表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/19

――白い鴉がカァと鳴く

 リディアはバイクを飛ばして、帝都の外れにある古い喫茶店を訪ねていた。

 昼休み、ルーシーと久しぶりにランチの約束をしていたのだ。


「でも、すっかり落ち着いたわね」

 ルーシーはうれしそうに笑いながら、パスタをくるくるとフォークに巻きつける。

 

「おかげさまで。そっちは最近、どう?」

 

 リディアもパンをちぎって口に運ぶ。

 ほんのひととき、気持ちがすっかり緩んでいた。


 ルーシーは「うーん」と唸りながら、少しだけ首をかしげ、天井を見上げて考えるような仕草をする。

 

「そうそう、前にリディアが提出してくれた選定波形技術があるでしょう?」

「え? うん」

 

 リディアの頭の中に、偏向ノイズ装置を作る過程で生まれた副産物が浮かぶ。

 一定の波長パターンだけを通すフィルター構造を応用し、個人の持つ魔力の波形にだけ反応する認証技術――。

 それを、リディアは新たな技術提案として提出していた。


「あれがね、いま民間で使われてて、最近人気みたいなのよ!」

「民間で?」

 驚くリディアに、ルーシーは得意げに頷いた。

 

「そうそう、お守りみたいだって。素敵よね~!」

 ぱっと表情が明るくなる。パスタをくるくる巻いて口に運ぶ仕草まで、なんだか嬉しそうだ。


「お守り……?」

 リディアはルーシーの言葉を飲み込めないまま、見つめた。


「特定の個人同士で登録しておくと、ある程度の距離で反応するっていうアクセサリーが流行ってるのよ!」

 身を乗り出すようにして語るルーシーの瞳は、きらきらと輝いている。

 

「へえ、全然知らなかった……」

「親子でつけたり、なにより恋人同士で送り合うんですって……素敵……」

 うっとりした様子で、頬に両手を当てて目をつぶるルーシー。

 そのあまりに微笑ましい様子に、リディアは思わず小さく笑ってしまった。


(知らなかったけど……あの防御装置の改ざんみたいなものじゃなくて良かった……)

 安堵が胸に広がる。

 リディアはそっと息を吐いて、冷めかけたパスタを口に運んだ。

 


 *** 

 


 リディアは設計図を整理する手を止めた。


「また……来たんですか?」


 呆れた顔で、その顔を見つめる。

 けれどその男──カイルはリディアの視線など気にも留めず、手にしたそれをテーブルに置いた。


「今日はまだ時間がある。休憩にしないか」


 設計図をめくるリディアの手元をちらと見て、事も無げにそう言う。

 リディアは小さく息をつき、厨房へと向かった。そこはかつて、カイルがお手製のスープを振る舞ってくれた、ささやかな記憶の残る場所だ。

 

 ラズロのいた研究館を整理して、研究所として機能できるよう整備を始めてから、すでに数ヶ月が経つ。

 ラズロの昔馴染みや、カイル、そしてセディアスも金銭的に援助してくれたおかげで、ようやく研究所と呼べる体裁が整ってきていた。


 リディアは湯を沸かし、吊り戸棚から茶葉を取り出す。

 それは、以前カイルが持ってきた紅茶だった。



 ――そのカイルが、ここ最近ずっと、おかしい。


(軍の改編で忙しいはずなのに……)


 この数ヶ月、彼は何も語らないままだった。

 けれど、帝都ではあの一件の余波がいまだに続いている。

 ルーペンス将軍が失脚、新しい爵位を受けた若き英雄──。

 彼は確かに、何かを終わらせて、前へ進んだはずだった。

 

 (なのに、どうして……毎日、こんな場所まで) 


 帝都から離れた工業区の外れ。

 この不便な研究館に、毎日のように顔を出しに、わざわざやってくるのだ。それも、毎回帝都で買ってきた菓子を携えて。

 

 一度リディアは、「無理して来なくていい」と言ったことがある。

 けれど、彼はただ一言。


「気にしなくて良い」

 その一言だけを言って、黙り込んでいた。


(あの日でもう終わりだと思ってたのに……なんでこんなに……)


 ――けれど、今日のリディアは違った。


(今日こそきっぱり言おう)


