表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/19

機巧人形のポラリスが傾く_4

 研究館の離れに、ちいさな工房があった。そこに、この重量級の筐を運び出したまではよかった。

 カイルが少し出てくる、と身ひとつで出掛けていった後、早速ふたりで仕事に取り掛かったところ。

 リディアは頭を抱えていた。


「なんですか……このグチャグチャの回路は」


 目の前には、開けたばかりの黒い筐。

 錆び付いて開けるだけでも苦労した。中は、絡み合った導管に継ぎ接ぎされた回路が四方八方に絡み合ったまま、無理矢理に押し込まれていた。


「ああ? ライナスの元のつなぎ方が悪ぃんだ。増設できるように組まねえからよ」


 ラズロは気にも留めず、導管を引っ張り出す。回路がもう限界だと言わんばかりに悲鳴をあげている。

 深い溜め息をつきながら、リディアはそれを解かす手伝いをした。


「とにかく音を出す機構に、指向性ノイズを作り出す機構を繋げればいいんですよね」

「そうだ」

「なんで、音出すだけでこんなに回路がいるんですか……」

 リディアは手を動かしながら、またため息をつく。

 

「わかってねえな。繊細なんだよコイツはよぉ」

 紐解いた導管を、ラズロは器用に床へと広げていく。


「……調律器は得意分野なんです。応用すればノイズ機構は私が作れます。フォクスレーさんは、それ、もう少し整理し直してください」

「お、おうよ……」

 

 ラズロは目をぱちくりとさせてリディアを見ている。

 リディアは立ち上がって、近くの棚からゴーグルと前掛けを取る。

 それを身に着け、使えそうなパーツを探し始めた。


「しかし……安全構造がこんな風にされちまうなんてな。アイツが一番拘ってたことなのによ」

 ラズロは静かに呟く。


「何もできなくて……悪かったな。軍の上層部とアイツが揉めてたのはわかっちゃいたのに」

「フォクスレーさんのせいではないです。悪いのは……」

 リディアの手が一瞬止まる。けれどすぐに思い直して、作業を続けた。


「私……これ以上、私たちの技術をこんな風に使わせたくないです」

 力を込めてリディアは言った。

 

 

 ***



 カイルは工業区と商業区の間を、人目を避けて歩いていた。昼過ぎの陽射しが容赦なく差し込む。

 まだ明るいが、式典までの猶予は少ない。迷っている暇はなかった。

 胸には、昨夜の出来事も先ほどの会話も、すべて消化しきれずにチリチリと痛んでいた。


(彼女は何も責めずにいてくれたが……)


 あの時、自分はただの操り人形だった。

 彼女を苦しめようと手をかけた。そんな意思など無かったにも関わらず。


 カイルは自分の手を見る。右の中指に長くつけていた、指輪の跡が残っていた。

 必死に呼びかけていた彼女の声を思い出す。

 

(もう二度とこんな事させるわけにはいかない。自分は一体なんのために、今まで――)


 国家のためになれ、と教えられて。

 それだけを信じて生きてきた。


(オレが本当に守りたいものは……)


 そこで見覚えのある、黄色い屋根の建物を見つけた。カイルは裏路地に滑り込んだ。昼間でも薄暗い通りを行き、古い建物の前で歩みを止める。

 ドアへと識紋をかざし、中へ入るとギシギシと耳につく音を立てた。

 かつて士官候補生だった頃、ここをよく訪れていた。旧軍の書庫だった場所。軍事文献を求めて立ち寄っていたが、同じように出入りしていた者がいる。

 あの男――以前にも、この書庫で言葉を交わしたことがある。


 軍の記録網から外れたこの地下の一角は、今も気づかれずに残っている。

 あの男がまだ動いているなら、ここに来るはずだとカイルは踏んでいた。

 カイルは迷わず奥の階段を降りる。壁に刻まれた古い刻印を一瞥しながら、地下の空気に身を沈めた。


「……やっぱり来たな」


 薄暗がりに、フードを被った男が佇んでいた。


「噂は回っている。軍じゃ大変な騒ぎになってるぞ」


 カイルはわずかに目を細める。


「通報されたのはわかってる」

「何を見つけた? 魔技研の女と一緒だろ?」

「これを渡してくれ」


 カイルは小さな封書を取り出して、男へ渡した。


「明日式典に潜り込みたい。手配を頼む」

「……何考えてんだ?」


 男は呆れた顔をすると、封書の中を読み始める。


「へえ……面白い話だ。あの人なら、こういうの――嫌いじゃない」

 


