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「ここから先はそりじゃ無理だかんな。俺たちは商品仕入れに行くけれど、歩いて行った方が早えよ」
犬ぞりを降りて歩むその先は、一面に花が咲き誇っていた。
今目の前にあるのは、大きな橋とそれを阻む門。魔法でも使わなければ動かないよう巨大な白亜の石門がエースを迎えていた
寒空にぽっかりと空いた春の国。カイドウ魔法学園にエースはようやくたどり着いたのだった。
「俺たちは。挨拶だけして、あっちの集落の世話になるからな」
エースが死線を向けると、湖の畔をコの字に囲むように小屋が建ち並んでいる。魔法学校のもたらす暖気をただ借りしているらしい。村では嫌われていたみたいだけれど、思った以上に魔法学校は寛容らしかった。
「あれか、よく取り壊されないね」
「実際、調子に乗ると学校側に壊されちまうらしい。特に門の周りは景観を損ねるからダメだそうだ。魔法使いの気分によっては、来年はなくなっていてもおかしかないね」
「なるほど。君たちも気をつけて」
「俺たちは別に暮らしてるわけじゃないかんな、関係無いさ。むしろエースが近づいたらいかんよ。恨まれていたっておかしかない」
「分かった。世話になったね。お前達も。キャチも元気でね」
犬が人なつっこく吠えて答えてくれる。
「エースも元気でなー」
「ばか、客を降ろしたぐらいで泣くヤツがあるか」
もしまたそりを必要とすることがあれば、彼らとまた出会いたい。そうエースは思うのだった。
「似合っているかな。しかし変な感じだ。この鏡とやら。まるで磨きあげた鉄のようだけど表面は水晶みたいな、ガラスの方が近いけど、あまりにも薄いし。後で誰かに聞いてみようかな」
エースはカイドウ魔法学園にたどり着いて。一悶着あるんじゃないかと思っていた。お前は誰だとか、お前のような薄汚い魔法使いが居るかだのと、口論になるのではないかと予想していたのだ。
ところがだ。名前を橋の所に居た老人に告げるだけで、あれよあれよとこの部屋まで通されてしまった。しかもこの部屋を学校に通っている限り自由にしていいとまで言う。
今まで止まった宿の中でも、最も立派な部屋だった。
ベッドには体にぴったりと合ったシャツにジャケット、パンツが用意されていた。ようやく少し伸びてきたエースの体は、かつてあの学長と会ったときよりも大きくなっていたというのに、寸分違わない。もはや気持ち悪さすら覚える。エースにすらわかり得ない、何か未来まで見透かされているようで、支配されているかのようだったからだろうか。
「制服というのは、どうにも首輪のような感じがして好かないけど。作りは悪くないんだよな。俺が着てきた服の中では一番上等だ。予備も沢山あるし。けどデザインは好きだな。どこかの貴族みたいだ」
実際、この学校に通う生徒は貴族と呼ばれる立場にあることが多い。貴族が魔法使いとして優れている訳ではないけれど、優れた魔法使いは貴族や王になる事が多い。
魔法使いの中にも、貴族に興味が無いという家もあるが、それはそれで魔法の学校には子供を行かせたがらない。
その場合はエースのように、学校の教員にスカウトされていたり、貴族の側仕えだ。
魔法使いの一族には、それに従属する使い魔や、魔法使いが居ることもある。従属といっても奴隷のような関係ではない。主従、あるいは友。血の繋がらない家族のようなものだと、エースは聞いていた。
「身なりを整えるぐらいの金も持っていない貧民は俺だけか」
元奴隷という異質な経歴。金の稼ぎ方は学んだ。鉱山の外での生き方も覚えた。けれど、エースと他の魔法使いは、あまりにかけ離れている。出生、経歴、経験。その差を考えると、少し尻込みしてしまう。
だがそれ以上に、エースはこれから出会う同胞に、心躍らせていた。
入学式は一月ほど後。他の同期はもう少し後になるとのことだった。
「それじゃあ。先に挨拶をしに行きますか」
大扉をノックする。扉には複雑な彫刻が施されていて、これ一枚に美術品としての価値があるのではないかと思わせるほど。エースの身長では見上げる形になる程の大扉。ノックの音すら重く乾いていた。
「エースです。学長殿」
「入りなさい」
体重をかけて扉を開けると、その中は広々とした部屋になっていた。
確かに広い部屋だったが、開放感はない。乱雑とも言いがたいいが、至る所に見たこともない道具や装置が並べられている。壁は本で埋め尽くされ。物語で出てくる。魔法使いの部屋そのものだった。
