機械人形はもう動かない
数日後。
王宮の執務室に、カイルは呼び出されていた。
通されたのは、応接間とは名ばかりの、無機質で殺風景な部屋だった。
その窓辺に、いつものようにセディアスが立っている。
「来たな。新聞はみたか?」
軽やかな声とともに、彼は一枚の新聞を手渡してきた。
カイルが目を通すと、大きな見出しが目に入る。
――帝都を救ったのは、技術と、災厄だった。
命令に従うだけの兵士たちが、突如立ち止まり、目を覚ました。
観客を襲い始めた兵士を止めたのは、魔道技術研究局の技術者と、碧翠の災厄と呼ばれるルーペンス少佐だった。
記事を読み終え、カイルは小さくため息を吐いて新聞を返した。
「まったく、お前はもう少し感情ってものを出したらどうだ」
セディアスは苦笑しつつ、机の引き出しから一枚の書類を取り出す。
「ルーペンス将軍──お前の叔父の件も、もう耳に入ってるだろう。例の指輪は本来あの日発表するものではなかったそうだ。将将軍が無理に後押しして公に出したことが明るみに出て、責任は逃れられなかった」
金糸の縁取りがなされた書類。それは叙勲状だった。
「……もう、あの家に縛られる義理もないだろう?」
それを片手で差し出しながら、セディアスはどこか軽やかに言う。
「俺がどれだけ根回しに苦労したと思ってる」
カイルはそれを静かに受け取った。
「……頼んでませんが」
「嫌味か?」
「いえ」
セディアスは肩をすくめ、窓の外へと目を向けた。
「お前はもう災厄じゃない。英雄だって呼ばれてるんだよ」
カイルは、叙勲状を見下ろす。
そこには『帝都防衛の功により、カイル・アルヴェインに一代限りの爵位を授ける』と、記されていた。
「しかし、あいつらの顔といったら……最近は軍法会議が楽しみでしょうがないんだ」
セディアスは肩を震わせて笑う。
「またとない機会だった。感謝している」
「彼女はどうしてます」
「彼女? ああ、リディア嬢のことか」
カイルはその親しさを感じる呼び名に眉を寄せた。
「今日、魔技研の荷物をまとめて出ていく手筈なはずだ。なんだ? 聞いてないのか」
セディアスの言葉が終わる前に、カイルはすでに踵を返していた。
勢いよく部屋を飛び出していく後ろ姿を見て、セディアスはふたたび大きく肩を震わせて笑っていた。
***
――ヴェルナーは、すでに研究局の職を解かれていた。
現在、その行方は不明とされている。
軍内部では、技術倫理に関する再審と査問が相次いで始まっていた。
けれど、父が命を落とした真実を語る者はなく、あの夜の出来事も、記録のなかで静かに封じられたままだ。
リディアは、混乱が収まるまでのあいだ、セディアスの用意した隠れ家で身を潜めていた。
そして数日後、正式にお咎めがないことを確認したのち、久しぶりに魔技研へと戻ってきた。
「リディア! 大丈夫だったの!?」
姿を見つけたルーシーが、駆け寄ってきた。
リディアは苦笑して応じる。
「ごめんね。急に……」
「ううん。心配したんだから……」
大きな目を滲ませ、ルーシーはリディアの腕をぎゅっと掴む。その手は少し震えていて、温かかった。
「あなたはいつもそうやってむりするんだから……ここ、辞めてもずっと友達だからね」
「もちろんよ。ありがとう」
リディアもつられて、涙腺がじわりと熱くなる。魔技研では、父の娘というだけで肩身の狭い思いをした日々の中、ルーシーはずっと、変わらずそばにいてくれた。
その後、室長や一課の同僚たちに挨拶を済ませ、リディアは自分の机を片付けていく。
ここに来た理由の一番は父の遺したものを追うためだった。けれど、最先端の魔導工学に触れられるこの環境は、何にも代えがたいものだった。
ふと、倉庫に置いていた荷物を思い出し、そちらへと大きな荷物を持って移る。
ふと、倉庫に置いていた荷物のことを思い出し、大きな箱を抱えて移動する。
書類の箱が並ぶ棚をかき分けながら、自分の荷物を探していると――。
静かにドアの開く音がした。
「なぜ何も言わずに去ろうとする」
振り向くと、カイルが腕を組んで立っていた。その顔は不機嫌そうに、眉間にシワを寄せている。
「少佐? お久しぶりです」
リディアが箱を床に降ろそうと持ち上げたところで、カイルがそれを受け取り、代わりに置いてくれる。
「ありがとうございます」
小さく礼を言うと、彼は無言で頷いた。
「ラズロさんと、新しい研究所を作ることになりました」
言葉に、少しだけ寂しさが混ざる。でも、どこか晴れやかな気持ちだった。
「ここでは、どうしても軍のための仕事になってしまいますから……私は、父が残した技術をもっと違う形で活かしたいんです」
「決めたんだな」
箱を開けながら語るリディアに、カイルが静かに返す。
「君が決めたことなら応援する」
「ありがとうございます」
リディアはふっと笑みを浮かべた。
「だが、なぜ何も報告しなかった?」
「報告……?」
リディアは繰り返して、きょとんと口を開けた。
(なぜと言われても……もう、少佐とは関係がないのに……)
「……俺が、どんな気持ちであの後過ごしたか、少しは考えてくれ」
声のトーンが低く、珍しく感情が滲んでいた。
(そんなに心配かけてたなんて……)
思いがけないカイルの言葉に、リディアの胸がちくりと痛んだ。
「すみません……」
「気にしてただけだ。運び出すなら手伝おう」
それだけ言って、カイルは迷いなく荷物を持ち上げた。
「え、でも少佐、仕事は?」
「気にするな」
(なんで、この人、いつも……)
一見ぶっきらぼうに見えて、でも、
その手はいつだって、優しく差し出してくれる。
リディアは、ふっと口元を綻ばせて、その背中を追いかけた。