 ***


 

 夕刻に差し掛かるとき、カイルが工房に足を踏み込もうとすると、中から大きな声が漏れだした。

 

「お前、そっちの誘導回路切ったら、魔力バランスが崩れるって言ってんだよ!」

「でもそれだと出力安定までに時間がかかります。今回の目標は即時無力化ですよね?」


 リディアは振り向きながら、袖で汗をぬぐった。袖に付いていた煤が頬に移る。ふたりとも、カイルが戻ったことにすら気づかない様子だった。

 

「ちっ……けどなぁ、昔のやつはもっと丁寧にやったもんだ……」

「どこがですか! 効率が悪過ぎます。そんな回りくどいことするから、こんなにグチャグチャになるんですよ!」


(……この状況で口喧嘩か)

 カイルは思わず口元を緩めた。非常時とは思えない空気に、妙な安心感すら覚える。

 

「研究者ってのは、いつもこうなのか?」

「少佐! おかえりなさい。もう、あと少しで形になりそうです」

 リディアはカイルに気づいて、煤だらけの顔のまま笑い返す。


「期待している。厨房を借りていいか?」

「あ? 別に好きに使いな」

「手が必要なら声をかけてくれ」


 カイルはそう言って、研究館へと足を運ぶ。自分が手伝えることなど限られていた。

 奥の厨房へと向かう。最近使われたような形跡はなかったが、道具は一通り揃っているようだ。

 帰りがけに小さな露店で買ってきた具材を調理台へと並べる。

 

(大したものは作れないが……)


 大鍋に水を張り、火にかける。

 玉ねぎを取り出し、手早く皮を剥いで刻む。ナイフを握る手に、迷いはない。

 久しぶりのわりには、意外と身体が覚えていた。


 昔、屋敷にいた頃は、料理などしたことがなかった。

 だが軍の野営では、何度か鍋を任されたことがある。

 じゃがいもの皮を剥き、芽を取る。調理台の上で、ナイフの音が規則的に響いた。


(……誰かのために作るなんて、初めてだな)

 目の前に並ぶ料理に、意味など考えたこともなかった。


 塩と乾燥ハーブをひとつまみ。

 野営でも何度か使った、ありふれた味だ。

 干し肉の切れ端を加えると、鍋の中にじんわりと旨味が広がっていく。


 カイルは鍋をかき混ぜながら、明日のことを考え始めていた。

(たとえ軍籍を剥奪されようと、構わない。これは命令じゃない。俺自身の――意志だ)

 

 湯気の向こうで、静かにスープが煮立ちはじめる。

 火を弱め、鍋に蓋をそっとかぶせる。

 ちょうどそのとき、勝手口の方から人の気配がした。

 

「少佐、すごくいい匂いがするんですが……」


 リディアが大きな目を、ぱちくりと、ひと際大きくさせて厨房に入ってきた。

 

「簡単なものですまない」

「作ってくれたんですね。ありがとうございます!」


 リディアは綻んだ笑みを浮かべながら、手を洗い、近くの食器棚から器を探し始めた。


「もういいのか?」

「とりあえず組み終わって、試験もうまくいきました。大きな音を立てるわけにはいかないので簡易的なものですが」

「すごいな君たちは。こんな短時間で完成させてしまうとは」

「まだ、あと少し調整が必要なので……」

 作業台に器を移して、リディアは鍋を窺った。その顔には黒い煤が残っていた。


「煤がついてる。準備しておくから、顔を洗ってくるといい」

 

 リディアは一瞬きょとんとしてから、頬を両手で押さえた。

 