「久しぶり、エースくん。はるか遠くから、本当によく来たね。私を君を遠く離れた息子のように思っていたよー」
「そう思っていたのなら、迎えに来てくれても良かったのに。それで、あんたの息子は何人居るんだ」
「ミゼルハイネと呼んでくれたまえ、エースきゅん。ミゼルでもお姉さんでも良いぞ。それはほら、旅で良き経験が出来たでしょう。君の家は少々埃っぽくて血なまぐさすぎるから、それ以外を見て回るのはとても大切だと思わない」
「知っているでしょう。鉱山はもう無くなりました。半分はあなたのせいで」
「半分はエース君のおかげよ。幸天教の違法鉱山を1つ潰すだけのつまらない仕事で、良い拾い物をしたと興奮したわ。エース君も私にバブみを感じなさい」
「気持ち悪いですね」
エースが働かされていた鉱山は、どこかの宗教団体が保有していた鉱山だったらしい。エースにその真相を確かめる術はない。山を丸々吹き飛ばしたせいで、今や奴隷も教団員も等しく穴の中だ。
結果だけを並べると、邪悪な団体からエースを助け出したミゼルハイネ・インテルリア学長と、ちょっとした英雄譚のようだが、事実はもっと酷い。
元より、この女の頭の中には、魔法使い以外の事など存在していないのだから、起こるべくして起こった悲劇と言える。
エースにしてみれば幸天教とやらに所属していた魔法使いごと屠っていなければ、本当に邪悪な教団の2次団体かも怪しい所だと思うほど信頼ならない。もし、彼女がどんな人かと訪ねられればエースは断言するだろう。ミゼルハイネ・インテルリアは恩人であるが人格破綻者だと。
「ともかく春から世話になる訳だし、一応挨拶はしておこうと思って。正直ここに来るだけで一苦労だったけど。何度、道を聞いたことか」
「早く覚えた方が良いわ。授業ごとにいろんな教室に行かなきゃならないもの。せめて寮への戻り方ぐらいは覚えておかないと後で泣くことになるわ。明かりもない廊下をさまよってね」
「はは、初めに明かりの呪文を教えて貰う事にするよ」
エースとしてはこの1月の間に教えて貰いたいぐらいだった。何せ、他の魔法使いは、ある程度魔法に習熟した状態でやってくる。一応この学校には入学試験もあるらしい。エースは、試験なんて受けなくても良いと学長直々に呼ばれているので、その内容は知らなかったが、カイドウ魔法学校の試験は、他の魔法学校よりも過酷らしい。
その代わりにというわけでは無いが、身にまとうものすら無いエースに、1人で学校までたどり着けと無理な要求をミゼルハイネはしていたりする。
つまり、少しでも遅れを取り戻したいと、エースは考えていたのだった。
「そのことなんだけどね。実はまだ正式に入学が決まったわけじゃないの」
「はあ、なんで。約束を守って1人でここまでやって来ただろう」
「入学だけなら確実なんだけどね。念のためにもう少し手を回しておいた方が良いかなって。結構、幹部の先生の中でも反対意見があるわけ。ようは不安なの」
「不安。何を不安になる必要があると。先生をやっているぐらいだ。俺なんかが魔法で勝てっこない。結晶だって、正直使いこなせているとは」
「ああ、それはたいして重要じゃないの。正直、触媒を自分で生み出せたり、高出力の魔法が少し使えるぐらいなんとも無いわ。例えば私なら、そこらに転がっているものから最高品質の触媒を用意して、魔法使いを蒸発させるぐらいわけないもの。結晶は希少な才能だけど、絶対、最強って訳じゃないわ」
話の筋が見えてこない。だったら何も気にする必要がないはずだ。エースのような路傍の石に学長の意見を遮ってまで干渉する。ちぐはぐだ。
「まさか嫌がらせじゃあるまいし」
「そう、嫌がらせなのよ。彼らは、魔法使いの血を受け継いだ、この世界の貴族だったのよ。自分たちとルーツの違う、魔法使いかも疑わしい何かを認めることは出来ないそうよ。ましてや懐に入れるなどとって必死に吠えていたわ」
エースは話のくだらなさに目眩がする。
「俺は魔法使いじゃないって。じゃあ一体何だって言うのさ」
「さあ」
「おい」
「モンスターには魔法のような力を使う個体なんて珍しくない。その種類も多種多様。こっちが苦労して覚え伝え発展させてきた力を、生まれた時から使えますみたいな顔でやってみせるんだもの。溜まったものじゃないわ。人間に擬態するモンスターが居たとしてもおかしくないもの」
エースは黙りこくってしまう。
「それで、結局どうしろと」
「つまりね、あなたにはこの学校で一番になって貰います」