店を訪ねていた。
昼休み、ルーシーと久しぶりにランチの約束をしていたのだ。
「でも、すっかり落ち着いたわね」
ルーシーはうれしそうに笑いながら、パスタをくるくるとフォークに巻きつける。
「おかげさまで。そっちは最近、どう?」
リディアもパンをちぎって口に運ぶ。
ほんのひととき、気持ちがすっかり緩んでいた。
ルーシーは「うーん」と唸りながら、少しだけ首をかしげ、天井を見上げて考えるような仕草をする。
「そうそう、前にリディアが提出してくれた選定波形技術があるでしょう?」
「え? うん」
リディアの頭の中に、偏向ノイズ装置を作る過程で生まれた副産物が浮かぶ。
一定の波長パターンだけを通すフィルター構造を応用し、個人の持つ魔力の波形にだけ反応する認証技術――。
それを、リディアは新たな技術提案として提出していた。
「あれがね、いま民間で使われてて、最近人気みたいなのよ!」
「民間で?」
驚くリディアに、ルーシーは得意げに頷いた。
「そうそう、お守りみたいだって。素敵よね~!」
ぱっと表情が明るくなる。パスタをくるくる巻いて口に運ぶ仕草まで、なんだか嬉しそうだ。
「お守り……?」
リディアはルーシーの言葉を飲み込めないまま、見つめた。
「特定の個人同士で登録しておくと、ある程度の距離で反応するっていうアクセサリーが流行ってるのよ!」
身を乗り出すようにして語るルーシーの瞳は、きらきらと輝いている。
「へえ、全然知らなかった……」
「親子でつけたり、なにより恋人同士で送り合うんですって……素敵……」
うっとりした様子で、頬に両手を当てて目をつぶるルーシー。
そのあまりに微笑ましい様子に、リディアは思わず小さく笑ってしまった。
(知らなかったけど……あの防御装置の改ざんみたいなものじゃなくて良かった……)
安堵が胸に広がる。
リディアはそっと息を吐いて、冷めかけたパスタを口に運んだ。
***
リディアは設計図を整理する手を止めた。
「また……来たんですか?」
呆れた顔で、その顔を見つめる。
けれどその男──カイルはリディアの視線など気にも留めず、手にしたそれをテーブルに置いた。
「今日はまだ時間がある。休憩にしないか」
設計図をめくるリディアの手元をちらと見て、事も無げにそう言う。
リディアは小さく息をつき、厨房へと向かった。そこはかつて、カイルがお手製のスープを振る舞ってくれた、ささやかな記憶の残る場所だ。
ラズロのいた研究館を整理して、研究所として機能できるよう整備を始めてから、すでに数ヶ月が経つ。
ラズロの昔馴染みや、カイル、そしてセディアスも金銭的に援助してくれたおかげで、ようやく研究所と呼べる体裁が整ってきていた。
リディアは湯を沸かし、吊り戸棚から茶葉を取り出す。
それは、以前カイルが持ってきた紅茶だった。
――そのカイルが、ここ最近ずっと、おかしい。
(軍の改編で忙しいはずなのに……)
この数ヶ月、彼は何も語らないままだった。
けれど、帝都ではあの一件の余波がいまだに続いている。
ルーペンス将軍が失脚、新しい爵位を受けた若き英雄──。
彼は確かに、何かを終わらせて、前へ進んだはずだった。
(なのに、どうして……毎日、こんな場所まで)
帝都から離れた工業区の外れ。
この不便な研究館に、毎日のように顔を出しに、わざわざやってくるのだ。それも、毎回帝都で買ってきた菓子を携えて。
一度リディアは、「無理して来なくていい」と言ったことがある。
けれど、彼はただ一言。
「気にしなくて良い」
その一言だけを言って、黙り込んでいた。
(あの日でもう終わりだと思ってたのに……なんでこんなに……)
――けれど、今日のリディアは違った。
(今日こそきっぱり言おう)
トレイにポットとカップを載せてテーブルへ戻る。リディアは真っ直ぐにカイルを見た。
カイルはいつものように席につき、広げた設計図を無言で見つめている。
「今日はなんですか」
「シュークリームだ。クリームが二種類入ってるらしい」
箱から器用に取り出し、リディアが持ってきた皿に丁寧に並べる。