 トレイにポットとカップを載せてテーブルへ戻る。リディアは真っ直ぐにカイルを見た。

 カイルはいつものように席につき、広げた設計図を無言で見つめている。


「今日はなんですか」

「シュークリームだ。クリームが二種類入ってるらしい」


 箱から器用に取り出し、リディアが持ってきた皿に丁寧に並べる。

 その似つかわしくない仕草に、思わず吹き出しそうになるのをリディアはこらえた。


(この人は本当、何しに来てるんだか……)

 緩む口元を押さえて、喉を鳴らす。

  

「あの、少佐」

 

 紅茶を手渡しながら、呼びかけた。


「なんだ」

「あの……」

 

 意気込んでみたものの、言葉に詰まる。カイルは不思議そうな表情をして、紅茶に口をつけた。


「……なんで毎日、ここへ来られるんですか?」


 言い終えてすぐ、後悔した。余りに棘のある言い方だった。 

 答えを聞きたいような、聞きたくないような気持ちが胸をざわつかせ、カイルの目が見られなかった。


「……ふむ」

 カイルは考えるように口元に指を当てる。

 

 すると、上着の内ポケットから小さな箱を取り出した。


「これを渡そうと思ってた」

「これを?」

 

 リディアは予想外の返しに、思わずオウム返しになる。


「……これを渡すために、毎日……?」

 考えがまとまらないまま、口にしていた。

 

 カイルは目をそらし、少しだけ居心地悪そうな顔をした。

 

「……いつ渡そうか考えていた」


 ぽつりと、そう呟きながら、小さな箱をそっとテーブルに置く。


 リディアは恐る恐る、その蓋を開いた。


「…………指輪?」


 考えが追いつかない。

 そこには、淡く蒼く輝く宝石をあしらった指輪がふたつ、並んでいた。


「これ、本当に私に渡すものですか?」

 渡す相手を間違えてるのでは、と手が勝手に動き、箱ごと返しそうになっていた。

 カイルはそっとそれを制する。


「君に渡したかった。その……君の選定波形の技術が使われてると聞いて……」


 言いよどみながらも、はっきりとした口調だった。

 昼にルーシーが言っていた話が、ふっと脳裏に浮かぶ。


(でも……あれは恋人同士で送り合うものだって……)

 胸の奥がざわざわと騒ぎ立つ。


「心配なんだ。いつも君は突然、無茶をするから」

「だからって……これってお互いの魔力を登録するんですよね……?」

「片方は俺のを登録した。君のも登録してくれ」

「私のを……?」


 カイルの顔をまじまじと見つめる。

 嘘を言っている目には見えない。それに、カイルは一度だって嘘を言ったことがない。


(お互いで……つけ合いたいってこと……?)


 突然の話に、リディアの脳は悲鳴をあげていた。


「こうするんだ」


 カイルは立ち上がって、リディアの隣へと座る。

 手に取った指輪を、リディアのてのひらにそっと載せた。


「君の魔力を、少し送ってくれ」


 言われるがまま、リディアはそれに魔力を送る。蒼い石が一瞬、優しく光った。

 カイルは静かに息をつき、その指輪を自分の左手薬指に嵌めた。


「え……」


 何も言えない内に、カイルはもう一つの指輪を手に取った。

 ぱちくりと瞬きを繰り返すリディアの手を、また優しく取る。


「嫌か?」

「……え、でも」

「嫌なのか……?」

「その、そうではないですが……」


 至近距離で、こちらを見つめるカイルの目が見ていられずに、リディアは目を逸らした。

 鼓動の音が、手を介してそのまま伝わってしまうようで、居たたまれなくなる。


「君をもう、離したくないんだ。リディア」


 ぽつりと声が落ちる。

 おずおずと目を上げると、カイルの視線とかち合う。その碧翠の瞳は、いつになく熱を帯びていた。


 カイルはそのまま、左の薬指にその指輪を嵌める。

 

 思考は止まったままだ。

 「なぜサイズがぴったりなのか」「いつから準備していたのか」

 余計なノイズばかりが浮かぶのに、口からは何も出てこない。

 

「少佐……」

「……名前で呼んでくれないか」

「名前……?」


 指輪を嵌め終わっても、カイルはその手を離そうとしない。


「……カイルさん?」


 呼び掛けると、カイルは静かに笑った。

 その笑みに、リディアの胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。


(私でいいのか……わからないけど。不器用でも、優しい、この人となら――)


 リディアは、カイルの手をゆっくりと、けれど確かに握り返した。

 ふたつの指輪が、重ねたてのひらの中、呼応するように静かに光を放っていた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