「……すぐ、洗ってきます!」


 リディアは脱兎のごとく飛び出していく。

 カイルは、リディアの頬に伸ばしかけた手を、ふと見つめた。

 

(……何をしている)

 宙に残ったその手は、ただ空しく、自分の前に浮かんでいた。


 そこへ、ラズロがドスドスと音を立てて戻ってきた。

「ったく、貴族様が炊事までこなすとは……こりゃあ明日は雨かねぇ」


 嫌味な言葉とは裏腹に、顔は嬉しそうだ。


「すぐ準備する。座っててくれ」


 カイルはそういうと、リディアが出した器にスープを盛りつけていく。

 パン屋で買ってきたものも、一緒に盛りつけテーブルへと運ぶ。


「あっ残りは私運びます」


 リディアが急いで戻ってくると、厨房へ駆け込む。

 食卓の準備が済むと、各々食べ始めた。


「温かい……」

 リディアはほっとしたように呟いた。その顔をみて、カイルは口元が緩んだ。


「おお、うめえな。しかし、明日どうやって乗り込む気だ?」


 ラズロはパンをかじりながら、カイルに顔を向けた。


「手配はしてきた。うまくいく保証はないが」

「手配って、なあ……」

 ラズロは繰り返す。


「ノイズ装置もうまくいくとは限りません。けどもう、やるしかありません」

 リディアは、はっきりと口にする。


「……きっと上手く行く」

 カイルはスープを飲む。じんわりと身体に染みた。



 ***



 工業区の夜は靄が深い。リディアは裏庭の小さなベンチに腰掛け、湯浴みした髪を風が吹き出す魔導具で乾かしていた。

 ほてった身体に冷たい風が気持ち良い。

 

「まだ起きてたのか」

 後ろから声がかかる。

 

「寝られなくて……」

 リディアは声の主を見上げた。カイルは隣りに腰掛けた。ボサボサの髪が恥ずかしくて、急いで乾いた髪を櫛で解かした。

 

「博士と一度会ったことがある」

「え? いつですか?」

「俺が軍に入ったときに挨拶しただけだが」

「何か言ってましたか?」

「……いや」

 カイルは考えて、言葉を切った。

 

「博士が亡くなった時、花を手向けた。あんなことがあったなど知らずに……」

 リディアは首を振る。

 

(父はきっと、軍にとって目障りだったから……それであんなこと……)


「君は強いな。……リディア」


 その言葉に、思わずカイルの目を見つめた。

 

「……え」

「名前で呼ぶのは嫌か」

「いえ……大丈夫、です……」

 

(こんなの……勘違いしたらいけない。明日、この仕事が終わったらもう……)

 リディアは俯いた。

 

「俺よりずっと強い。君の声がなかったら、今ごろ俺は……助けられたのは俺の方だ」

 カイルは目を伏せて、右の中指を撫でた。


(あの時、少佐は操られていたのに……ほんの一瞬でも、自分の声が届いていたなら……)

 

「そんなこと……」

 リディアはカイルを見た。

 

「私も助けてもらいました。今日だって――私一人だったらここまでたどり着けませんでした」

 カイルは小さくわらう。

 

「一人でそんなに背負わなくていい」

 優しく、櫛で解かした髪を撫でられる。

 心臓がどくんと跳ねて、思わず目をそらした。自分でも、どうしてこんな反応をしてしまうのか、わからなかった。

 

「……少佐って、ずるいですね」

 

 ぽつりとこぼれて、自分でも驚くように言ってしまった。

 

「なんだ」

「……こんなふうに、誰にでもするんですか?」


 言ってから、自分でも馬鹿みたいだと思った。冗談めかして笑ってみせるが、胸の奥はざわめいていた。


「するわけ無いだろう」

 カイルは眉間を寄せて、リディアを見返した。

 

(……私は、ただの技術者だ。明日が終われば、少佐とは、もうこんな風に会うこともない)

 

「……もう寝ます」

 手荷物をまとめて勝手口へ向かう。


「……明日はがんばりましょうね」

 ふと思い出し、リディアはカイルへ振り返って、その目を見つめた。

 

「ああ」

 カイルは静かに、微笑み返した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