その似つかわしくない仕草に、思わず吹き出しそうになるのをリディアはこらえた。
(この人は本当、何しに来てるんだか……)
緩む口元を押さえて、喉を鳴らす。
「あの、少佐」
紅茶を手渡しながら、呼びかけた。
「なんだ」
「あの……」
意気込んでみたものの、言葉に詰まる。カイルは不思議そうな表情をして、紅茶に口をつけた。
「……なんで毎日、ここへ来られるんですか?」
言い終えてすぐ、後悔した。余りに棘のある言い方だった。
答えを聞きたいような、聞きたくないような気持ちが胸をざわつかせ、カイルの目が見られなかった。
「……ふむ」
カイルは考えるように口元に指を当てる。
すると、上着の内ポケットから小さな箱を取り出した。
「これを渡そうと思ってた」
「これを?」
リディアは予想外の返しに、思わずオウム返しになる。
「……これを渡すために、毎日……?」
考えがまとまらないまま、口にしていた。
カイルは目をそらし、少しだけ居心地悪そうな顔をした。
「……いつ渡そうか考えていた」
ぽつりと、そう呟きながら、小さな箱をそっとテーブルに置く。
リディアは恐る恐る、その蓋を開いた。
「…………指輪?」
考えが追いつかない。
そこには、淡く蒼く輝く宝石をあしらった指輪がふたつ、並んでいた。
「これ、本当に私に渡すものですか?」
渡す相手を間違えてるのでは、と手が勝手に動き、箱ごと返しそうになっていた。
カイルはそっとそれを制する。
「君に渡したかった。その……君の選定波形の技術が使われてると聞いて……」
言いよどみながらも、はっきりとした口調だった。
昼にルーシーが言っていた話が、ふっと脳裏に浮かぶ。
(でも……あれは恋人同士で送り合うものだって……)
胸の奥がざわざわと騒ぎ立つ。
「心配なんだ。いつも君は突然、無茶をするから」
「だからって……これってお互いの魔力を登録するんですよね……?」
「片方は俺のを登録した。君のも登録してくれ」
「私のを……?」
カイルの顔をまじまじと見つめる。
嘘を言っている目には見えない。それに、カイルは一度だって嘘を言ったことがない。
(お互いで……つけ合いたいってこと……?)
突然の話に、リディアの脳は悲鳴をあげていた。
「こうするんだ」
カイルは立ち上がって、リディアの隣へと座る。
手に取った指輪を、リディアのてのひらにそっと載せた。
「君の魔力を、少し送ってくれ」
言われるがまま、リディアはそれに魔力を送る。蒼い石が一瞬、優しく光った。
カイルは静かに息をつき、その指輪を自分の左手薬指に嵌めた。
「え……」
何も言えない内に、カイルはもう一つの指輪を手に取った。
ぱちくりと瞬きを繰り返すリディアの手を、また優しく取る。
「嫌か?」
「……え、でも」
「嫌なのか……?」
「その、そうではないですが……」
至近距離で、こちらを見つめるカイルの目が見ていられずに、リディアは目を逸らした。
鼓動の音が、手を介してそのまま伝わってしまうようで、居たたまれなくなる。
「君をもう、離したくないんだ。リディア」
ぽつりと声が落ちる。
おずおずと目を上げると、カイルの視線とかち合う。その碧翠の瞳は、いつになく熱を帯びていた。
カイルはそのまま、左の薬指にその指輪を嵌める。
思考は止まったままだ。
「なぜサイズがぴったりなのか」「いつから準備していたのか」
余計なノイズばかりが浮かぶのに、口からは何も出てこない。
「少佐……」
「……名前で呼んでくれないか」
「名前……?」
指輪を嵌め終わっても、カイルはその手を離そうとしない。
「……カイルさん?」
呼び掛けると、カイルは静かに笑った。
その笑みに、リディアの胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。
(私でいいのか……わからないけど。不器用でも、優しい、この人となら――)
リディアは、カイルの手をゆっくりと、けれど確かに握り返した。
ふたつの指輪が、重ねたてのひらの中、呼応するように静かに光を放っていた。




